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第一章 ナジェーム宙航大学(2)

 宙航科の講義は、座学から実技まで多岐に渡る。宇宙物理学から宙航船の航法、機関、通信、管制、重力システムや宇宙気象、ファルファーレと他惑星国家の現状と法規、それらに加えて体力づくりと初歩の戦闘訓練まで行われるのだ。


「ちょっとぉ、なんで戦闘訓練よおお」


 百メートルのシャトルランを十本走って五分休憩、今度は十五本走って十分休憩を繰り返すというメニューをこなした後、細い体躯に比べて豊かな胸を喘がせたジゼルが不満を口にしていた。


「星系間戦争に巻き込まれることは避けられても、宇宙海賊に攻撃される可能性は常にあると言っていただろう」


 黙々と次のランに備えてストレッチしていたサッタールが答える。


「えー、それなら船の兵器システムが使えればいいじゃないのよぉ。それともなに? いきなり海賊とガチンコ対決して拳で語り合っちゃったりするの?」

「これまでは宇宙軍の護衛が必ずついていたが、民間に大幅に解放されたからには自力で防衛しろということだ。しかもいつか船長にでもなったら、自船の乗客や貨物に対して全責任を負うんだぞ。船に侵入されて乗っ取られる事態だってありうる。基礎訓練は必要だろ」


 現代文明の恩恵が少ない島で育ったサッタールは、特にスポーツをした経験はなくてもそれなりにスタミナはあった。それでも一般と比べればの話で、軍人のような体力はないが。

 女性とはいえジゼルは明らかに体力不足で、規定のランをこなすのも一番時間を取っていた。


「まあ体力は身体を動かしていれば段々についてくるだろう」


 慰めを口にしたサッタールが、後ろから近づいてくる気配を感じた間もなく、棘のある声が降ってくる。


「お前はいざとなれば、相手を無力化できるんだろう、ビッラウラ?」


 レワショフだった。あれ以来何かと突っ込んでくる。

 サッタールは吹き出た汗を拭いながら、振り返りもしないで言い捨てた。


「自分の敵全員に、舌を噛むように誘導するのか? それとも互いに撃ち合うように命令するか? お前の気に入るやり方があるなら、今のうちに教えて欲しいものだな」

「化け物めっ!」

「化け物だと思うなら、もう少し扱い方を考えた方がいいぞ、ユーリ・レワショフ」

「変な魔術を使わなきゃ、ろくにケンカもできないくせに」


 隣でジゼルが口を挟もうかと迷っていたが、サッタールは身振りで構うなと伝えて、立ち上がる。

 その場には宙航科の全員が揃っていたが、教官はいない。皆、固唾を飲んで成り行きをうかがっていた。


「魔術なんて使ったことはないが? お前は何がしたいんだ。能力抜きのケンカなら自分が必ず勝つとでも思っているのか?」

「ほう? 超常能力抜きで俺に勝てるとでも? そんなひょろい身体でか?」


 レワショフがせせら笑う。挑発に乗るのは馬鹿馬鹿しいと理性は訴えてくる。感情に飲まれ、欲求に屈したまま能力を使えば、取り返しのつかない事態を引き起こしかねないのは、これまでの十九年の人生で身に染みていた。

 だが、このまま言葉で言い争ってもレワショフは決して自分を認めないし、他の多くの連中もそうだろう。

 サッタールは無言でレワショフの長身を見上げた。よく鍛えられてはいる。身長は一九0センチは越えている上に、それに見合う筋肉もついている。しかし軍人を見慣れた目には隙だらけにも見える。


(アルフォンソだってこれぐらいの体格はあるからな)


 超常能力など使わなくてもと好戦的に目を光らせるサッタールに、レワショフも腰を落として身構えた。


「え? ちょっと、やめなさいよぉ」


 慌てて間に入ろうと腰を浮かしたジゼルの肩を、ケイが止めた。


「放っとけ、放っとけ。いい息抜きじゃないか」

「なに言っちゃってるのよ。教官に見つかったらアタシたちも傍観してたって罰則くらうじゃないのよぉ」

「そこかよ」


 ケイは眉を上げて笑った。


「せいぜい僕たちはグラウンド二十周程度だろ。それぐらいのペナルティ食らっても、こんな見物を逃す手はないぜ」


 呆れた顔も、嫌悪の表情を浮かべる者もいたが、誰も止める気はないらしいと見て取って、ジゼルは肩をすくめた。噂の超常能力を使うとこが見られるかもしれないと無責任に思っているのだ。


