野望と現実
「ここですわ」
到着したのは、比較的簡素な造りの、大きな両開きのドア。だが、彼らの工房の扉よりも豪華に見えたのは気のせいだろうか。
がちゃり……
鍵の束の中でも一際大きな鍵で、そのドアは開いた。六人が並んで入れるほどの大きさのドアから全員が入ると、念のためドアを閉め、内側から鍵をかける。
「部屋の主がいないところで悪いんだけど、探し物あるからちょっと失礼」
誰もいない部屋に向かって言いながら、クロはすたすたと薬品や実験機材が収めてある棚に向かう。他の五人も、本棚や机、生態サンプルなどが置かれた棚など、あちこち物色を始めた。
室内は広い。が、きちんと整理されていて、何がどこにあるのかも一目瞭然だった。クロは、真っ先に向かった棚の中ではなく、その外側を何やら調べている。
「職長、これに何かあるんすか?」
そこにアルが加わる。
「丁度良かった。あのさ、あれ、あれ取ってくれない?」
と、クロが指差したのは、棚の一番高いところにしまわれた、古ぼけた一つの小さな箱。その周辺は使った形跡がなく、埃が薄く積もっている。クロが示したその箱は、しっかりと施錠できるようになっている。アルはそれを大事に取ると、うっすらとかかった埃を払い、クロに手渡した。
「ありがと、アル。これがないとね」
箱を受け取ると、今度は自分の服の中をごそごそと探り出した。
「あった!」
と、見つけたのは小さな鍵。今クロが持っている箱に、丁度良いサイズに見える。
「まさか職長! それって……」
「そ、そのまさかだよ。ギーナスだって、まさか自分の部屋に探してたものがあるなんて思わないでしょ? 前に王様に呼ばれたことがあってね、その時に思いついたから実行してみたんだけど、こんなところで役に立ってくれるとは思わなかったなぁ」
クロの話は、いつの間にか集まっきていた他の五人にもしっかり届いている。
かちゃんっ
小気味良い音を立てて、鍵が開かれる。全員の視線が、箱の中身に集中する。
「へえ……これが」
「わあ、キレイですね」
「ほう……」
感嘆の溜め息と共に、言葉にならない言葉が続く。
それは、子供の握り拳程度の、ごつごつとした石。だが、いたるところに宝石をちりばめたかのような不思議で崇高な輝きを放っており、ただの石ころではないことは一目瞭然。宝石の類でももちろんない。
賢者の石。神の産物と伝えられているが、現在では夢か幻かとまで言われ、伝説の類にも出てくるそれが、今ここにある。
「それ、取り出してどうするんです? 職長」
「そうだね、しばらくは僕が自分で保管するよ。今はアルたちも一緒だからね。僕だけ攫われるなんて間抜けなことには、もうならないだろうし」
悪戯っぽく笑ってみせると、クロはその箱を大事に抱え、どこに持っていたのかウエストバッグのようなものを取り出して、しっかりと自分の腰にくくりつけた。
「これでよし!」
「あとはー…、ギーナスが行なっていたー…実験とやらの真相を暴いてみましょうかー…」
やたらと乗り気になっているのはラムだ。間延びする話し方は健在だが。自慢の(?)鼻を利かせながら、デスク周りや機材棚、本棚や天井まで嗅ぎまわる。ラム本人は全く気にしていないのだが、這いつくばって嗅ぎ回る姿は、スタッフ以外の誰にも見せられたものではない。
「おーいラム、そんなんでホントに分かるのかよ?」
机の上によじ登ったラムに向かって、レインが問う。
「うーん……この辺りは別に匂わないわねー…。臭うとすればー…、そこら辺かなー…」
と、指差したのは丁度レインのいる辺り。
「ええっ? 俺っ?」
言って大袈裟にその場を飛び退く。
「なわけないでしょー…? その下よー、下。こことは違う匂いがー…その辺りからするのよねー…。きっと地下室でもあるんじゃないかしらー…?」
今度は全員で、ラムが示したあたりの床を調べてみる。きれいに掃除された石造りの床。同じ大きさのタイルが、きちんと並べられており、ズレた形跡などどこにも見当たらない。
