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第一章 ナジェーム宙航大学(3)

 学生たちを送り出すと、エステルハージは机の端末にメールの着信を認めて開封と一言コンピュータに命じた。

 通信の秘密を守る為に、肉声での指示だけを受け付けるようになっているのだが、あんな風に口の中を腫らしても認識してもらえるだろうかと、先ほどの二人の顔を思い出してまた笑みをこぼす。

 メールは思った通りアレックス・イルマからの返信だった。同級生と殴り合いのケンカをしたと知らせてやったのだ。


〈あの冷静沈着な彼が殴り合い? 冗談だろ!! どんなに挑発されても皮肉で斬って捨てるのがスタンスだったのに!!〉


 今はコラム・ソル中央府駐在事務所所長という肩書きで、南の島で孤軍奮闘している同期は、こちらの人間でサッタール・ビッラウラを一番よく知る人物だ。それが驚天動地したのが文面から伝わってくる。


〈本当だ。たった今、相手と一緒に小言を食らわせたところだよ。とりあえずあの綺麗な顔は一週間は見られたものじゃないだろうな。ところで、精神感応者の登録制度はどうなっている? 中央府は惑星中の人間を検査したがっていたんじゃないのか?〉


 返信は少し間があいた。ナージェム大学が夕方の六時なら、あちらは今未明の時間のはずだ。よく起きているものだと感心していると、直接通話が入る。


「やあ、エステルハージ。夕飯前に悪いな」


 眠気を少しも感じられない声がスピーカーから流れた。


「そっちこそ、何で寝てないんだ? どうせ一人寝なんだろうが」

「余計なお世話だよ」


 くすくす笑ってから、アレックスは声を改めて問いかけてきた。


「それで、サッタールは大丈夫なのか?」


 まるで娘を遠方に嫁にやった父親のようなことを言う。


「左頬が二倍に膨らんで、見事なモザイク状だったが平気だろう。歯も抜けてないし、鼻も潰れてなかったぞ」


 アレックスが絶句したのが息づかいで伝わる。


「おい。女じゃないんだから多少顔に傷がついたぐらいどうってことないだろ。そんなこと士官学校生なんて日常茶飯事だ」

「うん、まあ。そうなんだけど。相手も……?」

「白熊みたいなデカブツだが、顎に何発か食らったらしくて口を思い切り腫らしてたな。ビッラウラは見た目よりできるらしい」


 アレックスはエステルハージ愉快そうな言葉に再び口を噤んだ。コラム・ソルでガナールと口論をするのも、ガナールが乱暴に小突くのも見たことはある。そもそも毒舌家なのもよく知っている。

 アレックスもエステルハージも軍人だっから、多少の怪我では驚かないし、士官学校では思い出したくもない暴力的な虐めもあった。

 でも、鼻が潰れたかと心配するほどの殴り合いを、あのサッタールがするなんて……!

 どこか古風で貴族的な彼のそんな姿は想像つかない。


「……まあ、彼も普通に男の子だったってことか」

「男の子はないだろう。本人が聞いたらさぞかし嫌がるだろうな。で、登録制度はどうなっているんだ? ケンカ相手のレワショフは、超常能力者の隔離政策を支持しているようだったが」


 エステルハージは呆れたように言って、最初の質問に戻った。


「ああ。それは……サッタール自身も審議会メンバーだからよくわかっているはずだけど。賛否両論でね。隔離派と人権保護派っていうかな。面白いことにコラム・ソルは隔離派に近いんだ。強制されることの弊害はあるものの、彼らは保護される方がトラブルが少ないと判断しているんだな」

