第五十八話 人間嫌い
カシミルドが詠唱を終えると同時に、カンナがメイ子を抱きしめテントから飛び出してきた。
カシミルドがカンナの姿を確認し、安堵の笑みを浮かべた瞬間、テントの下から数十本の蔦が空へと高く伸び上がった。
それはテントを引き裂き、ルナールの少年を数本の蔦で絡め取り、上空にぶら下げる。
カンナとメイ子はテツが抱き止め、怪我ひとつなく地面に座り込んでいた。
「なっなんなのの? ビックリなのの……」
メイ子は寝起きで理解が追い付かず、カンナと抱き合ったまま、ただ呆然と空に宙吊りにされた少年を見上げていた。
カンナは杖を持ったカシミルドに目にすると、誰が何をしたのか状況を理解した。しかし、いつの間に地の魔法を覚えたのだろうか疑問に思う。
「カシィ君がやったの? もっ、もういいよっ。あの子は悪くないの。降ろしてあげて」
カシミルドは少年を庇うカンナに、顔をしかめた。カンナは優しいからそう言うのは分かるが、何だか腹が立つ。
「でも……さっきカンナの事、人質にしようとしてたよね?ーー
君、もうしない? 反省したなら降ろしてあげるよー?」
カシミルドは少年に向かって大声で尋ねた。しかし少年は目を瞑り顔を背け、反省の色は全く見られない。
メイ子はカシミルドを横目で見ながら、カンナに耳打ちした。
「何かカシィたま。機嫌悪いなのの。珍しいなの」
「そうだね……寝不足のせいかな?」
二人がコソコソ内緒話をしていると、テツは見兼ねて、カシミルドの肩に手を乗せた。
「カシミルド君。それぐらいにしてやれ。一応、逃げないように蔦で縛っておけばいいだろう」
「……はい」
カシミルドは渋々少年に蔦を回し、地面へと降ろしてやった。少年にカンナが駆け寄る。
「大丈夫? また、助けてくれたんだね。ありがとう」
「……」
少年は顔を赤くさせ、フイっとそっぽを向いた。
しかし顔を背けた先にメイ子が立っていて、少年は驚いて耳と尻尾をピンっと逆立てる。そして目を丸くさせ、メイ子の角先から足元まで視線を滑らせた。
「フェ……ルコルヌ?」
「そうなのの! メイ子も魔獣なのの! 君と一緒なの! 安心するなの!」
メイ子の無防備な笑顔を前に、少年は困惑し辺りをキョロキョロと見回した。周りは人間ばかり、しかし目の前にはご機嫌な魔獣がいる。戸惑いを見せる少年に、テツは優しい笑顔を向けた。
「取り敢えず、向こうのテントの中で話し合おう」
◇◇
テツに促され、カシミルドとカンナ、そしてメイ子は少年と共に空いているテントへと移動した。
レーゼは朝食の仕度に戻ったが、その代わりにテントの中にはルミエルが居座っていた。カシミルドの隣にピッタリと体を付けて座り込み、ルナールの少年の事など全く興味のない様子でカシミルドばかり見ている。
そして少年は、驚いた表情のままルミエルを凝視していた。
メイ子はその視線に気付き、少年の前に立ちはだかる。
「むぅ? ルミエルが気になるなのの? 気持ちは分かるなの! でもルミエルは怖いから気を付けるなの。私はメイ=フェルコルヌ。君は何て名前なのの?」
「えっ? 俺はレオナール……あっ……」
少年は皆の視線に気付くと、顔を強ばらせて俯いてしまった。チラチラと目線だけ動かして、周囲の顔色を窺っている。メイ子はそんなレオナールの顔を覗き込み、にっこりと微笑んだ。
「レオナール、大丈夫なのの! カシィたまはメイ子の味方なのの! テツも、カンナもなのの。 レオナールはどうして怪我したなのの? 腕の怪我、酷かったなのの」
メイ子は心配そうにレオナールの右腕に視線を伸ばした。
「レオナール君。その怪我は、メイ子君が治してくれたのだぞ?」
レオナールはテツを睨みつけ言葉を返した。
「……だから何だよ。そんな事誰も頼んでないだろ。いいから離せよ。ーーそれに……何が味方だよ。魔獣のくせに、人間なんかに手懐けられて恥ずかしくねーのかよっ」
「むーー!! カシィたま! こいつムカつくなのの」
メイ子は頬を膨らませ、レオナールを指差してカシミルドに抗議した。
