招待と黒幕
翌日。最近出番の多かった『本日休業』の看板を工房の前に掲げ、メンバーは正装でそろっていた。普段見慣れないアルの正装とその髪型を見て、シルビアを除く全員が大爆笑したが、こればかりは仕方がない。アルも心を決めて、ドレスローブをしっかりと着こなしていた。他のメンバーの笑いが耳に入らないように努力をしながら。だが耳元が赤いのは隠せないようだ。いつもは背に負っている大剣だが、今日は背中ではなく、肩から掛けるように持っていた。
「今日は王宮から迎えが来るはずだから、それまではゆっくりしてようよ」
準備を済ませたクロが、どっかりとソファに腰掛けたままで言う。
「それじゃ、それまでお茶にしましょうか」
と、アルが普段着慣れないものを着ているせいか、心なしかぎこちなくキッチンへ向かう。彼が長身のこともあり、パッと見には特に違和感はないのだが、自分が着慣れないので動きが窮屈に感じてしまうのだろう。
シルビアは、初めて会った時には町娘風の格好をしていたが、以前王宮に戻った際に、自分のドレスを持たされてきたようだ。高貴な印象がより高まり、当然のことながら誰よりもしっくりしている。翼はまだ古ぼけたままだったが、それを感じさせない高貴さが漂っていた。
クロもレインもホクシーも、しっかりとドレスローブを着て、ラムとシャルはかなり気合いを入れてドレスアップしている。ロンはと言うと、犬用のドレスローブと、自分が持っている中で一番高級な首輪をつけ、ブラッシングも入念に済ませてなぜか上機嫌だった。
しばらくの間、アルが入れたお茶などすすりながら待つ。工房の外に馬車の足音が響き、やがて工房のドアがノックされた。いよいよ王宮からの迎えが来た。
「さて、行こうか」
まるでどこかに散歩にでも行くような雰囲気のクロが、先頭を切ってドアを開ける。
その時がやってきたのだ。
「お迎えに上がりました。シルビア王女、そして工房の皆様」
恭しく頭を下げる御者。立派な四頭立ての馬車が、目の前で待っていた。御者に手を引かれ、一番に乗ったのは、由緒正しき正当後継者である翼を持ったシルビア。続いてクロが入り、その隣にアルが座る。
後ろの座席はさらに二列あり、手前にはラム、レイン、ホクシー。そして最後尾の座席にロンとシャルが落ち着いた。
やがて馬車は、小さな嘶きと共にゆっくりと街道を進んでいく。速度のせいか、それほど揺れは感じなかった。
「大丈夫か? シルビア。どっか調子悪いんじゃないのか?」
黙って映りゆく窓の景色を眺めているその横顔に、憂いが見える。
アルがシルビアの顔を覗き込んで声をかける。先ほどから終始無言のまま、窓の外を眺めていたシルビアがはっとしたように我に返る。
「いえ、ごめんなさい。……この景色を……ちゃんと見ておきたくて」
「そうか。調子が悪いんじゃなきゃいいや」
「そうだね、シルビアはもう滅多にこっちには来られなくなっちゃうから、今のうちだね」
「そうなんですよね……」
心なしか寂しそうなシルビアの声。これから何が待ち受けていようと、これからは王女としての役割を背負って生きていかなければならないのだ。工房のスタッフには想像しようもない責任が、彼女の背にかかっている。
やがて馬車は緩い上り坂に差し掛かった。目指す王宮はもうすぐだ。
「戻ってきてしまいましたね……」
小さく呟くシルビア。複雑な想いが込められての一言だろう。全てを察するには、工房のメンバーには知らないことが多すぎる。
荘厳な門が開き、広い前庭を通り過ぎると、王宮の入り口だ。繊細かつ荘厳な彫刻が施された王宮のエントランス。そのすぐ手前で馬車は止まった。
