第六十五話 温泉にて
カシミルドはルミエルの魔法を初めて見た。
部屋中に溢れた魔力は、穢れ一つ感じることの無い純白の光。
ルミエルの指先から放たれた蝶は、夕陽を凌駕する光を発して北の空へと飛び立っていった。
これが光の魔法。
カシミルドはそれを、純粋に美しいと思った。
「すげぇ。……正に天使だ……」
声を上げたのはレオナールだった。
レオナールは瞳を輝かせてルミエルを見ている。
「ちょっと! また、そういう事を……かっカシミルド!? いかがでした? 私の魔法!!」
「あ……とても綺麗だったよ。レオナールが天使って言うのも、分かるかも」
「かかかカシミルドまで、そんな事言わないでくれます? そうだ! カシミルドにも私の加護を授けますわ!」
ルミエルが顔を赤く染めながらカシミルドにも同じ魔法をかけ始めた。
舞い上がるルミエルを尻目に、テツとレーゼは窓辺に立ち、北の空を眺める。
「あの方角……やはりエテの方だな。今日はここに泊まり、明日、エテを目指そう」
テツの決定にレオナールは渋々首を縦に振った。
「では、温泉にでも浸かり鋭気を養うと良い。レオナール。気力が弱まっているぞ。そのままでは何も守れないぞ」
「守……る……」
レオナールは俯き自身の手のひらを見つめた。
最後に触れたミィシアの腕の温もりが、まだ残っている気がした。
何故離してしまったのだろう。
何故あんな女に負けてしまったのだろう。
弱い自分は嫌だ。何も出来ない自分が悔しい。
「守る……そうだ! さっき風の探知魔法を跳ね返されたんだけど……ミィシアの気配に触れさせないように、僕の魔法を遮ったように感じたんだよね……。もしかしたら、その人はミィシアを守ってくれてるのかなって……」
カシミルドは暗い顔のレオナールを勇気づけようとしたのだが、レオナールの顔はより険悪な雰囲気を醸し出してきた。
意外な反応にカシミルドは首を捻る。
「おい。人間がミィシアの近くにいる。それはルナールにとって死と隣り合わせってことだ。気休めにでもなると思ったか?」
レオナールがカシミルドを睨み付けると、それを遮るようにしてルミエルがカシミルドに抱きついた。
「まぁ! 嫌味な子ね。私の加護があるから大丈夫よ。ーーそれよりカシミルド? 温泉いきましょう? ね?」
ルミエルはレオナールを一瞥すると、甘えるようにカシミルドに擦りよる。
「そうだね。温泉、行ってみたかったんだ。一緒に行こう?」
「あらぁ!?」
カシミルドの一言にルミエルは期待を顕にし、頬を赤く染める。
しかし、カシミルドは立ち上がるとレオナールの方へ歩いて行った。そしてソファーに腰かけるレオナールに手を差しのべる。
「レオナール……うーん。長いからレオでいい? 休む時は休まなきゃ。行こうよ?」
「そうね! 皆でいきましょう!」
ルミエルがノリノリでソファーを立ち上がった。カシミルドとレオナールはポカンとそれを見て顔を見合わせた。そしてカシミルドが困ったように言う。
「ルミエル? 温泉はお風呂と一緒だからね。レーゼさんと行きなよ」
「えー。いいじゃないですのーー!?」
タダをこねるルミエルにテツとレーゼは、二人揃って首を項垂れている。
「いやいや。色々駄目だろう。いくら兄妹と言ってもなあ……レーゼ殿は私たちと一緒に行こう。ルミエルは大人しくカンナ君たちと行きたまえ」
「えー!? つまらないですの!」
ルミエルは同意を求めるようにレーゼやカシミルドに視線を向けるも、全て反らされてしまった。
そして怒って部屋から出ていった。
「では。皆で行くか。裸の付き合いとは大事なものだ」
「テツ様。私は後で行きますので、お先に皆さんでどうぞ?」
レーゼはにっこりとテツの誘いを断り、カシミルドに視線を向けた。レーゼが女性と知っているのはこの中ではカシミルドだけ。いや、鼻の効くレオナールは気づいているかもしれない。
鈍いカシミルドも、流石にレーゼの視線の意図に気づいたのか、レオナールの腕を掴むと無理やり引き起こした。
「じゃあ。先に行きますね。レオ。行くよ」
「……チッ……」
レオナールは気だるそうに舌打ちするも、カシミルドに急かされ、テツと三人で部屋を後にした。
◇◇◇◇
一方女子部屋では。
「メイ子も温泉行きたいなの!!」
「ここの温泉は凄いんですよ! メイ子ちゃん一緒に行きましょうね」
「はいなの!」
メイ子とラルムを中心に温泉への期待が高まっていた。
その横でスピラルだけは浮かない顔をしている。
「スピラルちゃん。温泉初めて? 私もだから、一緒だよ」
