かわいくお願いされたってしないんだから!
「お願いしますご主人さま、罵ってくださいご主人さまぁああ!」
こんにちは。声優やっています白石悠です。
いやぁ、今日もいい天気ですね。青い空、白い雲、……これ以上なにも出てこないあたりボキャブラリーの無さを実感するけど、とにかくいい天気ですね! なんて、ちょっと冒頭からおかしなセリフが俺に向かって発されたので、軌道修正してみようと自己紹介を試みたところです、はい。
子どもが泣きだすんじゃないかとおもうような必死の形相で、なんども床に頭をぶつけながら俺に土下座をしているこの恋人を、いったいどうすればいいのやら。複雑な気持ちで彼女の後頭部を眺めている。ああ、いま俺、引きつった表情をしている自信あるからね。はぁ、とため息を吐く。
「ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから!」
なにその、さきっぽだけ的なノリ。
正直ドン引きしているけれど、男に迫られて「さきっぽだけ、さきっぽだけでいいから!」って言われている女の子の気持ちがわかったような気がした。ただひたすら、気持ち悪い、それだけである。
「お願い、ゆーちゃん! ジェイドさまの口調でわたしの名前を呼んで罵ってーっ!」
はい、なんでこんなことになったのか。もう皆さん想像できるかとおもいます。そう、実は彼女の好きな小説がこのたびアニメ化され、さらに何の因果か、彼女のだいすきなキャラクターのボイスが俺になったというね。だれかが図っているようにしかおもえないんだけど、そんなことはないから被害妄想だ。
そのキャラクターはドS鬼畜の象徴みたいなヤツだけど(彼女の趣味を疑ったが、毎度のことなのでもういい)、たまにみせる子どもっぽいところや過去を背負ったトラウマ持ちなところが女性のツボをついているようだ。特に、俺の恋人のツボをね!
……前から言ってるけど、べつに悔しくないからな。嫉妬もしてないから!
それで、だ。
あまりにもの熱情に耐えきれなくなったらしい彼女は、ついに先ほど土下座をし、俺にそのキャラクターの口調でしゃべってほしいと頼み始めた。付き合いはじめたときは、仕事に関するすべてをシャットアウトする勢いでなにも触れてこなかったのに、いまとなってはこうですよ、奥さん。
まぁ、俺が遠慮しなくていいって言っちゃったのが原因なんだけど!
だってだって、俺がふらーっと家に行って合鍵で部屋に入ったとたん、ものすごい勢いでテレビに布をかけて片付けるどころか(俺出演の乙女ゲームをしていた)、机の上に積み重なった声優特集の本(俺が表紙)を「うわああああ」と言いながら片付ける姿見ちゃったら、さすがに遠慮しなくていいとも言いたくなるでしょ。
ちょっとうれしいなんておもってないからね!
だけど、家の中で彼女に向かってキャラクターの声で演じるのは、正直に言おう――いやです。どうして、なんてそんなの分かるだろ。今はオフであって仕事じゃない。ドSで鬼畜な台詞なんざ吐けるわけがない! そんなセリフをオフで言ってみ、恥ずかしすぎて俺死んじゃう。
『来いよ。オレが忘れらんねーんだろ? だから言ったじゃねーか。お前はオレを好きになる、てな』
はい、買ったブルーレイを持ち出して、見事に再生し始めてくれやがりましたよね、俺の彼女。「これだよ、これ」というような目でテレビを指さす彼女を見ながら、「これだよ、これ」じゃねーよ、と脳内で突っ込む。まぁ、彼女のそんなところもかわいくて好きなんだけどね(ええ、べた惚れですよ)!
なんていうのか、仕事のスイッチ入らないと言えないんだよね、こういうセリフ。
テレビをガン見しながら「ジェイド様ぁあああ、抱いてぇええ!」と叫んでいる彼女をジト目で見つつ、俺はため息を吐く。テレビの中にいる俺の器が、バカにしたような瞳でこちらを見ていた。……くそぅ。俺だっておまえみたいにSっ気あるセリフを素で吐いてみたいよ!
