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第七章 暗黒の大地(6)

 エネルギーの奔流がサッタールを揺らそうとしていた。

 サッタールはこれまでに受け止め、自我の周りを渦巻かせていたソレを穴にぶつけようともがいた。

 莫大なエネルギーに等価のエネルギーをぶつけたらどうなるか。消滅するのか、爆散するのか。

 どちらにしてもこの小さな自我も共になくなってしまうだろう。後は、身体が衰弱して、この世から完全にサッタールは消える。

 仕方ない、と思った。

 だが、ふと、ロンディネ号で船長のホーガンに言われた言葉がよみがえる。


 ――宇宙に出る者は、常に覚悟がいる。死ぬ覚悟ではなく、能力の最大限を使って生還する覚悟が。


 ホーガンは、その覚悟の通り、一人の部下を救って死んだ。だが彼はきっと、息が絶えるその瞬間まで、生き延びる覚悟を持って戦っただろう。


(ドウシタラ、こいつをツブシてジブンも還れるんだ?)


 ソレはサッタールの迷いの隙に容赦なく入り込もうと、渦の回転を早くする。

 心の揺れがソレに同調し、サッタールの自我は渦の中に引きずり込まれていった。



***


 大気も重力もない宇宙空間で物体を動かすのは、ファルファーレの地上とは若干勝手が違った。

 一度方向を定めて押し出せば、物はそのまま進んでいくが、逆に止めるためには反対方向に押してやらねばならない。

 もちろんアルフォンソは航法など知らないから、どれだけの重量のものをどれだけの強さで押せばいいかなんて計算はできない。

 勘である。

 一方ショーゴも悪戦苦闘していた。

 ペリカーノから持ってきた小型艇の生命維持システムの概要は掴んだが、こちらも普段の制御は組み込まれた専用のAIがしているのだ。それを切り離した以上、どこで何のシステムが動いているのかずっと気を張っていなければならない。


『なあ、あと何分ぐらいで目標地点に着くんだよ?』


 ヘルメットの中では流れる汗を拭くこともできない。ショーゴは汗を払おうと瞬きを繰り返した。


『あのな、ショーゴ。わかっていると思うが、自分の位置なんか目視でしか確認できないだろ』


 アルフォンソは呆れたように返してきた。


『カラブリア号との相対距離で考えろよ。お前の方がわかってるだろ』

『や、あっちからくる指向性ビーコンは拾えるけどよー。それじゃあ方向しかわかんねえよ。だいたいこの艇の速度もわからんし、目視って言っても、目標になる海岸が見える訳じゃねえし、太陽が見える訳でもねえし』

『やれるっつった以上、やるんだよ。脳の血管切るなよ?』


 不意にアルフォンソが腕を伸ばして、握りしめられていたショーゴの手に自分のそれを重ねた。と言っても二人とも宇宙服姿である。厚いグローブの感触しかしない。

 それでも力強いアルフォンソの力は、鬱蒼と茂る生気あふれる森の香りを伴ってショーゴの中に注ぎ込まれた。


『落ち着け。酸素が足りなくなる前には戻る』


 ああ、そうだなと呟いて、ショーゴは浅くなっていた呼吸を努めて元に戻した。

 島にいた頃、サッタールは必要ならば誰にでも自分の力をこうして分け与えていた。それは常に海を渡る風のような感覚を持っていた。だがアルフォンソはそうしたことをほとんどしなかったから、ショーゴも初めてその彩りを知ったのだ。


『……あいつさぁ。やっぱり一人にしといちゃダメだよな』


 気を落ち着けて酸素残量と保温の系統を制御しながら、ショーゴは弟のような青年の顔を思い浮かべる。

 甘えたい年頃に甘えられずに育った少年は、いつも不機嫌そうな顔と尊大な口調をしていたが、その実、向けられる好意ににはめっぽう弱かった。好意を自然に受けるのが苦手で、過大に自分を消耗しかねない危うさがあった。

 それを知っていたから、アルフォンソもショーゴも、むやみとサッタールに優しい言葉や感情を向けないように注意を払っていた。安心して悪態をつけるように。

 だがそれすら、あの青年は理解していただろう。


『おむつをつけた赤ん坊みたいな心配はやめておけ』


 アルフォンソは意識の大半を前方の空間と艇の航行に振り向けながら答えた。


『イルマが、あいつは帰ってくるつもりだと言ってたな。もしそれが本当なら、俺らを呼ぶはずだ。俺らじゃなくてもいい。イルマでも大学のやつらでもかまわん。そうじゃないなら、もし、その気がないなら、こちらから呼んでも聞こえはしないだろう』

