第七章 暗黒の大地(5)
サッタールは孤独を好む。だが同時に他者を排斥もしない。
サッタールは多くの責任を自分に背負わせ、それを当然のこととして引き受けたが、同時に一人の力に限界があることも承知しているし、他人の手を借りることも厭わない。
サッタールは、自分が、または周囲が思うほどは、孤立していない。
当たり前だ。誰よりも他人の痛みに敏感な心は、それ故に手を差し伸ばさずにはいられないのだから。そして他人の喜びも我がことのようにその胸を浮き立たせてしまうのだから。
コラム・ソルを守ろうと悲壮な決意で一人島を出た時が第一歩だった。その後、島での責任をすべてアルフォンソに押しつけ、自分は自分個人の望みを叶えたいのだという身勝手を通したサッタールは、精神感応を持たない人々の間にいてもけっして一人ではなかった。
「彼は戻ってきたいと思っているし、戻れるチャンスは逃さないと思うよ」
アレックスは自信を持って言い切った。
「だからこちらでできることはやるべきだ」
「できることをするのは当たり前だ。その為に来たんだからな」
アルフォンソが唸る。
「で? 空間異常ってのはどんなものなんだ?」
アレックスの脳天気な精神論を退けて、実際的な話に移る。
「うん。ブリッジでレクチャーは受けたんだけどね。ホワイトホールとブラックホールが同時にできた。あるいは次元に穴があくワームホールから吹き出たエネルギーが、何かに遮られて吸収されているらしいんだよ。そのおかげで、この艦はロンディネ号と違って今のところ無事ってことなんだ」
「その遮っているのがサッタールだと?」
「宇宙軍もエステルハージもそう考えている」
アルフォンソは唸ったきり口を閉じた。代わりにショーゴがそり残したあごの下の髭を引っ張りながら訊く。
「解析できないってのは何だろうな? 強力な電磁波なんじゃなかったのか」
電子であれ、光子であれ。または陽子や中性子であれ。あるいはガンマ線やエックス線のような電磁放射線であっても、宇宙軍の持つ観測機器がその正体を解析できないなどということはない。
実際にロンディネ号は強力な電磁波で船の機能を破壊されたのだ。
「彗星だって電磁波による障害であれだけの被害が出たんだろ。似てるってことは、そのワームホールだかから出てるのもやっぱり電磁波なんじゃねえの? どうなんだよ、大学生、宇宙物理学とかやってんだろ?」
いきなり話を振られた三人が顔を見合わせ、ケイが代表で答えた。
「発生時点では解析不可能な波動が、空間を進むうちに物質を構成する素粒子に作用して電磁波を生む、のかもしれません」
「つまり、モノに当たらなきゃ謎のエネルギーのままってか?」
「ええ、まあ、一つの考えとして……」
ケイは曖昧にうなずいたが、ショーゴはパシッと指を鳴らした。
「あり得るな。だからサッタールは身体との糸も断ち切った。相手の性質がわからん以上、たどって身体ごと破壊される、または乗っ取られるのを用心したんだ」
「でもそれじゃあ、仮にあなた達が宇宙船に乗っていったらヤバいんじゃないですか? たとえ動力なしに動かせても、身体自体は防護できない……」
うーんとショーゴが難しい顔で黙り込む。
学生達と超常能力者達の会話を聞きながら、ハヤシはアレックスをつついて医務室の隅に移動した。
「あの二人がミスター・ビッラウラを救いに行くってのは本気ですかね?」
「彼らは嘘は言わないよ」
アレックスは何を当たり前のことをという顔で答える。
「しかし、ことによるとコラム・ソルは指導者たる人間を一気に三人失うことになりますよ? 中央とのパイプも超常能力者を統率する者もいなくなれば、彼らの能力自体も消滅してしまうというのなら、私としては全く構いませんがね。バラバラになって能力だけが悪用されるのはまっぴらです」
「……つまり、何が言いたいんです?」
「ミスター・ビッラウラを助ける為に、超常能力者のリソースを削ることはない」
「見殺しにしろと?」
平板な声でアレックスは問い返した。
「社会のリスクを取るならば」
ハヤシも感情のこもらない声で答える。
「あなたが一人、死地に赴くというなら止めませんよ。それがあの学生達だろうと、赤毛の教官だろうと。いや、私を含めたこの艦に乗っている全員よりも、三人のうちの一人の方が大事です。超常能力者の存在は今や公知のものです。指導者を一度に失えば、誰に悪用されるかわからない」
ハヤシの言葉に、アレックスはしばらく間をおいてからくすっと笑った。