またしても御者が、丁寧にシルビアを先頭に王宮内に招き入れる。それに続いて順に降りていく工房の面々。皆緊張しているのか、表情が硬い。それでも、やはりレインだけはそわそわしたような、落ち着きのなさを見せていた。
「おいレイン、そこら辺のもの勝手に触るなよ」
早くも彫刻に手を出しそうになっていたレインを、ホクシーがたしなめる。それでも、レインのそわそわは落ち着かなかったようで、きょろきょろと周りを見回しては、驚いたような、不思議そうな顔をしていた。
「大広間にご案内いたします」
短く、ここまで案内してきた御者が言い、そこから先は執事と思しき初老の男性が引き継いだ。その執事もラムと同じく、犬の耳と尻尾を持っていた。ラムと違うのは、鼻から口にかけての部分も犬のそれだったことと、手も犬のもののように、ふさふさとした毛が生えていた。白髪混じりの貫禄の漂う執事だ。
通されたのは、工房の倍以上はゆうにあるかという大広間。大きな楕円形のテーブルの座席に、それぞれ名前が書かれており、メンバーはそれに従って席に着く。
「もうじき王の側近の者が代理でお越しです」
「代理?」
執事の言葉にクロが反応する。当然、シルビアも。
「お父さま、どこか具合でも悪いのですか?」
かなり心配そうにシルビアが問う。
「はい。急な病に臥せっておられます。こんな折に申し訳ないとお伝えくださるよう言付かっております」
言うと執事は、辞して大広間を後にした。
「こりゃやっぱり何かありそうですね」
ウサギ耳のクロにだけ聞こえるような小さな声で、アルが耳打ちする。
「間違いないね。……シルビア」
「はい?」
「あとで王様の容態をお見舞いに行きたいんだけど、巧くやってくれるかい?」
「ええ。私も気になりますもの。一緒に行っていただければ安心ですわ」
そんな折、そろって猫耳姿のメイドたちが、尻尾をピンと張ったまま食事を運んできた。芳しい香りが辺りに広がる。食事が全て運ばれてまもなく、側近を先頭に、大臣やら参謀やらといった権力のあるものが次々と入ってきては、シルビアに挨拶をしていく。
続いてメイドが持ってきたのは、祝いの酒、シャンパンだ。全員のグラスに注がれると、側近が立ち上がり、朗々とした声で開催の挨拶を簡単に済ます。
このとき初めてその側近という者の姿をまともに目にすることができた。彼は目が悪いのだろう、丸い縁の小さな眼鏡を狐の耳にかけていた。目も狐のそれらしいのだが、鼻にかかった眼鏡のお陰で目の様子は見えづらい。だが、ふさふさとした茶色と白の尻尾がやたらと目立つ細身の男だ。
「本日は実にめでたい日であります。正当王位継承者であらせられるシルビア王女の帰還と、王女の翼の移植手術の成功。工房の皆様、代表してお礼申し上げる。この席に国王が不在というのは大変悔やまれてならないことと存じますが、容態は大分回復に向かっているとの事。本日は皆様楽しんでいかれますように願っております」
乾杯の後、真っ先に料理に手をつけたのは言うまでもなくレイン。相当空腹だったのだろか。次々と運ばれてきた料理を平らげていく。
「気楽でいいな、お前は」
半ば溜め息交じりで、ホクシー。彼もまた、ゆっくりと食事に手をつけているところだ。他のメンバーも、ホクシーに続く。ロンはというと、見た目というか、姿がそのまま犬ではあるのだが、皆と同じように席に着き、器用に改良された手で一緒に食事を楽しんでいる。
オードブルからメイン料理、そしてデザートが全員に配られた頃、密かに合図し合い、シルビアがタイミング良く側近に声を掛ける。
「あの、この食事の後ですけれど」
「はい、何か?」
「ええ……お父さまの容態が気になって……少しの間で構わないので、お会いできないかしら?」
演技ではなく、心底心配そうなシルビアの表情に、側近も仕方ない、という顔をしながら頷いた。
