第五十七話 忙しない朝
陽が昇り、レーゼが目覚めると同時にシエルも目を覚ました。勿論、レーゼと同じテントで休んでいることなどすっかり忘れていたシエルは、目の前のレーゼに目を見開き、テントの隅まで咄嗟に後退した。そして何事もなかったように背筋を伸ばしテキパキと着替え、身支度をすませる。
レーゼはそんな事に気付きもせず、シエルに背を向け着替えを続けた。
テントから二人が出ると、外ではテツが朝食の準備をしており、ラルムとスピラルもテツの手伝いをしていた。
朝食には、昨夜狩った獣の肉が存分に使われている。
少し出遅れたかと思い、シエルはそそくさとテツに挨拶をした。
「おっおはようございます」
「ああ。おはよう」
テツは切り株をまな板代わりに獣の肉を捌いているところだった。何故獣の解体が出来るのか、シエルは疑問に思う。それに、もう肉の塊になっているから抵抗はないが、解体からやったのかと考えると、余り目に入れたくない光景である。
シエルが呆然とテツの包丁捌きを見ていると、獣の肉をさばくテツに、レーゼが交代を名乗り出た。
「テツ様、後は私が代わりますので、休んで下さい。カシミルドは……?」
レーゼが周囲に目を向けると、森の方から背中を伸ばしながら欠伸をして、こちらに歩いて来るルミエルの姿が目に入った。丁度目覚めた所のようだ。
「あら? レーゼ。ごきげんよう。誰か探してるんですの?」
「ああ。カシミルドを……」
「えっ?」
ルミエルも慌てて辺りを見回した。それをテツが気まずそうに眺めて、森の方へと目を向けながら助言する。
「カシミルド君は今寝ているから、そっとしておいてやってくれ。少しやり過ぎた……」
「やっやり過ぎたって、私のカシミルドに何をしましたの!?」
「少し特訓を……」
ルミエルの猛攻に苦笑いを浮かべるテツに、レーゼが助け船をだした。
「ルミエル。テツ様もお疲れだ。カシミルドはそこの丸太の上で寝ているから静かにしてください」
「えっ? 丸太ですって?」
その場にいた皆が、レーゼの視線の先の丸太へと目を向けた。そこには丸太にしがみつくようにして熟睡するカシミルドがいた。手にはテツの杖を持っている。
「まぁ! こんなところにっ」
ルミエルはスキップしながらカシミルドの元へ駆け寄った。
丸太でスヤスヤと眠るカシミルド。まだあどけなさの残る無防備な少年の寝顔に、ルミエルは顔を近づけ、そっと頬をつついてみた。
カシミルドは、たくさん魔力を消費した様子が窺えた。普段は触ると直ぐに逃げられてしまうので、ルミエルはここぞとばかりに頭をなでなでし、ついでに自分の魔力をカシミルドに分けてやった。
カシミルドはそれが気持ち良いのか、それとも何か良い夢でも見ているのか、ふと柔らかい微笑みを浮かべる。
「はぅっ。可愛いですの……」
「ルミエル君。起こさないでやってくれよ……」
「げっ。テツ。貴方、カシミルドに何をしましたの?」
「剣の特訓をして欲しいと、カシミルド君から頼まれたのだが……まあ、色々あって疲れているだろうから、私がテントに背負っていくよ」
ルミエルが納得のいかない表情でテツを見上げているが、それを視界に入れないようにして、テツはカシミルドに手をかけたーーその時。
「きゃぁっ」
テントの方からカンナの悲鳴が聞こえた。
そんなに大きな声ではない。
何かに驚いた様な、そんな小さな悲鳴であったが、カシミルドはその声に反応して飛び起きた。
しかし瞳はほとんど開いていない。
まだ意識の半分は夢の中に置いてきている様子だ。
「ルミエル君。カシミルド君を頼む。他の者はここで待機だーー私はテントを見てくる」
テツはカシミルドをルミエルに押し付けると、レーゼに目配せし、二人でテントへと向かった。
ルミエルは寝ぼけ眼のカシミルドをムギュッと抱きしめた。
「んんっ……カンナ……?」
「なっ……カンナなら大丈夫ですの。もう少し、私の胸でおやすみになって?」
「……すぅ」
カシミルドの体重がルミエルにのし掛かる。
これは……二度寝?
