第六十八話 苺ミルク蜂蜜
カシミルド達が食堂に着いた時、場は和み楽しげに食事が進んでいた。
「はいはーい! こっちもおかわり~!」
元気よく店員を呼んだのは、金髪の小柄な少女だった。
そう、蜥蜴の尻尾のミシェルだ。
ミシェルは、事情を知らないラルムやカンナ達と和気あいあいと過ごしている。しかし、ミシェル以外の男二人は、そうでもない。細身の男は我関せずと黙々と食べて、大柄な男は、時折ミシェルに座るように言いながら、苦笑いを浮かべている。
「カシミルド? 何かあっても、私が貴方を守りますの」
カシミルドの緊張がルミエルにも伝わったのか、耳元でルミエルが囁いた。カシミルドはハッとしてすぐテーブルに着いた。
「カシミルド君。遅かったですね。料理が冷めてしまいますよ?」
「ああ。うん」
ミシェル達の事が気になるカシミルドであったが、テーブルに並べられた料理を目にすると、一瞬で心を奪われた。
スープの香り、焼きたてのパン。どれも見た目通りの味が期待できそうだ。
そして一番気になるのは、コップに注がれた薄ピンクの乳白色の液体。これは脱衣所にもチラシが貼られていた、『湯上がりにイッキ飲み。苺ミルク蜂蜜』に違いない。
湯上がりはのぼせたレオナールの介助でそれどころでは無かったが、まさか夕食にサラッと並べられているとは……。
こんな時でも呑気に食べ物の事ばかり考えてしまう自分に呆れるも、頭の中は完全に苺ミルク一色だった。
「カシィ君。甘くて美味しいよ?」
カンナの声にハッと我に返ったカシミルドは、グラスを掴むとそれを一気に飲み干した。
至福の笑みを浮かべるカシミルド。
リリィの家で裏切られ続けた味覚と視覚がついに融合した瞬間だった。
「そんなに美味しいんですの?」
続けてルミエルも一口。「まあまあね」とルミエルが呟いていると、食堂にテツも現れた。店員に二名分の夕食を部屋に運ぶように伝えカシミルドの隣の席につく、そして苺ミルク蜂蜜を手に取ると、眉をしかめてテーブルに戻した。
「皆、これを飲んだのか?」
ラルムは今まさにその飲み物口をつけ、飲み干すところだった。しかし途中で飲むのを止め、テツの質問に笑顔で答えた。
「テツ様お嫌いですか? 実は、隣のテーブルのミシェルちゃんがくださったんですよ? 空き部屋を貸してくれたお礼だそうです」
それを聞いてカシミルドとテツは顔を見合わせた。そして二人は空っぽのカシミルドのグラスに、同時に視線が動いた。
その時、カシミルドの肩にミシェルの冷たい手がポンっと乗せられた。
「わぁ~遠慮せずに全部飲んでね? って君はもう飲んだのかな。きっと今夜はぐっすり眠れるよ~」
ミシェルの笑顔がカシミルドの横を通り過ぎると、それは次にテツに向けられた。
「さっきのお兄さんだね! 今日はありがとう……」
ミシェルは元気よくテツに笑顔を振り撒くと、耳元でそっと囁いた。
「だからお礼だよ? なにもしない。王子様御一行とは遊んじゃダメ何だって……」
「こらっミシェル。いい加減にしやがれっ」
「あっ痛い! 酷いよ~。お兄さん。またね~」
ミシェルは大柄な男にげんこつをお見舞いされると、肩に担がれ自分の席へと連れていかれた。
「カシミルド君。これも飲むか?」
「えっ!? でも……」
テツに苺ミルク蜂蜜を差し出されカシミルドは困惑した。
絶対飲んだら駄目なヤツだ。一気に飲んだ自分が言えたことではないが。
するとテツが小声で話しかけてきた。
「大丈夫だ。この香りは安眠草。朝まで起きないだろうが、体に害はないだろう」
「嫌ですよ。それ、寝てる時に襲われるやつじゃないですか!」
「私達とやり合うつもりはないらしい。一杯も二杯も変わらんよ。さて、こちらはどう動くか……これは……レーゼ殿にも運ばれただろうか……」
テツは店員に運んだ夕食のメニューを確認すると、椅子から立ち上がり、食堂を出ていった。
レーゼさんには飲んで欲しくないようだ。