『な、なに、べつにあたし、あんたのことなんて……』
「ミレイちゃんはこうやって言ってるけど、わたしはジェイドさまのこと大好きだからね!」
あ。なんか言い始めた。
『へぇ、良い度胸だな。オレに嘘をつくつもりか?』
「ジェイドさまに嘘なんてつくわけないでしょ!?」
おまえにじゃなくて、“ミレイちゃん”に言ってんだぞ、そのジェイドさまは。
『っあたしには、あたしには、あのひとがいるの!』
『あんな男のどこが良いのか分かんねーな』
『……そうね、あなたには分からないでしょうね。やさしさを持たないあなたには、彼の魅力なんてきっと分からないのよ』
ミレイという名のヒロインが、悲痛な面持ちでジェイドを見上げる。気が強いのに涙目でジェイドを睨み付けているミレイの姿は、やっぱり何度見ても加虐心をそそるものがあるとおもう。収録中もずっとそう言ってみんなで騒いでいたけど、うん、気が強い子の涙目ってそそるよなぁ。
てか、ミレイのこの姿を俺の恋人である彼女に置き換えると、ちょっとテンション上がっちゃうよね。こう、徹底的に追いつめてやりたくなるっていうか、もうちょっと泣かせてやりたくなるっていうか、意地悪したくなっちゃうっていうか。いや、悲しませたいわけじゃないんだよ!? わかるかな!?
そうして見事、俺とシンクロしたらしいジェイドは、殴りつけるような勢いでドンッと壁に腕をついた。その音にびっくりして完全に動きを止めてしまったミレイに、そっと顔を近づけるジェイド。
そういえば、壁ドンは追いつめて動きを止めるためのものだから、恐怖で足を縛りつけて本当に動けなくさせるくらい勢いがないとまったく意味がない、と彼女が力説していたかもしれない。
とん、とやさしく置いて、気がつけば逃げ場がないように計算されているような感じも好きだけど、感情のままに殴りつけられるような強引で乱暴なほうが萌えるだとかなんだとか言っていたっけ。
『うるせぇなぁ』
『や、やめて!』
ジェイドはミレイを壁と自身とで閉じこめ、彼女のアゴに手をかけて鋭く見下ろしていた。俺の恋人が「きゃっ」と言いながら顔を両手で隠す。そして、指のすき間からしっかりテレビを見ている。……うん。
『オレに口答えする権利はお前に与えちゃいねぇって言ってんだろ。あまりにおイタが過ぎるようなら――このままめちゃくちゃにして壊してやろうか』
あ、彼女が悶え始めた。
「めちゃくちゃに壊してください。お願いします」
深々とテレビに向かって土下座をした彼女は、恍惚とした表情でジェイド(アニメのキャラクター)を見つめていた。くっそぅ。俺が夜にコイツに言わせたいセリフ、ぜーんぶ二次元のキャラクターが言わせちゃうんだよね。ちょっと納得いかないっていうか、立場がないです……。
ジェイドは過去に色々あったというエピソードを持っていて、その過去のせいで人を信じられなくなり一匹狼になった。それはあまりに壮絶で、ゆがんだ性格であることに納得できてしまう。
もちろん、最初からそれがわかるような話にはなってなくて、中盤あたりで判明したけれど、性格悪いキャラなのにトップの人気を誇るジェイドは、いまやこの作品の看板娘なのだ。あ、いや、娘って言ったけど男だよ。
そしてそんなジェイドは、俺の彼女にとって最高に萌えるキャラクターだった。普段は俺様気質で鬼畜ドS、自分が気に入ったものはなにがなんでも手に入れるという強欲の塊。だけど、たまに見せる影と儚げな姿は、彼女の母性本能をくすぐって仕方がないらしい。
悔しいけれど、たしかにジェイドの不器用なやさしさには、強い破壊力があるとおもう。小説自体が女性向けなこともあり、そのキャラクターも女性のツボをつくのは当然というような設定だけど、イケメンで女遊びが激しくてどうしようもないジェイドは、たしかに俺の彼女のツボをつきにつきまくっていた。
俺だって、自分が演じさせて頂いているキャラクターを愛しているし、誇りをもってお仕事をしているつもりだけれど、やっぱりこう、なんというか。もやっとしちゃうっていう、複雑な乙女心みたいなものがある。男だけど!
「ゆーちゃん、おねがい、ジェイドさまの声やって!」
「やだ。ぜったいやんねー。なんで他のヤツに迫られてるお前の姿を実現しなきゃなんないの」
「ええええ、中の人ゆーちゃんじゃん! ちょっとうれしいけど、でもでもやってくんなきゃやだー!」
でも、俺じゃないじゃん!
それはジェイドであって俺じゃない。ジェイドがお前に迫っているだけで、俺じゃないでしょ。俺は、俺以外にときめいているお前を見るのがいやだ。いや、いいんだけど! 二次元に負けるつもりないし、俺しかコイツのこと触れないし、キスできるのもえっちできるのも俺だけだからいいけど!
