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有限動力工房  作者: 芹沢一唯
8/11

移植と招待

「それではー…シルビアさーん…、検査をさせてもらいますねー…」

「はい、お願いします。ラムさん」

「楽にしていてくださいねー…」

 翌日。スタッフが全員そろったところで、早速ラムによるシルビアの適合性の検査が始められた。技術のレインとホクシーもそれを手伝う。クロとアルは別室で仕事中だ。

 職人が処置に入っている間も、診察を待つ患者はやってくる。だが今日は特別なのだ。クロが診察することになっているが、急を要する患者に限定される。職人たちが手を離せない案件に関わっている以上、職長もまた、その責任を負うことになる。急患の処置が終わったら、クロも翼の移植に専念することにしていた。

「ちょーっと……チクッとしますよー」

「はい」

 血液検査をはじめとする様々な検査が、このラムの研究室一つで出来る。身体的な異常はないか、どこかに隠れた病巣がないか。そして翼の移植位置までを細かく計算し、シミュレーションを交えて計算していく。王宮からのデータもあり、検査はそれ程時間もかからずに終了した。

「はーい…、検査はこれで終わりですー…。お疲れ様—。あとはー…こちらで準備していく時間が必要なのとー…、翼が届くまで、ゆっくりしていて下さーい……」

「ありがとうございます。宜しくお願いしますね」

 シルビアはそのままラムの研究室を出て、真っ直ぐに工房の診察室へと向かう。診察中のその様子を見て、シルビアはそのまま彼の診察を見学するように待つことにしたらしい。

 一方でラムたちは、先ほどのシルビアの検体の精密検査、手順や技術の再確認など、移植に向けて余念がない。

「背部の、ここの筋肉と神経を連動させるように移植するんだな?」

「ええ……適合率は九十九パーセント以上—…。さすがに優秀だわー…」

「適合率高くても、やっぱり『賢者の水』は必要だね。神経と筋肉の接合に少し時間かかりそうだし」

「そうだな、今回は特に、王女様だ。慎重には慎重をな」

 科学者・技術者の三人は、シルビアのデータとシミュレーションを見ながら、細かな打ち合わせに入っていた。難しそうな話をしていても、三人の顔には喜びの色が隠せない。三人とも、根っからの科学・技術者なのだ。

しかも、普段なら決して行うことのない、王家の翼の移植。翼を持った王族ならば、王宮の研究室に行ったときにちらりと目に入ったのだが、それを自分達の手でできるこの喜びは、本人たちにしか分からないのかも知れない。自然と、口元が緩んでいく。三人は試行錯誤を繰り返すように、時間を忘れて準備に取り掛かっていた。