「ハヤシ警部。結局あなたは、彼らにずいぶん信をおいてるんだなあ」
「今は危惧しか抱いてませんよ」
「それはわからないじゃないけど。でも止められもしないと思うよ」
アレックスは眠るサッタールの力のない手に自分の手を重ねた。もちろん精神感応力など持たない自分がそうしてみても、感じるのは平熱よりもずいぶん低い体温だけだ。
「俺は、ミスター・ガナールは、どうしても危ないと判断したら戻ってくると思うな。あなたが彼らを信用しきれないのと同じだけ、彼らもまだ我々を信用してない」
アレックスは寂しさを押し隠して淡々と続けた。
「コラム・ソルの全員と将来生まれるかもしれない超常能力者たちを見捨てたりはしない。でも、今、ここでサッタールがしているのも多分同じことなんじゃないかな。あのワームホールを放っておいたら、いずれファルファーレ自体に影響を及ぼしかねないって判断じゃなければ、彼らだってここまでしない」
「いいですか? 我々が出発する直前、何者かがサムソン元大宙将の身体を奪取しようとしました。超常能力者であったサムソンを復活させて利用しようとしたのか、あるいは逆に反コラム・ソルの旗頭に使うつもりだったのか。背後にあるものを確認する暇なく来てしまいましたが、社会から見たら彼らは紛れもなく異分子なんですよ? 今は、ミスター・ガナールがコラム・ソルをまとめ、ミスター・ビッラウラが広報とパイプ役を果たし、ミスター・クドーが補佐をしていますが、万が一……」
そこまで言い募ったところで唐突にハヤシは口をつぐんだ。全員の視線がこちらに向いていたことに気づいて舌打ちをする。イルマと話していると、どこかで気が抜けてしまうのだ。
「あのさー。なんかいろいろご心配いただいているみたいだけど」
ショーゴが首の後ろをかきながら肩をすくめた。
「俺もアルフォンソも、ここでくたばるつもりはねえよ。たとえサッタールを戻すためでもなー。だが、イルマの言ったとおりさ。あのおかしなワームホールとやらが、彗星を作ってファルファーレに隕石をばらまいているんだとしたら、そんで、そのせいで俺たちみたいなのが生まれてくるんだとしたら。そりゃ、俺たちが何とかできるか試してみるのが筋じゃねえの? あんたたちの宇宙軍がなんとかできるんなら最初からこんなとこまで来ねえよ」
ハヤシは、細い目をさらに細めてショーゴを睨んだ。
「彗星があなたたちを生んだ? 確かですか?」
「確証はねえよ。だけどそう言い伝えられてる……って、言ってなかったっけ?」
「知りませんな」
ハヤシは、アレックスの表情に目を留めて、これ見よがしにため息をついた。
「こちら側で知っていたのはあなただけですか。だからこれから能力者が大陸各地に生まれてくるだろうと予測して、調査に協力する気になっていたのだと」
「ええっと。確証もない話ですし。数年から数十年、統計を取れば相関関係は出せるでしょうし。公にすると、特に西のヴェルデ大陸西岸は混乱しそうですよね? あそこの多島海はまだ海賊が跋扈してますしね」
言い訳がましくアレックスは答えたが、すぐに真剣な目でハヤシを見返した。
「じゃあ、具体的に、どうやってあのワームホールの近くまでミスター・ガナールとミスター・クドーを送るか考えませんか? あ、その場合、サッタールも連れて行くのかな?」
「あなたは……」
ハヤシはもう一度、これ見よがしに大きく息を吐いて、無表情のアルフォンソに向き直る。実行するならあの堅物そうなロイター艦長を説得しなくてはならない。どう考えても、コラム・ソルの二人はもちろん、アレックス・イルマに交渉役が務まると思えなかった。
「必要なものはなんですか?」
「最低限の生命維持ができるだけの小型艇だな。一人乗りのポッドでは困る。さっきも言ったが、推進はなくてもなんとかできる。それからサッタールは連れて行かん。精神が解放されれば自力で戻るか、俺たちが連れて帰る」
「このクラスの艦は小型艇を積んでますかね?」
「カラブリア号になくても、ペリカーノ号にはきっとありますよ」
アレックスが請け合う。
「俺たちが戻るまでは、サッタールの身体は生かしておいてくれ。必要なら人工心臓でもなんでもかまわん」
アルフォンソはショーゴを促して立ち上がった。
「ハヤシ警部。あんたが交渉役を買って出てくれるんだろ? 艦長に挨拶してくるか」
「勝手に私の心を読まないでいただきたいですね」