「でもここの下から臭ってくるのは確かなのよ? 他に入り口でもあるのかしら……」
「んん……暗号、とか?」
「そこまで凝るかなぁ」
「あるかもね、ギーナスなら。かなり用心深いし、暗号とか隠し扉とか、好きそうな顔してるしさ」
「職長、顔で判断するんすか?」
「そうだよ。大抵の人柄は顔で判断することに決めてるからね、僕」
しゃあしゃあと言ってのける。しかし、クロがそう言うのだからそうなのだろう。工房のスタッフたちは、まず第一にそれに従うことになる。
「よっしゃ、じゃあもう一回、何かヒントになるようなもの探してみようぜ?」
アルが提案、皆がそれに従う。今度は机の裏から引き出しの奥、本棚の裏まで徹底的に。
「職長」
「何?」
「疲れてるんじゃないっすか?」
唐突に、アルがクロを気遣ってそんなことを言い出した。たった一人、見知らぬ場所に閉じ込められたクロがどれだけ心細かったか。アルはそれをスタッフの誰よりも知っていた。
「大丈夫だよ。皆来てくれたしね」
心から安堵したような表情をアルにだけ見せて、微笑むクロ。それを見て、アルも安心したようだ。椅子を引っ張り出してきて、先ほどの棚の上から下まで丹念に調べていく。
「ねえ職長、この棚って移動しても問題ないですかね?」
他人の部屋を好きなようにいじっておいて、問題ないも何もないだろうが、アルが問う。
「いいよ。何かあったのかい?」
まるで自分の部屋のように許可を出す。
「ええ、裏に何かスイッチみたいのが見えるんですよね。ただ、こんな重いものをいちいち動かして使うかっていう疑問はあるんですけど……」
「そうだね。秘密の部屋を使うんなら、自分一人でやるはずだから……どこかにこれを動かすスイッチでもあるんじゃないかな」
言われてアルは、力任せに棚を動かす前に、棚を動かすためのスイッチを探す。
「ねえねえ、昔何かで見たことがあるんスけど、本棚のどこかの本を移動させると動くとか、そういう仕組みじゃないっスか?」
陽気にレイン。そして、自分が調べていた本棚の本を適当に一冊引き抜いてみる。
ごごごごごご……
「……うっそぉ……」
大当たり。適当に引き抜いた一冊が、丁度スイッチになっていたようだ。
「うをっ! 危ねっ!」
突然動き出した棚の傍からクロを抱えてアルが避難する。棚は全体が前にせり出し、後ろには人ひとりがようやく入れるかという隙間を作って止まった。そこに、先ほどアルが見つけたスイッチがある。
「念が入ってるな……」
全員の反応を確認し、ぼやきながらもアルがその隙間に入る。
「押してみますよ?」
「いいよ」
カチッ
クロの許可が下りたところで、躊躇うことなくスイッチを押す。
ぐごおぉん……
鈍い音を立てて、今まで開閉した痕跡のなかった床が、ゆっくりと沈んでいく。
「大正解」
「すごい仕掛けですわね……こんなものが王宮内にあったなんて」
自分が住んでいる王宮内に、自分が知らない隠し通路や仕掛けがいくつも見つかったことで、シルビアはほとんど声もない。驚くばかりである。
ゆっくりと動き出した床だったものは、ほぼ垂直に、床にぶら下がるようにして止まった。そこに隠されていたのは階段。地下に向かって、全く明りのない空間に繋がっている。
「何だか、いかにもという感じで罠っぽいが……」
慎重派のホクシーが、静かな声で言うが、階段脇の壁にはランプがいくつか並んでおり、スイッチも比較的分かりやすい場所にあった。
「自分の部屋の中……自分で鍵を管理してるヒトですよー…、部屋の中に罠なんて仕込むでしょうかー…?」
ホクシーにはラムが答える。確かに、部屋の鍵はギーナス一人しか持っていない。他の部屋には合鍵のある部屋もあるが、ここはそうではないらしいのだ。
「そうだね。罠ならもっと分かりやすいところに仕掛けてあってもいいと思うな。とりあえず行ってみようよ。アル」