「そうですな。翼の移植に成功したことも直接報告して頂いた方が、国王様も安心されましょう。食事が終わり次第、ご案内いたします」
「ありがとう。それで……」
「はい?」
「この移植に協力して下さった工房の皆様にも、一緒に御挨拶していただきたいのですけれど……いいかしら?」
これにも少々不満気な顔を見せた側近だったが、王女の願いを断る権限は彼にはない。まして、その手術を成功させたのが工房の面々であることは、今ここにいる全ての者が知っていることだ。ここで下手に断れば、怪しまれるのはその側近の方。同席している権力者たちとは、どうやら結託していないようだ。
「……まあ、いいでしょう。ただ、あまり長居はしないようにして下さい」
「ええ、分かっているわ。ありがとう」
この段階で、ひとまず王の状態を知るチャンスが出来たわけだ。クロとアルは顔を見合わせ、小さく頷く。そしてシルビアにも賞賛の笑みを送る。
その間にも、ほとんどの者がデザートを食べ終え、賑やかに談笑していた。そこへ、執事が恭しく入ってくる。
「これより、ささやかではございますがダンスパーティーなどを行いたいと存じます。皆様、こちらの会場へお越しくださいませ」
同席していた者たちは、執事の案内で王宮にあるダンスホールへと向かっていった。側近がこちらに向き直る。
「ではシルビア王女、工房の皆様、国王の寝室へご案内いたしますので、こちらへ」
言ってダンスホールとは反対の方へと側近が案内する。ダンスホールへの廊下とは逆の方向にある、装飾もほとんどない、寂しげな廊下だ。静かな廊下に、数人分の足音だけが響く。
広い廊下に、ささやかな灯りが点るだけの寝室への道。様々な思惑を胸に、彼らは王の寝室へと向かっていた。
「ところで、お父さまの寝室は変わったのかしら? 以前は上の階だったはずですけれど……」
シルビアが問う。
「ええ、こちらの方が静かですし、医務室も近いので、こちらに移動して頂いたのです」
静かに側近が答える。
医療設備ならば以前の寝室のそばにもあるはずなのだが、なぜ移動させる必要があったのだろうか。側近の返答に納得しきれないまま、だがそれを表情には出さずに、一行は案内されるままに王の寝室へと向かっていた。
廊下は少しずつ狭く、薄暗くなっていく。複雑に入り組んだ廊下を進むと、心なしか緩い下り坂になっているように感じる。どうやら地下へと続いているらしい。
「王様ともあろうものが、廊下に護衛も置かずにいるなんてね」
クロが呟く。一国の主を看病するにはそぐわしくない場所だ。衛兵の姿も見えず、ただただ閑散とした廊下が続く。換気はしっかりとされているようだが、やはり陰気臭いイメージは拭えない。
緩やかな、ほとんど感じないような下り廊下を進むことしばし。やがて、廊下の右側に大きな両開きのドアが見えてきた。王の居室にしては装飾があまりにも粗末に思える。廊下の正面には、さらに素朴なドアが道を塞ぐようにして立ちはだかっていた。ここが医務室なのだろうか。
「なんか……こんな所に閉じ込められてたら、逆に気分が悪くなりそうっすね」
またも側近に聞こえない程度の声で、アルがクロに耳打ちする。
「こちらが、国王の寝室になっております」
足を止めて、側近が右側に見えるドアを紹介する。
「では、貴方はここで待っていて下さい。私たちだけで御挨拶をさせていただきますわ」
「かしこまりました」
一礼すると、側近はドアを開けその場に留まり、全員が中に入ったのを確認してから、外側からドアを閉める。しかし側近はそこで待つことなく、すぐに医務室であろう部屋へと向かって行った。部屋の中から、遠ざかっていく足音が聞こえた。
