第五十九話 リボンの記憶
シレーヌはレオナールのポケットから汚れたリボンを取り出した。しかし、意気揚々としたシレーヌとは対照的に、レオナールの表情は暗いままである。
カシミルドはシレーヌの言葉の意味が分からなかったのだが、カンナと自分以外は分かっている様子で、尋ねてよいのか戸惑っていた。
「レオナール。蔦をほどくから、やってみましょう? 御主人様……」
シレーヌはカシミルドに、蔦をほどくようにと目を向けた。聞くならこのタイミングだろう。
「シレーヌ。やるって何を、やるの?」
「えっ? あっルナールは人や物を通して記憶を遡ったり、予知したりすることができるのですわ。……そうですわよね。レオナール?」
「あ……でも、俺。そういうのは苦手で……魔力も足りないし……呪文も知らないから……」
レオナールはリボンを見つめ、酷く落胆した様子だ。自分に力があれば、妹を探せるかもしれないのに、それが出来ないから。
テツはレオナールの蔦を剣で斬ると、そっとレオナールの肩に手を乗せた。
「呪文なら私が知っている。魔力だったらカシミルド君にでも貰えばいい。ーーさぁ。一緒に試してみよう」
テツの手から伝わる暖かさに、レオナールは心が和らぐのを感じた。
だが、人間が何故、ルナールの呪文を知っているのだ。もしかしたら、何かの罠かもしれない。レオナールはテツに疑いの目を向けた。
テツはそんなレオナールの視線を笑って受け流し、カシミルドの手の上にリボンを乗せ、その上にレオナールの手を重ねた。
「モフモフ……」
カシミルドの瞳が輝き、レオナールの丸い指先、掌の肉球に感嘆の声を漏らした。レオナールがそんなカシミルドに顔をひきつらせていると、テツは隣でゆっくりと呪文を唱えた。
「世界を廻る精霊よ。我が友よ。彼のものに刻まれし、時の調を我に示したまえ」
レオナールはそれを聞くと、目を丸くしてテツを見上げた。確かに、じぃちゃんはこんな呪文を唱えていた気がする。
「さあ。レオナール君も言ってごらん? 手がかりを探したいんだろう?」
「……」
戸惑うレオナールに、シレーヌとメイ子が大きく頷いて後押しする。カシミルドもそっと手を握りしめた。皆の視線に背中を押され、レオナールは小さな声でテツが言った通りに呪文を唱えた。
「せ……世界を廻る精霊よ……我が友よ……えと……」
潤んだ瞳でレオナールはテツを見上げた。
テツは呪文の続きを耳元で囁く。レオナールは小さく頷き、テツに続いた。
「彼のものに刻まれし、時の調、を我に示したまえ……」
呪文を唱えると、レオナールは掌に温かいものを感じた。
これはカシミルドの魔力……そして、精霊の力……。
次の瞬間。レオナールとカシミルドを中心に眩い光が広がった。レオナールはその余りの眩しさに瞳を瞑る。
しかし、閉ざされた視界の中、レオナールの目の前にミシェルと対峙した川原の光景が広がった。
これは、ミィシアのリボンに刻まれた記憶ーー。
◇◇
低い男の声が、すぐ近くで聞こえる。
「蜥蜴の尻尾、第二特攻部隊。第三回ルナール奇襲作戦……完遂」
「んで、こいつをどうすんだ?」
図体のでかい筋肉質な男の背中が見えた。
この映像はミィシアのリボンから見た光景だ。
視界が揺れ、何とも見にくいが、ミィシアはこいつに背負われているようだ。
「エテの近くの村で引き渡す」
「えっ! ずっと一緒じゃないの?」
幼い少女の声ーーミシェルが、驚いたように声を上げた。
「ああ。邪魔だろ」
「そっかー残念だな……あっ、その村って温泉のとこだよね? ミィちゃんと温泉入りたいな~」
「時間があればな」
「やったぁ! あっそうだ! レオナール君にプレゼント~」
ミシェルはミィシアの髪に付いていたリボンを外し、レオナールのすぐ横にヒラリと落とした。
「これ見てさ。ミィちゃんの事を守れなかった自分を悔やんで悔やんで強くなってね? そしたら……また遊ぼ? レオナール君……キャハハハハっ」