と、迷わずアルを先頭に行かせる職長クロ。アルもまた、それが自分の役割であるのを自覚しているので、階段の明かりをつけると、先頭を切って下り始めた。隠し階段は天井も低く幅も狭い。アルの背中の大剣は抜き放ち、抜き身のままで慎重に進んでいく。少しの間を空けて、クロに続き皆が順番に下りていく。あまり密集して進まないのは、咄嗟の時の避難経路を考えてのことだ。
「そういえば……入った瞬間ドアが閉まるなんてことはないだろうな……あまりに典型的だが」
やはり慎重なホクシーが、慎重な意見を述べる。
「あ、それはあるかもしれないっスね。念のために何か挟んどこうか」
レインは、最後に階段を下りる前、分厚い辞書を一冊、床と元床だった場所の隙間に置いておくことにした。
「ま、これで閉まっても大丈夫でしょ?」
楽観的な台詞に、ホクシーは軽い溜め息で答えた。
「ラム、匂いは?」
「強いですねー…。先ほど部屋で感じたものよりもかなり……。嫌な感じがします……」
緊張を隠せない面持ちで、ラムが答える。口数が少なくなっている。ラムの様子から見て、この奥で何らかの研究が行なわれているのは確からしい。
「もう一つ、ドアがあります。少し下がってて下さい」
アルがすぐ後ろにいたクロに注意を呼びかける。素直に従って、階段を数段残したままの位置で立ち止まるクロと後続。
「鍵かかってるな。レイン、さっき失敬してきたギーナスの鍵の束の中にここの鍵があるはずなんだけど、分かるか?」
「ちょっと待ってよ、今そっち行くわ」
鍵の束を手に、隙間を縫ってスルスルとアルの隣にやってきたレインは、幾つかの鍵を物色し、やがて一つを取り出した。
「多分これっスね。アルさん、よろしく」
言って自分では開けずにアルに託し、しっかりと元の位置までスルスルと戻る。
「OK、ちょっと待ってて下さいね」
かちゃり……
軽い音を立てて、ドアが開く。中は暗い。やはりどこかにランプが置かれているのだろう、そう考え、アルは暗がりに目を凝らす。暗さに目が慣れるまでしばし時間を要したが、ほどなく、入り口近くの壁にそれらしきものを見つけた。辺りを警戒しながら、アルがスイッチを入れる。
『うわ』
アルとほぼ同時に入って来たクロの声がハモる。続いて入ってきた四人も、似たような声を出したか、あるいは声も出なかったか。
そこには、『賢者の石』や『賢者の水』を研究するためだけに造られたような設備がそろっていた。中には目を覆いたくなるようなものが、ずらりと並んだ巨大なクリスタルケースの中で蠢いている。
「これは……」
クリスタルの中身を凝視してしまったシルビアが、口元を押さえて言葉を詰まらせる。いくつも並んだクリスタルケースは、天井まで届く大きさだ。その中に、人間の胎児とも動物のそれとも軟体動物ともつかない奇妙なモノが蠢いている。いくつもの生態を合成させたような、恐らく生物といえるものが、クリスタルに満たされた命の水の中で息づいているようだった。
「これが『賢者の石』の研究成果ってことかな……」
静かに、部屋を見回しながら、嫌悪感を込めてクロが呟く。
以前にシルビアが言っていた、人体実験の名残だろう。今では精製された『賢者の水』が出回っているが、それ以前に行なわれていた実験の実体がこれだ。ここにあるのは、恐らくその一部に過ぎないのだろうが。
人体や他の動物たちが生きていくのに必要な栄養素がふんだんに含まれたこの水の中で、未だ日の光を見ることがなく眠っている未知の生物。これが生物と呼べるかどうかは疑問だが、確かに、この中のモノは生きて、胎動しているように見えた。
そして、いくつも並べられた机と、積み重ねられた『賢者の石』に関する資料。ここでギーナスが密かに研究をしていたのは間違いない。
「今この研究は国でも禁止事項に指定されてるんだけど……シルビアはもちろんこの部屋のことは知らなかったよね?」
「え、ええ……」
おぞましいモノを見てしまった嫌悪感から、吐き気を堪えてシルビアが答える。こんな研究を、自分の身近な者が行なっていたとは夢にも思っていなかったのだろう。
