第二章 能力者調査面談(1)
四日分の荷物をまとめたサッタールは、スピカ寮の玄関から出たところで、足を止めた。
この時間は宙航科も機関科も基礎体力をつけるという名目で、三十キロメートル走をやらされているはず。だから顔見知りに出会うことはないと思っていたのに、その気配は思念を遮蔽しているにも関わらず、五十メートル先からでも感じ取れてしまった。
「あ、あの……お久しぶり……です」
ぴょこんと頭を下げたのは、タキ・ハヤシだ。アルヴィンと共に話して以来、顔を合わせることもなかったが、彼女は情報工学科の上級生なのだからすれ違うのも当たり前だった。
ただサッタールが首を傾げたのは、タキもまた手に荷物を持っていたからだ。
「どこかに行くのか?」
サッタールの疑問に、タキは光の加減で微妙に色味を変えるヘーゼルの目をいっぱいに開いて、困ったように曖昧に笑った。
「聞いてなかったですか? あの、その……父が、中央府の超常能力者調査の、あの、責任者で。私、父に呼ばれて……」
先日会った時は、先祖が超常能力者を奴隷にしていたということを気に病んで、緊張しているのだとばかり思っていたが、どうやらタキ・ハヤシは非常に内向的な性格らしい。
双子の喋り方も慣れないうちは疲れたが、タキの話し方を聞いていると、自分が苛めているかのようで困惑する。
「それは失礼した。というと、お父君は……?」
「えっと、ファルファーレ連合中央府内務省公安部警部をしてるの」
タキは、長い職名をつっかえずに言えてほっとしたように溜息をついた。それから公安という部署が目の前の青年にとって不愉快ではなかったどうかと、そっと視線をあげた。
だがサッタールは、全くの無表情でうなずいてみせた。
「なるほど、了解した。だが君自身の役割がわからない」
「……その、父からは、調査には若い女性にもご協力いただくから、こちらも同年代の者がいたらいいだろうと、それと……」
まだ何か言いたそうにしつつ、タキは口をつぐんだ。
島から来るのは、アルフォンソとサハル、それからミアという植物に力を及ぼせる若い娘だ。またサッタールはうなずいて、今度は微笑んでみせた。
「それは助かる。姉ともう一人、女性が来る予定になっているが、皆、外に出るのはほとんど初めてだ。慣れないことも多いだろうから」
父親についてはそれ以上言及せず、サッタールはさっさと大学内に設置されている駅に向かった。後ろからついてくるタキの足音を無意識に捉えながら、口にしなかった公安のことを考える。
登録制度を推進しているのは公安だ。だからこの調査に公安の一員が加わるのは不思議ではないが、娘とはいえ直接関係ない一学生に接待役のようなものを押しつける理由が腑に落ちない。単なる好意なのか、他に意味があるのか。
(何を狙っているんだ?)
緊張しきっているタキの思念を読んでも、その思惑などわからないだろう。ならばその父親に会ってから考えればよいことだった。
それよりも数ヶ月ぶりにアルフォンソやサハルと顔を合わせることに、少しだけ心を弾ませていた。
「あの、ミスター・ビッラウラ」
タキの息を切らしながらの声に、サッタールは足を止めた。考えごとに没頭して、歩みが速かったのだ。
「ごめんなさい。その、一緒に行っても……?」
「ああ、こちらこそ申し訳なかった。もちろん。それと名前で呼んでもらって構わない、ミズ・ハヤシ」
「あ、私も。名前で。その……」
面倒だなと反射的に考えたことは押し隠して、サッタールは歩く速度を緩めた。
最初の調査は、西のヴェルデ大陸の首都、ロデェリアで行われる。ここから鉄道と飛行機で約五時間。その間に、倉庫に積まれていたというハヤシ家の古い記録についてでも聞かせてもらえればいいが、タキの様子では聞き出すのに苦労しそうだった。
送られてきたチケットの座席は、手回し良くタキの隣だった。公安に、彼女を近づけたい理由があるのだろうかとしばし考えたが、本人に聞いても首を傾げて困るばかりだろうと予想できたので、サッタールは黙って席に座った。
小さな窓の外では、飛行機を誘導するアンドロイドが手を振っていた。ナジェーム大学の駅と空港を繋ぐ鉄道も、空港のチェックインも、そのほとんどが無人かアンドロイドで、客ではない職員を見かけない。
かといって設備が無機質で機械的かというとそうでもなく、あちらこちらに花が飾られ、木や布といった柔らかさを感じさせる調度品がふんだんに使われていた。
不思議なものだと、サッタールは手を降り続けるアンドロイドの表情のない顔をぼんやりと見つめた。
まだ目にしてはいないが、農業も工業も、多くが無人化されているはずだ。それならばいったい人間はどこで何をしているのだろうと思ってしまう。
ナジェーム大学だって学生と教官を除けば、他の職員を見かけることはまずない。事務処理はコンピュータ画面を通して用が済んでしまう。清掃はロボットがしているし、食堂もメニューボタンを押せば注文したものが即座に出される。それでもあまり違和感を覚えないのは、学生の熱気が満ちているからだろう。
そんな物思いが、すぐ隣で居心地悪そうに身じろぎをする気配に破られた。
「あの、ごめんなさい」
小さな声でタキが謝ってくる。
「何が?」
「怒っているのかと思って……」