「ほう。まあそもそも自分たちで孤島に隠れていたぐらいだからな。でもそれなら人権云々のうるさがたを抑えて議案提出に至りそうなものだ」

「手段がないんだよ。隠れている能力を物理的に測る為の。超常能力者と分かっているコラム・ソルの人間に、この惑星全ての人間と面接させるなんてできるものじゃない」

「ビッラウラもそんなことを言っていたが、手段がない? 脳波とかなんかで分からないのか?」

「今のところね。よくわかってないみたいだな。それに精神感応者同士でも、ある程度は深く探らないと隠すことができるんだ……ジャクソンやサムソン元大宙将のように」


 エステルハージは細い眉を寄せて腕を組んだ。サムソンに自分の思考も感情も持っていかれた経験は、二年たった今でも鮮やかに思い出せる。

 隠れている層が問題なのだ。いったい人口の何パーセントいるのかすら把握できないのならば、いつまたサムソンのような狂人がでるか分からない。社会と融和するように子供のうちに教育することもできない。


「手詰まりなのか……」

「う、うん……そうだね」


 アレックスの返事はどこか曖昧だったが、過去の事件に気を取られていたエステルハージは、その微妙な間を聞き逃したまま通話を切った。



 エステルハージとの通話を終えて、アレックスはベッドの上に大の字に寝転がった。時計を見ると午前四時過ぎ。本当ならまだ熟睡している時間だが、つい先ほどまでセントラルとのやりとりに追われて寝そびれていたのだ。

 およそ一年前。まだサッタールがコラム・ソルにいた時に老ゴータムから聞かされた話を思い出す。


 おそらく超常能力者と一般人の差異を見つけることは可能なのだろう。昔のイウサールの時代には遺伝子操作を行っていたと、あの小冊子には記されていた。しかしその技術は失われ、今のコラム・ソルは積極的にそれを暴こうとは思っていないようだった。

 しかし発見されるのも時間の問題かもしれない。あるいは永遠にわからないかもしれない。


 ともあれ、一人島を出たサッタールは、もしかしなくても激しい偏見の中にいるのだろう。どういう存在ならば共存できるのか、まだ思い乱れているに違いない。簡単に結論の出る話じゃないのだ。

 それなのにケンカとはと、アレックスは転がったままくっくっと笑った。

 よほど腹に据えかねたのか、それとも八つ当たり気味だったのか。


「周りもみんな半分子供だからなあ。いくら頭が良くても」


 何にしろ、常に他人から一歩引いてどこかシニカルに世界を見ているのが自分だと思いこんでいるような彼が、殻を一つ破ったような気がして、アレックスには愉快だった。





 エステルハージ教官の部屋を辞した二人は、黙ったまま廊下を歩いていた。

 教務棟の出口までくると、空はすっかり茜色に染まり、長い影が足下から伸びている。

 サッタールは、とても夕食を食べられる気がしなくて、そのまま足を男子寮であるスピカに向けた。


「飯、食わないのか?」


 すると後ろからレワショフが尖った声をかけてくる。


「歯は何ともないが、今食べても吐く、と言ったら満足か?」


 振り返って睨みつければ、レワショフはふふんと笑って隣に並んだ。


「右手、見せてみろ」


 私闘は厳禁と釘をさされたばかりなのにと思ったが、レワショフのまとう気配に表情ほどのトゲがないのに気づいて、サッタールは素直に右手を出した。

 レワショフは無遠慮に手を掴み、人差し指の根本をそっと押した。


「……っつ!」


 鈍い痛みが手のひらから腕を突き抜ける。


「突き指だ。冷やしてテーピングしておいた方がいいぞ」

「何故……?」

「さっきこれを受けた時、左手で取っただろ? おまえ、利き手は右のはずだ」


 レワショフは手に持ったマンダリンの実を振って見せた。甘酸っぱい香りが場違いに漂った。


「何故あんたがそんなこと気にするんだ?」

「すぐに実習も始まる。それまでに治しとけ」


 サッタールの疑問には答えず、レワショフはそれだけ言うと自分はさっさと食堂のあるアンタレス棟に行ってしまう。

 残されたサッタールは、腫れ始めている右手に目を落とした。生まれてからずっと、癒し手である姉のサハルと共にいたせいで、怪我をしても自分で手当なんかしたことはなかった。