  コンコン……

「はーい」

 遠慮がちなノックの音にラムが応えてドアを開ける。

「忙しいとこ悪いな。これから買い出しとか行って来るけど、何か必要なものあるか?」

「えーっと……いえー、今のところはー…」

「夜は遅くなりそうか?」

「そうですねー…、かなりデータはそろってますけど……、慎重には慎重を重ねてー…、何度も検討していくことになりますから……」

 ちらりと後ろのレインとホクシーを見て、ラムが答える。

「そっか。それじゃ夜食も必要だな」

「ええー? いいんですかー?」

「いいっていいって。それじゃ、職長とシルビア連れてぶらぶらしてくるから、何かあったら連絡してくれよ?」

「はーい」

「それじゃ、行って来ます」

「行ってらっしゃーい」

 研究の邪魔にならないように、静かにドアを閉める。が、ラム以外の二人は、集中しているのかアルの訪問にも気付かなかったようだ。


「今日もいいお天気ですね」

 のどかな下町をゆっくりとした足取りで歩きながら、シルビア。

「こんな時に空飛べたら最高だろうな」

「アルもやってみる? 翼の移植。ペンギンの」

「ペンギンって飛べないじゃないっすか! しかも俺のシンクロ率知っててそれを言わないで下さいよ……」

「あはは、ごめんごめん。飛べたら、なんて言うからさ」

「だってシルビアって、翼移植したら飛べるようになるんでしょ? 王族だけだからなぁ、翼の移植許されてるの」

 後ろ頭に手を組んで、がっかりした様子のアル。

「今度私の翼で一緒に飛びましょうか?」

「マジでっ? やった!」

 子供のように無邪気にはしゃぐアルを、穏やかな目で見守るクロと、くすくすと楽しそうに笑う、シルビア。

ギーナスが改心してからというもの、無謀な人攫いに襲われる心配もなく、のどかな時間が流れていた。

「買い出しは最後にしてさ、覗いてみたい店とかあったら入っていいぞ、シルビア」

「本当ですか? 嬉しい!」

 今度はシルビアが子供のようにはしゃぐ番だった。彼女を先頭に、クロ、そしてアルが続く。

 小さくて可愛らしいものを集めた雑貨屋。下町の住人御用達の洋服屋。ちょっと高級感のあるジュエリーショップ、下町ならではのファーストフード店。

 シルビアにとっては見るもの全てが珍しく、ほとんど全ての店を回った。

「ねえ、ちょっと休憩にしようよ」

「そうっすね、丁度カフェもあるし」

 見た目は一番若いのに、一番体力のないクロが真っ先にダウンした。女の子の買い物に付き合うのには体力が必要条件らしい。

 ちょうど通りがかったオープンカフェで、他愛のない話をしながら喉を潤す三人。時刻も昼を回っていたので、そこで簡単な昼食タイムとなった。

「ラムさんたち、今頃は何か召し上がっているのでしょうか……?」

「さあ、食べてないと思うよ。研究モードに入っちゃったら時間忘れる人たちだからね」

「それじゃ、何かテイクアウトして行こうか?」

「そうですね」

 自分達の分の他に、工房にいるスタッフの分の昼食を買い込む。これが届くのはもう少し後になるのだが、研究に真剣になっている彼らのこと、あまり気にはしないだろう。

 自分達の分を腹に収め、軽い満腹感を覚えたところで、彼らは再び歩き出した。今度は日用品や食料品を扱っている商店街だ。夕食の材料を買い出しに来た人々で、通りはかなり賑わっていた。

「ちょっと職長、離れないで下さいよ?」

「もう、分かってるよ!」

 人ごみを掻き分けるアルの背中から声がする。その背中をしっかりと掴んでいるような感触は、クロが傍に居ることの証だ。シルビアは何とかアルが開けた道を歩いていたが、小さなクロは人ごみに紛れそうになるのだ。

「さって」

 軽く腕をまくるようにして、アル。

「今日は何にします? 職長? シルビアは何が食べたい?」

「僕はね……いつものヤツ」

「ええぇ……そればっかりじゃないっすか。他には?」

「だぁってあれ、美味しいんだもん」

「ははっ、了解っす。シルビアは?」

「私も……下町の料理はあまり食したことがないので、アルさんが作って下さるものでしたらなんでも」

 と、にこやかに答える。が、この曖昧な返答。実は作る方にとっては非常にプレッシャーのかかる答えなのだ。アルは少し考え込んだが、しばらくして、結局は自分の得意料理を作ることにしたらしい。

 必要な分の材料を次々に買い込んでいく。当然、値切ることは忘れない。商店街を通り抜けると、アルの荷物はかなり巨大な物になっていた。が、アルはそれを軽々と抱え、陽が傾く頃、三人は工房への道を辿っていた。


「あああっ! 職長っ! アル! シルビア! お帰りぃい!」

 妙に間延びした声で歓迎された三人は、そのあまりの勢いにしばしその場に硬直した。叫んだのは受付にいたシャルだ。

「ど、どうしたんだよ? シャル」

「そそそれが……ちょっと、これ見て」

 と、震えるその手でアルに手渡したのは、一通の手紙。これがどうかしたのだろうか。

「あ、宛名と、差出人……ちゃんと見て……!」

 驚きすぎて息も絶え絶えになりながらも、一番伝えたいことを伝えきったようだ。アルは言われたとおり、封筒の表と裏を交互に見る。そして声にして読んだ。

「……アルヴィンス・ヴァン・ラスティンヴァース殿。差出人……シルベスター・ヴァン・ラスティンヴァース……シルベスター? って国王じゃねーかっ! 何でっ? 何で俺? しかも王家の名前で?」