言葉が足りない。サッタールはずっと上げていた遮蔽を少しだけ下ろした。とたんにタキの混乱気味な思念が流れ込んできて、また遮蔽を引き上げる。
どうも外の世界に疎いはずのサッタールが、駅や空港で困るに違いないと思っていたようだった。確かにエアカーの交通規則すら知らないのだ。そう思われても不思議ではない。しかし機械の原理を知って製作しろと言われれば困るが、使い方など他の人を少し観察すれば造作もない。ああ、こういうものかと思うだけだ。
だから特にタキに尋ねることもなくさっさと手続きを済ませたのだが、その態度が怒っているように見えたのだろう。
「別に怒るようなことは何もないが。せっかく同行してもらったのにこちらこそ悪かった。もう少し困った顔を見せればよかったかな」
皮肉混じりに返すと、タキは顔を赤くしてうつむいた。
さすがに言い過ぎたかと思ったが、謝罪を口にしてもまたごめんなさいと言われそうで、サッタールはそっと息を吐いた。
考えてみれば初めてコラム・ソルを出た時は、艦船のロッカーの開け方も、洗面所の水の出し方も知らなかったのだ。まだ遮蔽もうまく扱えず、アレックスの説明と零れる思念を読んで覚えたのだった。
たぶんコラム・ソルから直接ロデェリアへ運ばれる三人は、今頃目を回しているに違いない。
「あちらに着いたら、姉のサハルとミアという子が来ているはずだから、彼女たちにいろいろ教えてやってくれると助かる」
サッタールが唇を緩めて頭を下げると、タキはぱっと顔を上げてうなずいた。本質的に人が良いのだろう。
「はい。私でできることならなんでも」
「ところで先日のアルヴィンと一緒に聞いた話だけど。もう少し覚えていることを聞かせてもらってもいいかな。お父君はその陶板のことをご存じだろうか?」
努めて口調を和らげる。
タキは視線を宙に投げて記憶をたどるような顔をした。
「父は知っていると思います。実は私がアルと二人で読んだ後、すぐにどこかに移されてしまったの。そんなことできるのは父しかいないし」
「君たちが陶板を読んでいたのは知ってるのか?」
タキは首を振った。艶のある髪がふわっと踊る。
「その頃父はセントラルにいたから。私も特に何も言わなかったし、知らないと思うわ」
公安はかつて超常能力者が使役されていたことを知っている。しかしそれがコラム・ソルに伝わっていることは知らない。
では超常能力者たちが、能力の限りを尽くした時代があったことも知っているのだろうか?
アレックスの話では、イウサールの事績についての文書は残っているそうだから、全容は知らなくてもなにがしかの記録は他にもあると考えるべきだろう。
「まるで化かし合いだな」
ふと口ほついて出た言葉に、タキが怪訝な瞳を向けてきた。
「ごめんなさい。今、なんて……?」
二言目には謝るのは、彼女の口癖なんだろうかと思いながら、サッタールはシートベルトを緩めた。もう上昇は終わって水平飛行に移っている。トゥレーディア月基地に行くシャトルとは違い、加重もほとんど感じなかった。
「いや、何でもない。それから意味もなくすぐに謝るのは控えた方がいいと思うな」
「あ…ごめ……はい」
タキは、ごめんなさいは飲み込んだが、代わりにしょげた顔をした。臆病な小動物のようだが、謝られる度によけいに神経がささくれ立つ。
島の女たちはおおむねおおらかだし、セントラルで会ったミュラー元帥の孫娘はわがままだったが言うべきことは真っ直ぐぶつけてきたから、対処しやすかった。
タキ・ハヤシは人は良いのだろうが、どう対応してよいのか今一つわからないので困るのだ。
うつむいて膝のところでスカートを握りしめているのを横目で見て、サッタールは苛立つ自分の感情を持て余し、零れそうになった溜め息をようやく喉の奥に押し込めた。
「君とアルヴィンが読んだという記述を、もし思い出せたらもう少し教えてもらえないかな、ミズ・ハヤシ?」
怖がらせないように努めて穏やかに声をかけると、タキは顔は上げて小さくうなずいた。かすかに不満に思う思念を感じ取って、サッタールはもう一度精神感応の遮蔽を引き下げる。名前で呼ぶ方がよいと了解はしたが、それならそうはっきり言ってくれと密かに思った。
「……あの……そう言われるかもと思って、昨夜アルと二人で思い出しながらメモを取ったの」
タキはバッグから一枚の紙片を取り出して、サッタールに渡した。
几帳面な細かい字で埋められた紙を手に、サッタールは眉を少しだけ上げてから頭を下げた。
「ありがとう、タキ。帰ったらアルヴィンにも礼を言っておこう」
「アルが、その……こういう物はデータじゃなくて紙で渡した方がいいって。私、上手な字じゃなくてごめんなさい」
データだとどこから流出するかわからない。また意味もないごめんなさいが聞こえたが、サッタールはそこは無視することに決め、タキに劣らず気弱げに見えるアルヴィンの用意周到さに、表情を緩めた。
しかし文書として渡されてしまうと、それ以上の会話もなく、二人は黙ったまま大陸を隔てる海峡を渡った。
活動報告にも書きましたが、惑星の大陸の地図を一番初めの概要のページ下に挿絵として貼り付けました。
稚拙な地図ですが、よろしければどうぞ。
次は明日更新予定です。
よろしくお願いします。