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有限動力工房  作者: 芹沢一唯
9/11

安堵と緊張

「はあ……」

 深い溜め息と共に、アルは自室の入り口ドアに寄りかかって座り込み、未だ火照っている顔を押さえていた。ロンとシャルにからかわれるほどに、自分は緊張していたというのか……。自覚がなかったとはいえ、彼にとっては非常に恥ずかしかったに違いない。

「俺ってばそんなに心配性だったのか……?」

 少し論点がズレているような独り言。

 これが全く関わりのない王家の人間だったら、クロが執刀するわけだし、これほど心配なんてものはしないだろう。たとえ知り合いの者だったとしても、クロがいることで安心して手術を待っていられたはずだ。

町の中で彼女を助け、秘密を隠し工房で彼女を匿い、助けてきたアル。自覚のないままに、彼女の存在が彼の中で大きくなっていたことに、アルはまだ気付いていなかった。これまで十年以上も会うことなく暮らしていたのだが、紛れもない、実の妹なのだ。心配するのは本能的なものだろうか。

 しばらくそのままの姿勢でうずくまり、全身の火照りが収まるのを待って、彼は冷静を装い、工房内に戻っていった。

「お、復活したか」

「うるせえよ、ロン。放っといてくれ」

 リビングでくつろいでいたロンが、面白がって声をかけるが、ふてくされたような返事しかできなかった。まだ思い出すと耳が赤くなる。正直だ。

「皆は?」

「今ラムがシルビアを診てるわ。交代で今夜は付き添うことになりそうね。私たちも協力するけど、科学技術班の三人は今日は大変よ」

「そうか。職長は?」

「部屋で休んでると思うけど……そろそろ」

 と、シャルが言いかけたところで、クロの部屋から声が聞こえた。

「アルーっ、お腹空いたぁ」

「ふふっ、お呼びのようね」

「全く……」

 ぶつぶつ言ってはいるがいつものこと。アルは素直にクロの部屋へと向かう。途中で寄ったキッチンで、軽食と飲み物を手に、クロの部屋をノックする。

「はい職長、今食事作りますから、とりあえずこれで我慢してて下さい。……お疲れ様でした」

「うん」

 素直にトレイを受け取るクロだが、やはり疲れているのだろう、目が半分ほど閉じていて眠そうだ。

「少し休んだらどうです? 今日は疲れたでしょう」

「そうだね。手術も無事に成功したから僕も安心してるけど……今日一日はしっかり看護してあげなきゃならないからね」

 他のスタッフには見せない顔と声で、静かに言う。彼もまた、他の三人と同じように緊張していたのだ。いくら経験を積んでいても、人の命に関わることだ。何ひとつとして軽視できない。それでいて、職長という責任からそれを見せずにいる。その精神力は賞賛に値する。彼が不安を漏らすと、他のスタッフにもそれが伝わり、結果として良くないことが起こり得る。それを分かっているから、クロはアルにしか本音を漏らすことはない。

「俺も今日はずっと起きてますし、何かあったら真っ先に伝えますよ。とにかく、食べないことには何もはじまらないし。何か栄養のあるもの作りますから、それまで寝てて下さい。出来たら起こしに来ますよ」

「うん。じゃあよろしくね」

「はい」

 うとうとしながらもアルが持ってきた軽食を口に運ぶ。今後のことは、シルビアの体調が戻ってから話すつもりで、食べ終わるとベッドに横たわり、すぐに寝息をたて始めた。

 クロが眠ったのを確認して、アルは空になったトレイを手に部屋を出ると、真っ直ぐにキッチンに向かった。

休んでいるであろうレインとホクシーを起こさないように、極力音を立てずに食事作りを開始するアル。彼は戦うことと家事以外の技術を持ち合わせていない。彼らの体調管理は彼の仕事だった。

今シルビアに対して何もしてやれないことが、彼にとっては一番辛いことなのかもしれない。彼女のことを想い、工房のスタッフのことを想い、彼は自分に出来る精一杯のことをしようと新たに誓っていた。