「冷やしてテーピング? どうやるんだ?」


 ゆさゆさと肩を揺らして去っていくレワショフは、当然のことながらそれ以上返事を寄越さなかった。




 寮の自室に戻ると、まずシャワーを浴びて汗を洗い流した。それから下着にシャツだけ羽織って、腫れ上がっていく右手を見つめる。

 サハルのように細胞レベルで治療ができる訳でもないサッタールは、このときになってやっとこれはマズいと思い始めた。

 曲げ伸ばしはできるから骨は折れてないかもしれないが、内出血はしている。蹴り飛ばされた腹も、殴られた頬も、痣ができて酷いものだったが、それは時間がたてば消えていくはずだ。

 だがこの手は……とベッドにあぐらをかいて思いあぐねていると、ドアを叩く音がして、返事をする前にカチャと開いた。


「やあ。酷い顔だね」


 嬉しそうな顔で現れたのは、ケイだった。腕に寮監からせしめてきたらしい治療用具を抱えていた。


「いいなー、一人部屋! ここならこっそりと逢い引きもできるよなあ」


 痛みと他人の侵入に不機嫌を隠そうともしないサッタールをものともせず、ケイは珍しそうにキョロキョロと部屋を見回している。

 寮は二人ないし三人部屋が基本だ。サッタールが一人部屋なのは、自分の意志ではなく、他学生の心情を配慮した大学側の指示によるものだった。

 ケイは黙って目を背けているサッタールに歩み寄ると、身を屈めて顔をのぞき込み、あははと笑い出す。


「すっげー! ユーリが言ってたとおり、確かにこれじゃあ飯を食う気になんかならないよね。君、思ったよりケンカ強かったけどさ、もう少しズルく立ち回らなくちゃ。何で力を使わなかったんだい?」

「あれはケンカじゃなくて格闘訓練だ。それに力をみだりに使うつもりなどないと前も言ったぞ」

「うん。教官にはそう言い抜けるしかないもんね。さてと、身の回りのことが何もできなさそうな王子様に、下僕が手当をさせていただきますが、触ってもよろしいでしょうか?」


 おどけて礼をするケイは、またあははと口を開けて笑った。


「自分でできる」

「やり方も知らないのに? テーピングはコツがあるんだよ。大丈夫。僕は高等学校ではバスケチームに入っていたんだ。だから突き指の手当には慣れてる」


 言うなりアイスバックを取り出し、目で早く手を出せと指示をする。

 仕方なく右手を見せると、ケイはヒューと口笛を吹いて、柔らかいゴムに包まれたアイスバックで指の付け根を包み込んだ。


「本当なら二時間前にはやっておくべきだったんだけど。エステルハージ教官も気が利かないな。いや、よっぽど怒っていたのかな」


 何しろケンカの後にグラウンド三十周した上、この手で腕立て伏せを五百回やったのだ。骨折でもしていたら困るだろうにとぼやくケイの顔を、サッタールはぼんやり見つめた。


 疲労が溜まっていてうまく遮蔽できないせいか、ケイの表層思考が流れ込んでくる。

 近寄りがたいと思っていた超常能力者が意外にノリがいいことに対する驚きとか、能力の発揮が見られなくて残念とか。そのうち、ケイの視線が素肌に羽織ったシャツの合間をたどり始め、サッタールは眉をひそめた。


「あ、最初に言っておくけど、僕は女の子が好きだよ。たとえ君がなかなか整っている顔立ちをしていてもね」

「そのようだな」


 嘘を言ってはいなかった。


「でも筋肉フェチでね。君、なんかスポーツやってた? いい胸筋、腹筋してるよね。特に脇腹。こうムキムキマッチョじゃないけど、しなやかそうな質のいい筋肉だよ。だからユーリの蹴りを食らっても内蔵まで響かない。それは彼も当てた瞬間にわかっただろうけど。あーでも、そっちも冷やした方がよさそうだな。湿布貼ろうか?」

