第五十話 いつもの笑顔
シエルとレーゼは、向かい合って火を囲んでいた。
ついに二人で見張りをする時が来たかと、シエルは緊張している。二人の間には静かな風が流れるだけであるが、森から来る風に、ふと違和感を覚えた。
シエルは周囲を気にしながら、眉間に皺を寄せる。
「あの……何か変な臭いしませんか? 生臭いっていうか……」
「ああ。先程野生の獣の襲撃を受けたのだ」
「あー。獣の……って。ーーえっ? 本当ですか?」
あまりにもレーゼがサラッと答えたので、事実なのか何なのか、シエルは判断に迷った。
「起きなかったのはシエルとラルムとスピラルだけだったぞ? フッ」
レーゼは最後に微かに笑った。
珍しく笑うレーゼを見て、シエルは寒気を感じ、身じろいだ。
最近よく笑う気がする。それが逆に怖い。
しかし……ラルムが寝ていたと言うことは、テツとカンナの見張りの時に襲われたのだろうか。同じテントで寝ていた筈のカシミルドが起きたと言うことが少々意外だ。
思考を巡らすシエルを見て、獣に怯えているのかと思い、レーゼは言葉を付け足した。
「安心しろ。襲撃はもうない。テツ様が一人で相当狩ったからな」
「へっ? 一人で?」
「ああ。五十は優に越えていたな……」
流石テツ。一人で獣を五十匹も?
シエルはオンディーヌと対峙した時を思い出した。しかし、このご時世、剣術を習うものすら殆どいない平和な国なのに、テツはどこであんな力を得たのだろうか。
それが不思議でならなかった。
「カンナが、獣に追われていた少年を助けた際に怪我をした。明日の出発は、少々遅れるかもな。ーー状況を見て、騒がず臨機応変に対応するように」
「はっはい……」
騒がずって……子供じゃないのだから……何となく子供扱いされた様な気になりシエルはモヤモヤした。
王都にいた頃は、もう少しはっきりスパッと切り捨てるような言い回しをするイメージだったのに。ラルムも言っていたが、ルミエルがいるせいか、レーゼが少し丸くなった様に感じる。ルミエルの性格が悪すぎるせいだろうか。
揺れる赤い火を見つめながら、シエルはそんなことを考えていた。
◇◇◇◇
テツとシレーヌがテントを後にして直ぐ、カンナは小さなうなり声を上げた。
「んっ……い……」
「カンナ!?」
「いっ……たくない!!」
カンナはそう声を上げて勢いよく起き上がった。それにつられてカシミルドも体を起こした。
「カンナっ。そんな勢いよく起きちゃ……大丈夫? 痛いところない?」
カンナは自分の体、特に右足と肩に目を向け手で触れ、そして周囲を見回してルナールの少年に目を止めると、安心したようにまた大きく息を吐いた。
カシミルドもそれを見て安堵した。カンナが笑っている。
自分のことより人の心配ばかりしている。
いつもの……カンナの笑顔だ。
カシミルドはカンナの無事を確かめるように、そっとカンナを抱きしめた。
「かっカシィ君っ!?」
「カンナ……心配……したんだよ……怪我、酷かったし、気を……失ったりして……」
カシミルドは自分の思いを口にすると、先程までの不安な気持ちが溢れだし、カンナを抱きしめたまま、咽び泣いた。
「えっ、ちょっ……カシィ君……」
いつもと立場が逆になったようで、カンナはオトオドしながら、自分の肩に顔を埋めて泣き続けるカシミルドの背中をゆっくりぎこちなく擦った。
「良かった。カンナの目が覚めて。……良かった。間に合って……」
カシミルドに耳元でそう囁かれ、カンナは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。こんなに心配していたなんて……でも、とても嬉しくもあった。
「ごめん……なさい。心配かけて。それから……ありがとう、助けに来てくれて。カシィ君なら来てくれるって……信じてた」
カシミルドは顔を上げ、カンナの顔を覗き込んだ。
そして泣きながらカンナに問う。
「本当に?」
「えっ?」
「本当に、反省してる!? 危ないこと、しちゃ駄目だよ! 分かってる!?」
「わ、分かってるよ! もう無茶しないから……って、これ。私がいつもカシィ君に言ってることだよ。ーーカシィ君も、分かってる?」
「……?」
二人はどちらかともなく笑い合った。
「フフフッ」「あははっ」「むむむっ」
すると、二人の間からメイ子の声がした。
その声に二人の視線が集まる。
「むぅー。テツが言ってたなの。団内の異性間交流は禁止なのの。さっさと手を離すなのの。そしてメイ子を挟んでさっさと寝るなのの」
カシミルドは急に顔を赤くし、カンナの肩から手を離した。
「ごっごめん……」
「ううん」
カンナも顔を赤くして首を横に振った。
「むぅ。……おやすみななの」
「「おっおやすみっ」」
二人は同時に声を上げ、メイ子を間に挟んで横になった。
メイ子はカシミルドに抱きつき胸に顔を埋める。
そしてカシミルドの心音に耳を傾け、ゆっくりとカシミルドの顔に視線を伸ばす。カシミルドの心音の中に、何故だか緊張が混じっていたからだ。
「カシィたま?」
カシミルドはメイ子の声に答えなかった。
先程までの気恥ずかしそうな表情とはうって変わって、瞳を固く閉じ、眉間にシワを寄せている。
メイ子はカシミルドの小さな心の動揺に、首を傾げた。
「カシィ君?」
カンナも不信に思い声をかけるが、カシミルドは何も答えず、何故かカンナと手を繋いだ。そして瞳を閉じたまま、ゆっくりと口を開いた。
「……シレーヌの声がする。シレーヌが……泣いている」
カシミルドは瞳を瞑り、シレーヌの声に耳を済ませた。
シレーヌの声には、喜びと共に、悲しみが入り交じっている。
シレーヌとテツは、何か繋がりがあるのだろうか。シレーヌの心に同調するように、カシミルドの瞳から一筋の涙が頬を伝った。