室内はかなり暗い。窓もないその部屋には、ベッド脇に小さなランプがあるだけで、とても一国の主が眠っているとは思えない環境。
急いで駆け寄ったシルビアが、父王の顔を覗き込む。
「お父さま、私です。シルビアです。聞こえますか?」
王の表情を見て、かなり焦った声を出すシルビア。工房のスタッフたちもベッドに駆け寄る。王の返事はない。一点を見つめたような、それでいて焦点の合わない目をし、周りの景色も人の声も、届いていないようだ。顔は少し痩せたのだろうか、この短期間のうちにやつれた顔をしていた。王は点滴を施され、鼻には酸素用のチューブがつけられている。食事もまともに摂れているとも思えない。
「様子がおかしいね」
王の表情を一目見て、クロが呟く。病気であるとか、そういう意味ではない。
「ラム、ロン、何かの薬品の匂いはしないかい?」
部屋には香だろうか、柔らかな匂いが立ち込めていたが、鼻の良い二人が必死で王の傍で匂いを確かめる。やがて、規則正しいとはいえない呼吸の匂いから、二人は何かを嗅ぎつけたようだ。
「間違いなく……治療をするための薬品の匂いではないですねー……」
「うむ。どちらかと言えば、毒に近い」
「毒っ?」
シルビアの顔色が、薄暗い室内でもはっきりと分かるほどに青ざめる。
「大丈夫—…。今その鑑定をしますから……」
と、比較的落ち着いた様子のラムが、どこに隠し持っていたのか医療用の道具を取り出し、簡単な検査を始めた。恐ろしく早い。
「少しずつ盛られていたのが急に効果を出し始めたんだね……この分だと、僕にも出番は回って来そうだ」
クロも、どこに仕舞っていたのか自分の医療鞄を取り出している。
王の検査をしている間、アルは入り口付近で立ち止まり、外の様子を注意深く観察している。いつ誰が入ってくるか分からないこの状況では、アルの直感というものが一番役に立つのだ。幸い、先ほどの側近の足音は、ドアを閉めても聞こえていた。
彼が中に入らないことには理由がある。クロたち科学者や技術者の中にいても、役に立つ事ができない。それに、彼の場合は戦闘が得意分野だ。もし万が一何者かが入ってきたとしても、声もなく倒すことは簡単だ。そのアルの傍には、耳と鼻の利くロンも、一緒に周囲に気を配っていた。
「ラム、生理食塩水持ってきてるよね? 点滴はそれに切り替えて、中に肝臓の薬を混ぜて。それから、利尿剤と栄養剤ね」
「はい」
すでに王の左腕には点滴がされていたのだが、薬剤をすり替えるなど、ラムがてきぱきとクロの指示に従う。
「ねえシルビア」
「はい?」
「王様って、こんなに浮腫んでいた?」
「いいえ、皺は多少ありましたけれど……こんなに浮腫んではいませんでしたわ……」
王の状況を工房のスタッフと一緒に観察しているシルビアに、元気な頃の彼の様子を聞いてみる。
「点滴に入っているこのクスリの成分だね……それに、呼吸が抑制されているのか、それとも酸素のいきすぎかな」
言うとクロは、王の枕の位置を少しずらし、王に繋がれていた酸素供給用の器具をいじって酸素の濃度を下げた。
王の呼吸状態は変わらなかったが、目に光が戻ってきているのが分かる。
「お父さま、大丈夫ですか? 私が、シルビアが分かりますか?」
まだ声は出せないようだが、彼女の必死の問いかけに、何とかゆっくりと頷いた。
「これでしばらくは様子観察だね。シルビア、ここに残れるかい?」
「ええ、さっきの側近の方に聞いてみますわ。そろそろパーティも終わる頃でしょうし」
医療鞄をまたどこへやらか仕舞いこみ、クロ。
「じゃあこれをあげる」
「え? あ、これってスタッフの連絡用の……」
「うん。これで何かあったら知らせるようにして。僕たちも、できるだけ近くにいてすぐ駆けつけるからね」
