二次元に嫉妬なんてしてないんだからね!
世界がちがうとはこのことか。
なんて、ガラス越しに映る姿を無感情に眺めた。ちょっと白目むきそうっていうか、死んだ魚のような目をしているけれど、こればっかりはゆるしてほしい。
視線の先にいるのは、切れ長の鋭いまなざしに、茶色くてさらさらとした髪の毛の男子高校生。自信満々で余裕の態度を見せつけているそいつは、いじわるげな様子で口角を上げている。「おまえを他の男にやるつもりはねぇよ」なんて甘ったるいセリフを吐いてドヤ顔なんかしちゃって。
くそ、くそ、たしかにかっこいいけどさ! ふつふつとわき上がる黒い感情。相手は「ちがう世界のひとだから」と割り切って、嫉妬なんて醜くてどうしようもないことしなければいいのに、ガマンできなくてイライラしてしまうのはきっと――。
「きゃーっ、やばい、かっこよすぎて鼻血出ちゃう!」
「……」
家に遊びに来ている彼氏をほったらかして、乙女ゲームに熱中している俺の彼女さま。くそ、ふざけてやがる。さっきから別の男に「かっこいい」だの「抱かれたい」だの騒いでいる彼女にどうしようもない感情がコンニチハだ。ふん、なーにがコンニチハだ!!
彼女にとってだ~いすきな声優さんとやらが出ているそれは、学園もののラブストーリー。ギャグ甘テイストなのか、笑いあり胸キュンあり涙ありで、ここのところずいぶんとハマりきっているようだった――それはもう、いっしょにいるこっちが悲しくなるほどに。
彼女がこのゲームをし始めた理由の大半は、彼女のすきな声優が出ているからで、キャラや話が気になったというより、そっちの理由のほうが大きかった。ちなみに現在、その声優の担当するキャラを攻略している最中である。
けれど、そんなのはきっかけにすぎず、実際にプレイしてみたところ、「その声優の声とキャラの雰囲気がマッチしている」だとか、「好みのSっ気イケメンくん」だとかなんだとかでキャラ自体にもハマりまくり、“こんな状態”になっているのだ。
なんだよ、ほんとう。そうおもいながら今日の流れを思い出せば、またイライラして仕方がなかった。ああ許すまじ――乙女ゲーム。いや、この乙女ゲームに罪はない。ハマれるほどすばらしいゲームだということなら、俺だってそりゃあ“うれしい”。
だけどまぁ、きいてほしい。俺の悲しい今日の出来事を。
仕事を終えて彼女の家に直行した。
半同棲状態の俺たちは、彼女が家にくるか、俺が行くかのどちらかをしていっしょに生活している。だいたい、毎日俺の仕事があるから俺の家に彼女がくることのほうが多いけれど、次の日がオフという日にかぎり、俺が彼女の家に仕事終わりに直行するのだ。
そんなわけで彼女の家に「ただいま~」と帰れば、「おかえり!」とうれしそうな表情で迎えてくれた。そうして、いつもどおりにおしゃべりしたりじゃれ合ったり、まぁ恋人らしく過ごしていたわけです。しかもベッドの上で。わかる? ベッドの上だよ。
そう、憎むべき9時が訪れるまでは!
ここまで聞いたら、リア充爆発しろだとか、ギリギリと歯ぎしりしたい気持ちだとか、はいはいごちそうさまでしたなんて感情が起こったとおもうんだけど、問題はこの後! 憎むべき9時、つまり21時からなの! もう聞いてよ、ほんと俺、かわいそうだからね!
雰囲気もばっちりつくったし、明日はオフだし、いっしょにお風呂だって入っていちゃいちゃしたんだから、もうやることはひとつ、ひとつしかないでしょ。そうおもって、オープニングとばかりに今からキスしますよ~、と顔を近づけようとした瞬間――突然部屋に鳴り響いた崖の上のポ○ョの主題歌。
その選曲に、古いだとかなんでそれなんだとツッコミを入れるより早く、彼女は「ゲームの時間だ!」と顔をニヤニヤさせ、俺を勢いよく引きはがしてテレビの前に向かった。華麗な動きだったとおもう。うん、俺の彼女ながら尊敬するくらい、あざやかな手並みだったとおもうよ。やだ、なんかもうここまで語っているじぶんが哀れ。
PS3を起動させて、「続きから」を嬉々として選ぶ彼女の顔は、彼氏がこの場にいるにも関わらず終始ゆるみっぱなし。メインの攻略対象キャラが甘い言葉を吐いたのを合図として、ゲームが始まりを告げた。
そいつだってなぁ、男子高校生なんだぞ!
頭ン中はエロいことでいっぱいなんだからなあぁあああ(ただの言いがかりである)!