 封筒を何度もひっくり返しながら、アルの裏返った声が響き渡った。王家の者、特に王から直接の手紙などというものは、彼が追放されてからこのかた一度だって来たことがない。それが今になってなぜ突然届けられたのだろうか。それを知る術を持った者は、今ここにはいなかった。

「ねえアル」

 混乱しまくっているアルに、冷酷ともいうべき冷めた口調で、クロが後ろから声をかける。

「な、何すか? 職長」

「大きな荷物抱えたままで、入り口塞がないでよ。僕たちが入れないじゃない」

「…………………………これは失礼」

 物凄く腑に落ちない顔で、大きな荷物を隅に寄せ、自分も道を開けてクロとシルビアを通す。

「で? 何騒いでるの? 僕たちアルのせいで何にも見えなかったんだよね。声だけは聞こえてたけど」

 改めて、クロが問う。ああそうか、と、アルが改めて自分が手にしている物をクロに渡す。クロもまた、大きな瞳をさらに丸くしてその宛名と差出人を見比べた。アルのように大声は出さなかったが。クロはすぐに落ち着いた様子で、それをさらにシルビアに手渡す。

「これは……」

「シルビア、王の筆跡は覚えているかい?」

「え、ええ。もちろんです。だけどこれは……」

 と言葉を濁す。王のものではないというのだろうか。

「ん? どういうこった?」

 何とか落ち着きを取り戻したアルが、シルビアに問う。

「確かに、封筒に書かれてある文字は父上のものですけど……こんなに力ない字を書く方ではありませんわ。それに、何だか苦しそう……」

「筆跡を見ただけで分かるのか?」

「ええ、文字はその人の状態を映し出す鏡のようなものですもの。はっきり申し上げて、これは私の父上が直接、自分の意志で書いたのではなく、書かされているような感じがしますわ」

 封筒の宛名と差出人の筆跡だけを見て、王が何者かに『書かされている』と言うシルビア。だが彼女の表情は真剣そのもの。まがりなりにも彼女は王の娘。父親の筆跡くらいは覚えていて当然だろうが、そこまで言い切れるものなのだろうか。

「とにかく、中見てみようよ」

 クロが促す。アルは封筒を受け取ると、丁寧に封を切って、中身を取り出す。

『拝啓

 突然の手紙で失礼いたします。私、王の側近を勤めております者です。王の代理で手紙を書かせていただきました。

 さて、この度はシルビア王女の翼移植の件、お引き受けくださりまことに有り難う存じます。

 無事にシルビア王女の翼の移植が成功したあかつきには、我が王宮にて盛大なパーティーを御用意させて頂く所存にございます。そこで、後日改まって、使いを出すことにいたしたいのですが、工房の皆様、どうぞ奮ってご出席いただきますよう、お願い申し上げます』

「…………だって」

「何か……気に食わねえな。今までラスティンヴァースの名前で呼ばれてこなかったのに、今になって急にってことは……何かあるな」

「嫌な予感がしますわね。宛名だけは父上の筆跡ですが、中の文章は確かにあの側近のものですわ……中身をすり替えたのでしょうか……」

「じゃあ王様は、他の用事で俺に手紙を書こうとしてたってことか……?」

「ま、でも、行けば分かるんじゃない?」

 と、レイン並みに拍子抜けした言葉を発したのは、クロだった。

「手紙にはシルビアの翼を移植したあとってことだから、もう少し先のことになりそうだよね。それを先に進めないと」

 そんなことを話し込んでいると、ラム・レイン・ホクシーの三人が、時間を持て余してしまったらしく、騒ぎが起こっている玄関先まで出てきた。一通りの仕事は一段落した様子だった。