「はい、ありがとうございました!」
「レイン、ちょっと頼まれてくれる?」
「はい! 何スか?」
元気良く、レインが答える。
「ちょっと乱暴なんだけど、アルと二人で隣の医務室とかいう場所に潜入できないかな? 薬を入れ替えたいんだけどさ」
「俺が行ったら大事になっちゃいますよ? 職長」
ドア付近で待機していたアルが口を挟む。
「ちょっとくらいならいいんじゃない?」
物騒なことを言う。王を救うためには仕方がないということなのか、多少暴れても良いんじゃないかという彼の本心かは分からないが。
「ほら、入り口に丁度良いくらい白衣が置いてあるし、ね?」
クロが指差す先には、来客用の衣類掛けのようなもの。そこに、比較的使い込まれた白衣がちょうど二着かかっていた。
「何かあったらアルが適当に何とかしてくれるから」
かなり無責任なことをレインに言うが、アルはそれを予期していたのだろう。すでに大きい方の白衣を身にまとっている。大剣は隠し切れないので、国王の部屋に置いていくことにした。
何事が起こるか想像がつかないままも、レインはクロに託された点滴やら栄養剤やらを持って、アルの後に続いて部屋を出る。
「ギーナス博士がいてくれたら助かるんだけど……」
小さなクロの呟きは、シルビアとホクシーの耳には届かなかった。
「なあレイン、ここって正規の医療施設だと思うか?」
歩きながら、後ろのレインに声をかける。
「いいえ。さっきの部屋が牢獄だったら納得いくんスけどね」
半ば苦笑交じりで答えるレイン。
「だよな」
アルも似たような表情だ。
やがて二人とも、廊下の突き当たりにあるドアに到着した。ドアには『関係者以外立ち入り禁止』の文字がでかでかと貼り出されていた。無視してドアをノックする。
「……どうぞ」
少しの間をおいて、年老いた感じの力のない返事が聞こえてきた。
がちゃり……
重い音と共に、ドアが開く。
眩しいくらいに明るい部屋を想像していたのだが、思った以上に暗い。側近の姿はすでになく、中には先ほど返事をした男性だろう、彼が一人だけ椅子にかけて書物を読んでいた。室内に入ってきた二人を確認することもしない。が、見たことのある顔だ。
『ギーナス博士!』
「ん?」
二人の呼びかけに、男性・ギーナスはようやく書物から目を離し、二人の顔を見る。
「お……お主らはたしか、サース殿と一緒にいた……」
「俺がアルでこっちがレインだ。何となく老けたか?」
失礼極まりないことをさらりと問う。
「あれから考えるべきこともやるべきことも一転してしまってね……原因はいろいろあるが……妻のことはスッキリした気持ちだ」
書物をたたみ、彼らに正面を向けた姿勢で、少し疲れたような表情で話すギーナス。確かに、これまで所属していた王家直属の研究室とは全く逆の環境だ。それどころか監禁状態に見える。
「何でこんな所に? ……て、今そんな話し込んでる時間がなくてさ」
「このすぐ隣の部屋で、王様が寝てるの知ってるっスか? 今うちの職長が診察した限り、治療用に使っている薬が原因でああなっちまったらしいんスよ。だから、この薬にすり替えられないもんかなと思って……」
歯に衣着せないレインの説明に、ギーナスの顔がどんどん引きつり強張っていく。
「何と、こんな場所に王様が? 私はてっきり別の人物だとばかり……ああ、私をこんな場所に追いやっておいて、あれこれと治療の指示を出して行きおったが、あやつ……アゼロフとかいったか……よもやまさかそんなことを考えておるとは……。ここは要人たちの監獄だというのに……」
立ち上がり、両の拳を握り締め、噛み締めるように言うギーナス。やはりここは、立場あるものの監禁施設であったらしい。以前の一件で王室の研究室に留まることを許可されたギーナスは、どうやらそのアゼロフという人物によってここに監禁状態にされてしまったようだ。