「う……私……ちょっと気分が……」
言ってその場に蹲ってしまったのはラムだ。人一倍鼻の利くラムは、その謎の生態から発せられる臭いに耐え切れなかったのだろう。ホクシーが彼女を抱きかかえるようにして、ひとまず部屋から連れ出す。
「さて、どうします? 職長」
一通り部屋を眺め、クロに次の指示を仰ぐアル。シルビアは気丈にもその場に留まった。この結末を最後まで見届けたい。その思いが今の彼女を支えていた。
「そうだね。禁止されてる実験だから、とりあえずクリスタルの中の皆さんには眠ってもらおうかな」
と、クロはクリスタルケースから繋がっているいくつもの生命維持用のケーブルに目をやる。それを断ち切れば、彼らの命はそこで終焉を迎えるはずだ。いつどうなるか分からないまま、永久にこの中で生きるよりは、生まれ変わりを信じて静かに眠った方が幸せだ。
「勝手なことをされては困りますな、サース殿」
声は突然後ろから聞こえた。別段慌てる風もなく、アルもクロもそちらを振り返る。レインとシルビアは声を出さず、成り行きを見守っている。部屋の外に出ようとしていたホクシーとラムも、ギーナスが連れていた兵士に捕らえられてしまった。二人とも、後ろ手にがっちりと掴まれている。……この状況で悲鳴も上げずにいたのだが、兵士たちは無表情だ。
「……もう起きちゃったんだ? ギーナス博士。悪いけど、禁止されている研究の実態を見ちゃったから、僕たちも黙ってないからね」
いつもと同じような口調だが、傍にアルがいるためか、一人で監禁されている時よりも強気で答えるクロ。こちらには王国の王女もついているのだ。
「よもやここがばれてしまうとは、予想外でしたが……貴方がいるのなら納得はいきますな」
シルビアをちらりと一瞥し、やたらと落ち着いた口調で、ギーナス。ここが見つかってしまったという焦りは、今のところ見られない。……何か策でもあるのだろうか。それとも、単に開き直ったか。
「これを王に進言しますかな?」
「そうだね。ここにいるシルビアと一緒なら、僕も王に謁見できると思うんだけど。どう? シルビア」
「え、ええ……これだけの証拠があれば……。私も一緒に直接進言しますわ」
「だって。禁忌の法の生体実験のサンプルや資料がこんなにそろってるんだもんね、厳罰は免れないね」
「いや、そうはいきますまい。ここであなた方を実験の材料にしてしまうことにすればな」
ギーナスの口調が再度変わった。彼の後ろには、ぞろぞろと衛兵が武器を携えて従っていた。ホクシーとラムは半ば突き飛ばされるように、こちらに戻ってきた。レインがさっと動き、二人の無事を確認する。
「アル、出番みたい」
「よっしゃ、待ってました!」
アルはクロとシルビア、そして後ろの三人を庇うようにギーナスの前に立ちはだかると、抜き身のまま持っていた剣を構え直す。すでに臨戦態勢だった。
「君か……サース殿の工房で用心棒を買って出ているという若者は……。どうやら、王宮から追放されても、しっかり生き延びていたようだな」
目の前に剣の切っ先を突きつけられて、やや怯んだ様子のギーナスだったが、今度は心理戦に出たらしい。アルが昔王宮から追放された、元王族であることを知っているようだ。
「以前に聞いたことがあるし、私はそれを見た事がある。……王族として生まれながら、自分自身とのシンクロ率しか持ち合わせず、翼を移植することさえ出来なかった落ちこぼれの元王族、アルヴィンス・ヴァン・ラスティンヴァース……だったかな? 幼い頃に処刑されずにいたことは知っていたが、まさかサース殿の工房にいるとはな」
「だから何だってんだ? 俺は俺のまま、今は楽しくやってんだよ。王家なんてクソ喰らえだ。工房の方がよっぽどいいさ」
ギーナスの脅しをものともせず、アルは態度を崩さない。自分自身をしっかり持っているアルには、心理的攻撃は通用しない。
「言いたいことはそれだけか?」
「貴様……自分が王家の出だというのに、一介の工房の用心棒なんて、情けなくはないのか?」
