第五十一話 シレーヌとテツ
私はテツと一緒にテントを出て、見張りの焚き火と反対側の森へと入った。
いつの間にか雲は晴れ、辺りは星明かりに照らされる。その光は私の水泡に優しく映り込み、私へと届く。
水泡が揺れ動く度に反射し、光が煌めいた。
まるで自分が光を纏っているかのようだ。
幻想的な光の中、私とテツの間には、無音の世界がゆっくりと流れ、私はそれをどう打開すべくか悩み、そして自ら口を開くことにした。
「あの……先程の獣との戦い。お見事でした。古の剣、紫輝。お持ちだったのですね?」
「ああ。城の西塔で見つけた。物置部屋のあの塔で」
「あなたは……昔、私と会ったことがありますよね?」
私は期待していた。
目の前の彼が、自分から名乗り出てくれることを。
彼が私の知る、ルイであることを。
ルイは前世の記憶……ジンの記憶を持って生まれた。
そして、テツと同じように魔法が使えない王子様だった。
きっとテツは……いや。絶対にテツは、二人の事を知っている。二人の記憶を知っているはずだ。
しかしテツは、熱のこもった私の瞳とは対照的に、冷ややかに淡々とした口調で述べた。
「……私はテツ=イリュジオン。この国の第三王子。歳は十七だ。昔とは……いつのことかね?」
私はそれを聞くと、悲しくて悔しくて、行き場のない想いを胸に奥歯を噛み締めた。獣との戦いで見せたテツの剣は、私のルイ、そのものだったのに。
テツが、ルイの魂を宿しているということは、間違いないのに。どうして、言ってくれないのだろう。
私はあなたにとって、それぐらいの存在だったのですか?
やっぱり、あなたの一番は、あの人なのですか?
それとも、本当に知らないの?
いいえ、そんな筈はない。
「昔とは、私がまだ貴方と同じ背丈で、地上に住んでいた時の事ですわ。貴方はジンの技を使っていました。それだけじゃない……ルイの……ルイの技も使っていた。貴方は、ジンの日記をお持ちなのでしょう?」
私は、涙を堪えるので必死だった。
泣いたらずるい気がして。
泣くのを我慢して、テツの答えを待った。
テツは無意識の内に胸の辺りを押さえた。
そして俯き、険しい表情のまま、何も言わなかった。
どうして何も言ってくれないの?
剣を握った姿は、まるで生き写しなのに。
また会えたのに。嬉しいのは、私だけ?
会いたかったのは、私だけ?
物言わぬテツを見て、私の瞳からポロポロと大粒の涙が流れた。そしてそれは白く丸い粒となって地面へと転がる。
何だか虚しい。胸が苦しい。
泡になって消えてしまいたいぐらい。
でも、もう一度会えたのに。それは、嫌。
「な。何で何も言わないんですの? 私を見て、こんなに小さくなったって言ったじゃないですか!? 昔の私を知っているからでしょう? 私の事……忘れてなんか、いないですよね? あなたには、彼らの記憶があるのでしょう!? ねえ……覚えてますよね!? 答えて……ルイ!」
「私はテツだ! その名で呼ばないでくれっ!!」
テツは私を睨み、怒鳴った。私は怖くて体をビクつかせた。
頭の中が真っ白になっていく。
テツから感じる拒絶、怒り。
私の存在が否定された様でとても怖かった。
……ああ。違う違う。私だ。
私が、テツの存在を否定したんだ。
テツの苦しむ顔が、ルイと重なって見えた。
彼はルイじゃないのに。
彼は今、テツとして生きているのに。
もうルイはこの世界のどこを探しても……いないのに。
水泡の中で丸く踞り、私は声を上げて泣いた。
「ぅ……ぅ……ふぇ~~ん」
「すっすまない。怒鳴るつもりは無かったんだ……ごめん……シレーヌ……」
テツは慌てて私に近づき謝った。
謝り方も、困った顔も……ルイそっくりだ。
でも、違う。彼はもう、ルイじゃないんだ。
「ぅぅ……ひっく……私の、方こそ……すみません。ルイも……ルイもずっと苦しんでいたのに……もう、ルイじゃないのに……テツなのに……」
そうだ。この人はテツなんだ。
ルイもずっと、前世の記憶に囚われて、苦しんできたんだ。
それなのに、ルイであることを彼に押し付けちゃいけない。
きっと彼は二人の記憶を背負って、たった一人で生きてきたのだから。
テツは泣きじゃくるシレーヌを見て、涙を溢した。
泣くつもりはないのに、どうしても溢れてしまう。
そうだ。ルイはとても泣き虫だった。
シレーヌの前だけは……。
テツは懐から古びた本を出した。それを見るとシレーヌは涙を拭い、そのノートに近づいてきた。
「あ……」
テツは木の根に腰を下ろし、シレーヌも見やすいように本を傾けると、頁をパラパラと捲った。
「この本を手にした時、全て思い出したよ。思い出したと言っていいのか分からないが。ーー夢で見た彼らの、記憶の欠片が全て繋がった」
「やはり。お持ちだったのですね」
「ああ。ジン=イリュジオンが書き始めて、ルイが引き継いだ……私の日記だ……シレーヌ。君も昔、ルイから聞いただろう?」
「はい。私は、ルイがこの日記に初めて触れた日に……出会いましたから……って、ご存じなのでしょう?」
「まぁ……な」
テツはシレーヌから視線を反らし顔がみるみる赤くなっていった。シレーヌもルイと初めてあった日の事を思い出すと、顔を赤らめた。
「あっあの頃は……私も若かったんです! 若気の至りなんです!」
「そうだな。ルイもまだ十歳だった……」
テツは日記を手を添えて、瞳を閉じて過去の記憶を遡った。
「テツ。先程は失礼しました。私は……あなたの事が知りたいです。テツはいつ、この日記を手にしたのですか?」
「あれは、たしか……」
◇◇◇◇
テツは小さな頃からよく夢を見ていた。
夢の中での自分は二人の主人公になれた。
一人は、医者の家系に生まれた剣士。天使な奥さんや子供がいて、大勢の敵もバッタバッタと薙ぎ倒す、俺。
そしてもう一人は、天使に恋い焦がれ、いつも誰かを、そして何か探している、心がいつも不安定な優しい剣士の、僕。
テツはいつもどっちの夢を見るか楽しみだった。
そんなある時二人の兄にテツは尋ねた。
「兄様は夜、誰の夢を見るのですか?」
「誰のって? 夢は私が見ているのだから私の夢だ」
「???」
テツはその時思った。そうか、あれは自分が見ているのだから、自分の夢なのだと。
しかし翌朝目が覚めると、夢の中の物語は、自分の物ではないと感じた。
あれは、やっぱり、僕の物語であり、俺の物語なのだと。
そんなある日、テツはある夢を見た。
僕という人生が終わる夢。恐らく今までも何度か見た夢だ。
しかし、怖い夢や嫌な夢はその残夢感に囚われた後、目が覚めると、すぐに忘れてしまうことが殆どだった。一種の防衛本能だろう。
しかしその日は覚えていた。目が覚めるとテツは泣いていて、体からは脂汗が吹き出し、息をすることを忘れてしまいそうなほどの恐怖に襲われていた。だが覚えていたのはそれだけでは無いことに気がついた。
僕は、死を前にある本を女の子に預けていたということを。
そしてそれは、誰かの墓標に隠したということを。
しかしその時は誰のお墓か分からなかった。
あの時までは。
そう。夢と現実が繋がったのは、テツが五歳の時だった。