「お帰りなさーい……、何の騒ぎですかー…?」

 ラムが問う。他の二人も、似たような表情だった。

「ええ、今アルさん宛てに王宮から手紙が届きまして」

「王宮からっスか?」

「うん、それよりもまず、そっちの準備が一通りできたんなら、休憩にしようか」

 あっさりと手紙の件を受け流して言ったのは、クロだ。

「そうですね、俺も腹減ってきたし」

 とりあえず、王宮からの招待の件は一度保留だ。アルは、隅っこに避けておいた荷物を改めて抱え直すと、そのままキッチンに向かった。手伝いには誰も行かない。……アルのベテラン主婦並みの手際についていけないのもあるが、皆料理の腕に自信がないのだ。


「へえ……それは何かありそうっスね、俺たちも行っていいんスよね? 職長」

「レイン、食べるか喋るかどっちかにしろよ」

 行儀悪く、口に物を入れたままで器用に話すレインをホクシーが注意する。食事マナーに関して口うるさく言うのは、工房内ではホクシーだけだ。言われたとおり、レインは口を閉ざして必死に詰め込んであるものを飲み込んだ。

「レインはいつも懲りないね。ホクシーに怒られるのも慣れちゃったんじゃないの?」

 と、今度はクロがからかうように言う。少々ムッとしたような顔をしたが、そこは能天気で陽気なレインのこと、すぐに立ち直って食事を再開。今度はきちんと飲み込んでから、最初に言ったことを繰り返した。

「ね、職長、俺たちもそのパーティーに行けるんでしょ?」

「うん、ちゃんと招待されてるからね。皆で行こう。シルビアのお見送りも兼ねてね」

 今度はシルビアに話題を振る。『お見送り』という言葉が出ると、心なしかメンバーの表情に陰りができる。そんなメンバーの顔を見てか、シルビアの返答も歯切れが悪かった。

「そうですね、恐らく四•五日もすれば翼は到着すると思いますし……。でもそうなると、少し寂しい気がします……」

「大丈夫だよ、シルビア。君の翼のメンテナンスは王室の研究室には譲らないから。だからいつでもここに来ていいし、僕たちも何かあったら駆けつけるからね」

 子供を安心させるような優しい口調で、クロがシルビアを励ます。シルビアだけでなく、メンバーもそれで少し励まされたようだ。

 口には出さないが、近く迫った自分の翼移植手術が不安でないわけがない。まして、ついこの前まで、自分の身体にはメスを入れたくないと王宮から逃げ出してきているのだから。

「ええ、ありがとう職長さん。大丈夫ですよ、私は。それより気になるのは、今日アルさんに届いた王宮からの招待状の件ですわ」

「そうですよー…、それ聞きたかったんですよー、私もー…」

 椅子の後ろで尻尾をパタパタさせて、ラムが会話に混じる。無言だったが、ホクシーもどうやら興味津々のようだ。眼鏡の奥から目線が訴えている。

「パーティーのお誘いにしちゃ、妙なんだよな」

 早くも食事を終え、自分の皿だけ片付けたアルが、珍しくデザートを皆に振舞いながら言う。

「妙って?」

 ホクシーが短く問う。

「封筒に書かれてた文字と、手紙そのものの文字だよ。シルビアが言うには、王様の文字は誰かに書かされていたって言うんだよな。中身は別の奴が書いたのとすり替えられてたみたいだし。な? シルビア」

「ええ。宛名や差出人の父上の文字には変わりありませんでしたけど……嫌な予感がするんです……単にアルさんに何かを伝えようとして書いたものかもしれないのですが……」

「書かされていたってことは、誰かが王様を脅すとか操るとか、そういう意味で?」

 今度はホクシー。

「恐らく、そういうことでしょう……そうでなければ、それに近い状態……少なくとも、自分の意志で書いたものではないと思います」

 シルビアはきっぱりと言い切った。自分の父親だ。そのくらいのことは、離れていても信じていられる。

「そうだよな……あの王様が俺のことラスティンヴァースなんて呼ぶわけねーもん。側近って奴がまず一番に怪しまれるの分かってて、手紙よこしたんだろうな、きっと。……挑戦状みたいだな」」