「サッタール君、ボロボロになりそう」

「そうかな? 全然勝算もないのに突っ走るほど頭に血が昇ってるようにも見えないけどね」


 ケイとジゼルが巻き込まれないように後ろに下がる。

 最初に動いたのはレワショフだった。

 左手で胸ぐらを掴んで右手の拳で殴りかかる。ごくありふれた意図の動きを見て、サッタールがすっと右に身を捩らせながら、思い切り左足でレワショフの臑を蹴りつけ、すぐに離れる。

 ぐっと小さく呻いたレワショフは、たちまち顔を真っ赤にした。男としては華奢に見えるサッタールに先手を打たれるとは露ほども思っていなかったのだ。


「くそったれっ!」


 叫ぶなり突進する。見物の学生たちが、一斉に距離を取った。

 サッタールは振り下ろされる最初の拳は避けたが、間髪入れずに繰り出された蹴りは避けきれずに腹にまともに当たり、もんどり打って転がった。

 それで終わったかと誰もが思った瞬間、バネのように跳ね起きた小柄な身体が、レワショフの横腹に飛びついて膝で股間を狙って蹴りあげる。


「このっ、卑怯だぞっ」


 さすがにクリーンヒットは食らわなかったが、同時に背中に打撃を受けて、レワショフはよろめきながら喚いた。


「ケンカに、卑怯も何もあるかっ」


 サッタールも叫び返して、後ろから首に腕を回した。が、レワショフはその腕を掴んだまま、後ろに足を跳ねあげ、サッタールの脚を払いつつ勢いよく前に身を屈める。

 背負い投げの形に、サッタールの身体が吹っ飛ぶ。固いグラウンドの土の上に叩きつけられ、一瞬息が詰まった。

 しかし、サッタールは体重をかけてのしかかろうとするレワショフの顎に向けて拳を突き上げ、それが見事に入った。

 レワショフが尻餅をついた隙に、起きあがる。

 二人とも、荒い息を吐きながら、相手の次の動きをうかがう。心臓がバクバクとうるさいほどに音をたてていた。


「へえ、案外やるねえ。最初の一発で終わるかと思ったのに」


 ケイがにやにやしながら呟くのに、ジゼルが顔をしかめて答える。


「もうっ! どっちかが怪我する前に止めようって勇者はいないの?」

「君はサッタールを応援してるんじゃないのかい?」

「そりゃぁ、あの綺麗な顔が腫れ上がったら……きゃぁっ!」


 ジゼルが声をあげた瞬間、レワショフの拳がサッタールの左頬をとらえた。ガッと嫌な音と共に、サッタールが右に振られて膝をつく。


「あー、でもアレ、見た目ほど入ってないよ。とっさに身体引いたからね。ちゃんと見えてるんだな」


 青ざめたジゼルにケイが冷静に解説する。


「油断するとやられるぞ、ユーリ。おっと……」


 ケイの言葉通り、最後の一発を決めようと近づいたレワショフの懐に、サッタールが飛び込んで、もう一度下から顎を突き上げた。汗と一緒に飛び散った血が、どちらのものか判別がつかない。

 どさっと、今度は同時に二人が地面に這いつくばる。が、サッタールの方はいつでも飛びかかれる体勢なのに対して、レワショフは尻をつけてしまっていた。片膝をたてたサッタールは獲物を狙う猛禽のように目を細めた。


「面白くなってきたな」


 愉しそうに鳶色の目を細めるケイを呆れた思いで見上げたジゼルの視界に、小柄な人影が映った。


「あん、ヤバいわよぉ、教官じゃないの?」


 ケイの腕を引いた瞬間、サッタールとレワショフに注目していた学生たちに怒号が落ちた。


「貴様らっ! 何をやってるんだっ!」


 赤毛の小柄な教官は、ゆっくりとグラウンドを横切ってくると、凍りついた学生たちを眺め渡してから、中央の二人に目を留めると口の片側だけ引き上げて笑った。


「今年の宙航科新入生は元気があり余っているようだな。よし、全員グラウンド三十周をダッシュでこなせ。たらたらしている者は追加してやる。終わったらそこの二人は、腕立て五百回だ。それから夕食前に教官室まで来て報告しろ。以上」


