第六十六話 スピラルの告白
ラルムは先陣を切って屋外の大浴場へと出て行った。その後ろに緊張した様子のカンナと不貞腐れたルミエルがいる。
「わぁ。温泉久しぶりっ……て!? あら? 外が真っ白だわ?」
「ラルムさん。眼鏡、曇ってますよ?」
「えっ? ああ、そうね。忘れてたわ。でも、眼鏡を外したら、何も見えないわ……」
ラルムは白く曇った眼鏡を外し脱衣所に置くと、湯けむりと自らの視力でボヤけた視界に肩を落とした。
「ラルムさん。私が温泉まで、案内しますよ。どの温泉がいいですか?」
「カンナ……ありがとう。じゃあ、魔力ホカホカお肌ツルツルの湯がいいわ! その前に洗い場までお願い出来ます?」
「はい」
カンナはラルムの手を取り洗い場まで案内するが、その後ろでルミエルが悪態をついていた。
「全く。世話の焼ける女ですの……」
そして体を洗い始めてからも、ラルムはしどろもどろしていた。
「あら? 石鹸が無いです? あら? 桶も……」
「あーーーー! もう! さっきから何してますの? 体ぐらい自分で洗いなさいよ!」
ルミエルがその様子についに爆発して、ラルムに石鹸を投げつけた。
「きゃっ。ルミエル酷いわ。……私、普段は屋敷の者に世話をして貰っていたので……」
「ああ。そうね。貴女様は貴族でしたのね。フフフフフッ……じゃあ……私が洗って差し上げますわ!」
「あら。ありがとう……ってルミエルっ。くすぐったいですっ。あっ。そっそこは良いですからっ……泡を湯で流して頂ければっ……」
ルミエルはラルムの言葉など全て無視し、容赦なく体に手を滑らせていく。
「まあ。ラルム……貴女、けっこう着痩せするタイプでしたのね。フフフッ、良いことを教えて差し上げますの。……カシミルドはスレンダーな女性がタイプですのよ! 私みたいなね! オーホッホッホッホッホッ!」
「そうなのですか? メモメモ……って観察手帳がありません!」
「ラルムさん。そんな事まで記入しなくていいですよ!」
隣でじゃれ合う二人に、カンナは顔を紅くしながら必死で訴えた。するとルミエルが勝ち誇ったようにカンナを見据えて微笑んだ。
「カンナ? 私よりちょっと胸が大きいからって……カシミルドのタイプじゃないからって……。この揺るぎない事実を無いことにしたいのですのね! 負け猫の遠吠えですの。オーホッホッホッホッ」
「ちっ違います!! それに猫って……? あっ! そう言えばスピラルちゃんとメイ子ちゃん、まだ来ないですね」
カンナは猫と聞いてスピラルを連想した。
ルミエルも周囲を見回した後、カンナをじっと睨み付けた。
「フェルコルヌ臭いのは……カンナ? あなた、フェルコルヌ臭が染み付いてますわよ?」
「えっ?」
カンナは咄嗟に自分の手の匂いを嗅いでみたが、宿の石鹸の匂いしか分からなかった。
「ルミエル。それどんな薫りですか? 興味あります!」
ラルムは目を輝かせて桶に話しかけている。ルミエルは苛立ちながらカンナに歩み寄り、その髪に触れようとした時……。
『カシィたま! メイ子も温泉入るなの!』
柵の向こうからメイ子のよく通る声が響き、三人揃ってそちらへと振り向いた。
ルミエルは瞳を細め、怒りの色滲ませる。
そしてボソッと呟いた。
「私とは一緒に入らないって言ってましたのに……」
ルミエルは踵を返し、柵の方へとずしずしと歩いて行った。
◇◇◇◇
メイ子は床を一蹴りすると、カシミルドが浸かる温泉まで一気に宙を飛び、大きな飛沫を上げて湯に飛び込んだ。カシミルドとシエルは紫色に輝く温泉を頭から被り視界を奪われる。
カシミルドが目を開けると、湯から顔を出したメイ子の笑顔が眼前にいた。
「気持ちいいなののーー!!」
「ちょっ……ってメイ子! 温泉は飛び込んじゃダメ! そ、それに……女の子は向こう側!」
カシミルドは高い柵の向こうを指差した。するとメイ子はそんな事知っていると言った顔で頬を膨らました。
「知ってるなのの! でもメイ子は子どもだから大丈夫なのの! 年齢制限も身長制限もオッケーなのの!」
胸を張ってそう答えるメイ子にカシミルドは返す言葉が見当たらず、簡単に言い負かされてしまった。しかし、問題はメイ子だけではない。
「だとしても……スピラルは駄目でしょ! す、スピラルも何でこんなこと……」
カシミルドの視線の先には脱衣所から恐る恐る足を踏み出したスピラルがいた。体に巻き付けたタオルを胸元で両手で押さえ、いつものように感情の読めない無表情だ。
「カシィたま。スピラルはね……」
「フェ・ル・コ・ル・ヌ!!」
メイ子の言葉を遮るようにして、聞き覚えのある声がカシミルド達の頭上から降り注いだ。
後ろを見上げると、高い柵から身を乗りだしてこちらを睨み付けるルミエルがいた。瞳が淡く光を放ち、その威圧感に、カシミルドは寒気を感じ、サッと目線を反らした。
「なぁーんでフェルコルヌだけそっちにいるんですの?」
ルミエルは他を圧するように、普段より低めの声でメイ子に疑問を投げ掛けた。