たしかに彼女がオタク(特に声優が好き)であることは知っている。というか、それがキッカケで付き合い始めたようなもんだ。だけど、だけど! ちょっといま納得いかない! キスするんだったのに! ねぇ!
「ロード中」を眺めながら、「あ、これ今日のうちに甘いセリフが聞けるー!」とすこし頬を染め始めた彼女。え、だからなに、なんなのこの扱いの差。俺だって甘いセリフとか吐いちゃうよ? 俺だってやればできるからね?
なんだかちょっとばかりさびしく、ついでに言うと悲しくなって、「なぁキス――」と口にする。が、俺がそう呼びかけたとたんに、「あ、始まった」とスルーを頂く始末。悲しすぎる。つーか俺、不憫すぎるだろ……!
床の上に手をつきたくなったけれど、ショックのあまりベッドの上から動けず、そこから憎むべきテレビを睨みつけるのみ。正座でゲームする彼女にもイラッときたが、今はなにを言ってもムダだろうと冷静な俺が確かな判断を下した。……くそ、くそ!
『俺は、お前を手放したくねぇ』
ふと、テレビからそんなセリフが聞こえてきた。それに呼応するように「離さないで、一生ついていきます……」となぜか返事をする彼女。なにこれ、掛け合いとかはじまんの? え、俺といるときにそんなこと言ってくれないよね? えっ、え!?
『好きだ。お前が好きだよ』
「私も大好きぃいい! 誰よりも1番あなたが好き!」
とかなんとか言っているにも関わらず、選んだコマンドは『でも、私……』というためらいのセリフ。それがポイントを上げるセリフだと知ってのことだろうか。彼女の愛の告白が痛い。なんかいろいろ痛い。
良い声すぎる、とちいさく呟いてドンドンと折りたたみテーブルを叩く彼女は、すっかり声優の声にやられているらしい。えろいよえろい、と言いながら激しく悶えていた。
「どーしよ、鼻血でそう……」
あー、イライラする。
攻略キャラクターがヒロインを抱きしめる。「んぐはぁ!」俺の彼女の奇声があがった。ヒロインが泣きそうな顔で男を見上げれば、ふ、とその二次元野郎は微笑んでみせた。愛しい者を見るような、やさしい眼差しで、だけど余裕と自信に満ちあふれた表情で。
そいつは芸能人設定なだけあってたしかにカッコいい。俺もこのキャラクターはすきだし、嫌いな要素なんてどこにもない。むしろ、俺が嫌いになるはずがない。べつにホモじゃない。そういうんじゃなくて、俺がこのキャラクターを嫌いになれるはずがないのだ。
なのに、どうしてだろう。ちょっとむっとしてしまう。
……いや、あれだから。べつに二次元に嫉妬したわけじゃないから。本当にちがうからね。かんちがいしないでよね!
『好きすぎてどうにかなりそうだ』
「きゃーきゃーきゃー、わたしもだいすき!」
キャラが――それとも声優が?
『抱いても、いいか』
「いやんもう、は・れ・ん・ち! でもオールウェイズカモン! あー、良い声すぎるでしょ」
オールウェイズカモン!?
『もうお前しか見えねぇよ』
「私もあなたしか見えないわ!」
まってまって、ねぇ俺は!? 俺のこと見てる!?
『……かわいい』
「んごほぉっ! ……婚姻届けもらってくるわ」
……へぇ。
『お前のすべてを俺にくれよ、なぁ、いいだろ』
「言わせてもらおう。お前のすべてを私にくれ!」
……。
そこまで言い終わってゴロゴロと床に転がり、悶え始めた彼女。その様子を冷めた目でベッドの上から見下ろす。きゃー、と顔を赤くしている姿に、腹が立ってしかたがない。
だいたいね、なにが悲しくて恋人が他の男に顔を赤くしている姿を見なければならないのだろうか。声優という存在がキッカケでこのゲームを買ったようだけど、声優に対してだとしても、キャラクターに対してだとしても、すっげー複雑である。
すっ、とベッドから降りて、ゲーム機の電源を切る。ぎゃああああああ、という乙女らしからぬ叫び声こそスルーだ。なにすんのっ、と心底怒っているらしい彼女を冷たい目で一瞥。言葉につまった姿を見て、おもわず口角を上げた。
そんな俺の姿に、俺の機嫌が悪いことを察したらしい。彼女は床でゴロゴロしていた体勢から起き上がり、ベッドの方へ後ずさる。それを追い詰めるようにして彼女に迫り、見下ろす形でベッドに手をついた俺は、にっこりと笑ってやった。
ひく、と引きつった顔で、「悠ちゃーん……」と俺のなまえを呼ぶ。そんな彼女に俺も笑みを浮かべたまま、そっと耳元に唇を近付けた。「『俺は、お前を手放したくねぇ』」