 半ば独り言のように、だが挑戦的に呟くアル。先日王と直接話をして得た王の印象を、この手紙の一件は裏切っている。間違いなく、何かの策略が張り巡らされているのが見え見えだ。

「僕は王宮って所が嫌いじゃないけどね。人間関係もいろいろごちゃごちゃしててさ。それを正面切って暴きに行けるんだから、楽しみだね」

 悪戯好きな子供のように、クロがちょっとだけ黒いことを言う。……年のせいだろうか、全てのことの成り行きを傍観できる冷静さを持っている。

何が起ころうとも、この可愛らしい賢者について行けば、自分の道を踏み外すことはないだろう。そう思わせるほどの貫禄だ。

「アルのことを王家の名で呼ぶなんてことは今までなかったからな。俺は御家騒動に巻き込まれる気はないんだが……」

 ぼそりと呟くホクシー。

「えー? でもパーティーやるんでしょ? それだけでも参加したら?」

 と、能天気なレイン。

「私はーどっちでもいいですけどねー…。今度また研究室に入れるようにー…職長だけじゃなくてー…私にも許可証くれないかしらー」

 ラムは、他人事のように思っているらしい。探究心旺盛で、興味のないことには一切手を出さない。今から自分の将来について考えを巡らせているような言い草だ。

「もう、少しは真面目に考えてよね、皆。シルビアの手術も近いし、シルビアが王宮に戻っても僕たちはずっとメンテナンスしてくチームなんだから」

『はい、職長!』

 全員がそろった。仕事に関しては誇りを持って取り組む。これがこの工房の在り方だ。そして、職長の言うことは常に正しいし、信頼に足るもの。それについて行ける者だけが、この工房には集められているのだ。

「皆さん、これからのこと、よろしくお願いします」

 改まって、シルビア。もちろんこの後に続いた彼らの返事もまた、完璧にそろっていた。


 数日後。工房に大きな荷物が運び込まれた。シルビアに移植される予定の翼が入った大きな箱。

かなり大きく、片方だけでも広げると二メートル近くありそうだ。だが、

「何か……活きが悪いっつったらアレだけど……古いっスね」

 正直な感想を述べたのはレインだ。確かに、彼の言う通り、運ばれてきた翼、保存状態はいいはずなのだが、かなり古ぼけて見えた。

「あらー? レイン知らなかったのー…? 王家の翼はねー、代々引き継がれていくものなのよー…」

 ごく簡単に説明してくれたラムは、早速翼の状態をチェックしている。

「これは私の曾お婆様の翼です。研究室に備わっている保管庫で、曾お婆様が亡くなられてからずっと保管されていたものですわ」

「へえ、ちゃんと新しいのを移植するもんだとばっかり思ってたよ。代々の王家の血をここでも引き継ぐってわけっスね」

「そうです」

 翼を愛しそうに見つめ、静かな決意を持ってシルビアが答える。翼を移植し王宮に戻れば、王女としての使命を一生背負い、生きていかねばならない。一国を支える、国民を守るという大きな使命が彼女を待ち受けているのだ。

「皆さん。改めて……よろしくお願いします」

 改まった態度で、深々と頭を下げるシルビア。翼の状態のチェックが終わり次第、いよいよ移植手術が始まる。工房のスタッフたちも、にわかに緊張感に包まれていた。

しばらくして、手術室と移植される翼、沢山の機器類と薬品、そしてシルビアの準備が整った。

 ここは、滅多には使われないのだが、いつも整備してある特別な手術室。いつもの町の人たちの移植手術ならば、この工房の職人たちの部屋でも出来るのだが、今回はいつもとは違う。クロが先頭に立ち、その助手として、科学者であるラム、そして技術者のレインとホクシーが控えている。

