野鐘 来斗(のがね らいと)の場合(3/3)
◇ホラー
◇ヒューマンドラマ
◇恋愛
「おまたせ」
「うん」
腰に御神刀を携えたぼくは、桃花の手を取る。
小学校までは、ここから歩いて10分ほどの距離だ。
桜子ちゃんが一人で生き残っているとすれば、たぶん家を目指すだろう。
今ここに桜子ちゃんが居ないと言うことは、その可能性は低いだろうとぼくは思っていた。
可能性が高いのは、学校で教師と行動を共にしていることだ。
この場合、ぼくらにも合流するメリットが大きい。
そんな打算的なことを考えながら、ぼくは道すがら何体かのゾンビを打ち倒し、鹿翅小学校の校門を抜けた。
校庭に人影はなく、もちろんゾンビの姿もなく、静まり返っている。
ぼくの手を振り払い、桃花は校舎へ向かって走り始めた。
「桜子! 桜子ー! おねえちゃんよ!」
ここで大声を出すのは得策じゃない。
それは分かっていても、桃花の気持ちを考えれば止めることはできなかった。
「桜子ちゃん! 居たら返事して!」
ぼくも大声を出しながら校舎へと向かう。
下駄箱のある中央玄関に近づいたぼくたちの頭上から、子供用の椅子が降ってきたのはその時だった。
「桃花! あぶない!」
後ろから桃花にタックルをするようにして、校舎の中へと駆け込む。
背後で椅子が地面に激突して砕ける音が響いた。
「大丈夫?」
恐怖で声も出ない桃花はコクコクと何度もうなずく。
ぼくは彼女を立ち上がらせると、玄関から顔をだし、そっと上を覗いた。
窓から顔をだし、こちらを見ている男と目が合う。
「ぼくらは人間です! 妹を探しに来たんです!」
そう言ったぼくに返ってきたのは、もう一脚の椅子だった。
慌てて陰に隠れると、椅子はまた地面に激突して砕ける。
椅子に続いて、男の声も頭上から降ってきた。
「ここは俺様の王国だぁぁぁ! 出ていけぇぇぇ!」
「何を言ってるんですか?! ぼくらは5年2組の石神桜子を探しに来ただけです!」
「――おにいちゃん?!」
男の声のする教室から、桜子ちゃんの声が聞こえる。
そのあとに悲鳴が続き、ガシャンとガラスの割れる音が響いた。
少しの間があって、玄関の前にガラスの破片が雨のように降り注ぐ。
ぼくらは下駄箱の陰に身を引いた。
「桜子! そこに居るの?!」
「おねえちゃん助けて! 先生が――!」
「黙れぇぇぇ! 国王陛下と呼べと言っただろうがぁぁぁ!」
桃花の呼びかけに答える桜子ちゃんの返事は、男の声で遮られる。
その後ろから、何人かの子供たちのすすり泣きが聞こえた。
「来斗! 桜子が居る!」
「ああ、とにかく上へ行こう!」
男が顔を出していたのは3階だった。
位置は玄関の真上。
それだけわかれば場所は特定できる。
ぼくらは土足のまま階段を走り、「6年2組」と言うプレートのある教室の前で足を止めた。
外からも聞こえたすすり泣きの声がよく聞こえる。
桃花が教室の引き戸を開けようとしたが、さすがに鍵がかかっていた。
「桜子! 桜子!」
「おねえちゃん!」
扉についている小さなガラス窓から中を覗き、桃花が妹の名を呼ぶ。
ぼくも後ろの扉を開こうとしたが、こちらには机でバリケードが作られていて、もし鍵がかかっていなかったとしても中へは入れそうもなかった。
桃花のところへ戻り、一緒になってガラスから中を覗く。
教室の中には若い男性教師が一人と、高学年の女の子ばかり10人ほどが座っていた。
窓際に給食用のパンと牛乳が積み上げられている。
その周辺には、保健室から持って来たのであろう救急箱が置いてあった。
教師が桜子ちゃんの髪をつかみ立ち上がる。
その反対の手には、大きなハサミが握られていた。
「おい! 石神桜子を探しに来たと言ったなぁぁ?」
「そうよ! 私の妹よ! 返して!」
「それより何をやってるんですか! 女の子たちを解放してください!」