言ったセリフは、彼女が悶えていたキャラクターのセリフ。もちろん、彼女がその中の人の声に心底溺れていることを知っての行為だ。彼女は「、え」と頬を赤く染め、俺を上目遣いに見た。
いい反応。
そんな様子にまたふっと笑みをこぼし、「ねぇ、俺には言ってくれないの」と尋ねた。どういうこと、と首をかしげて泣きそうな顔をしている彼女に、「『離さないで、一生ついていきます』って」と囁くように告げる。混乱しているらしい彼女は、目を瞬かせるのみだった。
ああ、いい気味。
「『好きだ。お前が好きだよ。好きすぎてどうにかなりそうだ』」
そっと頬を撫でれば、びくりと彼女の肩が揺れたのが分かった。そして、「う、わ、ちょ、しゃべるの禁止!」と制止をかけてくる――今にも沸騰しそうなほど真っ赤な顔で。あたふたとして俺の口元にストップをかけようとあげられた両手をつかんで、ベッドに縫いつける。
しゃべるの禁止、って言われたからって、そこでやめる俺じゃない。俺をほったらかして乙女ゲームしてたんだ。俺がいるときは乙女ゲームをしなくたって、た~っぷり甘いセリフ聞かせてやるんだって、教えこまなきゃ気がすまない。
ゲームのアフレコ時の台本を思い出す。
低く甘く、囁くように、なんて指示があったか。ここは共演者ともどもちょっと気恥ずかしかったけれど、なんだかんだ楽しんで、ついでにずいぶんと気合いを入れて声をあてた場所だった。
「『抱いても、いいか。もう、お前しか見えねぇよ』
顔を近づけながらそう言って唇を撫でれば、「あ、う」という言葉にならない声が聞こえる。……本当に、現実での甘いセリフにはよわいよね、この子。まぁ、そういうところが――。
「『……かわいい』」
そう、かわいいんだけどね。
「『お前のすべてを俺にくれ』」
言いながら、耳元に顔を近づけた。
「『なぁ、いいだろ』」
そう言い終わって彼女を覗きこめば、すこし涙目になっていた。顔を赤くしながらこっちを上目づかいに見てくる姿に、おもわずふ、と息を吐きだすような笑いが出てしまう。そうすれば「ずるい、ずるいっ」と抗議してくる彼女。
なーにがずるい、だ。「でもおまえ、このキャラクターの声優さん好きなんだろ」なんともないとでもいうような口調で、なーんにも思っていないとでもいうような表情でそう言えば、「好きだけど!」と泣きそうな声が返ってきた。
うん、恥ずかしさからくる泣き顔はすっげーすきだから、まだ容赦しない。
「、ずるい、やだ、本人が直接言うとかありえない……!」
「なんで。本人に言ってもらえんだから最高だろ」
「悠ちゃんっ、私が悠ちゃんの声だけじゃなくて顔も好きなんだって、分かってて言ってるでしょ!」
「いやー、ありがとう?」
晴れやかな笑顔でそう告げた俺に、「恥ずかしすぎて死ぬ……!」と言いながらベッドに潜り込む彼女は、どうやら沸点を超えているらしい。おそらく真っ赤な顔を見られたくなくて、布団で隠してしまおうという計算だろうけれど。あーあ、逆効果なんだよなぁ。
「ベッドに入るって、それって誘いに乗ったんだよね?」
さり気なくそう言って彼女の上にまたがれば、やってしまった、と青ざめた顔で俺を見てきた。ガーン、という効果音が聞こえてきそうなあたりが、なんとも言えず愉快である。
……かわいいなぁ(おバカで)。
そんな彼女の顔の横に手をつき、再度ふんわりと笑ってみせる。黒いよ、と訴える声が聞こえたが、これまたスルーだ。黒くてなんぼ。俺だって好きな子の前では狼さんなんです! 俺だって、狼さんなんだ!
「乙女ゲームとかやんなくても、俺がいくらでも囁いてあげるから」
「うっ」
「だから、俺だけを見てて」
そう言って奪うようにキスを落とせば、やっぱり真っ赤な彼女の顔が目に入って、おもわず噴き出しそうになってしまった。それと同時に、膨大なほどの愛おしいという感情も沸き上がってきたけれど。
そんな俺、もうお気づきだろう。
そう、声優です。声のお仕事をしているひとです。最近はCMとかバラエティーのナレーションとか洋画の吹き替えとか、本当に幅広いジャンルでお仕事をさせてもらっている声優です。そしてなにより、彼女が攻略していたキャラクターの声を担当している。
つまり、中の人そのもの、ということ。
出会いについて語るのは、今から彼女と色々しなければならないことがあるから無理だけど、とりあえず俺と彼女は恋人同士ってことだけわかってくれればいいよってことで。彼女が俺の声をだいすきだと言うのだから、今からたっぷり甘い言葉と一緒に聞かせてやろうかな。
覚悟してろよ。