第五十二話 二人の記憶
あの日、テツは二人の兄と庭でかくれんぼをしていた。
テツは王家の墓を隠れ場所に選んだ。
しかし、ある墓の前でテツは足を止めた。
初めて訪れた、王家の墓の一番奥に建てられた墓標。
初めてなのに、何度も訪れた記憶があった。
このお墓にすがって、泣いた記憶……ここに何か大切なものが……。
テツは墓の裏を素手で掘り返した。
ここだ。ここに、あの子に頼んだ本がある筈だ。
しばらく掘ると金属で作られた箱が出てきた。
テツはゆっくりと箱を開けた。
そこには、夢で見た古い本が入っていた。
テツがその本に触れた瞬間ーー。
テツの意識は二人の記憶の渦へと飲み込まれた。彼らの記憶が映像となって声と共に一気に押し寄せ、テツの中を激流の如く通りすぎていく。
ーー俺の背中で誰かが泣いている。
「……ジン。私から目を背けないで。ーー」
……この声はアグレアーブルだ。
精霊の森で出会った……ジンの、いや、俺の天使。
ーー女の人の歌声が聞こえる。
僕の隣で焚き火がパチパチ弾ける音がする。
僕は寒くて苦しくて……。
「あら? 目が覚めました?」
優しく僕の額を撫でる女性。それは美しい人魚だった。
……知ってる。この声はシレーヌ。
僕に生きる理由を与えた、ルイの、僕の大切な人魚姫。
ジンと、そしてルイという、夢の中の二人の主人公の記憶と感情が、テツの意識を埋め尽くしていく。テツはその衝動を受け止めきれず、古びた本を抱き締めたままその場に倒れて気を失った。
テツはそのまま何日も目覚めず、夢の中で苦しんだそうだ。
そして、次に目覚めた時は自分の部屋だった。
自分という言葉が正しいのか一瞬分からなかった。
ここはテツの部屋だ。
テツはまだ五歳で、この国の第三王子。
好奇心は旺盛で、夢の中のお伽噺が大好きな男の子。
そんな事を自分自身で分析する。すると彼らの記憶では補えなかった疑問が、自分の中から溢れてくることにテツは気付いた。
僕が……ルイが生きた時代は、今からどれくらい前の事なのだろう。この国は、今どんな国なのだろう。
僕はまた、何のために生まれたのだろう。
テツの中にはジンとルイの記憶が存在した。
これは前世の記憶というものらしい。
しかし、テツはそれを冷静に受け止めた。
ルイとして生きた時、ルイはジンの記憶にずっと囚われ、その生涯をかけて悩んでいたからだ。
自分はジンなのか、ルイなのか。
それとも、誰でもないのか。
しかし、それでも生きて自分のやりたいことを見つけたルイの記憶があったからこそ、ジンとルイ、二人の記憶を一歩引いたところから眺めることができた。
ルイは自分が前世の記憶を持つ事を、こう考えていた。
ジンの罪を償うために、これ以上間違えないために、ジンが自身に呪いをかけたのだと。だから、ジンの罪は輪廻転生しても消えず、自分を戒めるために存在するのだと。
天使の祝福を受けたのに、魔法が使えないことも、ジンの呪いの一つだ。ジンが魔法という天使の力を拒絶したから。
テツは思った。きっと自分が生まれたのは、するべき事があるからなんだ……と。
自分のすべき事を探さねばならない。
自分の存在意義を見つけなければならない。
そんな衝動にかられ、王立図書館に通い、歴史書を読み漁る毎日が続いた。
まだ幼い王子のその姿は、周りの大人たちの好奇な目に晒された。それでも、自分が生まれ変わるまでの三百年という時代がどのように移り変わってきたのか、どうしても知りたかった。
そして分かったことは、ルイが守りたかった魔獣という種族はルイが没した頃から急に種が減ったこと。
黒の一族が魔獣を召喚することができるということ。
そして、国は平和で、魔法道具の発明に力を入れており、剣を扱うことは殆ど無くなったということだった。