でも、なんかやだ!
「ゆーちゃん、おねがい?」
くそ、かわいいけど、くそ、くそ、ゆるされん! ゆるされんぞおおお!
「ねぇ、ゆーちゃ」
「お前さぁ」
彼女の言葉を遮る。どきりとしたようにお口にチャックをするあたり、ちょっとは学習しているらしい。
「本当にいい加減にしねーと、それこそ――」
そこまで言って、俺はベッドの上に座ってテレビを見ていた彼女の両手を取り、そのまま体重をかけてゆっくり押し倒した。キョトンとしている彼女には悪いけれど、ついでに言えばお口チャックをきめた彼女には悪いのだけど、俺の口は止まりそうにない。
「めちゃくちゃにしてやろうか」
ため息まじりに告げた声は、自分でおもっていたより遥かに低かった。ぽかーんとしたまま黙ってしまった彼女には悪いけれど、彼女の上から退くことはできなかった。めちゃくちゃにしてやりたい気持ちは確かで、どうしても黒い感情を抑えることができない。
「なぁ」
「え、あ」
「俺といちゃいちゃしよっか」
にっこり笑ってそう言い切れば、とたんに頬を赤くする彼女。そうしてあたふたといつものように困惑しながら、「あ、う」と言葉にならない音を発する。きょろきょろと視線をさまよわせて逃げようとするから、よけいに追いつめたくなるんだよね。ほんと、かわいい。
「なんか言ってよ」
「、あ、その、な、“なんか”」
「……」
「……あ、あは」
本ッ気で泣かせてやろうか、コイツ。
そうはおもっても実際にそんなことをしないのは、彼女を泣かせたくはないから。なんだかんだでやさしい自分が、たまに嫌だったりするんだけど。でもやっぱり泣かせたくはないから、ガマンするしかない。
いや、泣かせたいなっておもうときは本当にちょこちょこあるんだよね。実際、泣いていてもそのまま続けちゃうこともあるし、泣かせたくて意地悪しちゃうことだってあるんだけど。
あ、なにを続けちゃうのかってのは聞かないお約束だよ。お兄さんとやくそく。
「ゆ、ゆーちゃん」
「なに」
「おこって、る?」
「なんで」
「えっ、それは」
困ったように俺から視線を外す彼女。どうして怒っているのかについては、あまり分からないらしい。……学習能力ねぇな。俺は彼女にまたがったまま、少しだけその両手首に込めていた力をゆるめていく。だからと言って、手を放す気はない。
「あの、その、それで、ジェイドは」「……まだ言ってんのお前」こんな状況になってもこりずに、そんなことを尋ねてくる彼女は、やっぱり“どうして怒っているのか”わかっていないようだった。
いや、そうじゃない。
俺が決して彼女を泣かせるようなことはしないと確信しているからか。
悟った俺は、ひとつため息を吐く。吐き出した息に混じって、ほんのすこし嫉妬心が外へ流れた気がした。それでも、胸の内を掻き乱すそれらはあまりに大きいからだろうか、まったくと言って良いほどなりを潜めやしないのだけど。
外は暗い。窓の外で騒ぎ立てる風の音を聞きながら、そっと彼女の唇を奪ってやる。すこしだけ肌寒いこの夜なら、何をしてもいいような気がした。もちろん、彼女が拒絶しないだろうことを分かっているから、だけどね。
「――壊されたいんだろ」
「、え?」
「良いよ、"オレ"もちょうどお前をめちゃくちゃにしてやりてぇと思ってた」
いつもより低い声で、かつ鋭く。息を吐き出すように声を出して、色気はたっぷり注入する。自信満々で傲慢なアイツは、ドS鬼畜の自己中野郎。口の悪さは超一級品だけど、“危険な男”ってのもドキドキしていいだろう?
仕方ないから今日は良い。俺じゃないけど、“オレ”だけど、それでもアイツになりきって今日だけは許してやる。だって、スイッチ入っちゃったから、ちょっとこのほうが都合が良いんだ。だって、この方が――。
「ゆ、ゆーちゃん、その口調は……」
「文句あんのかよ」
「ない、ないけど待って、やっぱりごめん、まってはずか――」
「うるせぇな」
この方が、たぶん。
「オレに口答えしていいなんて、言った覚えねぇんだけど」
好きにできるから。
なんて、ね。