第六十九話 シエルの立場
テツはシエルとレオナールと向かい合ってソファーに腰を下ろし、事の成り行きをシエルに伝えた。しかし、レオナールの素性に関しては偽りを述べた。
シレーヌは透明になり、二人の会話を窓辺で聞いていた。
「えっと……さっきの三人が、こいつの行商団を襲った奴等で、テツ様にそれがバレたから、先手を打たれて薬を盛られたって事ですか?」
「ああ。油断していた。レオナールの妹が行方不明でな、奴等なら知っているのではないか……と聞き出したかったのだが……」
「聞き出すって……要するに力でねじ伏せてって事ですよね──戦力不足です。諦めましょう」
シエルの即断にレオナールは俯いていた顔をシエルに向け、強く睨み付けた。シエルも食堂で彼らに会い、それなりに戦力が予想できているのだ。
シエルはレオナールを視界に入れようともせず話を続けた。
「こいつどうしますか? 勝手に自滅しそうですけど。縛っときますか?」
「いや。そこまでしなくてもいいだろう。しかし、シエルは何故起きているのだ? 薬に耐性があるのか?」
「無いですよ。ただ、知らない奴から貰った物は口にしないので。それだけです」
「そうか……」
テツはそう言うと,物思いに更けるように外へ目を向けた。その目は手が届きそうで届かない何かを欲し、渇望しているようかのだった。
「テツ様。あの三人組は王都の地下オークションとも関わりがあるんですか?」
「さあ。どうだろうな」
「テツ様は、彼奴らの尻尾を掴みたい。願わくば、あの三人を討ち取りたいと思っていませんか?」
「……」
テツはシエルへとゆっくり目を向けた。
シエルはテツを真っ直ぐ見ていた。レオナールの事を話すべきか、テツは思案した。
しかし人間嫌いなレオナールとシエルの相性は最悪だろう。
それに、何も知らない方が、のちに他貴族に追求された場合、シエルとラルムは無関係だと言える。
このまま知らない方が、シエルの立場は守られる筈だ。
テツの無言を受けて、シエルは視線を落としたまま、話題を変えるように言葉を紡いだ。
「……テツ様。そう言えば、Bは何処に行ったんですか?」
「B?」
「さっきの話に一度も出てこなかったので。あの……馬からカシミルドが落ちたときに助けていた……何て名前でしたっけ?」
「おっ。クロゥ君か! そうだ。クロゥ君がいたな。それはいい案だ。シレーヌ、クロゥ君は今、何処にいる?」
シエルは誰もいない窓辺で話すテツを不思議そうに眺めた。
すると窓辺からもう一人女性の声がした。
「クロゥ様ですね! 探して参ります!」
「ああ。頼んだよ」
テツの視線の先に星明かりに透けて小さな光が揺らめいた。二人の会話に沈黙を貫いていたレオナールは、クロゥと聞いて首を捻る。
「おい。クロゥって誰だ?」
「レオナール君は会ったことがないか。クロゥ君は……何と説明しようか……まあ、会えばわかるよ」
「テツ様、どうされる気ですか?」
「……。クロゥ君と合流できれば、奴等を捕縛する。合流できなかった場合は潔く諦めるよ。レオナールもそれでいいな?」
「……わかった」
レオナールは不満そうに目を細めるも、最後には頷いた。
「テツ様。俺は何をすればいいですか?」
「シエルはここで、三階に防護壁を張っていて欲しい。何かあった時は頼むぞ」
テツはシエルの肩にポンっと手を乗せた。そしてレオナールに向き直る。
「レオナール行くぞ。クロゥ君を探そう」
テツはレオナールと部屋を出ようとした。レオナールもここに残ると思っていたシエルはその行動に動揺を見せる。
「えっ? そいつ連れていくんですか?」
「ああ。放っておいたら何をするか分からないしな。シエル。皆の事は任せたぞ」
「……はい」
テツは当たり前と言わんばかりにレオナールを連れて階下へと去って行った。
シエルは一人部屋に残された。
あんな小さい子どもを連れていくのに自分は置いていかれた。そう思うと、胸の奥にチクッと針が刺さったように傷んだ。
蜥蜴の尻尾の事も、テツは一言も発しなかった。わざと尻尾という単語を使ったのだが、テツはそれに敢えて反応しなかったように見えた。
シエルは薄々感じていた。
王都の地下でテツがオークションに参加していたのは、蜥蜴の尻尾を探るためだったのではないかと。
あの子どもも、それに巻き込まれた子ども、もしくは魔獣ではないかと。
