第七十一話 霧の中で
テツは冷静に双剣使いの戦闘スタイルを分析していた。彼は肩や関節、首等──体の繋ぎ目を狙って攻撃してくる。
恐らく回収部隊の彼らは、なるべく商品を傷付けないように訓練されているのだろう。連撃は目を見張る速さではあるが、シレーヌの魔法で鈍化されているし、軌道は見える。そして、相手も本気ではない。
本気になる前に決着をつけるべきだろう。
剣を向けられた時は狂喜を含んだ殺気を向けられたものの、大男の一言で落ち着きを取り戻していた。
テツが思考を巡らせていたその時、双剣使いの目に力がこもる。何か仕掛ける気だ。
テツは先手を打ち、その場で体を回転させ、片方の刀剣を弾き飛ばした。双剣使いは片方の剣を失うと、その刀剣とは真逆へ飛び退き、右手の痺れを紛らわす様に手をヒラヒラと振るった。それでも口元には笑みを浮かべている。
「この国のお偉いさんに……剣を使える奴がいるとはな……」
「フッ……ルナールの子どもを拐った目的は何だ?」
「さぁ? 下端には何も? つい遊んでしまったが……そろそろ引かせてもらおうか──オウグっ」
双剣使いの声と共に、テツの足元に巨大な魔方陣か浮かび上がった。
「何っ!?」
魔方陣は半径五メートル以上あった。
発動前に避けることは不可能。
発動後に相殺するしかない。
「きゃぁぁっ」
後方からシレーヌの叫び声が上がる。
大男が魔法を使っているということは、水の檻が壊されたのだ。テツは唸り始めた大地の事など忘れ、シレーヌの身を案じた。
そして次の瞬間──大地は裂け、人の倍ほどの高さに隆起し、テツを飲み込んだ。
「少しは楽しめたか? ディーン、遊んでないで行こうぜ」
霧の中からオウグが呆れた表情で現れた。
「オウグ……あれ。死にはしないか?」
「ああ。閉じ込めただけだ。つか、ディーン、あんな温室育ちに圧されてただろ?」
「この霧のせいもあるが……あれは温室育ちではないな。戦い慣れしている。それも恐らく実戦でだ……刃に臆することなく弾き返してきたからな」
「んな。何処でそんな訓練が出来るんだ?──しかしディーンが剣を抜いた時はヒヤッとしたぜ。ミシェルならともかく……そうだ。ミシェルが新しい獲物見つけたんだったぜ……」
オウグは肩を落として霧の奥に目を向けようとした……その時、視界の端に捉えていた隆起した土にヒビが入るのが見えた。
咄嗟にディーンの腕を掴み後方へと飛び上がった──その瞬間、巨大な岩のように形成した大地が、ただの魔力の塊となって霧散した。
「うおぉぉぅ」
その飛散した魔力は豪風となり、オウグとディーンを更に後方へと吹き飛ばし、辺りの白い霧を晴らした。
割れたはずの大地は元の平らな地に戻り、その上に剣を片手にテツが佇んでいた。
「何だ? 今の……」
オウグが地面にへたり込み驚きの声を発した。
「岩を剣で砕いた? 嫌、違うな……オウグ。もう一度同じ魔法をやってみろ」
「あ、ああ。地の精霊よ──」
テツは敢えてオウグが魔法を唱え終えるのを待った。
そして魔方陣が現れ、大地が隆起し始めた時を狙って剣を振るう。すると魔方陣もろともオウグの魔力は形を崩し、術者自身に跳ね返された。
木の葉の様に風に飛ばされるオウグを横目で見やり、テツは自分の力を誇示するかの様に剣をゆっくり構え直し、周囲を確認した。
白い霧は半分ほど晴れ、右奥では痛々しいレオナールの姿が見えた。風の加護がレオナールにかけられている。そのせいか、手足が串刺し状態の割には出血は少なく、命の危険は無さそうだ。自業自得なので放っておく事にした。
しかし、肝心のシレーヌは見当たらない。霧の濃い左側から気配がするが目視は出来なかった。
テツは小さく舌打ちした。そして気づく。
自分が苛立ち焦っていることに。
シレーヌをまた、争いに巻き込んでしまった自分に腹を立てていた。
「ここは……冷静に……冷静に一人ずつ潰す」
言い終えると同時にテツは更地を蹴り、濃い霧の方角にいるディーンへ向かって距離を一気に詰めた。
ディーンは身構え右手を背中に伸ばすが空を握る。刀剣を弾かれた事を思い出し、左手の刀剣を両手で握り締めた刹那──テツの剣がディーンの刀剣に甲高い金属音を周囲に響かせながらぶつかり合った。
一本の刀剣でテツの斬撃を受け止めきれる筈もなく、ディーンはそのままテツの切り上げた剣に圧しきられ、後ろへと飛ばされた。
体勢を崩しながらも、ディーンはテツの次の一撃に身構えようとするが、テツはディーンに目もくれず、そのまま真っ直ぐに霧の中へと消えていく。
霧の奥に、ミシェルに捕らえられたシレーヌを見つけたからだ。オウグはその背に向けて呪文を唱える。
しかしディーンがそれを制止した。
「オウグ。止めろっ。どうせまた返される。──向こうは池の方だな……俺にいい案がある」
◇◇◇◇
シレーヌはミシェルの出した風の渦に閉じ込められていた。
