終章
クリスマス・イヴの夜、レミと初めて出会った場所に、僕は、ミキを呼び出した。既に、学校は冬休みに入っていたが、もう長い間、僕は、学校へは行っていなかった。
僕が、ヴァンパイアになってから、既に、三日が過ぎていた。その間、僕は、ほとんどの時間を、ホテルのレミの部屋で過ごしていた。家族には、手紙を書いて、二度と戻らないことを告げた。両親がどれだけ心配するのか、痛いほどに想像できたが、自分の息子が、紫色の瞳になった姿を、彼等に見せたくはなかった。
そして、今日、ミキに電話をして、話があると彼女を呼び出した。僕は、ヴァンパイアになると決めたあの日から、世間では、行方不明者の一人になっていた。その僕からの電話に、彼女は非常に驚き、困惑していた。だが、二つ返事で会うことを承諾し、夜の九時に、僕の聖域で会う約束をした。
約束の時間、約束の場所に現れると、ミキは、既に夜景を見つめ、僕を待っていた。
「ここの夜景って、すごく綺麗だと思わない。」
背後から声をかけた僕に、ミキは、心臓が止まりそうなほどに驚いた表情をした。ヴァンパイアは、歩く時にほとんど足音を立てない。気配を感じさせないのだ。
「久しぶりだね。」
「そうね。リュウイチ、今、何をしているの?学校のみんなも、心配しているよ。リュウイチの両親も、学校に来てた。警察の人も、家に行ったみたい。」
ミキと話すのは、マリコの事件以来だった。もう、二ヶ月近く前だ。だが、僕には、彼女と街をブラついていた頃が、もっと、随分と昔だったような、数年ぶりに同窓会で会った恋人達のような、奇妙な感覚に襲われた。
「ミキは、元気だった?学校はもう、冬休みに入っているよね。」
「うん、でも、冬休み前に、ウチのクラスから、スグル君もリュウイチも消えちゃって、クラス中が大騒ぎになっているよ。」
それも当然だろう。今や僕も含めると、十人にを数える行方不明事件は、静かなこの地方都市を、騒然とさせる事件となっていた。しかも、同じ学校の同じクラスから、二人も巻き込まれていれば、次は自分じゃないのかと、クラスメイト達が、戦々恐々とするのも無理はなかった。
「ねえ、リュウイチ、新学期からは、ちゃんと学校に戻ってきて。これ以上、心配させないで。三年生との噂話なら、私、何とも思わないことにしたから。」
不安な表情で僕を見つめるミキの姿は、かってないほどに、愛おしく感じられた。これから、この純粋無垢な、そして、おそらく、今でも僕のことを愛し続けてくれているであろう少女を、この手にかけるのかと思うと、胸が潰れそうなほどに締めつけられ、僕は、ヴァンパイアとして生まれ変わってから、紫色の瞳から、初めて涙を流した。
「どうしたの、リュウイチ・・・。リュウイチの目、紫になってる・・・。」
ミキが、心配そうに、僕の瞳を覗き込む。これ以上会話を続ければ、僕は彼女を殺せなくなるだろう。僕はミキの両肩をつかむと、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめた。
「オレは、ミキが好きだった。ミキのことが、誰よりも好きだった。ミキと、ずっと一緒に生きてゆきたいと願っていた。そう、人間の中では。」
僕の紫の瞳が放つ魔力に、ミキのまぶたが徐々に下がり、トロンとした表情になって、僕の胸に寄りかかってきた。ヴァンパイアの、紫の瞳の輝きは、相手を催眠状態に陥れる力を持つ。故に、ヴァンパイアに血を吸われた人間は、死の直前に苦しみを感じることはない。意識が朦朧とした、心地良い陶酔に包まれ、何が起こっているのか、認識できないままに死んでゆく。
口の中で、二本の牙が、わずかに伸びるのが感じられた。僕は、彼女を強く抱きしめると、その綺麗な柔らかい首筋に、牙を当てた。
「さよなら、ミキ・・・。」
甘く切ない味だった。まだ、人間だった頃に、血を舐めてみると、ただ、しょっぱいだけだったはずだった。だが、今の僕には、芳醇なワインのような、甘美な陶酔を感じさせる味だった。僕は、味覚が変化したことを、自分が、人間ではなくなったことを、改めて自覚した。
「リュウイチ・・・。」
ミキの優しい、喜びすら感じさせるようなつぶやきが、僕の耳に、たった一度だけ鳴り響いた。僕には、彼女の表情が見えなかった。見たくはなかった。愛する人が、徐々にその命を失ってゆく姿など、誰が見たいものか。
僕は、彼女の血を飲み終えると、もう一度、力強く抱きしめた。彼女の体からは、既に、生命が失われていた。僕は、彼女の体を肩に担ぐと、道路脇の林の中まで運び、地面に横たえた。朝になり、紫外線を浴びれば、ミキの体は、灰になるだろう。衣服は灰にならずに残ってしまうので、本当は脱がしておく必要があったが、ふと、寒い思いをさせるのはかわいそうだと思い、そのままにしておいた。
僕は、冷たくなったミキの唇に、一度だけ口づけすると、振り返って立ち去ろうとした。その時、僕は、背後にレミが立っていることに、初めて気がついた。彼女は黙ったまま、哀しそうな瞳で、僕を見つめているだけだった。きっと、僕の瞳にも、愛する人を殺した数だけ、哀しみの色が宿っていくに違いない。
僕は、彼女の手をとると、ミキの死体を置いて、ゆっくりと歩き始めた。ミキは、僕が人間であったことの象徴だった。人間であった時に唯一愛した、人間の女性だった。そのミキを置き去りにして、僕は、これからレミと二人、ヴァンパイアとしての道を歩むのだ。
人間は必ず死ぬ。だからこそ、後悔のないように一生懸命に生きる。生きて、生きて、生き抜く。人間だった時、僕は、生きる理由を探し求め、夢を描いた。それは、限りある生命の中で、自分が何のために生まれ、何のために死んでいくのか、生きることの意味が知りたかったからだ。
しかし、僕は、もう死ぬことはない。ヴァンパイアになった僕は、太陽の光を浴びない限り、永遠に死を迎えることはない。そんな僕に、最早、夢など不要だった。永遠に続く時間を、ただ、愛するレミと過ごしてゆくだけだ。今までも、そしてこれからも、僕の人生は、意味を持たない、ただの現象なのだ。
そして、僕達は街を出た。行くあてなどどこにもない、人の血を求めて、永遠に流離うだけの旅路だった。そう、永遠に、闇の中を。たった二人だけで。
運命と月の光だけが、二人の歩く道を、照らし出すことができた。




