第六十三話 三人の指揮官
ヴェルメイユ=ソルシエールは、客室にて自身の腕を撫でながらワインを嗜んでいた。
ここはフォンテーヌの屋敷。
ヴェルメイユに与えられた客室だ。ヴァンの部屋と同じ形ではあるが、ベッドは天蓋付き、豪華化粧台と、女性らしい内装になっている。
「温泉最高~。また行きましょうよ。ラージュ」
ヴェルメイユはスベスベの肌に満面の笑みを浮かべていた。
その向かいの席で、ラージュはつまらなそうにワインを一気に飲み干す。
「ああ。また今度な」
「つれない返事ね。あら? あの魔獣は? モフモフしたかったのに……」
「あれはヴァンに預けた」
「ええっ? 良かったの? 俺の手柄だって、あんなに息巻いてたのに」
「まぁな。でも、世話とか面倒だろ」
「それもそうだけど……用が済んだらあれで襟巻きを作ろうと思ってたのに……ヴァン様……あの魔獣の事、逃がしたりしないわよね?」
「はぁ? んなことしないだろ? ヴァンは魔獣討伐の英雄だろ? 魔獣が憎いんだろ?」
ラージュは興奮してテーブルを拳で激しく叩いた。その野蛮な様子にヴェルメイユはワインを庇うように持ち上げ眉を潜めた。
「ラージュ。あなたヴァン様のこと何も分かっていないのね」
「なーんだよ。ヴェルメイユは分かってるのか?」
「んふふっ。勿論よ。どれだけ私がヴァン様ばかり見て生きてきたと思っているの? 彼は優しい方なの。王国の英雄ではあるけれど、魔獣をいつまでも恨むような小さい男じゃないわ」
ヴェルメイユは長くウェーブがかった緋色い髪の毛先を指でくるくると弄りながら話す。
「でも、ヴァンの父親は魔獣に殺されたんだろ?」
「だからヴァン様は英雄になったのよ。父の仇である魔獣を倒して……その身に呪いを受けながらもね。仇でなければ、優しいヴァン様はあんなことしないわ。……ああ。あの日の事を思い出すと興奮しちゃうっ」
ヴェルメイユは恍惚とした表情を浮かべ天井を仰いだ。
ラージュは全く言葉の意味が理解できず、白けた目でヴェルメイユを見ている。
ヴェルメイユはヴァンの事となると、いつも夢見る乙女モードに入る。乙女と呼べる歳ではないが。この歳で結婚していないのはヴァンを追いかけていたせいである。
「あの魔獣に逃げられたら困るよな?」
「どうかしら。多分大丈夫よ。ーー私たちはルナールの里をちゃんと見つけて……」
ヴェルメイユは言葉を途中で止め、扉の方へと目を向けると、ラージュに目配せし不適な笑みを浮かべた。
「……そうね。またヴァン様を英雄にするわ。んふふっ」
「結局ヴァンか」
「……で、何故私の部屋にいるの? 暑苦しいんだけど?」
ラージュの額にピキッと血管が浮き出た。確かに話があって来たのはラージュではあるが、どうも癪に障る。
「おい。暑苦しいとは心外だな。俺ほどクールでダンディーな男を前にして……男を見る目が皆無だな。だからヴァンにも振り向いて貰えないんだろ」
ヴェルメイユも声をワントーン下げ臨戦態勢にはいる。
「ラージュ。そんな事言うために来たの?」
これ以上ヴェルメイユの機嫌を損ねれば、話どころでは無くなってしまう。ラージュはばつが悪そうな顔をし、頭をかいた。
「あー。違うんだ。その……俺にさ、婚約の話が来てるんだよ」
「えっ……ヴァン様と?」
「な訳ねーだろ!?」
「やだ。気持ち悪い解釈しないでよ。ヴァン様にも婚約の話が来てるのかって意味よ? 脅かさないでよ」
「こっちが、驚いたぜ」
「で、ラージュだけなのね? どんな子よ? いいなぁ~。私を差し置いて先に婚約かぁ~。私もこの視察中にヴァン様を手にいれなきゃ」
目の前でキャッキャッし始めたヴェルメイユにラージュはいつもの事ながら溜め息を漏らした。結局ラージュの話を聞くつもりはなさそうだ。
「おい。俺の話聞いてくれよ」
「建前でどんな子か聞いただけよ。興味ないもの。それより。ヴァン様の弟がそろそろ来るんでしょう?」
「ああ。そうだな。会ったこと無いな」
「んふふっ。私は小さい頃からチェック済みよ。あの子を抱き込めばヴァン様は私のものだわ。彼、ブラコンだから」
「へー。抱き込むねー?」
ラージュはヴェルメイユの豊満な胸元に視線を落とした。ヴェルメイユは今遠征中、胸元を大きく開けたシャツを着ていた。目立って目立ってしょうがない。
「ちょっと。どこ見てるのよ。これはヴァン様のために……」
「ヴァンがそういうの好きそうに眺める姿、見たこと無いな。俺は正直大好きだが、もし俺の婚約者がそんな格好してたら……許さんな」
「そうなの? そっか、嬉しいかと思ってボタン多めに開けてたのに……そろそろ後発隊が来るわよね……夜会のドレス、選び直さなきゃ」
ヴェルメイユはどんなドレスを着ようとしていたのだろう。少し見たかったりもするが、ラージュは何も言わないでおくことにした。
ヴェルメイユは大きな衣装ダンスを開くと、ラージュの方にくるりと振り向いた。
「ラージュ。ドレスを選ぶので、出ていってくれます?」
「んあ? おう。じゃあまた」
「ええ。また。ーー続きは二人の時に話しましょう。んふふっ」
ヴェルメイユはラージュだけに聞こえるように小さく呟いた。
◇◇
ヴェルメイユの客室の前から、一人の男性が足早にその場を離れた。会話の内容から、ラージュが直ぐに出てくると思ったからだ。
背が高く焦げ茶色の短い髪に優しそうな垂れ眼は黄色、そして鳶色の制服を着たエルブ=テランだ。開け放していた自分の客室の扉に飛び込み、音を立てぬよう扉を閉めた。
「はぁ。バレちゃってたかな……まぁいっか。しかしルナールかぁ。本当に、あそこにお探の人はいるのかな……」
視察団最年長の彼は、子供っぽい物言いで首を小さく傾げた。そして首から下げたロケットを胸元から取り出す。
ロケットは銀で造られ、王家の紋章が描かれていた。カチッとロケットの蓋を開けると、中には紫色の小さな宝石が埋め込まれている。
「異常なし……だよね」
エルブは誰にともなくそう呟くと、ロケットを元に戻し、机に向かった。
そして引き出しを開けて薬草を並べる。机の上にはナイフやすり鉢、ランプや小皿など、薬作りに必要なものがごちゃごちゃと並べられていた。
「さぁ。もう今日は仕事はおしまい! 後は、僕の時間だね~。フンフンフン~」
鼻唄混じりに薬草を刻み始める。
これはエルブの趣味、薬作りである。
薬以外にも毒薬、爆弾作り等も嗜んでいる。
「あれ? 睡蓮が足りないな……よし。採取採取」
エルブはナイフ片手に立ち上がる。その時々必要なものが無いと、すぐに何処かへと出掛けてしまう。とてもマイペースな男だ。
「あっ。丁度ヴァンの部屋の前も通るし、魔獣ちゃん拝んでから行こうっと……」
足取り軽く、エルブは部屋を後にした。