第五十六話 呪いの発動を防ぐには?
「カシミルド……って~元気そうだな~? 邪魔したか?」
二人は全身をビクつかせて慌てて体を離した。スピラルもくるっと寝返りを打ち、アヴリルを抱きしめて狸寝入りする。
クロゥはそんな三人に満面の笑みを向ける。するとカシミルドは瞳を潤ませ真っ赤な顔でクロゥの方へと顔を向けた。
「くっクロゥ?」
「あ~っと。シレーヌちゃんがテントの前でウジウジ心配してたから、俺様が代わりに様子を見に来てやったんだけど……カンナちゃんがいるなら大丈夫そうだな?」
クロゥはニヤニヤしながら茶化すように言った。カンナはメイ子を抱きしめ、恥ずかしそうに顔を隠して俯く。カシミルドはというと、クロゥを見ると安心したように、はにかんだ笑顔を送った。
「あ、ありがと……クロゥ」
ただの冷やかしの様なクロゥの行動も、今のカシミルドには大きな安心感を与えたようだ。
クロゥはそんな笑顔に少々罪悪感を覚えると共に、カシミルドの精神状態が心配になった。自分の体に呪いがかけられていると知って、平気な筈がない。
まだ呪いの事には気付いて欲しくなかった。呪いの解き方も分からないから、大丈夫だって、声を掛けることが出来ない。
しかし、ミラルドの呪印をカシミルドは幾つか破壊している。術者を凌駕すれば、呪いを解くことは可能かもしれない。相手が悪すぎるが……。
「なぁカシミルド。……次、見張りだろ? 取り敢えずもう寝とけ……カンナちゃんが隣なら、そりゃ~も~ぐっすりと……」
「いつも一言多いよっーーおやすみ。クロゥ!」
カシミルドは口を尖らせて寝袋に突っ伏した。いつものカシミルドらしい顔つきにクロゥもほっと胸を撫で下ろす。今は、茶化してカシミルドの気を紛らわすことしか出来なかった。
「ほーい。おやすみ~」
クロゥは黒鳥に変身し、カシミルドの頭の上に寝床を定め、丸くなった。そして小さく呟いた。
「呪いの種子……んなもん俺が絶対止めてやるから……俺の命に代えても……」
その声はカシミルドに届いた。そしてカシミルドは、やはり自分の中に呪いの種子があるのだと実感する。
胸の奥が小さくズキッと痛みを伴った様に感じ、カシミルドはそっと胸を押さえて眠りについた。
◇◇◇◇
「……カシミルド君。……カシミルド君。起きられるか?」
テツの声が眠るカシミルドにそっと届く。
微睡みの中、反射的にカシミルドは返事をした。
「……ん。……はい……」
「今日は色々あったからな。寝ていても良いぞ。見張りは私だけでも……」
「はい……」
カシミルドはテツの言葉を受けて、夢の中へと戻ろうとした。しかし、テツに聞きたいことがあったことを思い出し、眠い頭を揺すって無理矢理体を起こした。
「……大丈夫です! 僕も見張りします!」
「そうか……着替えたら火のところまで来なさい」
「はい」
テツはカシミルドの横で眠るカンナとルナールの少年に目を向けると、すぐにテントから去っていった。カシミルドは着替えを済ますとテツの後を追った。
◇◇
夜明け前のまだ暗い時間、微かに獣の血の匂いが漂う森を前に、カシミルドとテツは二人で火を囲んでいた。
森に目を向けると、先程のテツの剣さばきをカシミルドは思い出した。冷静且つ確実に獣を切り刻むテツの姿を。
「カシミルド君。シレーヌとの話は、聞いていたかね?」
「……はい。テツさんの声はあまり聞こえなかったのですが……すみません。盗み聞きみたいなことをしてしまって……」
「いや、いいんだ。カシミルド君は、大丈夫か?」
テツは瞳に焚き火の灯りを照らしながら、カシミルドの顔色を伺うように目を向けていた。
「……はい。大丈夫です」
瞳を曇らせ不安そうに俯くカシミルドに、テツは困った様子で頭をかいた。
「すまないな。私は呪いの種子に関して、詳しく知らないのだ。しかし……ヴァベルが良い天使だということは知っている。厳格で、情に厚く、何より天使の……いや、全ての命を大切に思っている天使だ。だから、彼が容易く人の命を弄ぶような事はしない。……と思っている」
テツは、火に枝をくべながら、ヴァベルという天使を懐かしむように言った。
「テツさんは、その天使とお知り合い何ですか?」
「……まぁな……私に前世の記憶があることは聞いていたか?」
カシミルドは小さく頷いた。聞いていたと言っても、シレーヌの言葉だけでは、何となくしか分からなかった。