まさか水の檻を人間如きに壊されるなど思ってもみなかった。もしかしたら、魔道具に魔力を蓄えていたのかもしれない。油断していた。
危険を感じたら魔獣界へ退避するように言われていたが、この渦の中では無理そうだ。
風と風の隙間から白くか細い手がシレーヌに向かって伸びてきた。しかしその手は、水を手で掴むことが出来ない事と同様に、シレーヌの体をすり抜けていった。
「あれ? おかしいなぁ? あっそっか!」
ミシェルは何かに気づいたように声を上げ、再度シレーヌに向けて手を伸ばし、そして掴んだ。
「きゃっ」
ミシェルは、か細い指とは思えない程、力強くシレーヌを鷲掴みにした。手には風の魔力を纏うことでシレーヌに触れることが出来たのだ。
「わぁ~小さいね。フニフニしてて気持ちいい~。でも、鱗の部分はツルツルしてて固いね~。ねぇ、大きくなれないの? 大きければ鱗も沢山取れるのに……」
シレーヌはミシェルの悪気ない言葉に顔を蒼白させた。
この人間は、自分の鱗を剥がすつもりだ。何とかして逃げ出さなくては。身をよじると、ミシェルの指に更に力が込められた。
「逃がさないよ。お魚さん。──んっ? 風の精霊よ──」
ミシェルは霧の奥に殺気を感じ、左手に風の防護壁を作り出す。そこへ風の刃が双方からミシェルに襲いかかった。
一撃目でミシェルの防護壁は破壊され、二撃目をギリギリ避けるが、指先を掠めた。後数センチ、いや数ミリずれていたら指が飛んでいただろう。今のは魔法? いや、ただの斬撃か。
「シレーヌっ」
霧の奥からテツの呼び声がシレーヌの耳に届いた。
「おお。アブなーい。さすが王子様って感じだね。──でもさ。三対一で何が出来るのかな?」
テツはミシェルまで一気に距離を詰めると、怒りに任せて剣を振り上げた。
ミシェルはシレーヌを盾にし、また風の防護壁を繰り出す。ミシェルは至って余裕だった。
テツの背後にディーンが攻撃体勢で現れたからだ。
テツはシレーヌと目が合い、一瞬冷静さを取り戻した。
背後の殺気に気付き、体を回転させて後方へと斬撃を放つ。
ディーンはそれを避けるとテツに突進していった。三本の剣が絡み合い刃の擦れ合う音が響く。
「その剣。年代物か?」
「?」
「──見えた」
ディーンはそう呟くと、テツの剣のある一点を狙って連撃を繰り出した。
テツが余すことなく斬撃を受け流していると、右足に固い何かがぶつかり、軸足を挫かれ、テツは体勢を崩す。
足元にはこぶし程の大きさの石が転がっていた。そして同じような石が右斜め後ろからいくつも飛んでくる。
池の周りの岩石を拳で砕き、オウグがテツの足を目掛けて豪速球を投げていた。
「なっ……」
テツは地面を蹴り上へと飛ぶ。そこへミシェルがナイフを投げつけた。それはテツの脇腹を掠めていく。
「ミシェルも加勢~。やったぁ!」
「テツっ!?」
テツは脇腹を押さえ、体勢を崩し地面に落下した。剣を握り直そうにも、指先からヒリヒリと麻痺し、腕からも力が抜けていく。ナイフに毒が仕込まれていたのだ。
立ち上がろうと、地面に剣を突き立てるも、オウグの剛球が膝を砕く。そしてそこへディーンが渾身の一撃を振り下ろした。
テツは地面に両膝を着いた体勢でギリギリ、ディーンの剣を受け止めた──しかし、その刀身はキンっと甲高い音と共に折れ、上空に煌めいて飛んでいった。
「紫輝……」
「大事な剣だったのか? 残念だったな……」
テツは折れた剣を愕然と眺めた。
永きを共にしてきた俺の剣──千年前、慈愛の天使アグレアーブルの加護を受けたその剣が、折れたのだ。
「テツっ避けてっ」
シレーヌの切羽詰まった声に振り向こうとした時、ふくらはぎの上に激痛が走った。いつの間にか背後にいたオウグが、足の上に大岩を落としたのだ。
「うっ……ぐっ」
「おい。ミシェル。さっさと行くぞっ」
「はーい! お魚さんはゲットしたよ~」
ミシェルは右手でシレーヌを握り締め、もう片方の手で放り投げた荷物を拾い上げた。
「シレーヌっ」
テツは今一度折れた剣を握るが、その剣はディーンに蹴り飛ばされ宙を舞っていった。
「テツっ。私は大丈夫ですからっ……」
シレーヌは瞳に涙を貯めてそう叫んだ。
大丈夫な筈がないのに。シレーヌが強がっているだけだということは一目見て分かった。握った拳は小刻みに震え、瑠璃色の尾は力なく垂れている。
自分のせいで、また……シレーヌが……。
テツの頭の中に過去の記憶が甦る。ヴァベルに頼ってしまったあの時の──。
テツは無意識の内に呟いた。
「助けて……ヴァベル……」
その時──白い霧がスーと引き、視界が開けた。
霧を起こしていたシレーヌに何かあったのかと、テツはシレーヌに視線を向けるが、その当のシレーヌは口元を緩ませ、ある一点を眺めていた。
視線の先には黒い影が一つ。黒い髪に金色の瞳。
遠目で見ると、ヴァベルそっくりな少年B──もといクロゥが立っていた。そして瞳に冷たい光を宿し、悪戯に微笑みながら口を開いた。
「最近夜更かししすぎなんじゃねぇの~? 王子様?」