という事は、テツは何か事を起こす気なのかもしれない。テーブルに置かれた他のグラスに目をやると、皆、苺ミルク蜂蜜を口にしたようだ。
「カシィ君。食べないの?」
「あっ。食べる……」
飲んでしまった物は仕方がない。テツが何を考えているか心配だが、カシミルドはテーブルに並んだ食事を取ることにした。
◇◇◇◇
「げほっごほっ……何だこれ!?」
レオナールは苺ミルク蜂蜜を口に含むと、咳き込み吐き出した。
「ん? 甘くて美味しいぞ?」
「何か苦いぞ……多分、何か入ってる……」
レオナールは鼻をヒクヒクさせて苺ミルク蜂蜜の匂いを嗅いだ。気だるい甘さの中に野草の香りが混ざっている。
ふとミシェルの顔が脳裏を掠めた。
まさか、毒でも盛られたか。
その時、廊下にドタドタと足音が響いたかと思うと、扉が勢いよく開いた。飛び込んできたテツに二人は驚いて目を向けた。
そしてテツはレーゼの手に握られたグラスを見ると、大きくため息をついて項垂れた。
「間に合わなかったか……」
テツは二人に状況を説明した。レオナールはグラスを床に叩きつけ怒りを露にしたあと、あることに気づいた。
「じゃあ。飲んでないのは俺とお前だけ? 何とかならないのか? 毒消しとか……」
「毒だったらまだよかったんだがな……。あれはむしろ疲労回復に良いとされている薬でな、フェルコルヌの角を使えば、効果が増すだけだろう」
「何だよそれ……」
「テツ様。今回は見送りましょう。二人では分が悪すぎます」
「確かにな……」
テツは眉を潜めるとレオナールを横目で見た。
明らかに苛々している。レオナールがもし飲んでいれば、満場一致で今回は見送ることに決まっただろう。二人だけではこちらが不利であることは確実だ。
如何にレオナールを宥めるか。
それとも、他に手を考えるか。
「あら? またこの部屋で話し合いですの?」
ルミエルは欠伸をしながら部屋入ってきた。そしてベッドに直行する。その後ろにはカシミルドとスピラルもいた。二人とも既に眠そうである。
「皆、部屋に戻ったか?」
「はい。あのテツさんはこれからどうするんですか? 一人で蜥蜴と話し合うつもりは……ないですよね?」
テツはレオナールに目線だけ動かし、渋い顔で答えた。
「危険なことをするつもりは……ない。安心して今夜は休みなさい」
その答えにレオナールは拳を震わせ、納得のいかない目でテツを睨み付けた。テツは無謀な事はしないだろうが、レオナールなら一人でもあの三人に突っ込んで行きそうだ。
カシミルドもそれに気付き、
「シレーヌ」
カシミルドが喚ぶとシレーヌが水泡とともに現れた。
「御主人様?」
「シレーヌ。レオが無茶しないように見張ってて。僕の魔力は好きなだけ使っていいから」
「……? 分かりましたわ。あっ。御主人様。メイ子は何をしたのですか? あちらでひどく反省してましたわ」
メイ子は温泉での騒動の後、全く反省の色が見られず魔獣界に強制送還されていた。
「あー。色々ね。それはまた今度……ふわぁぁ……」
「あら? 眠そうですわ……」
カシミルドは半分夢の中のような顔をしている。ソファーに座るとそのまま体を横にして眠ってしまった。
シレーヌは皆の顔に視線を巡らせた。レオナールの顔付きから、また何かあったのだと察する。
「テツ? 状況を教えて頂けますか?」
「……シレーヌを喚ぶとは考えたな。カシミルド君……」
「俺は行くからな!」
レオナールは言うや否や、テツがシレーヌに気をとられている隙に、部屋を飛び出していった。
「レオナールっ……全く……」
テツがその後を追い廊下へ出ると、シエルがレオナールの首根っこを掴み上げ、廊下に立っていた。
「おお。シエル……」
「どうしたんですか? こいつ急に飛び出して来て」
「シエル。助かった。……取り敢えず部屋に戻ろう」
テツはルミエル達の部屋の灯りを落とすと、シエルの部屋へとレオナールを引きずって移動した。シレーヌもテツの背中に隠れるようにして、こっそり付いて行った。