「ルミエルさんっ危ないですよっ」
柵の向こうからカンナの慌てふためいた声が聞こえる。シエルとテツは呆れた様に苦笑いを浮かべ、レオナールは恥ずかしそうに湯に頬まで浸かってルミエルを凝視している。
「メイ子は子どもだからいいなのの! 宿の人もお父さんと入っていいよって言ったなのの!」
「どーこにフェルコルヌのお父さんがいますの?」
「むぅ!」
メイ子はテツを指差した。巻き込まれたテツは否定もせず肯定もせず、曖昧な笑みを浮かべている。
ルミエルはそんなテツを睨み付けると、瞳に光を宿し叫んだ。
「それはお父さんではないですの! 光の鎖よーー」
「むぅぅ!?」
メイ子はカシミルドにしがみつくも、抵抗空しくルミエルの鎖に縛り上げられ柵の向こうへと引き摺り込まれていった。
「スピラルぅ~。ごめんなのの~」
「あっ……」
不安そうに手を伸ばしたスピラルの前に、アヴリルがスイッとその手にすり寄った。
「アヴ……」
「むぅ」
メイ子がお膳立てしてくれた絶好の機会。
男だということを、今言わなくていつ言えるか。
スピラルは意を決して大きく息を吸い込んだ。
「俺ーー」
「ルミエル。スピラルも連れてってあげてよ。多分メイ子が何か勘違いしたんだ」
スピラルの言葉にカシミルドの声が被さり、スピラルはタイミングを逸してしまった。アヴリルを抱き寄せ、唇を噛んでいると、ふとルミエルの視線に気が付いた。
「カシミルド? カシミルドもこっちに来ます?」
ルミエルが悪戯っぽい笑顔でカシミルドに問いかけた。
カシミルドはみるみる顔を赤くさせ首を何度も横に振る。
「い、行くわけないよ! からかわないでよ!?」
「でしょう?」
「?」
「スピラルだって、同じですの」
「え? 何……で?」
ルミエルはフッと微かに鼻で笑うと、柵の向こうに消えていった。向こうからメイ子と言い争う声が、騒がしく響いている。
カシミルドはルミエルの言葉の意味を考えていた。
自分と同じ? スピラルが?
カシミルドは直ぐ隣に気配を感じ顔を上げた。
浴槽の縁の手前でスピラルがカシミルドを見下ろして佇んでいた。眉間にシワを寄せたままゆっくり膝をつき、浴槽の縁に手をかける。
スピラルの真剣な面持ちと対照的に、アヴリルは緩い笑みを浮かべ、湯に舞い降りるとスイーっと水上を泳ぎ出した。
カシミルドがアヴリルに目を奪われていると、スピラルは体に巻いたタオルに手を掛け、大きく息を吸い込んで声を出した。
「あのさ……お、俺……男なんだ!」
「え?」
スピラルはタオルを体から剥ぎ取ると、カシミルドの浸かる温泉にザブンっと飛び込んだ。カシミルドは思いもよらぬスピラルの告白に驚きの表情のまま固まった。
スピラルは男の子。
それならばルミエルの言葉も納得がいく。思い返せば、スピラルは自分を俺と言っていたし……逆に何で今まで気づかなかったのだろう。
スピラルはカシミルドに背中を向け、カシミルドの反応を伺うように目線だけ送った。
「スピラル……その。何て言ったらいいか……」
「ちょっと待て。ってことはお前は男なのにラルムと一緒の部屋にいたってことか?」
シエルが怒気のこもった声を発すると、湯の色がそれに呼応して緑色に移ろいだ。
「シエル。スピラル君はまだ子供じゃないか。まあ……部屋は今後は私達と同じ部屋にするか? ……ちなみに、スピラル君は男の子か? それとも男の娘なのか?」
「はい?」
「……すまない。失言だった」
テツの言葉にスピラルは意味がわからず、固い表情のまま俯いた。アヴリルも心配そうにスピラルの背中をツンツンしている。
「スピラル……? レーゼさんの部屋がいいんじゃないかな? あの部屋、すごく広かったし……ね?」
「うっうん。あの……カシミルド……は、怒らないのか? 俺……」
「だって、スピラルは嘘ついてた訳じゃないでしょ? ごめん……僕の方こそ勘違いしてて……あれ? スピラル、背中に何か……」
カシミルドはスピラルの背中に黒い虫のような影を見つけた。それはスルスルとスピラルの背中を這い左から右肩の方へと移動していく。虫ではなく小さなトカゲみたいだ。
「へっ? あっ……」
「あっ取ってあげるから動かないでっ」
スピラルは背中をアヴリルで隠し、そして慌ててカシミルドの方へと振り返った。
「だっ大丈夫だから。これアザみたいなヤツだからっ」
「え……? でも動いた……よ?」
アザなら動く筈がない。
もしかしたら呪いの類いかもしれない。
「きっ気のせいだろ。あんまりジロジロ見るなっ」
「すみません」
スピラルに睨まれカシミルドはつい謝った。テツはじっと、スピラルの背中を……黒いアザの蠢いた箇所を、目を細めて見つめていた。
「あー! テツ様。後ろのヤツ……」
シエルの指差した先では、レオナールが赤い顔でのぼせ上がっていた。
「おっいかん!」
のぼせたレオナールをテツが担ぎ、カシミルド達は湯から上がることにした。