それと、ルイの時代では、才能のあるものなら誰でも入学できる、王立の士官学校があったのだが、それが貴族専門になっていたということだった。
一通り情勢を調べ終えると、テツは自分に魔法が使えないことはよく理解していたので、体を鍛えることにした。
西塔に隠されたジンの剣ーー古の剣、紫輝を手に入れ、毎日秘密の地下室で稽古に明け暮れた。
ルイも昔、この場所で稽古をしていた。あの時はルイの姉もいたが、テツにはそんな理解者はいなかった。
覚醒の風が吹いた時も、魔法に目覚めなかったテツを見て、周りの者は徐々にテツと距離を置くようになった。二人の兄も、王も女王も。
しかし、その理由は明白だった。
歴代王子の中で、唯一魔法が使えなかったのは、ルイ王子だけであったからだ。魔獣に荷担したとして、謀反の罪で処刑された、ルイ王子だけなのだ。
だから王家の者はテツを嫌った。
魔法が使えないテツを災厄の芽として王立の学園にも通わせず、城ではまるで空気の様に過ごしてきた。
唯一気が許せるのは、何も知らない可愛い妹と、覚醒の風で力に目覚めなかったとして全てから見放されたテツに近寄ってきた一人の女性だけである。
その女性の名はグラス=フォンテーヌ。
ラルムの母であり、女王の側近だ。
◇◇
「フォンテーヌですって!?」
「シレーヌ……。君がロゼを嫌っていたのは知っているよ。でも私は、彼女のお陰で、グラスという唯一全てを話せる味方が出来たのだよ」
テツは優しく微笑んだ。反対に、シレーヌは肩を落とした。
「その……グラスという方が、今のテツの想い人なのですね……」
「なっわけないだろう! グラスはラルムの母親で、そういう関係ではない!」
「あっそそそそうですのね。今の言葉は忘れて下さい! ロゼの名を出しますから……つい」
シレーヌは熱くなった顔を手で仰ぎながらテツから視線を反らした。恥ずかしくてテツの顔を見ていられなかったのだ。テツも空を仰いで気まずそうに話す。
「ロゼは……まぁ。いい。……シレーヌのこと、ルイは本当に大切に思っていたよ。彼の人生は短かったけれど、君に会えなければその半分の生で彼は消えていた。きっと、この本も、ルイの意志も、何も無いまま消えていた。シレーヌがいたから、ルイは自分が生きる意味を見つけられたのだよ」
「ぅ……ぅぅ。ルイ……。守れなくてごめんなさい。私のせいでルイは……ルイは……」
「シレーヌ。君のせいじゃないよ。ルイは死ぬ寸前まで君の身を案じていた。そして、その想いを……ヴァベルに託したんだ」
「ヴァベル様。あの方のお陰で、私たちは救われました」
「ん? それはどういう意味だ?」
「ご存じないのですか? ルイが最期に呼んだのですよね? 命の大天使ヴァベル様を……あの方が、私の命を繋ぎ止めました。そして人々に呪いをかけようとしました……」
テツは自室で聞いたカシミルドの言葉を思い出した。
呪いの種子という言葉を。
「まさか……呪いは……ヴァベルが?」
「はい。人間達は、あの事実を闇に葬ったようですわね……王家の人間すら知らないなんて……」
「シレーヌ。詳しく教えてくれるか? ヴァベルの事を……」
シレーヌは頷くと、ルイが処刑された後の事を話し始めた。
天使の祝福があらんことを 外伝のお知らせです。
ついに、こちらのお話とリンクする時がやって来ました。
「殺してやりたいほど憎かった天使に救われた俺の恋の話。」
作中に出てくる、天使と青年(テツの前前世、ジン=イリュジオン)の恋のお話 (絵本)の元となった話です。
短いお話なので良かったらお読みください。
https://ncode.syosetu.com/n3134fj/