「別に全然」
アルが全く動じないのを見て、少しずつ苛立ちが出てきた様子のギーナス。
「私が口をきけば、王族に戻って来られるのかも知れないのだぞ?」
「どうせ王宮に戻ったとしても、その証である翼を持てないんじゃ、今よりずっと窮屈な暮らしになっちまう。お断りだね」
「話はもういい? 後ろの衛兵たちが痺れ切らしてるみたいだよ?」
アルはまったく心を動揺させず、このままクロの元にいるという。それを安心して見ていたクロが促す。
「ちっ……話にならんな……。有能な頭脳を失うのは残念だが、この部屋を見た者を生かして返すわけにはいかないからな」
言うと、ギーナスは横に避け、衛兵が抜き身のサーベルを携えて入ってきた。ここは広い。アルの大剣を振り回しても、周りに危害が及ぶことは少なそうだった。
かくして、アル対衛兵の格闘が始まったわけだが、相手の武器は細いサーベル。こちらは大剣。一振りでサーベルを破壊できるような力の持ち主と、普段から鍛えてあるとはいえ、実戦ではほとんど使ったことのないサーベルとでは、力の差は歴然だった。殺すことはしないが、剣の腹で、あるいは柄の部分で次々と気絶させていく。
「お、おのれ……役立たずどもめ……」
ことの一部始終を眺めていたギーナスが、捨て台詞を吐く。勝負はあったようだ。どうやら、衛兵はギーナスが独自に育てていたらしい。その場にシルビアがいたのにもかかわらず襲ってきたことがその証拠。
頼みの衛兵を全て戦闘不能状態にされてしまったギーナス。すっかり戦意を消失してしまったかに思えたギーナスは、自分では戦う力がないのを知り、その場に座り込んでしまった。頼りにしていた自分の護衛隊が、こうもあっさりと片付けられては、戦術の心得もないただの研究者の彼には、手の打ちようがなかった。
「こんな設備まで用意して、自分の衛兵を育ててまで何をしたかったの?」
今度はクロが問う。
「……私はただ……不老不死の研究をしたかっただけなのだ……」
力なく、諦めたような口調でギーナスが呟く。
「それが規律違反だって言ってるでしょ? 不老不死なんて、実際には何の得にもならないんだから」
呆れた様子で、クロが言う。いつ終わるとも知れない自分の人生に恐怖を抱き続けて生きるより、限りある人生を謳歌したい。今のクロには、願っても未だ遠いことだ。自分の人生を全うすること。不老不死を手に入れてしまったクロにとって、それが一番の憧れなのだろう。
「不老不死の研究をすることが、どうして禁止になったかは分かってるんでしょ? それなのにそんな野心を持ち続けるってことは、何か他に理由でもあったわけ?」
すっかり意気消沈のギーナスに向かって問いかける。わざわざ独自にこんな設備まで造り、研究に専念するような研究者は彼くらいのものだろう。それも、こんな王宮内に。
「……不老不死の薬ができれば……それを素にして、死んだ者を生き返らせることも可能だろう?」
ゆっくりと、心境を語り出すギーナス。
「そうだね。永遠に老いない身体があれば、止まってしまった身体も動き出す。そういう理論もあるけどね。実際にどうなるかは分からないよ。試したこともないしね」
クロが諭すように言う。以前『賢者の水』が出回る前までは、そのような研究も行なわれていたことは確かだ。だが成功しないままに、危険な人体実験が次々と行なわれ、その悲惨さや倫理観を危険視した王室が、全土で実験や研究を禁止した。
「死者を蘇らせるなんて……不老不死だけでも自然の摂理に反してるんだから」
「それでも私は……この手で、最愛の妻だけでも蘇らせてやりたい……それだけなのだ……」
ほとんど呟くような小さな声で、ギーナスが床に手をつき、言う。
「今その奥さんは?」
「ここの更に下にある地下室で、冷凍保存している……」
「その人を蘇らせるってわけ?」
「そうだ……」
死んだ者を蘇らせる。アルと工房の三人、シルビアも悲痛な面持ちで二人の会話を聞いていた。
