第一章 ナジェーム宙航大学(5)
スピカ寮の自室に戻って、サッタールはPPCからコラム・ソルへの通信を開いた。
宿題の、特に計算の方はさすがに取りかからなければ間に合わない気もしたが、まずは確認しておきたいことがあったのだ。
アンダーソンの小冊子はアルフォンソが持っている。タキの言った古い時代の記録もあったのかどうか、調べてもらうつもりだった。
「何だ、珍しいな、まともな時間に」
通信に出たアルフォンソは、幸い一人の時間を過ごしていたようだ。これより遅い時刻だと、誰かと共寝をしていることが多くて、サッタールはいつも気まずい思いをするのだ。
「ちょっと聞きたいんだが。例の小冊子の始まりはどの時代からなんだ?」
「はあ? そんな用かよ」
通信機器をいまだに使い慣れないアルフォンソにとって、サッタールからの通信は緊急事態以外は歓迎できないのだろう。それでもしばらくの間をおいて、アルフォンソの声が返ってきた。
「イウサールの現れた頃が一番古いな。その前の先祖たちが何をどうしていたのかは書かれていない」
「そうか……」
サッタールは手短にタキの話を伝えた。アルフォンソは黙って聞いてからおもむろに返してきた。
「ただ、イウサールの言葉が幾つか載っているな。こうだ。〈我が同胞たちのくびきを解き放ち、我はこの地に王国を築かん。以後この土地は我らのチッタ・リベルテと呼ばれることだろう〉」
チッタ・リベルテは自由の土地という意味だ。やはり超常能力者たちの多くは、搾取されていたのだろうか。
「でもそんなこと、可能かな? 今ほど科学技術がろくに発達していない時代に、私たちを能力のない者が閉じこめておけたとは思えないんだ」
「そうだな。搾取側にも能力者がいたのかもしれん。そのお姉ちゃん家の記録にも、全員が逃亡したとは書いてないんだろ?」
そうか、とサッタールはうなずく。陶板に記録が残っているのも、まだ他に能力者がいた証拠だった。
「いいか、サッタール。俺たちがいつでも一致団結していたなんてのは幻想だ。この狭い島でもいろんな思惑があるんだぞ。ましてや大陸中に散らばっていたんだ。イウサールだって全員を集めた訳じゃねえだろうし、実際移住だって全員じゃなかっただろ。お前、自分が超常能力者の代表って思ってるだろうけど、それを信じ込んでると思わぬところで足をすくわれるぞ」
「ああ、わかった」
サムソンやジャクソンのような能力者が、どのぐらいいて、今何を思っているのかわからないのだ。中央府がコラム・ソルを重要視しているのは、ただまとまった集団だからだ。
「それより、自己申告者の調査面談が始まる。こっちからも人は出すが、ヴェルノとブルーノはおまえも手伝え。おまえとショーゴ以外は、みんな島から出たことがないんだ。こっちに外から来てる奴らとちょっとばかり話したからって、外に慣れてるわけじゃねえ。詳しい日程はイルマから送らせる」
「了解。だが申告者が超常能力者だったとして、島で受け入れる体制はまだだろ?」
「中央府っていうか、公安がしびれを切らしたらしい。とにかくリストアップをしておきたいんだな」
「……まるで犯罪者扱いだな」
「奴隷の確保かもしれんぞ」
アルフォンソが凄みのある笑い声をたてた。
「焼き印でも捺すつもりか」
「さあな。あまりイルマに不満をぶつけても気の毒だが、もう動き始めているものは簡単には止まらん。IDとやらに刻印されるまでは飲むしかないだろ。だが能力の有無を見分けられるのも今のところ俺たちだけで、たとえ他の術がかつてあったとしてもそれを今ほじくり返すつもりはない。まあ外に能力者が見つかれば、そのうちに解明されちまうかもしれんが、それまでにはこっちも立場を確保しておかねえとな」
「そんな時に……」
サッタールは自分だけ離れた場所でのんきな大学生活を送っていることに後ろめたさを感じた。だが謝罪を口にする前に、アルフォンソの馬鹿という言葉に遮られる。
「おまえは外での生き方を模索するのに必要なんだよ。焦るな」
「……いいのか?」
「長の命令だ」
何が命令だと反発する気持ちが頭をもたげたが、黙ってやり過ごす。通信を音声だけにしていてよかった。思念を読むには距離があいていても、アルフォンソなら今のサッタールの顔を見たら大笑いするだろう。拗ねた子供のような顔を。
サッタールからの通信をやや乱暴に切ったアルフォンソは、足音を忍ばせて勢いよく隣室へのドアを開けた。そこには何食わぬ顔でテーブルについている男がいた。
「ってことだ。早速調査面談の日程を知らせてやるんだな、イルマ所長」