全員が清潔な白衣に身を包み、シルビアの眠る寝台を中心に集う。

「始めようか」

 短くクロが言う。全員が、無言で頷く。

 かくして、シルビアの身体にメスが入り、移植手術が始まった。

 一方その頃アルとシャル、ロンは、裏のリビングに引っ込んで、黙って手術が終わるのを待っていた。今日は一切のお客は受け入れない。そう玄関先に張り紙をしてある。

 三人がリビングに居座っている理由は、何らかの緊急事態に備えるためだ。ここならば、手術室からの連絡も取れるし、玄関からも近い。アルも、技術などというものは持ち合わせていないが、何らかの対応は冷静に出来る。こちらも、いつにも増して緊張の面持ちで座っていた。

 ただ、時間が過ぎるのを待つ。いや、シルビアの無事と、手術の成功を願いながら、長いとも短いともつかない時間が過ぎるのを待つのだ。

 実際、通常の移植手術にはさほど時間はかからないが、今回は違う。もともと人間には有り得ないもの……翼という特別なものを移植するには、やはりそれなりの時間と技術を要するのだ。同じ血縁から引き継がれてきたものとはいえ、拒絶反応が起こらないとも言い切れない。シンクロ率は極めて高いが、万が一に備え、慎重には慎重を重ねて執行しているのだろう。

 手術室の四人も、リビングの三人も、同じような想いで、祈るような想いで時間を過ごした。

「ところでアルよ」

「ん?」

 静かな時間が過ぎる中で、ロンが語りかける。

「シルビアには本当のことは言わんのか? 血のつながった本当の兄妹なのだろう?」

 アルは幼い頃に王宮を追放されてしまったのだが、その時すでにシルビアも生まれていたのだ。

彼女もまた、幼い頃より修道院で王女としてのたしなみ身につけるためにそこで暮らしていたので、実の兄であるアルの顔は、ほとんど知らない。そして修道院で兄は病死したと知らされたのだ。

 この町でアルと出会ったとき、二人とも何か感じるものがあったのだろうが、確信を持てないまま、今に至っている。

「んんー……実際そうなんだけどな……」

 ゆっくりと、考えながらアルが答えを探すように続ける。

「あいつは……シルビアにはこれからこの国を治めていく使命ってのがある。兄がこんな下町の用心棒ってんじゃ、この先のシルビアの人生を邪魔しちまう」

「そうか……」

 二人の会話を聞いていたシャルも、その沈黙に参加する。

「お前もお前なりに考えとるわけじゃな」

「んだとロン! ジジイみたいに俺を馬鹿にしやがって!」

「ほっほっほっ」

 年上のロンにはやはりかなわない。飄々と逃げるロンを真っ赤になって追い立てるアル。このまま騒ぎが続くことを恐れたシャルが冷静に仲裁に入り、また静かな時間がやってきた。

 数時間が経過した。

 ……やがて、奥の手術室のドアが開く音が聞こえてきた。

「終わったかっ?」

 真っ先に飛び出して行ったのは、犬と猫の俊敏さを遥かに凌駕したアルだった。

「職長っ!」

 大きな溜め息と共に、少し疲れた様子のクロが、手術室を出てきたところでアルを迎える。

「何? 大きな声出して」

「シルビアはっ?」

 奥を覗き込むようにしながら、半ば叫ぶようにシルビアの名を呼ぶ。

「大丈夫ですよー…、アルさん」

 奥から優しく声をかけてくれたのは、ラムだ。それを聞いて、少し落ち着くアル。

「僕が執刀したんだから、少しは信用してくれてもいいんじゃない?」

「はぁ……そうっすね」

 深い安堵の溜め息と共に、ようやく落ち着きを取り戻したアルは、クロが脱ぎ捨てた手術衣を片付ける。手術室が片付くまで、また少し時間を潰すことになった。だが、今までの緊張した面持ちではなく、いつものアルだ。