ガタガタと扉をゆすっていると、扉はレールを外れてバタンと倒れる。
思わず桜子ちゃんのもとへ駆け寄ろうとしたぼくらへ向かって、教師はハサミをこれ見よがしに振り上げ、桜子ちゃんの喉元へと押し付けた。
「動くなぁぁぁ!」
教師は叫び、女の子たちのすすり泣きは大きな泣き声の合唱になる。
ぼくと桃花は身動きすることも出来ず、倒れたドアの上で立ち止った。
「ここは俺様の王国だと言ったはずだぁぁ! こいつらはお妃候補なんだ、ただで返すわけにはいかんなぁぁ」
なんだこの教師、狂ってる。
でも桜子ちゃんを人質にとられている今は、こいつに合わせるしかない。
ぼくはごくりと喉を鳴らし、口を開いた。
「じゃあ……どうしたら返してくれるんですか……?」
「決まってるだろぉぉ? 代わりの者を置いていけぇぇ」
「なら……ぼくが――」
「男を妃にする訳がないだろうがぁぁ! すぐに後継ぎが産めそうな女がいるだろぉぉ?」
教師は血走った目で桃花を眺め、桜子ちゃんの頭の上によだれを垂らす。
部屋の隅にかたまっている女の子たちの悲鳴のような泣き声が、さらに音量を増した。
「わかりました。私が代りになります。桜子と女の子たちを返して」
「はぁぁ?」
「お妃なら一人いれば十分でしょう? 女の子たちを解放して」
桃花は毅然とした態度で一歩前に出る。
教師は値踏みするように桃花を眺め、ふんと鼻を鳴らした。
「見た目はいいがなぁぁ、俺様の言うことを聞かないような妃では困るんだよぉぉ」
「何でも……言うことを聞きますから」
途中でごくりとつばを飲み込み、桃花は無理やりに微笑む。
高校でも指折りの美少女で名の通っている桃花の微笑みに、教師の目はさらに充血を増した。
「どうかなぁぁ? まず服を脱いで見せろぉぉ」
思わず殴りかかろうとしたぼくを目で制して、萌香は由緒正しいセーラー服のスカートに手をかける。
腰のあたりにあるボタンを外し、ジッパーをゆっくりと下す。スッと手を離すと紺色のスカートは足元に落ちた。
教師は口角をいやらしく上げ、少し身を乗り出す。
後ろからそれを見ていたぼくも、柔らかな太ももからお尻のラインに、思わずごくりとすごい音を立てて唾を飲んでしまった。
桃花は驚いたように振り返り、今にも涙があふれそうな目でぼくを見る。
しかしすぐに教師の方へ向き直し、今度はセーラー服の裾に手をかけて、するすると持ち上げはじめた。
「おおおぉぉ、いいぞぉぉ……いいぞぉぉ……」
へそが、おなかが、そして真っ白なブラジャーが姿を現すにつれ、教師は少しずつ桃花に手を伸ばす。
桜子ちゃんの髪の毛をつかんでいた手が桃花の胸に触れそうになった瞬間、ぼくは音もなく、体重移動だけで教師の目の前へと立ちはだかった。
両手で引き絞るように相手の手首を拘束して持ち上げ、刀で袈裟切りにするように腕を振る。教師の左肩が嫌な音を立て、関節が外れたのが分かった。
勢い余ってそのまま教師ごと床に倒れたぼくは、慌てて立ち上がろうとする。
しかし、教師に体を預けられたぼくは、起き上ることが出来なかった。
視界の隅で桜子ちゃんが桃花の胸に飛び込んでいる姿が見える。
よし。やった。
そう思ったのもつかの間、ぼくに馬乗りになった教師が叫び声をあげ、右手に持ったハサミをぼくの肩に振り下ろした。
焼けるような痛み。女の子たちの悲鳴。
肩に突き刺さったハサミを引き抜いた教師は、空中でゆらゆらとハサミを構え直した。
「貴様ぁぁぁ!! 国王に狼藉を働いたらどうなるかぁぁ! 教えてやるぞぉぉぉ!」
肩の傷のあまりの痛みに、ぼくは身動きすることも出来ない。せめて今のうちにみんなが逃げてくれればいいのに。
祈りを込めて視線を彷徨わせるが、桃花と桜子ちゃんは抱き合ったまま座り込んでいたし、反対側の女の子たちは大声で泣いているだけだった。
