安西 敦(あんざい あつし)の場合(2/2)
◇ホラー◇サスペンス
その日の夕方、まるで各自を監視しあうように、ぼくたちは酒を飲み、食事をとった。
着の身着のままで宇喜多のボートへ乗り込み、鹿翅島へ向かう。
伊東の言ったとおり、海保の監視は厳しくなく、夜の闇にまぎれたぼくたちは、夜明け前には島に到着していた。
港近くの建設事務所にも、重機や工具は置きっぱなしになっており、ぼくたちは大きなワンボックスに乗り込み、一番最初の銀行を目指す。
途中初めてゾンビというものを見たが、ヒト型をしているのに人ではない、それだけで生理的な嫌悪感は強く、江南さんが重機でひき殺すのを見ても、何とも思わなかった。
「よし一つ目だ。ゾンビが集まってくる前に片づけんぞ」
「任しとけってんだ」
伊東を先頭にぼくと宇喜多が車を降り、江南さんが重機で3台ならんだATMをバリバリと引きはがす。
音につられて寄ってきたゾンビは主にぼくと宇喜多が鉄パイプやバールで倒し、その間に伊東と江南さんは手際よくATMの現金を抜き取っていった。
「よし! ここは引き上げだ!」
伊東の号令でワンボックスに逃げ込む。
走り出した車の中で後部座席を見ると、思った以上の札束とコインが乱雑に積み上げられていた。
「どうだ?! チョロいもんだろ!」
運転しながら、伊東は上機嫌にビールを飲む。
しかし、宇喜多とぼくは簡単にうなずくことはできなかった。
「言ってたよりゾンビが多かったぞ。あれじゃあ作業が終わるまで二人だけで守るのはキツい」
「確かにそうだね。今はまだいいとして、これから4回もあれを繰り返すのは体力的に難しいと思う」
「4回じゃねぇよ。ショッピングモールのATMもやっかんな。5~6回は覚悟しとけ」
「だから、無理だって!」
「バカ野郎! お前ら今のゾンビハントで時給2百万円だぞ! ちょっとくらいキツいのがなんだ!」
ぼくらの抗議は全く聞き入れられない。
車の中で大ゲンカしながらも、ぼくたちは銀行のATMを次々と破壊して回った。
夕暮れ時、5つの銀行を終えた時にはさすがに体力も底をつき、ショッピングモールは断固拒否する。
それでも、ジャガイモでも入れるような麻袋にパンパンになった現金を見て、伊東もうなずいた。
「しゃーねぇ、良しとすっか」
「ちっ、イマドキのわけぇもんは根性がねぇな」
ずっと重機の運転をしていた江南さんはまだ元気だったが、車外で力仕事をしていた伊東も疲労は隠せない。
船に現金を積み込んで岸を離れると、ぼくたちはやっとホッとして、気を抜くことができた。
「で? どのくらいになった?」
「こんな量の金なんか数えられっかよ! 家に着いたら山分けだ」
妙なハイテンションで、伊東たちは舳先のほうで早くも祝杯を挙げている。
ぼくは慎重にボートを運転し、船首を日本へ向けた。
……。
緊張していたはずだったが、さすがに疲労がたまっていたんだと思う。
ボートのハンドルに手をのせたまま、ぼくは居眠りしてしまっていたようだった。
エンジンは止まっていて、波の打ち付ける音が聞こえている。
にぎやかに酒を飲んでいたはずの伊東たちの声も静かになっていた。
――ずるっ……バシャッァ!
なにか大きなものが水に落ちる音で、ぼくは現実に引き戻される。
慌てて舳先側へと回り込むと、血にまみれた伊東と江南さんが、肩で息をしていた。
「なんかすごい音がしたけど?!」
「あぁ、宇喜多のヤツがさ……」
「ゾンビになっていやがってよ」
二人は手に持ったバールからどす黒い血を滴らせ、ふぅっと息を吐く。
そのまま言葉を失っているぼくに、江南さんがバールの先を向けた。
「おい安西よぉ、おめぇも感染してるんじゃねぇだろうな」
目が座っている。
伊東もバールを肩に乗せ、いつでも攻撃できる態勢をとった。
「ぼ……ぼくは噛まれてないし、けがもしてない。だ……大丈夫だ」
「はっは、そりゃあ誰だってそう言うわな」
「ぼくを殺せば、船を運転できない。漂流するよ」
「死ぬよりぁあマシだろうが」
江南さんが一歩、また一歩と詰め寄り、同じだけの距離をぼくは後ずさった。
月の光を反射して、バールが夜の海に光る。
背後で振り上げられたバールが、江南さんの側頭部にめり込んだ。
言葉もなく、江南さんだったモノは海に落ちる。
視界が開けた先に立っていたのはさっきよりも大量の血にまみれた伊東の姿だった。
「大丈夫か?」
ぺたんと尻もちをついたぼくに、伊東が手を伸ばす。
血まみれの手は怖かったけど、ぼくは彼の手を握り、立ち上がった。
「ありがとう」
「気にすんな。お前がいねぇと船動かせねぇしよ」
伊東は気安く肩を組み、「これで……一人1億はかてぇな」と笑った。
もしかして、人数を減らすところまで伊東の計画のうちだったのではないかと思いつき、ぼくは思わず彼の顔を見る。
その瞬間、肩を組んでいた伊東の手に、異常な力が込められた。
「……ヴぁあアアあああ!」
鹿翅島で散々聞いた、あの唸り声。
伊東の目はいつの間にか赤黒く変色していて、口からは泡立つよだれが垂れていた。
避ける間もなく、首筋を嚙みちぎられる。
あまりの激痛によろけ、ぼくたちは海へ落ちた。
力が抜け、暗い海へ沈む。
そして東京湾には、大量の現金を積んだボートだけが残った。
――安西 敦の場合(完)