正直、ルミエルにとってカンナ等どうでもいい。
カシミルドが自分に身を委ねて眠っている。
この時間がずっと続けばいいのに……。
そう思ったのも束の間。
テントの方から、緊迫した声が上がった。
「来るなっ! それ以上近づいたら、この女の首が飛ぶからな!」
「ちょっと。止めなさいってばっ」
少年の怯え緊張した声とは対照的な、子どもを諭すようなカンナの声がルミエル達の所まで聞こえてきた。
カシミルドは今度こそ覚醒し、ルミエルから顔を起こし、声のする方へと振り向いた。
シエル達は、一体何事かといった様子で、皆で顔を見合せ首を傾げている。カシミルドは杖を握り直し、丸太から勢いよく立ち上がった。
「僕が見てきます!」
「あっ……」
ルミエルの制止も間に合わず、カシミルドは杖を片手にテントへと走り去っていく。ルミエルはその背中を悔しそうに見送った。
「もうっ。朝から忙しないですのっ」
◇◇
カシミルドがテントの前に着いたとき、テントの入り口横にテツ、裏側にレーゼが立ち、テツが少年に呼び掛けている所だった。
「ルナールの少年よ。私たちは敵ではない。話がしたい……」
「うるさいっ! あっちいけっ! テントの後ろにいる奴もさがりやがれっ」
少年の殺気だった声が、テントから上がった。
テツはゆっくりカシミルドが立っているところまで後退りした。レーゼも杖を手にしたまま、テツの隣に立った。
「テツ様、どうしますか?」
「そうだな……もう少し様子をみるか……」
二人とも冷静な様子でテントに目を向けた。その様子にカシミルドだけが落ちつかずテントと二人を何度も見比べていた。
テントからまた威嚇するような声がした。
「ほらっ立てよっ! お前は人質だって」
「でも、立ったら君の事おんぶしちゃうよ?」
「えっ? だっだまれっ! チビ扱いするな!」
中では何か揉めているようだ。カンナの声色に緊迫した様子が見られないのは気のせいだろうか。
しかし、今なら少年の注意はカンナに向いているのではないか。カシミルドはそう思い、テツから借りた杖を地面に突き立てた。
杖の先に付いた虹珊瑚が橙色の光を纏う。それと同時に、カシミルドの瞳も仄かに橙色に色付いた。
「テツさん。杖、お借りします。ーー地の精霊よ。我が呼び声に応えよ。我が名はカシミルド=ファタリテーー」
◇◇
テントの中の少年は、その異変に直ぐに気付いた。
慌てた様子でカンナに耳打ちする。
「おいっ。お前の仲間、地の精霊使いがいるのか?」
「えっ? いたかな? あっクロゥかも」
カンナは寝袋の上に座り込んだまま、背後から少年に短刀を突きつけられながらも平然と答えていた。
この少年が、カンナを傷つける気がないことは分かっていたからだ。
「誰だよそれ。って何かヤバそう何だけどっ。そいつ頭ぶっとんでる?」
「え? 頭は普通に付いてるよ? どういうこと?」
「そうじゃなくて……何かデカそうなのが……お前立てっ」
少年は急に辺りを警戒し、短刀を投げ捨てカンナを立たせた。すると地面が小さく揺れ始めるのをカンナも感じた。
下から、何か……来る。
カンナは咄嗟に、床で眠るメイ子を抱き上げた。
そして少年と顔を見合せる。
少年の顔は怯え焦っていた。そして意を決し、両手でカンナを力一杯突き飛ばす。
「きゃあっ」
カンナはメイ子を抱えたまま、小さな悲鳴を上げてテントから押し出された。
少年を一人、テントに残したまま。