ふと、女の子のうちの一人が立ち上がり、ゆっくりとぼくらに近づいてくるのが見えた。
「せん……せ……」
両手を広げて、愛しいものを抱きしめるかのように。
女の子は教師に覆いかぶさる。
不意を打たれた教師は女の子の抱擁を受け、ぼくの上から転がり落ちた。
「……ヴぁぁあァァあアぁぁ……」
女の子の泣き声が、いつの間にかあの唸り声に変わる。
教師は何度もハサミで女の子を刺したが、その子は気にしたそぶりも見せず、教師の喉笛を食い破った。
ただ泣いていた女の子たちが一斉に悲鳴を上げて逃げ出す。
やっと気を取り直した桃花と桜子ちゃんに支えられて、ぼくも何とかそこから逃げ出すことが出来た。
教室を後にし、階段を降りる。
背後ではあの唸り声と、肉を噛みちぎる湿った音が、いつまでも続いていた。
◇ ◇ ◇
――数日後。
本島の病院に、ぼくは入院していた。
あの後すぐ、消防署の車に助けられたぼくらは、ヘリで鹿翅島を脱出することが出来たのだ。
右肩をハサミで深くえぐられたぼくは利き腕が使えず、今は桃花にリンゴを食べさせてもらっていた。
「どう? 来斗、おいしい?」
「うん、まぁね」
「もう、私に『あ~ん』ってされるためなら何でもするって人が世の中にはたくさんいるのよ? もっとよろこびなさいよね」
「はいはい」
「――おねえちゃん。ずうずうしい女は嫌われるわよ。来斗お兄ちゃん、もう桜子に乗り換えたら?」
ベッドのわきからぴょこんと顔をだし、ツインテールを揺らした桜子ちゃんが笑う。
あんなことがあってまだ数日だと言うのに、桜子ちゃんはもう新しい生活に慣れたようだ。
今は病院に併設された『鹿翅島大規模災害復興住宅』に桃花と二人で住んでいて、島から脱出できた友人たちだけが通う臨時の小学校へと通っている。
本島の学校に転校と言う案も出ていたのだが、元の住人の反対が強く、ぼくたち鹿翅島の住人は、半ば隔離されるような形で、ひっそりと暮らしていた。
曰く『ゾンビ化には潜伏期間があるかもしれない』『ゾンビウィルスに汚染されているかもしれない』『隠しているだけで本当はゾンビかもしれない』などなど。
差別と言うのはこういうことかと、ぼくたちは思い知ることになった。
「じゃあ来斗お兄ちゃん。桜子は友達の家に遊びに行ってくるけど、寂しがらないでね」
「うん、気を付けて」
「暗くなる前に帰ってくるのよ」
「はーい! いってきまーす!」
駆け出す桜子ちゃんに「病院内は走っちゃダメよ!」と見送る桃花をぼくは微笑ましく見つめる。
小さくため息をついて振り返った桃花と目があい、彼女はにっこりとほほ笑んだ。
逆に僕の方が気まずくなり、目をそらす。
慌てて目をそらしたために肩に痛みが走り、ぼくは顔をしかめた。
「どうしたの? 大丈夫?」
心配そうに桃花がぼくを覗きこむ。
大丈夫だよと目をそらしたまま言うぼくに、彼女は顔を寄せた。
「ほんとに大丈夫? 何でも言ってね」
桃花の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
その言葉はあの恐ろしい記憶と共に、柔らかな太ももからお尻のラインを思い出させた。
「しかし惜しいことしたなぁ」
「なにが?」
「あの時、桃花のハダカ、もっとよく見ておけばよかったと思ってさ」
恐ろしい記憶を振り払おうと、わざと茶化してそんなことを言ってみる。
桃花はうっすらと笑みを浮かべて、もっと顔を寄せた。
「バカね。いつでも見せてあげるわよ。私たち、家族になるんだもん」
思わず振り向くと、そこにあったのは桃花の唇。
ぼくは何か言おうとしたけど、唇をふさがれて言葉が出ない。
そしてその柔らかな感触に、やがて何を言おうとしていたのかも忘れてしまった。
――野鐘 来斗の場合(完)