ミシェルの不適な笑顔が、憎き敵の顔がレオナールの視界を覆い尽くした。
◇◇
「ミィシア……」
レオナールはミィシアのリボンを握りしめ、拳を震わせ涙を溢した。ふと視線を感じて顔を上げると、カシミルドと目が合った。カシミルドも自分と同じように、瞳には怒りの色が伺えた。
「ミィシアを拐ったのは三人組。蜥蜴の尻尾って聞こえたね。……あの大きな男の人に背負われていたのがミィシアだよね。温泉がある村って……どこだろう……」
「やはり蜥蜴の尻尾か……。温泉がある村と言っていたのだな? それなら今日、宿を取る予定のガラザ村だ。他には何か言っていたか?」
テツの質問にカシミルドは首をかしげた。
「あれ? 皆には見えて無いんですか?」
レオナール以外の皆は一同頷いた。先程の光景は、カシミルドとレオナールにしか見えていないのだ。
「他には……。村でミィシアを引き渡すということと……三人組の一人はレオナール位の歳の女の子で、とても悪意に満ちていた……ってこと位かな」
そこまで言うとカシミルドはレオナールに目をやった。レオナールは苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「ミシェル。その女はミィシアを傷付けて、俺の腕を折った女……風の精霊使いだった……」
レオナールの瞳は怒りと憎しみの色が滲み、恨めしそうに敵の名を口にした。
「そうか……他に、奴らについて知っていることはあるか?」
レオナールは他の男達のことを思い出そうとしたが、眉間にシワを寄せ、悔しそうに首を横に振った。
「ミシェルとしか、戦ってない。後は大きい人間の男二人。それしか知らない」
「多分、背の高い細身の男の人は魔法は使えない。大きくて筋肉ムキムキの人は地の精霊使いです。精霊が見えたので……」
カシミルドはスラスラと二人の特徴を付け足した。
「相手は三人か……。蜥蜴の尻尾の一小隊だろう。ーーガラザ村に着くのは今から急いでも夕刻だろうな。食事を取ったらすぐに出よう。レオナール君は、迷子の行商人の子供ということにしよう。人の姿に変身できるか?」
テツの言葉にレオナールは目を丸くして驚いていた。
「は? 俺は一人で行く。人間なんか信用できるか」
反発するレオナールにシレーヌとメイ子が哀れんだ視線を向ける。
「レオナール? あなた一人で何ができますの? 賢く生きないと、誰も何も守れませんわよ?」
レオナールはシレーヌの言葉を受け、ジッと考え込んだ。
そしてテツに疑いの目を向けて問う。
「お前らは何のために俺に協力するんだ?」
テツはフッと息を漏らすと、急に真剣な面持ちでレオナールを見据えた。
「……人の中には、魔獣というだけで差別的な目で見る者がいる。しかし、私はそういった考えを無くしたいと思っている。魔獣は人と協力することで……人から魔力を得ることで、更なる力が発動出来るだろう?」
レオナールはミィシアのリボンを見つめた。このリボンの記憶を辿れたのは、カシミルドの力を借りたから出来たのだろう。
人と協力? そう考えると、ミシェルの顔が脳裏を掠めた。
あんな奴等と協力だなど……考えたくもない。
「だから何だよ。人間様の力を借りなきゃ俺たちなんかただの屑って言いたいのかよ? ああ。そう言えば、人間の魔力を奪って、奪い尽くして……そうして力を得た魔獣を悪魔って呼んでるんだろ? はっ!? 悪魔はどっちだよ……」
テツは悲しげに首を傾げた。
「悪魔か……。私は、人と魔獣は協力すべきだと考えているのだよ。カシミルド君とメイ子君の様に、お互い助け合って有益な関係をっ……て、シレーヌ……」
シレーヌはテツの胸で号泣していた。
白い粒がボロボロとテツの胸から溢れていく。余りの号泣っぷりに、皆、呆気に取られてその様子を見守った。