『イルマを呼んでもどうせ聞こえねえだろ?』

『どうかな。それより、お前、ここからイルマに接触できるか?』


 言われてショーゴは後にしてきたカラブリア号に意識を向けた。サッタールと違って、距離に反比例してショーゴの力は急激に弱まるが、それでもアレックスの心は容易に見つけられた。

 驚いたことに、アレックスだけではない。すぐ側に、三人の大学生とエステルハージ、それにハヤシもいるのがわかる。いや、もっと大勢の心を感じて、ショーゴは混乱しそうになる。


『お前が幸運を祈れっつっただろ?』


 アルフォンソが低く笑う。

 精神感応力をもたない人間の心も、一つのことに集中して向ければ、それはやはり力として働くのだ。

 待っていたのだろう。接触に気がついたアレックスは、その心をステップを踏むように躍らせ、ショーゴは小さく吹き出した


『あんたらの、その祈りをこっちに向けてくれよなー。頼むぜ、イルマ所長』

『こっちのセンサーによれば、ワームホールまではもう後五百キロないそうだ。くれぐれも気をつけて』


 そう伝えたアレックスを慎重に探ると、彼らはどうやら、コラム・ソルのやり方を真似て、サッタールを中心にサークルを作っているらしかった。その中にはショーゴの見知らぬ心も混ざっているから、カラブリア号の乗員たちも加わっているのかもしれない。

 ショーゴは、アレックスからカラブリア号の祈りを受け取って、アルフォンソに流した。

 アルフォンソは自身の力とショーゴから受け取った力を縒り合わせ始める。

 いつの間にか推進は止まり、超常の視覚には、前方の異様な光景が捉えられた。

 カラブリア号から観測していた時は二つに分かれていたワームホールとエネルギーの収束点は、いまや一体化して巨大な竜巻のように渦を巻いていた。


『穴がデカくなってないか?』


 ショーゴが呑まれたように言った。


『あの中にサッタールの心が取り込まれたとして、どうするつもりだ? あいつ、まだ意識があんのか……?』

『ワームホールからはもうエネルギーが出てないだろ? あいつの意識はちゃんとあるさ。あいつが抑えてるんだ』

『ああ。だが俺にはあいつの心がどこにあるのかわからねえよ』


 それはアルフォンソも感じられないでいた。取り巻くものが強大すぎるのか、それとも……と考えて、すっと目を細める。


『サッタールからの呼びかけがないなら、俺が編み上げた力をアレにぶつけてみるしかないな』

『できるのか?』

『ダメだと思ったら逃げる』

『それで?』

『次は島の者全員連れて来る』


 アルフォンソは本気だと、ショーゴは重ねられたままの手を通して確信した。

 三百年前。彗星の惨禍を防ぐために、当時の超常能力者の三分の二が力を使い果たして倒れた。二万人近くが、次の時代を生きることができなかった。しかし今、島にいるのは全員でもたった七百人だ。そして七百人でこのワームホールをなんとかできる確信は全くない。


『全員か。そりゃ困るな。ユイはまだやっと十一歳だ』

『俺も困る』

『生まれてくる赤ん坊が一人になっちまうもんな。イルマに育ててもらう羽目になるぞ』

『だから困る』


 アルフォンソは念話を交わしながらも、渦をじっと見つめた。あの中にいるはずのサッタールが動けば、即座に同調して力を振り絞る。そのつもりで全ての感覚を研ぎ澄ます。


『動けよ、サッタール。呼べっ!』


 祈りに似た思念は、アルフォンソのものか、ショーゴのものか。それともカラブリアに残した者たちのものか。

 突然、渦が変化した。

 宇宙には音がない。音を伝える大気がない。だがアルフォンソの聴覚はごぉぉっという凄まじい音を聞いたような気がした。

 そして、叫び声も。サッタールの声だった。


 ――クッ、ダメだ。スイコマレル……。


 渦は周囲のエネルギーを巻き込みながら一点へと収束していく。


『アルフォンソ!』


 サッタールの意識を関知したショーゴが叫んだ。


『くそっ! どこだ? 呼べ、サッタール!』


 アルフォンソの噛みしめられた奥歯がギリギリと鳴る。


『呼べ、サッタール!』


 俺を、私を、自分に繋がる全ての人間の、助けを請え!