「アゼロフって?」
突然出てきた名前に首をかしげる二人。
「王の側近だよ。……近頃良くない噂ばかり耳にする男だ。まさか本気で王家を乗っ取るつもりでは……?」
『王家乗っ取り?』
と、二人の声には答えぬまま、今度は狭い部屋の中を行ったり来たり、一人ぶつぶつと考え始めるギーナス。二人の疑問は無視されてしまったが、ギーナスの態度が肯定している。
「一体誰が?」
「アゼロフだ」
今度は迷うことなく即答するギーナス。立ち止まり、両手を机について向き直る。
「ここは本来薬品庫なのだよ……新しい実験のためにと処方箋を渡されていてな。……調合したのは私だ……私には王の容態を知らされていなかったよ。まさかそんなことになっているとは……」
ギーナスはこれまでの経緯を思い出しているのか、苦虫を噛み潰したような表情で、がっくりと頭を垂れ、両手で体重を支えるようにしているのだが、悔しさのあまり全身が震えている。
「私はここで言われたように点滴や注射を調合するのみ……まさかこんなモノが王に使われていたなどと……知らされていなかったとはいえ、大恩ある王に……私はなんということを……っ」
「だったら、次点滴を交換する時は、コイツを使って下さい。はい、処方箋も一緒ね。うちの職長の調合っスから、間違いはないっスよ」
言ってレインはクロから受け取ったもの全てをギーナスに託した。
「あんたがしっかりしてくれれば、この国は安泰だ。頼んだぜ? ギーナス博士」
「任せておいてくれ。そちらはこれからどうする気だ?」
すでに彼に背を向けたアルが、背中で答える。
「陰謀を暴くさ。すぐに済むでしょ」
そのまま静かにドアを閉め、突然の来客はやはり突然いなくなった。……なぜか追いかける気にもならなかったギーナスだった。
が、クロムウェル・サースという男の腕前と評判、そしてその助手となっている者を疑う余地は、彼にはなかった。それよりも今は、アゼロフという側近の言いなりになっていたことを酷く恥じ、怒りで頭がいっぱいになってしまっている。
「職長、戻りました……あれ? シルビア一人?」
役割を終えてすぐに王のいる部屋に二人で戻ったのだが、クロたち三人はすでに不在だった。
「ええ、つい先ほど、あの側近の方が迎えにいらして……今夜は泊まっていったらどうかと言われて、お部屋に案内されましたわ」
父王の手を取りながら、シルビア。どうやら、治療の効があったらしく、シルビアの手を握り返すことも出来ているようだ。
「じゃあシルビア、落ち着いたら俺たちもそこに案内してくれ」
「ええ、すぐにでも」
シルビアは、握っていた父の手にキスし、別れを告げると、すぐにその部屋を後にした。
点滴に混入されていた一種の毒物といい、管理の仕方といい、病人を隔離して治療・看病する部屋ではないことは確かだった。
あの扉の向こうにいたのがギーナス博士だったこと、そしてあの部屋が、罪を犯した要人を隔離するための部屋だったことをギーナスに教えてもらったこと、その彼に王の今後のことを任せてきたこと。このいきさつをシルビアにはまだ話していない。
薄暗い、緩く坂になっている廊下を昇りきり、角を曲がったり階段を下りたりして大広間に出ると、すでに晩餐の道具なども片付けられていた。別会場で行なっていたというダンスパーティーも、王家直属の者不在のまま終わったのだろう。静まり返った廊下には、三人の足音しか響かなかった。
「お使いいただく部屋は三階です、どうぞ」
シルビアが案内する。
がちっ
「あら? 内側から鍵が……きゃっ!」
