第四十九話 襲撃の後で
テツはメイ子の回復魔法を隣で見守っていた。
メイ子はフェルコルヌ種の魔獣。慈愛の精霊の力を授かり進化した獣。
自分がもし、慈愛の精霊の力を行使出来たら、こんな小さな女の子一人に無理をさせなくて良いのにな、と考えながら見ていた。
カンナの傷は致命傷ではないにしろ、崖の上で見た時は大分深い傷に見えた。しかし、テツが思っていたより治療はすぐに済んだ。
崖の上では、止血だけの治療をメイ子に指示したつもりだったが、カシミルドの手前、粗方回復させてからこちらに運んだのだろうか。
カンナの怪我に、カシミルドは大分ショックを受けている様子だった。
全て自分の責任だ。
やはり、レーゼに頼むべきだった。
ふと、テツはメイ子と目が合った。
メイ子がこちらを見ていたからだ。
メイ子は少し不安そうな顔でにっこりとテツに微笑んだ。
この笑顔は反則だ。
こちらも笑顔を返さずにはいられなくなる。
メイ子はカンナの治療を終えると、今度はルナールの少年の治療に移った。彼は何故一人で野犬から逃げてきたのだろう。
カンナから逃げ出した様子からして、彼から事情を聞くことは可能か悩ましい所だ。やはりルナールは、人間が嫌いなのだと改めて思い知らされた。まだ若い少年なのにな。
私の判断ミスでカンナに怪我を負わせたことを謝ると、カシミルドは複雑な表情で俯いた。
謝るべきではなかった。彼自身が責任を感じてしまったようだ。メイ子も怪訝そうな目で私を見た。
しかし、カシミルドはメイ子に叱責されると、表情が和らいだ。メイ子はスッと人の心に入り込むのが上手いようだ。
メイ子は、真面目な視察団のメンバーの要だな。
私が感心していると、カシミルドはある女性を呼んだ。
どうやら、彼女の方から語りかけていたようだ。
私の前にシレーヌが現れた。
野犬と戦っている時、私は初めて彼女を見た。
とても小さな体だが、すぐに彼女がシレーヌ=セイレーンだと分かった。まさか、また会えるなんて思ってもいなかったよ。
◇◇◇◇
「そうだ。シレーヌ。この子が起きたら話を聞いて上げてくれないかな? ルナールの子みたいだし、シレーヌの方が話しやすいかと思って……」
「そうですわね。ルナールも人間は嫌いだと思いますわ。私が事情を聞いてみます……」
カシミルドの頼みを、シレーヌは快諾すると、チラッとテツの方を見た。しかし見てすぐに視線を別の方へと向け直す。
テツはというと、真っ直ぐにシレーヌを見ていた。
カシミルドがその視線に気付き、慌ててシレーヌを紹介する。
「テツさん。彼女がシレーヌです。ーーシレーヌ。この人が、テツ=イリュジオンさん。初めてだよね?」
「……はい」
珍しくシレーヌの目が泳いでいる。
人間嫌いが発動したのだろうか。
「テツ=イリュジオンだ。宜しく」
「わ、私は、荒波の魔獣シレーヌ種が一人。シレーヌ=セイレーンですわ……」
「ああ。知っているよ」
「えっ?」
シレーヌが顔を紅くし、感極まって口元を手で押さえた。
「地下で会っただろう?」
「あっ……そうでした……わね……」
今度は酷く落胆した様子で肩を落とした。
「しかし、あの時は声だけで分からなかったが……随分と小さい姿なのだな」
テツの言葉を受けるとシレーヌは顔を上げ瞳に期待を滲ませた。テツの言葉に一喜一憂するシレーヌの姿に、カシミルドとメイ子は顔を見合わせた。
「むぅ? さっきから、シレーヌ変なのの?」
「えっと……そ、そんなことはありませんわ……」
明らかに動揺の色を隠せないシレーヌ。恥ずかしそうに体を弾ませ、カシミルドの後ろに隠れてしまった。
メイ子はハッとしてカシミルドに耳打ちする。
「シレーヌはきっとテツの事が気に入ったなのの! カシィたま! 二人っきりにしてあげるなのの!」