 まるで軍隊のような命令口調で言って、赤毛の教官は腕を組んだ。言葉通りに走る様子を監督するつもりのようだった。

 反論しかけたジゼルの腕を、今度はケイが引いて、一緒にグラウンドを走り出す。


「ちょっとおお。アタシ、ダッシュで三十周なんて無理無理。倒れちゃうわよおお。夕飯の時間終わっちゃう」


 べそべそとした泣き言に、ケイが笑う。


「僕がおつきあいいたしますよ、お姫様。追加を食らっても同じ時間で終わるだろうし」

「だーかーらー誰か止めろって言ったのにぃ」


 よたよた走るジゼルの後ろから、遅れて走り出したサッタールがさっと駆け抜けていった。すぐ後に競うようにレワショフが砂埃をたてて続く。


「あはは。本当に元気だなぁ」


 ケイの暢気な笑い声は、教官に怒鳴りつけられるまで続いた。




 夕方。今年から宇宙船の宙航システムの講座を受け持つことになった新任教官のエステルハージは、友人にメールを一本送ったところでドアを叩く音に顔をあげた。


「宙航科一年、サッタール・ビッラウラです」

「同じく、ユーリ・レワショフです」


 エステルハージの予想より十分ほど早い。

 入室を許可すると、二人は汗まみれのトレーニングシャツのまま入ってきて、ドアの前に並んだ。

 ナジェーム宙航大学の教官は元宇宙軍所属の者が多い。後は宇宙船の製造に携わる企業から招かれた者と純粋な学者だ。その為か、軍と比べれば遙かに緩いとはいえ、軍人気質の教官がほとんどだった。

 エステルハージも二年前は宇宙軍中尉だったのだ。その目から見れば二人の姿勢はどこかたるんで見えたが、特に指摘はしないで代わりに厳しい視線を送る。


「さて。大学規則第三十七条は覚えているか?」


 椅子に座ったまま尋ねると、白熊のような大柄な学生が腫れた口元をもごもごと動かした。


「学生間、または教職員との間のトラブルは、個々に解決をみるのが難しい場合、学生紛争調停窓口に申告すること」

「よろしい。では三十七条第一項は、ビッラウラ?」

「学生間の私闘はこれを厳に禁ずる」

「その通り。レワショフ、三十九条を答えろ」

「暴力、詐欺、窃盗などの刑事事犯は、ナジェーム宙航大学自治裁判所にて調査を行い、判決に従う。なお、上告制度は有しない」


 エステルハージは頑なな顔の二人の学生を交互に見て、にやりと笑った。


「で。君たちのしていたあれはなんだね?」

「格闘の模擬試合です」


 サッタールが表情を変えずに答えた。左頬が腫れ上がって、赤から紫、黄色と見事に斑模様になっていたが、歯には問題ないのか案外はきとした声だった。


「教官の許可は得たかね?」

「いいえ。個人的な試合にまで許可がいるとは学生規則にはありませんでしたので。しかし私闘のように周囲に思わせた結果には反省しています」


 模擬試合ねえと呟いて、エステルハージはサッタールの顔をじっと見つめた。彼に会うのは初めてではなかった。

 トゥレーディア事件の際、サムソンに操られたとはいえ彼に銃を突きつけたのは自分だったと苦く思い起こす。その頃はまだ手足ばかり長い子供に見えたが、今はすっかり青年の顔になっている。

 個人的な思いを除いても、サッタール・ビッラウラは大学の有名人だ。反逆を企てたサムソンを上回る危険なテレパシストとして。


 だがエステルハージは、当時は海軍少尉だったアレックス・イルマを通してその人柄を幾らかは知っていた。繊細で生真面目で正義感のある人間として。

 ふと、今のこの瞬間も、彼は自分の思念を読んでいるのだろうかと考えて、注意深くその表情を探る。


「レワショフ。君もあれは私闘ではなく単なる試合だったというのに同意かね?」

「はい。私闘などではありません」


 認めて裁判送りになったら、下手をしたら放校なのだから当然な返答である。


「よろしい。では今後、君たちが講義外で試合をしたくなったら、僕を呼ぶように。いいね?」


 軍ならもっと手厳しい罰を与えられるところだが、ここは専科とはいえ一般の大学である。妥当なところかと話を締めくくろうとしたエステルハージに、レワショフがものすごく不満な顔で口を開いた。