シルビアが持っていた鍵で開けようと、もう一度ドアノブに手をかけた途端、急にドアが開き、シルビアは吸い込まれるようにしてドアの中に引っ張り込まれてしまった。
「うをっ?」
咄嗟に後ろに下がったのはアルだったが、レインはシルビアに続くようにして部屋に引きずり込まれてしまった。が、手癖も足癖も悪いレインのこと、ドアが完全に閉まる前に自分の足を廊下に残し、その器用な尻尾でドアノブを支えている。
「くそっ、離せっ!」
「いいぞ、そのままだ、レイン!」
言うなり、彼らを部屋内に引き込んだ人物の顔を確かめ、今度は逆にそいつを部屋の外へと引きずり出す。あの側近、アゼロフだった。細身の身体に似合わず力が強い。が、力の強さに関してはアルの方が数段上だ。他に部屋の中にも衛兵が三人ほどいるらしい。
「コトを急激に進めすぎたんじゃねーか? アゼロフさんよ」
肩に掛けて持っていた大剣を抜き放ち、引きずり出したアゼロフの胸倉を掴んで睨みつける。アゼロフの身長と力では、とてもアルに敵いそうになかった。アゼロフはしばらくあたふたと暴れてはいたが、室内の衛兵も驚いてのことか身動きもせず、やがて無言のままで勝敗は決した。
「お、お前たち! 見てないでコイツを倒せ! いや、姫を殺してしまえ!」
しばらくあたふたしていただけだったアゼロフだったが、逆に覚悟を決めたのか、ヒステリックな声で喚き散らす。
「お、お待ち下さいアゼロフ様! 姫をこの手にかけるなど出来ません!」
「私もです!」
と、次々と命令拒否する三人の衛兵。ついにアゼロフは、自分が動くしかないと、またもアルに胸倉をつかまれたまま必死の抵抗を続けた。衛兵は、せめてアゼロフだけでも助けようと部屋の外に出ようとするが、そこにはレインがいる。アゼロフの応援には行かせない。
「レイン、中の皆を」
状況を見つつ、冷静かつ静かな声で、アル。
「了っ解!」
衛兵の頭の上を猿のように飛び越えて室内に入るレインとほぼ入れ替わるように、大きくドアを開け放ってやってくる三人の衛兵たち。アルは、アゼロフを掴んでいた手を離すと同時に、向かってくる三人に向かって突き飛ばす!
「ぐぅあっ!」
「あ、アゼロフ様っ!」
もんどりうって部屋の中に倒れ込んだ四人を、アルが見下ろす。完全に、勝負ありだ。
「それでも俺と戦う気か?」
トントン、と剣の腹を肩に当てて一言。アゼロフや衛兵たちに言葉はない。不意に、彼らの後ろ、部屋の中から足音が聞こえた。歩幅の小さな、子供の足音。クロだ。中から聴こえた声からすると、どうやら縛られていたようだが、レインによって開放されたらしい。
「さて、随分あっさり観念したね。どういうつもり?」
仁王立ちになってアゼロフを見下ろし、冷ややかに言い放つ。アゼロフがゆっくりと起き上がり、アルとクロとを交互に見やる。衛兵たちは何をどうすればよいのか分からず、その場に座り込んだままだった。
「率直に聞くけど、王権を乗っ取るつもりだったの?」
本当に率直な質問だ。アゼロフはクロを見ることもせず、黙っている。
「黙っててもどうせバレるよ? 王様はもう回復に向かってるはずだし、キミが今ここでしたことも、僕が言えば全部本当だって信じてもらえるしね」
「くっ……」
詰めが甘いどころか計画が稚拙すぎる。
「私にも……翼を持つ資格があるはずだ……。シンクロ率だって王族には負けていないのだから……」
「それで王族に成り代わろうとしたわけ?」
「そうだ! 翼を持つべきものが翼を持つ! シンクロできるものだけが翼を持ち、この国を治めればいいのだ!」
