第五十四話 光の大天使
ルミエルはテツを一瞥すると、小さくため息をつき、観念した様に話し始めた。
「失礼ね。木の上で寝ていただけよ……。私のテント……怪我人だらけになってしまいましたから」
「そうだったな。睡眠の邪魔をしてすまない。リュミエ殿」
「別によろしくてよ。何だか面白い話が聞けましたし……」
ルミエルはテツの瞳を探るようにじっと見つめた。
テツも同じようにルミエルを探るような瞳で見つめ返す。
「リュミエ殿……と呼んだのだが……否定はしないのか?」
「へっ? あー。名前が似ていて気付きませんでしたの。貴方の方こそ、何て呼べばいいのかしら? テツ? それともルイ? それともジン?」
ルミエルは少々焦りの色を見せたが、それを隠すようにテツに疑問を投げかけた。
「私はテツだ。それと、前に話したと思うが、私には魔法の効果を打ち消す力があるんだ。ーーこうやって、指で円を作り覗き込むと……魔法が解かれた状態で世界を見ることができる」
「だから? あら? その怪しい動き、前に見ましたわ……そう。城を出る時……」
ルミエルはそう言いかけて悔しそうに唇を噛んだ。そして、テツは初めから自分を疑いの目を向けていたことに気付き頬をひきつらせた。
「そうだ。初めてルミエル君に会った時もしていただろう? ルミエル君はその姿も本当の姿のようだが……あの場にいたリュミエ殿は違った。レーゼ殿が変身した姿だった。レーゼ殿が二人存在することにも驚いたが……君は、リュミエ殿なのだろう?」
「……フンっ。何か問題でもありますの? ちょっと気紛れに外へ出たかったから付いてきましたの。それが何か? 精霊の森の時と態度が大分違うじゃない」
「あっあれは……。シレーヌとの会話を聞いていたのなら分かるだろう? あれは夢と現実が混同していただけで……他意はない」
恥ずかしそうに視線を反らせて腕を組み直すテツに、ルミエルは優越感を覚えた。しかし、テツとは本当に不思議な人間だと、ルミエルはテツに対して興味をそそられた。
「……そうですの。ですが、その記憶って何ですの? 天使ですら、転生する前の記憶は残りませんのに」
ルミエルの言葉に、テツは眉を潜めた。今夜のルミエルはよく喋る。テツの秘密を知ったことで、油断しているのだろうか。今なら、ルミエルも色々と口を割るかもしれない。
「ああ。知っているよ。アグレアーブルが言っていた。ーーだが、私はジンとルイの記憶があるんだ。ジンが残した日記に触れた時、全てが繋がった……これは、きっとジンの呪いだ。ヴァベルのように、魂に己の罪を刻み込んだのかもしれない。自分の罪を。そしてそれを繰り返さないために……」
「呪い……ね。中々面白い考察ですの。ところで、アグレアーブルってどなた? アグって女に間違われてキスされた私としては、知っておきたいですの」
「知らないのか?……ルミエル君は、ジン=イリュジオンを知っているか? 慈愛の天使アグレアーブルの夫。初めて天使と……恋に落ちた男だ」
ルミエルは首をかしげて空を仰ぐ。どこかで聞いた話だ。ジンはテツの前世で……。慈愛の天使が人と恋に落ちた……?
「えー?……っと。あっ分かりましたわ! あの頭の中がお花畑な格の低い天使ね! あの子のせいで色々……あっ……」
ルミエルは咄嗟に両手で口を抑えた。
その瞳は右へ左へと完全に泳いでいる。
「あれはアグのせいじゃない。俺のせいだ……ルミエル君。君の光の魔法を目にしてからずっと気になっていたのだが……リリィ殿……いや。リリエル殿の妹君と聞いて確信した。君は……」
「待って! それ、確認する意味ありますの?」
ルミエルは両手を前に突き出し、早口でテツの言葉を遮った。
「は? いや……しかし。君達の世界を壊してしまったのは私の前世だ。力になりたい。それに何故、今ここにいるのか、疑問だからだ」
「わ、私の力になりたいのでしたら……私に干渉しないでいただけます?」
「だったら何故、私の視察団に参加した……?」
「そっそれは勿論カシミルドがいるからでしょう!?」
「……カシミルド君は……ヴァベルの依代だからなのか?」
「は? 依代? 何よそれ?」
ルミエルはテツの言葉の意味などさっぱり分からないといった様子で、巨木の根に腰を下ろした。足を組み、木に寄りかかり、眉を潜めてテツを見上げる。
「ヴァベルがカシミルド君を依代にして、呪いの種子を発動させようとしているのではないか。と、シレーヌが言っていたのだ。ヴァベルは今、何処にいるんだ?」