 クロが執刀して失敗した例は一度もない。過去のことは知らないが、アルがクロに拾われてからは、少なくともそうだった。翼という難しいものでも、クロならば信頼できる。彼が落ち着いて『手術成功』とも取れる言葉を言ったのだから、間違いではないだろう。ならばもう、心配する必要はアルにはなかった。あとは穏やかな気持ちで、シルビアの回復を待つだけだ。

 通常、手や足・内臓といった本来の人間にあるものを移植する場合、回復までそれほど時間はかからない。しかし、今回は特別なのだ。

 翼という本来の人間にはないものを新たに移植するという今回の手術。王家の研究室から方法や技術を教えてもらったとはいえ、クロ以外のメンバー(つまりラム、レイン、ホクシーだが)には、かなりの精神的負担となっただろう。 

一通りの片付けや、シルビアの術後管理というものを済ませると、ラム、レイン、ホクシーの三人はそろってソファにぐったりと座り込んでしまった。手術室専用の着衣のまま、着替える気力さえないようだ。

この工房のメンバーがこれまで何件と行なってきたものとは全く違ったもののせいか、あるいは過敏になりすぎていたのか、シルビアはその後丸一日の絶対安静を強いられてしまった。

シルビアへの面会が許されたアルは、ロン、シャルと共に回復室となっている工房の客室へと向かった。

「シルビア? 大丈夫か?」

 眠っているような穏やかな表情のシルビアに、静かに声をかけるアル。

「……アルさん?」

「ああ。大丈夫か? 身体は痛まないか?」

 アルも心配そうに、優しくシルビアの手を取り問いかける。応えるシルビアは、半分目を閉じ、夢心地のような顔。

「大丈夫です……麻酔の影響でしょうか……少し、眠いだけで……無事に終わったのですね」

「ああ、職長が執刀したからな。安心して休んでくれ。職長が、一晩ゆっくり眠れば明日には動けるって」

 シルビアは、満足したように微笑むと、小さく頷き、そのまま眠ってしまった。静かな寝息が聞こえてくると、アルは部屋の明かりを落とし、起こさないように部屋を出て行った。

「良かったじゃないか、アル」

「そうね、まあ、職長がいるもの。何も心配はなかったのにね」

 ロンとシャルが代わる代わるにアルに言う。

「……何で俺にそれを言うんだ? 言うなら彼女に声をかければよかったのによ」

 心底不思議そうに、アルが答える。それを聞いたロンとシャルは、クスクスと笑いながらからかうように続ける。

「手術メンバーは緊張してただろうけど、アルお前それ以上に緊張してたんだぞ? 自覚してないのか?」

「手術中のあなたの顔、見せてあげたかったわ」

 笑いを堪えながら、二人が言う。

「え……」

 緊張と心配は、メンバー全員にあったのだが、アルは誰よりもそれが強かった。が、本人は全くそれを自覚していない。周りが見えなくなるほどに心配していたということだろう。

 改めて我に返ったアルは、顔が真っ赤だ。耳まで赤い。照れ隠しに何かを言おうと口をパクパクさせてみるが、言葉も出ない。ニヤニヤする二人にさらにからかわれ、アルは逃げるように自室に戻って行った。

「まだまだ青いな」

「可愛いわね」

 アルが立ち去った後、穏やかに見守る両親のような口ぶりのロンとシャル。その後、未だぐったりとソファに座り込んでいる三人を助けて着替えさせ、自室まで送り届けるという、まさに親のような役割の二人だった。

 クロはというと、すでに自室で休んでいたが、さすがは職長、今後の翼の管理などの再確認や、王家の意向がいかなるものか、まんじりともせず考えを巡らせていた。

シルビアの手術が終了した今、彼女の状態を王宮に知らせなければなるまい。その後は王宮でのパーティーがある。ただの祝賀の席ではないことは明らかだ。それは憶測にしか過ぎないが、アルに届いた王宮からの手紙も気になる。何事が待ち受けているのかは分からないが、何らかの陰謀めいたものがある……その考えが、クロの頭から離れない。


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