「試合に関しては了解しました。ですが、せっかくですからお聞きしたいことがあります、エステルハージ中尉」


 旧階級で呼ばれたことで、レワショフの質問はトゥレーディア事件についてだろうと予想できた。しかしレワショフは意外なことを口にした。


「中央府は超常能力者全てにIDデーターベースに登録を義務づけ監視する為の法案を準備していたはずです。それが一年経っても議会で議案にすら上らないのは何故だとお考えですか?」


 エステルハージは無表情に立っているサッタールを一瞬だけ見てから、赤ら顔のレワショフに視線を戻した。


「中央府の意向を僕に聞くのは筋違いじゃないか?」

「政府の意向ではなく、中尉のお考えをうかがってます」

「ユーリ・レワショフ。君がなにを耳にして、どんな考えを持っているか知らんが、僕を軍の元階級名で呼ぶのはやめたまえ。それとも不愉快にさせて答えを引き出す作戦か?」

「しかしあなたは……」

「それと、僕の考えだったか? それを聞いてどうするつもりだ? 君に同感と答えたら、僕の名を使って周囲を煽るつもりだったのかな?」

「そんな……」


 言葉に詰まって、レワショフは首まで真っ赤になった。


「サッタール・ビッラウラが非常に強力な精神感応者であることは周知の事実だ。それを踏まえて大学は合格とし、今君の隣に立っているわけだが。どうも君の言い方を聞いていると、君は彼を犯罪者、あるいはその予備群と決めつけているようだな?」


「……違いますか?」


 質問に質問で返す学生を、まだ若いなとエステルハージは内心で苦笑した。自分もそれほど年寄りではないつもりだが。


「せっかくだからビッラウラにも聞こう。むろん守秘義務に触れるものは答えなくていいが、君は同級生にそんな目で見られていることについてどう感じているのかな?」


 矛先を向けられたサッタールは、それまでの会話を聞いていたのかいないのか、目をぱちぱちと瞬かせた。


「以前。ある海軍将校の方とお話した折り、私はこう答えました。銃を持っていても、ミサイルを持っていても、それをいきなり相手に向けたりはしないように、我々も力を無用に振るったりはしないと。それは連合に入る前でしたが、今は私を含め、コラム・ソルの能力者たちは全員、ファルファーレ憲章を遵守すると誓っています。力があるだけで犯罪者のように扱われるのは、はなはだ不愉快ではあります」


 レワショフがすかさず反論しようと身じろぎするのを、エステルハージは鋭い視線で止め、先を促す。


「しかし、そのような目で見られることは予測していましたので、気にするつもりはありません。強制登録制度については、我々を縛るとともに守るものでもあると、中央府担当者からは説明を受けています。人権侵害ではという声もあるようですが、犯罪予備群と決めつける輩から保護されるという利点も鑑みて、受け入れるか否かコラム・ソルは考えていることと思います。ただ……」


 ここでサッタールは、非常に投げやりに両手をあげて見せた。


「現在、最も懸案になっているのは、精神感応者であることが知られているコラム・ソルの者ではなく、その力を秘めながら大陸各地にいるであろう能力者たちのことです。ご存じのように自己申告制度は始まりましたが、申告されない人間は把握できない。しかし惑星全土の人口を検査をしようにも技術的に難しい。登録制度の議論はそこでストップしていると理解しています」


 議会での答弁のように立て板に水とそこまで語ると、サッタールはぴたっと口を閉じた。いわゆる公式見解なのだろう。


「質問はあるか、レワショフ?」


 それ以上話す気のなさそうなサッタールの代わりに、エステルハージが尋ねる。

 レワショフはますます不満そうな顔をしたが、すぐに反論が思いつかなかったのか首を横に振った。


「では僕の説教はこれで終わりだ。二人とも口の中をよく濯いでおくんだな。歯は抜けてないな?」


 はいと二つ返事は返ってきたが、この腫れ具合ではどちらも今晩は熟睡できないだろうなと、エステルハージは自分の若い頃を思い返して腹の中で笑った。


「歯が無事ならこれをやる。運動した後はビタミン取っておけ」


 デスクの上に置いてあったマンダリンを二個、放ってやると二人はそれぞれしっかりキャッチした。

 目も大丈夫なようだと確認して、エステルハージは手を振り、退出させた。



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