「……成る程。確かに、呪いの種子は厄介ですの。私では抑えきれないわ。クロゥならもしかしたら……でも、クロゥはまだまだ脆弱……ヴァベル様に比べたらまだまだ格下ですもの……ああ、ヴァベル様……」
そう言うと、ルミエルはヴァベルを思い出したのか、瞳を閉じてうっとりとし始めた。質問と答えが全く噛み合っていないのは、わざとなのか。それともルミエルがアホ……いや、抜けているところがあるからだろうか。
「ヴァベルとは親しかったのか?」
「それは……まあ。ーーヴァベル様は正に至高の存在。特に、呪いの種子を御身に植え付けてからは、誰も寄せ付けなくなりましたの。弟の前だけは、たまに笑顔が見られましたけれど……クールで知的で、彼は孤独な存在……いえ! 全ての天使が憧れる、孤高の存在でしたの!」
「ほぅ……」
ルミエルは瞳を閉じたまま、溜め息を吐き胸に手を当て呟くように胸を内を吐露した。
「そう。私はそんな彼に惹かれましたの。あの方が見上げる空のその先に……何が見えているのか。隣で見たかった……。あの方の弟をだしに彼に近づこうとして、あの子にはそれはそれは嫌われてしまったけれど。元々誰にも興味なんてなかったから、痛くも痒くもなかった。あの方の黒い翼。金色の罪を纏い、憂いを帯びたあの瞳……一番近くで私が……私だけが見ていたかったのに……それなのにっ」
ルミエルはそこまで一気に話すと、最後に何か思い出したように、瞳に怒りの色を滲ませた。テツは、続きが気になりサラッと尋ねた。
「それなのに?」
「へっ?」
ルミエルは呆けた顔でテツに振り返った。
「ルミエル君がそこで言葉を止めたから……尋ねたのだが……やはり心の声が漏れていただけか?」
テツは口元を押さえ笑いを堪えていた。
ルミエルの顔がどんどん赤くなる。
「きっ聞いてましたの!? 最低ですの!」
「勝手に話したのはルミエル君だぞ。……しかし、ルミエル君がそこまでヴァベルに御執心と言うことは……もしや、ヴァベルを追ってこちらに来たのか? ヴァベルもこちらに……」
「……ヴァベル様の事をテツに話すつもりはありませんわ」
ルミエルは眉を吊り上げテツを睨み付けた。
テツは、「どの口でそんな事を言うのだ」と言いかけたが止めた。これ以上ルミエルの神経を逆撫でるのは良くないだろう。
しかしカシミルドとヴァベルが何かしらの繋がりがあることは確かのようだ。テツが黙っていると、ルミエルは追い討ちをかけるように話し出した。
「テツ! カシミルドには言わないでね! ヴァベル様のことも、私がリュミエだってこともっ……」
「ルミエル君が、光の天使だっていうことも?」
「しっ失礼ね! 私は、光の大天使よ! ただの天使と一緒に……」
ルミエルは口を開けたまま、くるりとテツに背を向け、頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。自責の念にかられたその背中に、テツは慰めるように呟く。
「……リリエル殿から妹がいることは聞いていた。……私ではなく、ルイが聞いたのだけれども。だから……そんなに落ち込まなくても……」
「クロゥから言われてたのに……関わるなって……」
「……ルミエル君。私の前世のことは……ラルムやシエルにはコレで頼む」
テツは口元に人差し指を一本立ててルミエルの顔を覗き込んだ。
「何ですの? それ」
ルミエルも何となくテツの真似をするが、意味はわからなかった。
「秘密。という意味なのだが……。私の秘密を守ってくれるなら、ルミエル君の事も秘密にしておこう。これでどうだ?」
「……よ……よろしくてよっ!? こっコレね! 誰にもいっちゃダメよ!」
ルミエルは口元に人差し指を立てて、テツに詰め寄る。
「ああ。勿論だ」
「そっそれから、私は魔獣がどうだとか人間がどうだとか……そういう事に興味ないですの。だから、争い事には協力しませんから。ーーですから、私の事は探らない。関わらない。頼らない。近づかない。……これも守っていただけますの!?」
「……了解したよ。ルミエル君」
テツは苦笑いでそれを受託した。
ルミエルは自分は協力しないと言った。
しかし、それで良いのだとテツは思った。
この魔獣と人との関係は、両者でどうにかしなければならない問題なのだ。天使に……彼女に頼り、介入してもらうなど、甘えてはいけないのだ。
「はぁ……じゃ。おやすみ」
ルミエルは大きな溜め息をつくと、ひらひらと手を振り、疲弊した様子で森に入っていった。
テツはそれを無言で見送った。
そう言えば、アグレアーブルも木で寝ていたな。
テツはそんな事を懐かしく思い出しなから、自分のテントへと戻っていった。