第七十二話 折れた剣
警戒する蜥蜴の三人を余所に、クロゥはいつもと変わらぬ様子でシレーヌに話を振った。
「シレーヌちゃん。カシミルドは?」
「部屋で寝ています」
「そ。じゃあ。シレーヌちゃんは向こうに帰りな……」
シレーヌはテツを横目で確認すると、小さく頷いた。
「えっ? 逃がさないよ……ってあれ?」
ミシェルが指に力を込めるも、シレーヌは透明な液体と化し、指の間をすり抜けていく。慌てて風魔法を唱えるも、何かがおかしい。
じっと手のひらを見つめて首を傾げるミシェルに、クロゥは嘲笑うかの様に告げた。
「風の精霊は、お前の言うことなんか聞かないぜ?」
「なっ何でっ!? オウグっ」
「おうっ! 地の精霊よ──」
「地の精霊も従わない──だってさぁ……俺がここにいるんだからな」
オウグの拳に集まっていた筈の精霊達が、クロゥの声と共に去っていく。
ディーンは戸惑う二人を見て察した。こいつはヤバい。
言葉だけで、魔法を無効化できるようだと。
そしてテツの髪を掴み上げ、首元に剣を突き立てる。
「そ、それ以上口を開くな! 王子の首が飛ぶぞっ」
「……はぁ。別に俺。この国の人間でもないし。そいつとは、顔見知り程度だし」
「なっ。くっ来るな!」
クロゥは辺りを見回しながら一歩ずつ宿へと歩み寄る。
レオナールはボロボロ。
テツも両足骨折……いや、骨まではいってないか?
シレーヌは帰還。
そして何故かそこら中に石がゴロゴロ落ちている。
「ってか。何してた訳? 散らかし過ぎだろ……俺さー、争い事には首突っ込みたくねーんだけど……だから」
クロゥは三人を順に睨み付けた。
ミシェルがササッとオウグの後ろに隠れた。
「早く消えろ。俺の前から……」
ディーンはテツの髪から手を離し、一歩ずつ後退りした。
ミシェルはオウグの背中に乗り込み呪文を唱える。
「風の精霊よ──」
「風の精霊は従わない──。俊足の魔法か? んな贅沢しないで自分の足でさっさと逃げろよ」
「んん。ムカつく!」
「よせっミシェル。引くぞっ」
オウグの背中でミシェルはクロゥに向かってベーっと舌を出し、そのまま塀の向こうへと消えていった。
クロゥは呆れた様子で首を振り、レオナールを担ぐとテツの横に立った。テツの足の上に乗った岩を足で蹴りどかしてやる。
「っっ。もう少し優しくどけてくれないか?」
「人間は贅沢だなー。歩けるか?」
「……無理だな」
テツは立ち上がろうとするも、皮膚が抉れ腫れ上がった足は言うことを聞かず、その場に尻餅を付くとそのまま地面に仰向けに寝転んだ。
「くそっ……」
顔を手で覆い、深い溜め息を吐く。
そして奥歯を噛みしめ小さく震えていた。
クロゥはそれを気まずそうに眺め、宿から気配を感じ、レオナールに向かって指をパチンと鳴らした。レオナールは白い光に包まれると、人間の少年へと姿を変えた。
「……あいつ。来るぞ……ほら、風のヤツ」
テツが腕で顔を拭い、体を起こすと同時に、宿の玄関からシエルが飛び出してきた。
「テツ様っ。風の防護壁が急に消されて……ってな、足が……」
「大丈夫だ。これぐらい掠り傷だ」
テツはそう言って笑顔を向けるが、痛々しくて見ていられない。クロゥは背中のレオナールを下ろすと、シエルに押し付けた。
「こいつよろしく。メイ子に治してもらうから部屋に運んどいてくれ」
「えっちょっ……」
「ほらっ。さっさと背中に乗れよ。ったくどいつもこいつもおんぶに抱っこちゃんだな……」
クロゥは悪態を付きつつ背中にテツを乗せた。
「重っ。そか。あんた魔法きかないんだっけな……」
クロゥはカシミルドを背負うときもズルをしていた。
風の精霊の力を借り、カシミルドを軽くしていたのだ。
しかし、テツには魔法が効かない。面倒な男だ。
まあ、自分自身に風の精霊の力を付与すれば良いのだが、重いものは重い。
「すまないな。あ、ついでに剣も拾ってくれないか?」
「ああ? 仕方ねぇな」
クロゥは折れた剣を拾い上げた。真っ白な細身の剣。
こんなに白かっただろうか。
刃こぼれが酷く、折れたことも頷ける。
テツは折れた剣を手に取ると、瞳を閉じクロゥの首筋に顔を埋めた。そして小さく呟いた。
「ありがとう。クロゥ君……」
◇◇◇◇
レオナールとテツは男子部屋のベッドへと寝かされた。
テツは首から下げていた小さな巾着をクロゥに渡す。