時刻はすでに夕方。……静かに、時間が過ぎていく。


 キッチンから、食欲をそそる香ばしい匂いが工房内に広がる。

 匂いに誘われて真っ先にキッチンに顔を出したのは、鼻が利くロンだった。ラムはまだシルビアのところだ。

「いい匂いだ……」

 鼻をクンクンさせて定位置にスタンバイのロンを待たせて、アルは他のスタッフを呼びに行く。行き違いでシャルがやって来た。

  コンコン

 軽くノックするが返事がない。

「職長、入りますよ」

「……ん……。あ、いい匂い」

 アルの声より料理の匂いで目を覚ますクロ。

「食事できてますよ」

「うん!」

 ぴょんっ、とベッドから飛び降りると、ウサギが跳ねるようにうきうきとキッチンに向かう。

 続いて呼びに行ったのはレインとホクシー。彼らはまだ寝ぼけ眼だったが、匂いに誘われるようにふらふらとキッチンに向かって行った。シルビアに付き添っているラムには悪いが、先に食事を済ませると、次はレインが交代する番だった。真っ先に食べ終わったレインが、今度はラムを呼びに行く。

「ラムさん、交代っスよ。メシ食ってきて下さい」

「ありがとうー、レイン。今は眠ってるわー…。異常なしよー」

「了解!」

 シルビアの容態は良好のようだ。簡単な引き継ぎを済ませると、ラムはキッチンへと向かう。

「お、ラムお疲れ様。しっかり食って少し休んでくれ」

「ええ、そうするわ」

 自分の食事を後回しにして給仕に徹しているアルが、ラムの分の食事を手際よく用意する。ラムの表情はそれほど疲れてはいない。むしろ達成感に満ちているように見えた。そういえば、他の二人もそうだった。緊張や不安が大きかったのは間違いないだろうが、それを乗り越えた達成感に満ちた顔をしていた。クロもまた、心なしかアルにはそう見える。直接関わったわけではないアルにとってはその実感はないが、四人の心境は十分に理解できる。

「そっか……」

「え? 何すか職長?」

 小さく呟いたクロの声を、耳ざとく聞きとめたアルが問う。

「ん? いや、皆が集まったら例の話しをしようと思ったんだけど……今日は皆交代なんだもんね」

 例の話とは、アルが受け取った王宮からの手紙のことだろう。だがクロが言う通り、今日は一人ずつ交代でシルビアの看病に当たることになっている。全員そろうのは明日以降。それも皆がしっかり休養をとったあと、おそらく夜になるだろう。

「そうっすね。一応、シルビアが動けるようになるまでは……」

「うん、明日にするよ。僕も今日は起きてるつもりだから、何かあったらすぐに連絡してよね」

「もちろんっすよ。頼りは職長なんですからね。あ、でも無理はしないで下さいよ? 職長が倒れちゃ意味ないっすからね」

「もう、分かってるよ。おかわり」

「あ、はい」

 つい先ほど間食をしたはずなのに、クロの食欲は旺盛だった。ここだけを見ていると、クロが本当の子供のように思えてしまう。しかも、見た目かなり可愛い子供だ。

「シルビアの様子はどう? ラム」

「ええー、今眠っていますよー…。シンクロ率も高いのでー…、特にこれといった異常は見られていませんねー…」

「そう、良かった。この分なら拒絶反応もなくて大丈夫そうだね。今夜一晩、皆よろしく」

『はい』

 職長らしいクロの言葉に、スタッフ全員が声をそろえる。

 やがて、落ち着いた雰囲気のまま、遅い夕食は終了。皆それぞれの部屋へ戻って行った。工房内に部屋のないロンとシャルはリビングだ。キッチンに残ったのはアルとクロ。アルはこれから自分の食事に取り掛かろうとしていた。

「あれ職長、部屋に戻らないんすか?」

「うん、ちょっとアルに話があってね」

「何すか?」

「本当は皆そろってからの方がいいんだけど、今はいない方が都合がいいかな。王宮からの手紙の話」

「ああ、あれですか……何のつもりでしょうね?」

 まるで他人事のように、パンをかじりながらアル。

「もしかして……僕の思い過ごしならいいんだけど……君に王家に戻るように言ってくるかもしれないよ」

「はぁ? 何で?」

 クロは自分の頭に浮かんでいた考えをそのままアルに話す。アルは間の抜けた顔で、パンをくわえながらクロの顔をまじまじと見つめ返す。彼にとっては思いもよらないことだった。