カンナがスピラルを励ますように声をかけた。
それをスピラルは何か言いたげな顔で一瞥し、無言でアヴリルを抱きしめた。
スピラルの胸でアヴリルが小さく鳴いた。
「むぅ?」
アヴリルの声に、メイ子もスピラルに駆け寄り顔を覗き込んだ。
「どしたなのの? むぅ。……やっぱりメイ子。後からスピラルと二人で行くなの。眼鏡っ娘とカンナは先に行っててなの」
「あら? どうして? 体、洗いっこしたかったのに……」
「内緒なのの! サプライズなの! ほら、先に行くなのの!」
メイ子の一言にラルムもカンナも首を傾げるも、メイ子に背中を押され、部屋から押し出された。
メイ子は二人を追い出しスピラルへ振り返ると、口角を上げニンマリと笑みを浮かべた。
「スピラル! いい機会なの。皆に男らしく言うなの」
「男らしく……? 男ってことを?」
「はいなの!」「むぅ~!!」
キラキラとした眼差しで二人はスピラルを見つめた。
二人の言う通り、丁度いいのかもしれない。
しかし。
「でも、温泉に入りながらする話じゃないよ」
「むぅ! そこは、メイ子に任せるなのの!」
メイ子の自信満々の表情に一抹の不安を抱きつつ、スピラルはメイ子の提案に乗ることにした。
◇◇◇◇
大浴場には岩の露天風呂が五種類あり、各々効能が違う風呂となっている。
カシミルド達は途中シエルと合流し、四人で『当宿イチオシ! 筋力増強の湯』 という立て札の湯に浸かっていた。
湯は柔らかく、白く濁った薬湯だそうだ。
カシミルドは湯に肩まで浸かり体を伸ばした。
実はカシミルド、朝の特訓のせいか、特に腕が痛む。
筋肉痛になっていたのだ。
この湯に浸かれば力が漲り、剣も持てるようになるかもしれない。淡い期待を胸にカシミルドは湯を堪能する。
シエルも同じ湯に入っていたが、少し浸かるとすぐ立ち上がった。
「俺、あっちの魔力ホカホカ、お肌ツルツルの湯に浸かってきますね」
シエルの口からお肌ツルツルなんて言葉が飛び出すとは思っていなかったカシミルドは、不意打ちを食らい笑いそうになるが、口を抑え何とか堪えた。全部言わなくても分かるだろうに、シエルは割と真面目なところがあり面白い。
「ああ。カシミルド君も行くか?」
「いえ。僕はこっちでいいです。剣……持てるようになりたいので」
「……うーん。カシミルド君に剣は向いていないと思うぞ。残念だがな。私の姉の杖を貸すから、魔法のコントロールを鍛練した方がよいと思うぞ。それか……魔法剣を持つか……」
「魔法剣……それって何ですか?」
「剣の素材が魔石やそれに準ずる物で作られた物なのだが、人の手では作れない物でな。魔獣や精霊の力が必要なのだ。中々手に入る物ではないな……」
「そうですか……あっでも、レオナールなら……」
カシミルドが期待のこもった瞳でレオナールを見返すと、フィっと目を反らされた。カシミルドは諦めたように立ち上がる。
「僕もシエルの湯に浸かって来ます」
カシミルドは肩を落として魔力ホカホカお肌ツルツルの湯に浸かった。
しかし何故お肌ツルツルなのだろう。
お湯は薄緑色をしていたが、カシミルドが浸かると、青、緑、赤、黄色、そして黒っぽい色へと変化していった。
先に浸かっていたシエルが湯の変化に驚き声をあげた。
「うわっなんだこれ? って魔法の系統で色が変わるのか」
「そっか。温泉って面白いね……あっつ……」
魔力ホカホカ温泉に浸かると背中から首筋にかけてじんわりと熱を感じた。すると隣の湯に浸かるテツが身を乗り出してカシミルドの背中を食い入るように見据えた。
「おや? カシミルド君。背中に金色の古代文字が……呪印か? それも六つ。内三つは破られているな」
「あっ。姉さんが施した呪印です。僕の魔力を抑えるための……って破れてるんですか?」
「ああ。しかし……呪印を破る……か……」
テツが訝しそうに呪印を眺めていると、高い木の柵の向こう側から何やら騒がしい声が聞こえた。
主にルミエルの高笑いに聞こえる。湯に浸かっているにも関わらず、シエルはその声に身震いしていた。
「ん? 向こうは賑やかだな」
「向こうって……」
「あっちは女風呂だ」
テツが空を仰ぐように背中の向こうの柵を指差す。
咄嗟にカシミルドは周囲に視線を巡らせた。
クロゥの姿はない。
多分クロゥなら、女風呂を覗こうと唆すに違いない。
と、カシミルドが考えていると、脱衣所へ続く扉が豪快に開いた。
扉の向こうにはタオルを巻いたメイ子が立っていた。
「カシィたま! メイ子も温泉入るなの!」