「スポーツはやったことがない。そんな習慣はなかった。湿布は自分で貼る……ありがとう」


 少し迷ったが、好意には好意を。サッタールは小さく頭を下げた。


「そっか。何もない島だとは聞いたけど?」

「何もないから働かないと文字通り食料が手に入らない」

「へえ。でもそれは誰かに搾取されるような労働じゃないんだろうから、まだいいよね」


 何日も海が荒れて漁もできず、芋や野菜、果実が長雨でダメになってもいいものかどうか。価値観が違いすぎて何とも答えられなかった。それよりも。


「私が怖くはないのか?」


 ケイは、突き指した手からアイスバックを外して、湿布を貼り、中指と合わせてテープを巻き付けていた。その動作に淀みはなく、思念はテープの巻き方に集中していた。


「え? 怖い、か……うーん。それより好奇心が勝るかなあ。なぜ君が、セントラルで交渉に専念するでもなく、宙航士を目指しているのか、とか。あ、ごめん、痛かったかな?」


 巻き終わったテープの端を切るのに、少しだけ力が入って、ケイはごく自然に謝った。

 いや、と首を振って、サッタールは取り戻した右手を見つめた。きっちりと巻かれた清潔なテープのおかげか、冷やしたせいか、痛みはもうあまり感じなかった。


「あんたは何で宙航士を目指してるんだ?」

「僕? そりゃあ決まってる。いつか自分の船を持って、トレジャーハンターになるのさ。まだ見ぬ新しい世界を見つけて、そしてその星に自分の名を刻むんだ。帰ってきたら大金持ち! そこでファルファーレ一の美女のハートを射止めて豪遊三昧さ」


 サッタールは呆れた。そんな理由で、そんな夢で、難しい試験を突破し、さらに厳しい訓練をくぐり抜けても、まずなれるのは大企業複合体が所有する貨物船の雇われ船員が振り出しのはず。

 個人が自前で宇宙船を持てるほど、この星の資産も技術も高くはないと聞いている。何しろ七百年分の遅れを、やっと取り戻し始めたところなのだから。


「なれるといいな」


 他に言葉が見つからなくて答えると、ケイは人懐っこい目で笑った。


「なるさ。その為に来たんだ。で、君は? コラム・ソルの総意で来たのかい?」

「私は……私も個人的な夢の為だ。私はあの彗星を追いかけたい。だから宇宙に出たいんだ」

「彗星……?」


 ケイは怪訝な顔で見つめ返した。

 あの彗星はもうファルファーレから去ってしまい、今度来るのは三百十九年後だ。そして彼は、いや彼らは彗星が超常能力をもたらすとは知らないのだから当然だ。中央府も知らないのだ。


「天文マニア?」

「そうかな」


 まあ、それなら優秀なクルーになってくれれば、自分のトレジャーハンター船に便乗させてやってもいいよと、ケイは肩をすくめながら笑った。そして、そんな個人的な趣味の為に、よく交渉中のコラム・ソルが出してくれたねとさりげなく付け加える。

 人畜無害な夢多き青年のように見えて、ケイ・ストウはアレックスとは違う、とサッタールはその時になって気づいた。


「だってそうだろう? 政府はまだ君たちの処遇に関しての政策を定められずにいるはずだ。君たちの島だけじゃなく、大陸のあちこちに超常能力者がいるかもしれないんだろ? 僕たちも君たちも、どうつき合って良いかわかってないんだ」

「よく、知ってるな」

「そりゃ、君に興味があるからね。調べたよ。ユーリの言ってた宇宙軍の事件も」

「それで好奇心か?」

「好奇心は人類を進歩させる大いなる動機だよ。それに君なら通信機器が故障しても救難信号を出せるかもしれないじゃないか。期待してるよ、クルー・ビッラウラ」


 勝手に決めつけてケイはにやりと笑った。


「出せるかもしれんが、受容側にも精神感応者がいないと、伝えられた方は脳が焼き切れてもしらないぞ?」

「受けるのは僕じゃないから構わないさ」


 気楽に言ってケイは邪魔したなとあっさり帰っていった。


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