「君の事を王家の名前で書いていたでしょ? シルビアと一緒に王宮に行った時に何かあったのかもしれないと思ってね。本来なら君が王の座を継ぐはずだったんだから、今更だけど考えを変えたのかもしれないし。それは王の意思じゃないかもしれないけど」

「王の意思じゃないってのは?」

「手紙を書いた張本人さ。王様の秘書みたいなもんだろうね。側近だって書いてあったし。あいつなら何度か見かけたことがあるけど、何を考えているのか、良く分からない奴だから。……最悪、王家の乗っ取りでも考えてるんじゃないかと思うんだ」

 シルビアは、封筒の文字が何者かに『書かされている』と言った。そして中の文章は別人、その側近が書いたものだった。何らかの方法で王を操り、その側近の思うように事を進めようと考えているであろうことは、何となくではあるが予想できる。

「もし君が王家に戻るように言われたら……」

 少しトーンを落とし、心配そうにアルを見る。

「大丈夫ですよ、職長。俺は王宮なんかに戻る気はサラサラないし、俺の居場所はここだと思ってますからね」

 急に落ち込んでしまった様子のクロを励ますように、きっぱりと言い切るアル。それを聞いて、ほっとした表情を見せるクロ。

「そうだね。信頼しているからね。もし王宮で何かあったら、ちゃんとシルビアを守るんだよ、アル」

「任しといて下さい!」

「うん。じゃあ僕は部屋に戻るよ」

「はい、何かあったら部屋にいますんで、呼んで下さい」

「うん」

 アルの笑顔に安堵したのか、クロは心配事が一つなくなり、穏やかな表情で部屋に戻っていった。

 もし仮に、今の話が本当のことになったとしても、元々アルにはこの工房で暮らす以外のことは考えていない。以前王宮に乗り込んだときに、王にもきっぱりとそう言っている。  

王宮に戻り、アルの王位継承権を復活させようとしているのなら、それは明らかに王ではないだろう。王位継承権がアルに移ったら、シルビアの立場はどうなる? 決意を固めて翼を移植したのに、それではあまりに酷な話ではないか。血統をみるなら、アルは正当王位継承者だったのだが、王家と縁を切ったアルには、王家に戻るなどという考えは微塵も浮かんではいなかった。

「職長ってば……俺が王宮に戻りたいとか思ってるって考えてるのかな……」

 先ほどの不安げなクロの顔を思い出し、ぼそりと独り言。考え事をしながらも、自分の食事をしっかりと平らげた。

キッチンを綺麗に片付けると、アルは自室へと戻った。途中立ち寄ったリビングでは、ロンとシャルが静かに寝息を立てている。そっと毛布を掛け、ちらりとシルビアの様子を見に部屋へ入ろうとすると、タイミング良くレインが出てきた。

「どうした?」

 別段焦った風もないレインに小声で問いかける。

「ああアルさん、丁度良かった。シルビアさんが目を覚ましたんスよ。で、アルさんに話がしたいって」

「俺に?」

 不思議に思うアルを促し、レインはそのまま席を外す。代わりにアルが入る。

「シルビア? どうしたんだ?」

「夜中にごめんなさい……目が覚めちゃって……急にアルさんにお話したいことがあって」

 ベッドの上でゆっくりと姿勢を変えながら、アルを見上げるようにするシルビア。アルがベッドの傍に置いてある椅子に腰掛けるまで、シルビアはアルのことをずっと見ていたようだ。

「何か心配事か?」

「ええちょっと……気になることが……」

 心なしか表情が険しい。動いたことで傷口が痛むのだろうか。

「急ぎじゃないなら無理しない方がいいぞ?」

「いえ、大丈夫です。それより、あの王宮からの手紙……私、心当たりがあるんです」

「何だって?」

 ずっと気になっていたのだろうか。思いつめた表情で話す。

「以前からいたあの父上の側近……良くない噂があったんです。ギーナス博士以上にとんでもない野心家だとか……それで、父上のあの文字、その側近に書かせられたんじゃないかと思って……」