「メイ子……あっそうだ。ーーシレーヌ!?」
「はい。御主人様。……あら? 目が覚めましたのね。ですが……」
シレーヌは縛られたレオナールを見て、何となく状況を理解した。レオナールを哀れむような瞳で見つめた。
「せっセイレーン!? 何で人間なんかを御主人様だなんて……」
レオナールはシレーヌの態度に酷く驚いたようだ。魔獣達の間でも、セイレーン種の人間嫌いは有名なのだ。
「初めまして。私、荒波の魔獣セイレーン種が一人。シレーヌ=セイレーンと申します。貴方は?」
シレーヌの丁寧な挨拶に、レオナールは背筋を……ついでに耳と尻尾もピっと伸ばして挨拶を返した。
「げっ幻妖の魔獣ルナール種が一人。レオナール=ルナールです」
レオナールから、先程までの殺気だった表情は消え、羨望の眼差しをシレーヌに向けていた。尻尾が背中でユラユラと揺れている。シレーヌはその瞳を満足そうに見つめ返し、口を開いた。
「レオナール。人間が嫌い?」
「ああ。人間なんか嫌いだ」
「そう……人間に会ったことは?」
「……」
レオナールの瞳が再び殺気立つ。皆にもそれが伝わった。毛を逆立て、ピンと張りつめた尻尾が、レオナールの感情を分かりやすく表現していた。
皆、レオナールの尻尾と耳の動きに注目している。ユラユラと揺らぐ尻尾は肌触りがよさそうだし、ピンと張りつめた耳や尻尾も「大丈夫だよ」と優しく撫でたくなる。メイ子とはまた違った気持ちよさがあるだろう。
しかし、今はそんな欲望に流されている場合ではない。と誰もが肝に命じていると思っていたのだが、ルミエルはその尻尾がどうしても気になり我慢できなかった。尾の真ん中辺りの一番毛がモッサリとした部分を両手でギュッと掴んだ。
「ひゃぁぁっ」
レオナールは気の抜けた声を上げ、全身の毛を逆立て、力なくその場に踞った。そんなことにはお構い無く、ルミエルは尻尾のモフモフを、瞳を輝かせて堪能している。
「ルミエル君! ルナールは尻尾が弱いんだから、刺激するのは止めなさい」
テツが呆れた様子で叱責するも、ルミエルには響かない。
「どうしてですの? 優しく撫で回しているだけですの。気持ちいい~」
そう言うとまた、尻尾をモシャモシャと撫で始めた。レオナールは俯いたまま首を横に振り、声を絞り出した。
「やっ止めてくださいっ。天使様っ」
「えっ?」
その言葉にルミエルは顔を青くさせ、レオナールの尻尾を解放した。
「天使?」
カシミルドとカンナは首を傾げてルミエルを見た。テツは瞳を泳がせ言葉に詰まるルミエルを見て、咄嗟に声をあげた。
「そっ、そんなにルミエル君が気に入ったのだな。天使みたいに、ルミエル君は可愛いからな。ははははは」
テツの乾いた笑いがテントに空しく響いた。レオナールはルミエルから解放されると、ルミエルから距離をとった。そして涙目のままルミエルを見つめて呟く。
「そ、そういう意味じゃなくて、本物の……」
「レオナール。それより、どうして獣に追われていたのです? それもたった一人で」
シレーヌはレオナールの言葉を遮るように質問をした。
テツがシレーヌに目配せしてそう仕向けたのだ。
レオナールはその言葉を受けると、カンナやカシミルドの顔色を窺いながら、今までの事を話し始めた。
自分の妹が人間に拐われたこと。
その時人間と争って、腕を折られたこと。
里に帰って知らせる途中で野生の獣に襲われたこと。
そして今、人間に捕まってしまったことを話した。
「これで全部話したぞ……俺は、妹を助けたい。今、何処にいるかも分からないんだ。ーーだから、早く解放してくれよっ」
レオナールは切実に訴えた。この中で一番発言権が強そうなテツに向かって。
「その人間達の足取りに、何か心当たりはあるのか?」
「え? それは……あっ」
レオナールはポケットにしまった妹のリボンを思い出した。
「妹の……リボンがあって……ポケットの中に」
するとシレーヌは、嬉しそうに手を叩いた。
「まあ。ではそれを使って記憶を辿りましょう」