出るな、騒ぐな、一言も口をきくなと言われて隣室へと追いやられていたアレックスは、ドアに張りついて聞き耳を立てていたことが早々にバレてカリカリと頭をかいた。
「了解。でも何で私が通信に出ちゃだめだったんです? 相手はサッタールだったのでしょう?」
「俺にも崩したくないイメージってもんがあるんだよ。普通こんな時間なら、この家にいるのはあんたじゃなくて女だ」
「はあっ!?」
打ち合わせにアルフォンソの家を訪ねて、そのまま二人でアンダーソンの小冊子を検討していたアレックスは、やれやれと首を振る。
「それは気がきかないことで申し訳なかった」
一応謝罪はしたが、それが本当の理由だとは思えなかった。疑問を顔に貼りつけて見上げると、アルフォンソはにっと口角を上げて見せる。
「俺はあんたが悪い奴じゃないと思っている。だからこの小冊子の内容も隠しちゃいねえが、それでもちょいとこっちだけで考えたいこともあんだよ」
厚い木製のドア越しにアレックスが聞き取れたのは、イウサール、搾取、奴隷と不穏な単語と、能力の有無がどうのという断片的な言葉だけだった。
超常能力の強制ID登録について、コラム・ソルの能力者たちが快く思っていないのは知っている。それでも自己申告者の面談と選別、サポートは引き受けてくれたのだ。
中央からは不満の声が渦巻いているが、さりとて彼らは自ら乗り込んで来るつもりはないらしいのが、幸いなのか否か。
「一つ思いついて、中央に提案してみたことがあるんですが」
アレックスは苦い顔で言った。
「ID登録が治安維持という目的を含むのなら、まずは公安のメンバーを調べるべきじゃないかってね」
「で?」
「自己申告者はいないと返答がありました」
「ほう? 誰一人、俺たちに面と向かいたくないってことか」
「彼らの言い分では。公安は軍ともまた違って、内偵が専門ですから、あなたたちの、特に精神感応の力は喉から手が出るほどに欲しいでしょう。でもあくまでも公安組織に忠誠を誓える人間でなくてはならない。それなら自分たちの中に見つかればいいんじゃないかと思ったんですがね」
アルフォンソは相づちを打ちながら、壁際の戸棚からコップを二つ取り出した。
コラム・ソルにはアルコール度の高い酒はない。果実の醸造酒はあるが、三パーセントと低いものだ。蒸留の技術が無いわけではない。医療用に高いアルコール度の酒は造っていたが、嗜好品としての酒を飲む習慣がないからだ。
それは超常能力が精神の状態に大きく左右されるというのが理由だった。自制のたがを外すのは、本人にとっても周囲にとっても危険なことだからだ。
なにしろ考えるだけで人を殺せるだけの力があるのだ。
しかしアルフォンソはコップに続いて、外から持ち込まれたウィスキーの瓶を取り出した。
「それは、密輸品?」
アレックスが眉を大げさに上げて、警戒の眼差しを送る。
「島にビール以上のアルコール度のものは持ち込めないはずですが? そう申し入れたのはあなたでしょう、ミスター・ガナール」
「まあ、そうだが、申し入れが正しいかどうか、俺自身試してみないとな」
「それであなたが万が一にも暴れたら、私には抑えられませんよ」
「元々軍人だろ、あんた」
「何トンもある物体を平気で操る人間が泥酔したら、適切な武器もないのに安全に取り押さえられるとは思いませんね。試すなら周囲百キロばかりは島影もないロジェーム海の真ん中でやってください。溺死しても知りませんが」
お人好しだとばかり思わせるアレックス・イルマの堅い声に、アルフォンソはくっくっと笑った。
「悪い。その通りだ。これはあんたに贈呈するさ。だが俺が手に入れられるってことは、島の他の奴らにも機会があるってことだ。目は光らせているがな」
「改めて、外から来ている者たちにも通達を出します」
本気じゃないと見て取って、アレックスも肩から力を抜いた。アルフォンソ・ガナールは時折こうして人を試そうとする癖がある。サッタールもさぞかし鍛えられたんだろうなと、年下の友人に少しばかり同情した。
アルフォンソはウィスキーの瓶はアレックスに押しつけて、もう一つコラム・ソル謹製のシャッサ酒を取り出した。これなら果汁に毛が生えた程度のアルコール度しかない。
「何か、気持ちが荒れるような話だったんですか?」
アレックスは注がれたシャッサ酒を一口飲んで、立ったままのアルフォンソを見上げた。
「ああ。新しい奴隷制度を作らせねえ為にはどうしたものかなってな。外にいた連中が引っかかるだけなら構わねえと考えるか、それとも俺らが全員の代弁者になるべきか」
登録制度を奴隷制と言い換えているのは察せられた。
アレックスも、その問いに対する答えは持っていなかった。