「え……」

 もしかすると、クロの言っていることは本当なのかも知れない。正当な王位継承者である娘のシルビアが王宮不在の今、これをチャンスと行動を開始したのではないか、シルビアはそう考えていた。

「もしそうなら……父上の命が危ないと思うんです。私が動けるようになったら、すぐにでも王宮に戻りたいのですが……そのときは必ずついてきて下さいね」

「ああ、大丈夫だ。ご親切にも工房の連中は全員招待されてるからな。明日にでもシャルが王宮に一報入れるだろうし、なるたけ早いうちに王宮へは行くさ。だから今は、自分の身体だけ心配してな。焦ったってだめだ。俺たちが必ず何とかするから、な」

 言ってぽんぽんと彼女の頭を優しく撫でる。話したことでほっとしたのか、シルビアは満足気に、再び眠りに入ったようだ。それを確認して、アルは部屋を出る。

「あ、アルさん、どうでした?」

「ん? 何でもないよ。今また寝ちまったから、レイン、次の交代までもう少し頑張ってくれよ」

「了解っス」

 アルが出て行くのと入れ替わって、今度はレインが中に入る。そのままアルは自室へと戻って行った。

「さすが職長……的を射てるっすね……」

 ここにはいないクロに賞賛の言葉を投げかけ、アルは剣の手入れなどして時間を潰した。


 翌日。交代でシルビアの看病に付き添っていた者は、夜間の疲れが出たのか、なかなか起き出してはこなかったが、恒例のアルの食事の匂いにつられて、ふらふらしながらもキッチンにそろった。

「シルビアは?」

 最後に付き添っていたシャルに問う。

「今はもう起きてらっしゃいますよ。まだ起き上がったり歩いたりは無理かもしれませんけど」

 と、昨日は何事もなかったような口ぶりだ。実際に、大きな異変もなく一夜を明かしたらしい。

「んじゃ後で何か持ってくわ。皆は先に食べててくれよ」

 言うとアルは、シルビア専用、消化が良くて尚且つ栄養のあるものを考えながら作り始めた。スタッフは相変わらずぼーっとしたままでいたが、食事の香りに目が覚めたのか、次々と料理を平らげていった。

「シルビアの食事が済んだら、一度診察だね。その後はゆっくりと動いてみて、本人に調子を確かめてみるよ。何事もなければ、本当の意味で手術成功ってことになるかな」

 熱いスープを飲んですっきりしたのか、クロが言う。彼もまたほとんど眠らずに一夜を過ごしていたのだが、普段から徹夜や夜更かしは彼の得意分野だったりする。

「翼って重いんスかね?」

 突然、レインが聞いてくる。

 これまでこの工房に手術を受けに来たものは何人もいたが、移植したものが『重い』と感じる者はいない。人間にはないものをつけるとどうなるのか、興味津々らしい。

「それは本人に直接聞けばいいだろう」

 身も蓋もなくホクシーが答える。やはり、レインが口の中に物を入れたままで話すのが気に入らないらしい。

「そりゃそうっスけど……ねえ職長?」

「そうだね、最初は重いって感じるかもね。でもその内身体の一部になって自由に動かせるようになるから、あまり気にならないんじゃないかな」

「へえ、そうなんスか?」

 やはり食べながら答えるレイン。

元来の人間にはないもの、例えば尻尾もそうだが、それは身体のバランスを保つために必要なものだから、自然と馴染むものだ。だが翼の場合はどうなるのか、レインだけではなく、他の者も気になるところだろう。