「私には二人分の記憶があるのだが……一人目の記憶の時だ、ヴァベルと出会ったのは。今から千年前、まだ天使が地上にいた頃だ。……そしてシレーヌと出会ったのは三百年前だな。その時、ヴァベルは地上に降り立ち、その呪いをかけようとしたそうなのだが……」
真剣な面持ちでテツの話を聞くカシミルドを見て、テツは申し訳なさそうに息を漏らした。
「前世がどうのだなんて……信じられないよな?」
意外な問いにカシミルドは呆気にとられる。
「えっ……? でも、嘘じゃないですよね? テツさんの目を見れば……分かりますよ。信じられないような話だとは……思いますけど……」
カシミルドは困ったような笑顔を見せた。
テツはそれを見て、カシミルドには自分の口から秘密を打ち明けることにした。
きっとカシミルドが、前世で出会った黒の一族の少年、ジオルドに似ているからだろう。彼はルイの友であった。
性格は全く違うが、見た目と雰囲気が似ているのだ。
「シレーヌと出会った時の前世は、ルイという名前でね。この国の王子で、前世の……ジンの記憶と現実の狭間で悩みながら生きている……そんな人間だった。ルイは、魔獣と人との争いに巻き込まれていって……魔獣側に付いたんだ。いや、本当は中立で在りたかったのだろうが……そして謀反の罪で処刑された」
カシミルドはカンナの言葉を思い出した。ルイという王子の話を。そしてその前はジンという名前だったらしい。テツは、今とは違う二つの時代を生きた記憶があるというのか。だからこんなに落ち着いていて、頼り概があって聡明なのだろうか。
「それでだ。ルイが処刑された時、死ぬ間際にヴァベルに呼び掛けたんだ」
「ヴァベルに……?」
「ああ。自分の代わりに魔獣を助けて欲しいって……それでヴァベルは人を呪う道を選んだようなのだが……すまないな」
「なっ何で謝るんですか?」
「その時のルイの願いがなければ、ヴァベルが呪うことも無かった。その呪いの種子がどうしてカシミルド君にあるのかは分からないが……ルミエル君が宿で封じていた、あの黒いアザが呪いの種子かと思ってね。体に異変はないか?」
カシミルドはシャツを引き胸の辺りを覗いた。テントでカンナと確認したように、アザはなく変わりはない。アザが消えたのはルミエルのお陰だったとは驚いた。
「特に変わったことは……ないです」
「そうか。何かあったらすぐ伝えたまえ」
「あの……呪いの種子が発動したら……どうなるんですかね……」
「……。分からないが……私はルナールを……魔獣達を守りたいのだ。ちょっと卑怯な言い方かもしれないがーー魔獣を守ることは、呪いの発動を防ぐことに繋がるのではないか……と思っている。カシミルド君にも、協力して欲しい」
「……もちろん、テツさんに協力しますよ。その為に付いてきたんですから。あの少年が目覚めたら、話を聞きましょう」
カシミルドは不安を隠すように焚き火に視線を落として笑みを浮かべた。テツでさえ分からないものを、これ以上グズグズ考えても仕方ない。カシミルドは自分にそう言い聞かせた。
「大丈夫か? 顔色が優れないぞ。具合が悪いならもう休んで……」
「だっ大丈夫です! あ、あの……テツさん。よかったら……その……僕に、剣を教えてくれませんか?」
「えっ? カシミルド君が、剣……か?」
「はい! 僕は杖も持っていないし、昨夜のテツさんみたいに、もしも多くの獣に囲まれたりしても、何も出来ないなって思ったんです。怪我したカンナを見て、もっと頼れる自分になりたいって……だからっーーうわっ」
テツは腰につけていた剣をカシミルドに放り投げた。
カシミルドはそれを何とか受け止めた。細い剣の割に重みがあり、両手にずっしりとのしかかる。
「いいぞ。護身術程度なら……しかし、剣には煩いが構わんか?」
テツは口元に不適な笑みを浮かべていた。
いつものテツなら見せない様な表情にカシミルドは戸惑いを見せる。獣と対峙した時のテツも雰囲気が大分違っていた。
剣を握ると人が変わる……というか、前世の記憶が甦るのだろうか。
でも、この人に付いていけば、強くなれる。
カシミルドはそう思った。
「剣は重いか? それならまずは、私の杖を貸そう」
「はい」
「では、もう少しテントから離れるか……」
テツはカシミルドに杖を渡し、片手で軽く剣を受け取った。カシミルドにはまだ片手で扱うなど無理そうだ。
自分から指南を頼んでおきながら、カシミルドは緊張しつつ森へ向かうテツに付いていった。