不老不死を求め、死者を蘇らせようと考え、禁忌とされてからも実験を繰り返していた者は少なくない。ただその全てが、失敗に終わったようだ。成功したという事例は一つもない。
「僕から忠告しておくよ。その実験は成功しない。もしも試しにやってみても、貴方が辛い目に遭うだけだよ」
「…………それでも……私の願いは……」
「もう、分からない人だなぁ……一度死んだ人間は、脳の動きも止まって、それが活性化するには『賢者の石』の力でもどうにもならないんだ。もし身体が動き始めても、人形と同じか、場合によってはそれより悪くなるんだよ。そうなったら、蘇ったとしても奥さんが可哀相じゃない。……もうゆっくり眠らせてあげたら?」
「……………………」
ギーナスの返事はない。禁忌を犯したものには厳罰が下される。それを覚悟でここまできたのだ。簡単に自身の信念を折るのは難しいのだろう。だが、クロの言い分は至極真っ当。ギーナスも、それを理解しているがゆえに、簡単に口に出すことができない。
しばしの沈黙の時が過ぎる。
「…………私の……野望は……」
「………………」
今度はクロが沈黙する。ギーナスの答えを待っているのは明らかだ。
「私は……どうすれば……」
「今ならまだ間に合うよ。研究をやめることだね。『賢者の石』は僕が持ってるし、貴方に協力する気もないしね。人間や他の動物には、運命に決められた寿命っていうのがあるんだ。それが事故だったり、病気であってもね。命を絶たれればそれで終わり。僕たちの仕事は、命あるものを助ける仕事だ。若くして死んだ者だって、生前の約束に従って肢体や臓器を移植する契約書を預かっている以外は、生き返らせることも殺すこともしない。普段は義肢も作ってるし、パーツを入れ替えた動物たちにも、新たな生を与えているんだ。死んだ者を蘇らせるようなことは一切していないよ」
まだ迷いが残るギーナスに、優しい口調で語りかける。
「……運命……ですか」
ここで、これまで黙って話を聞いていたシルビアが呟いた。彼女もまた、自分の運命を嫌って王宮から逃走した。クロの話を聞いて、考え方に少し変化が出てきたようだ。アルの生い立ちを聞いたことも、考え直す機会になったのかもしれない。
シルビアの呟きに、ギーナスはちらりとシルビアを見やる。
「運命、か……あまり信じたくない言葉だが……」
顔を上げ、先ほどよりも少し大きな声で、ギーナス。
「そう、運命。これは切り開いてもいけるし、通り過ぎたものはこれからの糧にして、過ぎ去った人には感謝と敬愛を込めて。天上で見ているその人も、その方が安心すると思うけどな」
クロが再び諭すように言う。
顔は上げたまま、表情をなくしたような顔で、ギーナスが視線をクロに送る。
「私は……まだ取り返しがつく、と……?」
「ええ。今の研究をやめて、奥さんをきちんと弔ってあげればね」
優しく、クロ。
「『賢者の石』の研究自体もやめて、今ある『賢者の水』をもっと使いやすくしてみたり、いろんな用途に使えるように開発していたりする方が、貴方には合っていると思うよ。こそこそ隠れて、こんな陽の当たらない所にいるよりはね」
「………………そうか……」
ギーナスの目に、徐々に光が戻ってきた。
「そうだよ。王室研究室の室長なんだし、本来の仕事に戻りなよ。こんな部屋は処分しちゃってさ」
「ま、こんな大胆な仕掛けまで作って、勿体ないっスけどね。そっちの方が似合ってるっスよ、ギーナス博士」
やはり明るく言ってのけたのは、当然のことながらレイン。ギーナスもその言葉に苦笑して応える。そして、ギーナスはようやく立ち上がった。そしてその場にある研究資料を片付け始めた。……もう迷いはないようだ。
ギーナスを見て安心した様子の六人は、ゆっくりと静かに、もと来た階段を上っていく。
気分を悪くしていたラムも、随分と顔色が戻ってきていた。クロは、しっかりと『賢者の石』を携えている。これ以上、ここには必要ないものだ。クロはこれを封印するつもりでいたのだ。