 そんな話をしているうちに、シルビアの食事も出来上がり、アルはそれを持ってシルビアの部屋へと向かってキッチンを出て行った。

「甲斐甲斐しいな……」

 無言のまま食事を摂っていたロンが呟く。それを耳ざとく聞いたシャルとラムが同時に噴き出した。

「汚いなお前たち……」

 突っ込んだホクシーは、すでに食事も終わり、食後のコーヒーに手をつけたところだ。

「だって……ねえ」

 昨日のことを知っているシャルが、ロンに相槌を求める。二人して笑っているところを不思議そうに眺める他のスタッフだったが、何となく分かっていたようだ。


  コンコン……

 控えめにシルビアの部屋のドアをノックする。

「はい、どうぞ」

 すぐに答えが返ってきた。アルは静かにドアを開けると、出来立ての食事をシルビアのテーブルに置く。

「朝飯持って来たけど、食えるか?」

 少し遠慮がちに、彼女の体調を気遣いながら言う。シルビアはすでに目を覚まし、ベッドの上に座っていた。

「ええ、頂きますわ。丸一日眠っていたようなものですから、あまり食べられないかもしれませんけど……」

「いいよ、無理しねーで食べられる範囲でいいからさ」

「ありがとうございます、アルさん」

 彼女が言うとアルは、テーブルを近くまで運び、食べやすいようにセッティングし直す。シルビアも体勢を整え、ゆっくりと食事に手をつけ始めた。

「まあ、手術後だし、少し食べやすい方がいいかと思って柔らかめにしておいたんだけど、口に合うかな?」

「大丈夫。美味しいですよ」

「そっか。……ところで、傷の具合はどうだ?」

 昨日までなかった彼女の背の、少し古ぼけた白い翼。どうやら眠っている間も、気にはならなかったようだが、一応聞いてみる。

「今朝起きて、初めて見たのですけど……これと言って違和感もないし、痛みもないですよ」

 にっこりと微笑みながら答えるシルビア。背に翼を負ったシルビアは、以前よりも王族としての貫禄が増し、終始穏やかな顔をしていた。

「職長の話だと、最初は重みとか違和感があるって聞いたんだけどな。今のところは大丈夫そうだな」

 彼女の表情を見て、心底安堵したような顔を見せるアル。アル本人は無意識のようだったが、シルビアは少し照れくさそうにしていた。

「多少の重さは感じますけどね。そのうち慣れてくるのでしょう? もともとシンクロ率というのも高かったですし。今日からは少し歩けそうですよ」

「手術後のリハビリってのも大変だな。でも焦らないでじっくり療養していけばいいってさ。時間が経てば今よりもっと馴染むだろうし」

「ええ、そうさせてもらいますね」

「それじゃ、食事が終わったら呼んでくれよ。あと、何か用があったらいつでも呼んで」

「ありがとう、アルさん」

 言うと、食事の邪魔をしないように、アルは部屋を出て行った。アルの表情も、昨日とはうって変わって穏やかだ。元気な様子のシルビアを見て、ようやく本当に安心したようだ。

 その後のシルビアの回復は順調だった。彼女の努力もあって、その日には通常通りに歩けるようになったし、翼の重みも気にならないと言う。ただ、今までなかったものが背中にあることに、まだ実感がないらしい。馴染んでくれば、彼女の年齢に合うように、古ぼけた翼も若々しさを取り戻すらしいが、それはまだもう少し先になりそうだった。そうなれば、大空を自由に飛び回ることができるのだろう。

 手術後の検査もいくつか行なわれたが、全てがクリア。さすがは純粋な王族だ。


 手術から三日ほど経過した頃、職長であるクロから、スタッフ全員とシルビアに招集がかかった。他でもない、王宮への招待状の件だ。

 クロは以前アルにだけ話したことを全て話した。彼を王宮へ戻らせることが目的ではないかということ。そしてシルビアも、その側近によって王が命を狙われているのではないかと懸念していることも。驚く者もあったが、やはり、と納得している者もある。

「手術成功の話は王宮には伝えてあるけど、皆行くよね? 近いうちに王宮から正式な招待状が届くはずなんだ」

「もちろん行くっスよ、俺は」

 真っ先に返事を出したのはレインだ。派手好きのレインは、パーティーというものが大好きらしい。

「僕も、何の陰謀か、事実をはっきりと知りたいしな」

と、これはホクシー。

「シルビア、あんまり心配すんなよ? 俺たちは全員参加するし、王宮で何があっても、俺たちが落ち着くまでいるからさ」

 王の側近の話を聞いている内に表情が暗くなっていくシルビアを気遣い、アル。

「そうだよ、もし何かあったとしても、僕たちが必ず、何とかするからね」

「……ええ。でも……お父さまのことが気がかりで」

 母親である王妃を亡くしてからというもの、彼女が王宮で一番頼りにしていたのは父親である王だ。その父親が何らかの理由で手紙も書けないようになっているらしい。それが一番の心配の種なのだ。ほんの数日前、彼らが直接会うまでは元気な姿を見せていたのに、今では文字も書けないとあっては、心配するのも当然だ。