今日、食堂で見たテツは、あの日地下で見た時と同じ、冷たく遠い眼をしていたから。
だけど──。
「俺には、何も話してくれないんですね……」
シエルは腰に差した杖を抜くと、静まり返った部屋の中で呪文を唱えた。テツに言われた通り、三階の全ての部屋をシエルは風の防護壁で包み込んだ。
◇◇◇◇
シレーヌは宿屋の玄関の横にある池に向かって独りでブツブツと話しをしていた。
「シレーヌ。クロゥ君はいたか?」
「それが……水鏡を通してあちこちの水辺の生き物に聞いてみたのですが。精霊の森にいるそうなんです」
「精霊の森……といっても広いからな……遠いのか?」
「そうですね。オンディーヌがいた湖の辺りにいるらしくて。来てくれるみたいなのですが、時間はかかると思います」
「セイレーン!? そこから走っても2日はかかるだろ……どうすんだよ!」
「私にそんな事言われましても……でもクロゥ様は飛べるのでもっと早く着くと思いますわ」
「後は、奴等がいつ動くか……だな。池の裏の植え込みの影に隠れよう。もし奴等が現れても、クロゥ君が間に合わなければ行動は起こさないように。わかったね。レオナール君」
レオナールはこくりと頷くも、目は宿の玄関扉を見据え、今にも飛びかかりそうな顔をしている。
植え込みに隠れると、シレーヌはレオナールの前にフワリと浮かび上がり、呪文を唱え始めた。
レオナールも何事かと頭上を見ると、シレーヌと目が合った。どうやらシレーヌは怒っているようだ。レオナールに冷たい視線を送ると、シレーヌはテツに向かって微笑み、レオナールに向き直ると言葉を発した。
「念の為、水の檻に閉じ込めておきますね」
「なっセイレーン! 酷すぎるだろっ」
「酷くありません。レオナールが勝手な行動を取ろうとしていることは誰が見てもわかります。テツに危険が及んだら、いくら同胞と言えど万死に値しますからね」
「……こわっ」
◇◇
三人は息を潜めて宿を見守った。どれほど時間が経っただろう。クロゥもあの三人も現れない。シレーヌはテツの手の中でスヤスヤと眠っている。
水の檻に閉じ込められたレオナールとテツ、今は二人だけの空間だ。
「レオナール君は、パトリシアを知っているかい?」
「へ!? あの、里を出たパトリシア様ですか?」
「多分そうだ。……そうか。里には戻らなかったのか。……しかし、パトリシアの事をレオナール君は尊敬しているのだな。君は、尊敬する相手には敬語になるようだ。面白い」
「……。お前がルナールに詳しいのはパトリシア様と知り合いだからなのか? まあ。知り合いでもおかしくはないか。パトリシア様は王都にいらっしゃるから」
「パトリシアは王都にいるのか……じゃあ。やはりパトが……」
テツが言いかけた時、宿の玄関が音もなく開かれた。レオナールは黄色い宝石の付いた指輪を外し、フサフサの耳と尻尾がある本来の姿へと戻った。
そして両手を地面に着き、今にも飛び出しそうな体勢をとる。
「レオナール君。落ち着きなさい」
「……ムリだよ。あいつ、ミシェルの奴、ミィシアのリボン……付けてやがる」
ミシェルのお団子頭に、桃色のリボンが揺れていた。
レオナールの瞳がみるみる怒りの赤に染まっていく。
シレーヌもその殺気に飛び起き、レオナールを囲う水の檻を再度構築し直した。より太く濃い魔力で強化されていく檻を目にし、レオナールはシレーヌを睨み付けた。
「セイレーン。俺をここから出してくれ……」
シレーヌはテツに視線を送るが、テツは小さく首を横に振った。
「チッ。だったらいい。……自分で出る!!」
レオナールは大きく息を吸い込むと瞳を爛々と輝かせ四肢に力を込めた。
「レオナールっ!」
テツの叱責を聞き流し、レオナールは両手に己の力を全て込めて檻に手をかけた。
「ぐっるぁぁぁぁ!!」
その雄叫びは夜の静まり返った村に響き渡る。
ミシェルは肌に伝わるその振動に口許を緩め、恍惚の表情を浮かべた。
「ディーン……今日はやっても良い日?」
「はぁ。……人間は駄目だ。だが……魔獣だったら好きにしろ」
「やったぁ!」
ミシェルが両手を上げ、背負っていた荷物を地面に投げ捨てた。それと同時に、星明かりに照らされて金色に輝く獣が襲いかかる。肥大した爪を掲げてミシェルに向かって振り下ろす。
「こんばんは。レオナール君……」
迫り来る爪は悠然と眺め、ミシェルはレオナールに笑顔で挨拶した。