耳打ちと言っても、テント内の者の耳には聞こえる声量であった。
「メイ! 勝手なことを言わな……」
シレーヌはカシミルドの後ろから飛び出して声を荒げた。
しかし、テツの気まずそうな表情を見ると、自分だけ興奮しているのが悲しくなり言葉を失った。
その時、カンナの腰の辺りで短刀が煌めいた。
シレーヌの目にそれが映ると、シレーヌは目を丸くしてその短刀を見つめた。
「輝剣、七煌の……何故ここに?」
「あ。これはパトさんがカンナにくれたんだ」
「パト……。何で、この短刀を手放したのかしら……」
「そうだ。パトさん、シレーヌによろしくって言っていたよ。多分だけど……」
「よろしく……ですって? この短刀をカンナに? 私への決別ですわね」
「決別? シレーヌ、それどういう意味? パトさんとは……」
シレーヌは両手を握りしめて、怒りで体を震わせていた。
川が近くにあったら氾濫させていただろう。シレーヌの怒りと悲しみがカシミルドにもひしひしと伝わってきた。
そして静観していたテツが口を開いた。
「そのパトという人はカンナ君を大切に思っているようであったぞ。ーーきっと、対の短刀をカンナ君に与え、その身を案じているのだよ。対の剣は互いに惹かれ合うからな……」
「パトを庇うのですね……」
シレーヌの言葉に、テツはため息をつき、瞳を細めた。
「庇ってるつもりはない。彼女の事となると、シレーヌはいつも厳しすぎるよ」
「なっ、やっぱりそうやっていつも庇……う?」
シレーヌはカッとして反論したかと思うと、テツを見つめたまま瞳を曇らせ、目に涙を浮かべた。
カシミルドはメイ子と顔を見合せ、互いに首を傾げた。
その時、テントの入り口からレーゼがひょっこりと顔を出した。
「あの。片付けは終わったので、シエルを起こして見張りにつきますね。皆さんも早く休んで下さい。明日に差し支えますから」
「ああ。レーゼ殿、ありがとう。メイ子君。少年はどうだ?」
「大丈夫なのの、メイ子が隣で見とくなの! 皆も早く休むなのの」
「カシミルド君、テントに戻ろう。後で見張りの時に起こすからな」
「あっでも、カンナが目覚めるまでは……」
「そうか……では一緒にいてやりなさい。私は、向こうのテントで休むよ……」
テツはシレーヌの方には目も向けずにテントから去ろうとした。するとシレーヌが意を決して声を上げた。
「あのっ! 少し、二人でお話出来ませんか?」
テツはシレーヌではなく、カシミルドに目を向けた。
そして申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。
「……カシミルド君。少しシレーヌをお借りするよ」
「は、はい。どうぞ」
シレーヌは一瞬だけ顔を綻ばせ、そしてまた瞳を曇らせ不安げな笑みを浮かべた。
「御主人様。行ってきますね」
「うん」
テツとシレーヌは二人一緒にテントを出ていった。何だか訳が分からないまま、カシミルドとメイ子はテントに残された。
「メイ子? 二人って、知り合いなのかな?」
「むう? それはないと思うなのの。シレーヌは魔獣界に住んでるなの。あ、でも、魔獣界ができる前はこっちにいたらしいなの」
「魔獣界ができる前?」
「随分昔なの。確か、三百年くらいも昔なの。メイ子にはそれぐらいしか、分からないなのの」
「そっか……」
カシミルドはカンナの隣に寝転び、両手でカンナの手を握りしめた。すると、カシミルドとカンナの間にメイ子が割り込む。
「カンナもすぐ目を覚ますなのの」
「うん……」
シレーヌの事が気がかりではあったが、カンナの寝顔を見ると、カシミルドは急に眠気に襲われた。
そして、ゆっくりと瞳を閉じ思考を停止させた。
今は、休もう。カンナが目覚めるまでは……。