 アルフォンソの手の中の力が震える。

 渦はどんどん穴へと引きずり込まれていく。そのエネルギーがどれほど膨大なものか、見ていることしかできないショーゴにはわからない。他人の力を編み上げて強大な力を振るうアルフォンソにも、わからないだろう。

 共食いをするように異次元のエネルギーは互いに波をぶつけ合いながら消えようとしていた。


 ――いやだ。ワタシは……。


 サッタールの悲鳴にも似た意識が微かに響く。


 ――還りたい、カエリタイ、帰りたい。ワタシのカラダヘ、あの海へ、あの大地へ。彼らのところへ。

 ――タスケテ……。


 切れ切れに届いた声に、アルフォンソの宇宙服に包まれた大きな身体がいっそう膨らんだように、ショーゴには思えた。


『サッタール! 掴まれ――っ!』


 まっすぐに力が放たれる。

 それは燐光を発して消えかけたワームホールを貫いた。

 ドンっ! と、アルフォンソと、彼に力を預けた全ての人間に衝撃が走る。

 一瞬の後、淡い七色の光がアルフォンソの放った力の軌跡を逆にたどるように輝いて、消えた。



***


 渦に捕らえられ、自我の殻を破られ、ソレに同調したサッタール遥かな虚無に向かって落ちていく。

 そこは、光のない世界。常に揺れ動く世界。

 それはクラゲのいるアマル・フィッダの静寂とは似ても似つかない。

 命の息吹のない世界。何も生まない世界。

 ただ揺れ動くことで無為に生み出されるエネルギーだけがあった。

 これまでにため込んだエネルギーが解放される。周囲を浮遊していたこの世界の微粒子をも引きずり込んで火花のように電磁波が放射された。

 吹き出てきたソレが渦に激しくぶつかり、流れがゆっくりと反転し始める。停滞したソレは消滅していき、揺れ動き続けるソレは穴に向かって落ちていく。

 渦の周縁部がたわんだ。逆転した渦が、異次元の世界に新しい波動を伝えていく。変化を捉えたソレは、急速に元の世界へと還っていく。


(還る? ドコに?)


 そのとき、渦の中心にいたサッタールの自我は、小さな違和感を覚えた。

 新しく揺れ始めた世界。混沌だけが支配する世界。そこに還るのか?


(チガウ。ワタシはダレだ? ソレではないワタシは)

(コノアナがセカイのキョウカイ)

(コノアナはキケン)

(トジるタメにワタシはココにイる)


 どこに還るのか? どれが自分の世界なのか? いったん砕けた自我がもう一度構成される。


(いやだ。私は……、私はソレじゃない。還るんじゃない。帰るんだ。私の身体へ、あの海へ、あの大地へ。彼らのところへ)


 穴は閉じようとしている。だが脱出しようにも、渦巻くソレの流れが強すぎる。どんなに逆らおうともがいても、呑み込まれてしまう。

 世界の狭間で、サッタールは悲鳴を上げた。


(タスケテ……!)


『サッタール! 掴まれ――っ!』


 誰かの太い声が聴こえた。

 同時に峻烈な思いが一筋の糸となって現れる。

 光と闇の世界。喧噪と静寂。灼熱と極寒。あらゆるものが対立し、そしてまたその中間を無数のグラデーションが埋めている世界。

 それこそがサッタールのいるべき世界の様相。

 帰ってこい、と声が叱咤する。この糸の先にお前の生きるべき世界があるのだと。


 ――君はいつだって戻ってくるだろう?


 そうだ。戻らなくては。

 サッタールは、その細い糸の端を掴んだ。


***


 力を使い果たしたショーゴは、ふと自分の身体が冷え切っているのを感じて慌てて生命維持装置の点検に取りかかった。繊細な電子機器でできている義足はどうやら壊れたようで、太腿が引き攣れたように感じるが、それは後回しだ。