「そこにフェルコルヌの角の粉末が入っている。小さじ一杯を水に混ぜてくれるか?」
「あ? 俺は水の魔法は苦手だ」
クロゥは巾着をつまみ上げ、眉を潜めた。
「……俺、水汲んできます」
シエルは部屋から出ていった。そして、その機会を待っていたかの様にテツはクロゥに話を切り出した。
「クロゥ君。メイ子君を魔獣界から喚ぶ事は可能か?」
「んなの俺のすることじゃねぇ」
「ではレオナールは朝まで治療出来ないのか……出血を止めてはいるが完全ではないからな」
「カシミルド、起こしてくるぜ?」
「恐らく無理だな。薬を盛られたからな……あ。体には良いものだ」
「何だそれ……。カンナちゃんは?」
「カンナ君もだが……。カンナ君は黒の一族ではないのだろう? 何故カンナ君の名を出したのだ?」
「あー。カンナちゃんだったら……」
クロゥはそこまで言うと急に口ごもった。
頭をボリボリとかき、明らかに様子がおかしい。
「そう! カンナちゃんならカシミルドを起こせるかなってだな。ははは……俺、カシミルドのこと見に行ってくる」
クロゥは巾着袋をテツへ投げると、部屋を後にした。
「クロゥ君は何を隠しているのだ?」
テツはそんな独り言を漏らし、ふと、視線をベッドの横に置かれた折れた剣へと向けた。
美しく紫に輝いていたあの剣を見ることはもう二度とないだろう。光を失い、ただの古びた剣に成り下がってしまった。
それも、自分のせいだ。シレーヌは大丈夫だろうか。
シレーヌの笑顔が見たい。まだこの時代で一度も見ていない、彼女の飾り気のないあの笑顔を……。
「駄目だ。こんな世界にシレーヌはいては駄目なんだ。──この世界を私が変えるまで……」
◇◇
テツはその後、シエルに用意してもらった薬を飲むと足と脇腹の出血は止まり、体に残っていた痺れも消えていった。両足の怪我を隠すように包帯を巻き、出血は止まったものの、白い包帯は赤く染まっていく。シエルはそれを苦々しい顔で見ていたが、テツは平然と「明日には治る」と言い笑っていた。
レオナールはというと、クロゥが連れてきたアヴリルが必死で治療に当たっていた。
「むぅ~むぅ!」
アヴリルの体から光が溢れ、何となくレオナールの傷を癒す。クロゥはそれを見て首を捻る。
「やっぱ駄目か?」
「フェルコルヌの薬を飲ませたから、大事には至らないだろう」
「そっか。ならあんたも早く寝ろよ。俺が後は診ておくから」
クロゥはそう言ってレオナールのベッドに腰かけた。
それを訝しそうに見つめるシエルにテツは声をかける。
「シエルも休もう。今日は助かったよ。また明日もよろしく頼むぞ。──明日はエテだ」
「……はい。テツ様もゆっくり休んでください」
「ああ。──クロゥ君、今日は君のお陰で命拾いしたよ」
「無茶すんなよ。お前が間違えたらカシミルドも危険だからな」
「ははは。そうだな。奴が剣を抜くとは思っていなかった」
「まあ。王子様は殺す気なかったようだが……魔獣だったら、喜んで殺すだろうな」
クロゥの言葉にアヴリルがビクッと体を痙攣させた。
そしてまた必死に回復魔法のような物をレオナールにかけ始めた。
テツは天井を無言で見つめていた。
クロゥはそんなテツにおどけた様な声をかけた。
「夜更かし王子様。今宵はもう、おやすみなさいませ」
◇◇◇◇
「ねぇっ! さっきの奴何かなぁ? あれも魔獣?」
闇夜に紛れて森を疾走する最中、オウグの背中に担がれたミシェルが、珍しく困惑した様子で尋ねた。
「さあな。関わらない方がいいことだけは確かだな。上に報告しとくか?」
「そうだな……いや。止めておこう。王子との件まで話すことになるからな。今日の事は……」
「へいへい。分かってるぜ。仲間を売るような真似はしねーよ」
「ミシェルもー。あのお魚さんは、ミシェルが回収したいからね!」
ディーンはそれを聞くと顔を伏せ微笑んだ。
心臓がドクドクと脈打つ。俊足の魔法なしで走っているからだけではない。自分より強い相手と剣を交えた興奮がまだ残っているからだ。自分の師よりも強いかもしれない、この国の王子……。
「……久しぶりに、対人戦の訓練でもするか──ああ。その前に、ルナールか……」
ディーンは森のその先を見据えた。この先はエテ、そしてそのもっと北に、今回の作戦の最後の仕事が残っている。
「そろそろ大詰めだな」
「ああ。お楽しみはこれからだな」
そして三人は、暗い森の中へと姿を消していった。