翼とのシンクロ率が高い者は、他の動物とのシンクロ率に比べて、その存在はかなり少ない。だが実は、王族だけがもつ素質ではないのだ。王族の一人だったアルにシンクロ率が全くなかったように、一般人の中にも翼とのシンクロ率を持つものが稀にいるのだ。そういう輩が『自分は王族だ』などと言って王宮にやってくることは珍しくはないが、王家そのものを乗っ取ろうとした輩は初めてのことだ。
王宮には先祖代々伝わる、由緒正しき家計図がある。王族の生まれという証明がない限り、それは当然認められるものではない。
「知ってるでしょ? 仮にも側近やってたくらいなんだからさ。多分それも、王様に近付いて何か悪さしようとしたからだと思うけど」
「私だ……私こそが王に相応しいのだ……」
すでにアゼロフの耳にはクロの言葉は届いていないようだ。膝をついたまま一点を見つめ、独りぶつぶつと何かを呟いている。
「……何も聞こえないかな。そこの衛兵さん、この人医務室に連れて行ってくれる? それから、絶対に目を離さないようにしててね」
「は、……はっ!」
三人の衛兵は、何事が起こったのか理解できないまま、立ち上がることさえできないアゼロフを、自分達の上司であるはずの彼を抱えるようにして、正規の医務室まで運んでいった。
「精神鑑定もお願いした方が良かったかな……」
「嫌でもそれはさせられるでしょうね」
クロの呟きに、ズルズルと引きずられるようにして去っていく、アゼロフの背中を見送りながらアルが答える。
「これで本当に一件落着ってとこですかね、職長」
「そうだね。王様の意識が戻ったら、全て報告して、あとは任せようか」
「結局やっぱり陰謀だったわけっスね」
「しかもごく単純な、ね。王様が無事で良かったよ」
部屋に閉じ込められていた五人と無事合流。
「僕がついていながら、申し訳ない……」
と、クロや一緒に閉じ込められたメンバーに謝ったのはホクシーだ。彼は特別に体術など知っているわけではないし、アルのように喧嘩慣れしているわけでもないのだが、男としての何かがあったのだろう。珍しく表情が悔しさを物語っている。
「そんなー…謝ることないわよー、ホクシー……」
「そうだよ、結局は何事もなかったわけだしな」
シャルもロンも、自分たちに起こった出来事に対しては、あまり大きくとらえていないようだ。
「それより、王様はどうでした? 職長」
王の状態を知らないシャルが問う。
「うん、さっき急いで治療してきたから、これからも適切な治療が出来れば大丈夫。ここの医療チームに任せてもいいかな。あとで説明してくるよ」
「そうですか。……良かった」
「あの……皆さん」
遠慮がちにシルビアが声をかける。
「今回のこと、父上のことといい、私の翼の件といい……本当にありがとうございました。これで私も、覚悟を決めて国政に向かえますわ」
「それは何よりだね」
「これからが大変ね。いつでも応援してるわ」
「おう、頑張れよ、シルビア……王女様」
満面の笑みで、シルビアの新たな一歩を励ます。これから先、王が回復するまでの間の国政は、恐らく誰かの支えを得ながらの彼女の仕事になるだろう。急な展開でも慌てることなく、しっかりと未来を見据えた彼女の瞳は、以前にも増して輝いている。
「あ、シルビア……翼が……」
「あ……」
「うわぁ……」
唐突に、輝き出したのはシルビアの翼だった。
「まあ……」
彼女自身も驚いただろう。その輝きは神々しく、気高い。女王となり国を預かる者の決意をその身にも宿したのだ。一度強く輝きを放った後、以前の古ぼけたものではなく、翼は美しい純白に変わっていた。
「シルビアの決意の表れだね。あっと、これからは王女様、だね」
「あら、そのままで構わないのに」
「王宮内でもずっと呼び捨てだったな」
「しかもタメ口」
笑いの中には、様々な思いが交錯していたのだろうが、このときばかりは皆が全てを忘れるほどに穏やかだった。