 どの時点で、電磁波を浴びたのか、まるで覚えはなかったが、生還したければ働くしかなさそうだった。


『生きて……たな……』


 酷い疲労に喘ぎながら、艇内の酸素濃度を感知する装置の、切れた配線を繋ぐ。


『カラブリア号まで戻れるのか?』


 アルフォンソの答えは、すぐにはなかった。いつの間にか、コラム・ソルの長は胸を押さえてうずくまるように屈んでいた。


『あっちから、迎えにくるだろう。もう、アレはなくなったんだ。イルマを呼べるか?』


 ワームホールは消えた。だがサッタールは? と聞こうとして、ショーゴは深いため息をつく。

 アルフォンソが屈んでいるのは、身体に変調があるからじゃない。飛び込んできた小さな自我の種をこぼすまいと、無意識に取らせた姿勢だった。


『ヒヨコ以前の種かよ』


 まるで卵を抱いた親鳥みてえだなと小さく笑ったショーゴは、ヒーティングシステムだけ応急修理して、イスに深く身体を預けた。照明も切れて、辺りは闇に包まれている。

 その中でショーゴは目を瞑ってアレックスの心を探した。


『イルマ? 俺だ、ショーゴだ』


 疲れ切って力が届かないかもという心配は杞憂だったらしい。即座にアレックスの狼狽した心が触れてきた。


『ワームホールは消えた。大丈夫なのか?』

『ああ。だが疲れ切ってな。大見得切った後でなんなんだが、艦長さんに迎えに来てもらうように頼んでもらえないか?』

『もう動き出してるよ』


 アレックスは一番聞きたいことをあえて明確な言葉にはしないで、淡々と答えていた。だが繋がった心に嘘はつけない。


『無事……なんだね?』


 障壁をたてる余力もなかったショーゴが、はっと息を吐いて笑った。


『ああ。全員、な』


 青い海に白い波のような笑い声が弾けた気がした。



***


 宇宙軍の誇る俊足駆逐艦としてはゆっくりと近づいてきたカラブリア号は、虚空に浮かぶ小型艇を接舷させると、すぐさまぐったりしている二人の超常能力者を回収した。

 ペリカーノに戻すため、二名の宙航士が乗り込んだが、すぐに航行不能とわかって、エンジニアたちは嘆息した。艇のあらゆる配線が切断されていたのだ。その意味では燃料を積まなかったのは正解だったのだろうとブリッジで報告を聞いたロイターはうなずいた。


「ビッラウラはまだ目を覚まさないそうだな」


 エステルハージが背筋を伸ばしてうなずいた。


「ミスター・ガナールもミスター・クドーもです。ですが、ビッラウラの身体機能は急速に回復して、もう人工呼吸器の必要もないと軍医から聞いております」


 サッタールにはアレックスが付きっきりだが、ただでさえ狭い医務室にコラム・ソルの二人の為のベッドを新たに入れたため、三人の学生たちは追い出されてブリッジの片隅で肩を寄せ合っていた。

 とはいえ、宇宙軍の最新鋭駆逐艦のブリッジに入り込める学生はそうはいないから、三人とも興味津々でモニター類をのぞき込んでいる。すぐ脇にストウ中尉がにがり切った顔で立っているが、あれは弟が何かしでかさないかと案じているのだろう。


「ペリカーノ号の作業はまだ終わらないが、もう二十時間ほど様子を見て、この艦は帰還する。ワームホールのあったポイント付近には、念のため観測用プローブを改めて設置するが、その軌道計算を学生たちにやらせてやってもいいぞ」

「それは……大学教育への宇宙軍の協力に、教官の一人として感謝いたします」

「お前は軍に戻るつもりはないのか?」


 エステルハージはストウの手を焼かせている三人を眺めた。


「彼らが無事宙航士として飛び立つのを見守りたいと考えています」

「ふん。何でも一番でなければ気が済まなかった優等生が、ずいぶんと気長になったものだな」


 かつての宇宙軍士官としての姿を指摘され、エステルハージは苦笑した。


「友人が私に輪をかけて気長なので。影響されたかもしれません」

「あれは気長と言うより、脳天気と称すべきだ。海軍はよくあんな男を囲っていたものだな。絶海の孤島で釣りでもしているのが似合いだろう」


 にこりともしないでロイターは言い捨て、小型艇の修理状況を確認するために艦長席のコンソールに手を伸ばしながら手を振った。

 機嫌がいいのか悪いのかと内心で首をひねりながら、エステルハージはストウに任せきりの学生指導に戻った。



 医務室は、ベッドと医療機器に埋め尽くされて、立錐の余地もない。その中でアレックスは、珍しく不機嫌な顔をしていた。

 サッタールも、コラム・ソルの二人も無事に戻った。ワームホールは消え、もう何の憂慮すべきこともないはずなのに。


「小型艇は使い物にならなくなったそうですよ。カラブリア号、ペリカーノ号、それからサンディ号を出動させた救助費用そのものは、中央府から宇宙軍に臨時予算で補填されるでしょうが、小型艇については難しいかもしれませんねえ。議会の承認が得られるかどうか。となると、公安の予算から出さなきゃなりませんが、そうすると今年の残りの超常能力者対策の費用を大幅に食ってしまうんですよ」


 ハヤシが実に楽しそうに喋っていた。

 友人が無事に帰ってきたのだ。およそ人類の経験したことのない危難の中から。それを手放しで喜びたいのに、この男は軍医から身体的にはもう問題なかろうという見解を聞いたとたんに、ずっとこの件で起きた公安部としてのイレギュラーについて語っている。