「シルビア、僕は研究者だけど、医術の資格も持っているからね。もし何かあったとしても、僕が王家お抱えの医療担当者を押し退けてでも、責任持って治療に当たるよ。君には酷かもしれないけど、何があるのかはっきりするまではできるだけ毅然とした、王女らしくいてね」

「……ええ。信頼していますもの、職長さん。……大丈夫ですよね……」

「心配するなって。いざとなったら俺も助太刀するし」

 いつも手放さない大剣を手に、物騒なことを言うアル。

「もうー…、いっつも喧嘩っ早いんですから……、アルさんはー…」

 呆れたように、ラム。同時にロンとシャルも相槌を打っている。

「え? でもさ、その側近ていうのが悪者だったら、多少はシバいていいんだろ?」

「……手加減はしてね」

「……はい」

 クロに釘を刺されて、少々意気を殺がれたアルだったが、シルビアを守りたい、その思いは、自覚はなくてもあったようだ。

「あんまり先入観を持っても仕方ないし、判断を誤っても困るからね。僕たちはこのまま王宮からの返答を待つことにしようか」

「そうっすね」

 全員が心なしか緊張した面持ちのまま、ミーティングは終了。各自の仕事に戻っていった。

 しばらく時間が過ぎた頃、工房のドアをノックする音が聞こえた。受付のシャルが対応する。ドアを開けると、正装した王宮の遣いが直接、人数分の招待状を持ってやってきた。パーティーの時刻は明日午後六時。皆緊張してそれを受け取ったが、一人レインだけはうきうきした顔だ。

「さて、明日が勝負かな」

 挑戦的に、クロ。これからが正念場になるだろうことは、誰もが思っていたようだ。全員が、いやレインを除いては、緊張した面持ちで頷いた。

「父上はあの通り、わりと気さくなところがあるのですけれど……その側近というのが、良くない噂が多くあるんです。謁見の間の近くには多くの近衛兵がいます。少しくらいの暴言は聞き流してくださいね」

 良くない噂……要するに、『野心家』なのだろう。それを知っていて傍に置いておくくらいだから、王もかなり心が広い、というか器が大きいというべきなのだろうか。しかし、もし自分が殺されそうになっているのなら、それは心が広いという問題ではないのかもしれない。

「特にアル、君だね。一番血気盛んなんだから、我慢することも大事だからね」

 再度クロに念を押され、出かかった言葉を何とか飲み込むアル。

「何事もなければいいがな……」

 静かに言ったのはホクシーだ。その呟きは全員が聞いていて、そろって首を縦に振る。

「さ、今日はもう寝ようぜ? 明日に備えて」

「アル、ちゃんと正装用の服、用意した? 王室主宰のパーティーなんだから、ちゃんとした格好していかなきゃダメだよ?」

「あ、そうか……俺ドレスローブとかって持ってたかな……」

 肌身離さず持っている彼の大剣は、彼の命の次に大事なものだ。正装することなど滅多にないアルだが、さらに正装してそれを背に負うことはまずない。しかし、今回ばかりはそうも言っていられないだろう。

 彼が持っている大剣、実は見えづらいところに王家の紋章が入っていたりする。普段は決して見せないようにしているが、今回はそれが必要になってくることもあるかもしれない。正装した上に背中には大剣。かなりアンバランスだが、彼の場合は仕方がない。

 明日のことを考え、服をどこに仕舞ったかなどぶつぶつ呟きながら、アルも自室に戻る。

 続いて、そこにいた他のメンバーも研究室に戻って行った。シルビアだけは、緊張と不安の入り混じった複雑な表情をし、なかなかリビングから離れようとしなかった。


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