「まずは祝杯をあげようって気にはならないんですか、ハヤシ警部」

「なりませんな。帰った後を考えたら、今から二日酔いしそうです」

「どうせ二日酔いするなら、せめて飲んでからの方がいいじゃないですか。飲みもしないのに二日酔いなんて、虚しいですよ」


 俺はその前に宇宙酔いしてるけどなと、アレックスは痛む額に手をやった。これからトゥレーディアまで帰って、それから更にシャトルに乗り換えなくてはならない。ファルファーレの地上に降りるまで、この頭痛と悪心は治まりはしないだろうと思うと、それだけでげっそりなのだ。

 そこに加えてハヤシの話など、正直聞きたくなかったが、狭い艦の中では逃げる場所もない。


「エステルハージの話では、喧嘩腰で超常能力者対策法を持ち出したのはあなただそうじゃないですか」

「ロイター艦長は軍人よろしく民間人の話など最初から聞く耳を持ちませんでしたからね。だいたいあの人は、超常能力そのものに懐疑的だったんですから、搦め手をだすのも必要でしょう」

「とにかく予算については、俺に言っても無駄ですよ」

「ああ、あなたの事務所はどんぶり勘定ですからな。不正をする頭もありませんし」


 そんなことはと言いかけたアレックスは、つん、と誰かにわき腹をつつかれて、思わず飛び退いた。


「……っ! サッタール?!」


 振り返ると、サッタールが点滴のついた腕を伸ばしていた。


「気づいたのか。大丈夫か? あ、いや、心配はないよ。少し身体が脱水症状になっていただけで、他はなんともないんだから。その……」


 早口でそこまで言って、アレックスは破顔する。


「おかえり、サッタール」


 ぼんやりと宙を見ているようだったサッタールの青灰色の目が、二度、三度と瞬き、それからいかにも心外と言わんばかりに眉がひそめられる。


「なぜ、あなたが? ここはまだ宇宙だろう」

「え?」


 第一声がそれかと肩を落とすと、背後から含み笑いがする。


「まあ、そう言うな、サッタール」

「アルフォンソ。あんたがいたのはなんとなく知っている。あとショーゴも」


 サッタールは横になったまま首だけもたげた。アルフォンソは上体をおこしてぐるんと首を回す。

 戻ってきた時は、土気色をしていたはずなのに、回復の早い男だとハヤシは口を歪めた。どうやらイルマをからかうのは終わりのようだ。


「ショーゴのやつはまだ寝てるのか。少しばかり大仕事だったからな」

「あなたとミスター・クドーは軽い低体温症だったようですが、やはり心配はいらないと軍医が保証してます」


 律儀にアレックスが説明する。


「ショーゴが目を回しちまって、保温が切れたんだよ。俺はどこをどういじったらいいかわからんし、この艦を呼んだこともわかっていたからな」


 アルフォンソは、くっと笑って、ハヤシに目を向ける。


「小型艇を壊したのは天災だと中央府には申し立てしておくんだな。あの調子のいい議長も、それで充分納得するさ。俺たちを送り込んだことで足下をすくわれるような下手を打つような可愛げはないだろ」

「……ええ。まあ、そうですね。しかも、実を言えば、今度のことは、公安から依頼をした仕事じゃありませんからね。私はもう黙っていますよ」


 つまりは時間つぶしにおもちゃにされていただけかと、さすがのアレックスも気づいたが、今はハヤシのことなどどうでもよかった。サッタールが戻り、アルフォンソとショーゴも無事で、おかしなワームホールは消えたのだ。面倒くさい仕事は地上に降りてからで充分だ。

 だが、弾むアレックスの気持ちは、次のアルフォンソの一言で一気に萎んだ。


「サッタール。力がなくなったことは、いつまでも隠してはおけんぞ」


 え? とアレックスとハヤシがアルフォンソからサッタールに視線を移す。

 サッタールは、血の気のない頬をゆるめてぎこちなくうなずいた。


「ああ、そうだな。あんたならすぐに気づくと思ったよ。でも自分からは言う気にならなかっただろうから、助かった」

「島でも大学でも、お前の好きなところに戻ればいい。だがその前に、もう一つ言うことがあるだろ?」


 サッタールは、唇をぎゅっと横に引いて、アルフォンソとまだ眠っているショーゴを見つめ、それからアレックスにゆっくりと視線を移した。途端に、いつもの無表情が崩れた。困ったような笑いたいような、どっちつかずの顔になる。


「ただいま」


 アレックスは、青い海のような目を瞬かせてから、帰ってきた友人の肩に腕を回して応えた。


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