ハヤシは冷たく言って、アレックスを振り返った。
「あなたは軍医に言って、ミスター・ビッラウラに必要な処置を受けさせてください。交渉には必要ありません」
三人について行こうとしたアレックスは、喉になにかつかえたような顔をしつつもうなずいた。サッタールを学生達に丸投げしてばかりもいられない上、確かに自分が行っても傍観者になってしまいそうだと予想できる。
「ブリッジにはまだエステルハージもいるはずだ。宇宙軍のことなら彼の方が詳しいんだから、援護してもらえるだろう」
言われなくてもわかっているとおざなりに手を振って、ハヤシはコラム・ソルの二人を連れて医務室を後にした。
***
揺れ動く波に取り囲まれて、サッタールの自我はゆっくりとその意図するところを理解していった。
この世界には個がない。一は全であり、全は一であった。共鳴し合うソレは、元の世界の異変を一瞬の間もなくこちらに伝える。
そこには時間も空間もない。
この物理的世界では、ソレはとても生命体とは言えないだろう。だが意図を持って環境に影響を与えようとするものを、他になんと呼べばいいのだろうか。
ソレの渦巻く異次元の世界は崩壊しつつあった。揺れ動き波を起こすことができなくなりつつあるのだ。原因はわからない。
ただ波がなくなってしまえばソレは死滅する。
故に世界に穴をあけた。
だが、この世界はソレの世界とは存在の法則が違う。吹き出た当初、ソレはたちまち拡散し消えてしまった。
質量を持たないソレは、互いに引き合うこともできないのだ。
それでも、ある時――この世界では数万年も前に、ソレは物質に影響を及ぼす方法を覚えた。世界を構成する粒子を揺らし共鳴させることを。
そうしてソレは長い時間をかけて、穴の近くを漂っていた小天体を揺らした。ぼんやりとフィオーレ星系の外縁を回っていた汚れた雪玉は、次第に恒星に向かって落ちていき、また戻ってくる彗星となったのだ。通り道のファルファーレに多大な影響を及ぼす彗星に。
(ワタシの中にもソレがいる)
サッタールの自我ははっきりと知った。そして恐怖におののいた。
(ワタシはソレの傀儡なのか? イヤチガウ。チガウ。ソレは共鳴と反射しかない。ワタシは……ワタシタチはチガウ)
自分たちは、他の者達から見れば異質かもしれない。それでもファルファーレの大地と海に育まれた同じ人間なのだ。
この圧倒的な異質さとは比べられない。
(ソレはあらゆるモノをユラす。ユラし、ハドウをオコすことでセカイをコントンにナゲコンデしまう)
ファルファーレの海も常に揺れ動いていた。大気も。しかしそこには一定の法則があり、秩序があり、理解できる理があった。
しかしソレは違う。これ以上解き放たれれば、物質世界の秩序を根底から覆してしまう、暗黒のエネルギーだ。
(アナをフサガナクテハ)
近づいてくる異次元の穴を、視覚ではない別の感覚で捉えながら、サッタールの小さな自我は、焦燥感と使命感とは別のなにかをぼんやりと思い出した。
指の間をすり抜けていく清浄な水。頬を撫で、髪を揺らす風。肌を焼く恒星フィオーレの光。青白い陰を投げる二つの月。
誰かが自分の手を握っている。肩を抱き、背をなだめるように叩いている。胸を沸き立たせるような笑い声。熱い涙。吐息。
身体を切り離した時に置いてきたはずのものが、突然大きく膨れ上がった。
(アノバショに、カエリタイ)
もう異次元の穴はすぐそこだった。
***
「小艇を出せだと?」
ロイターは、苛立ちを隠しもしないで長身の精神感応者をにらみつけていた。
「この艦にはなくてもロンディネ号で作業をしている輸送艦には積んでいると聞いた」
アルフォンソは動じもしないでその視線を受け止める。
「そもそも我々は、民間人である学生達の救助に来たのだ。むろんその中でもサッタール・ビッラウラは特別な人間だ。彼が絡んでいたからこそ議長もトゥレーディア司令も素早く動いた。貴重な超常能力者だからな。それは貴公らも変わらん。私の判断で危険地帯に送ることなどできん」
「あんたの判断はいらん。これは俺たちの判断だ」
「断る」
二人の男がにらみ合う中で、観測プローブの解析をしていたストウ中尉は小さくエステルハージに話しかけた。
「なぜ、君から話を通さなかった? あれでは話し合いも何も始まるまい」
「いや、私も小艇の件は今初めて耳にしたので」
ストウ中尉の口調に、士官学校時代を思い出しながら答える。
「先行させたプローブは二つのワームホールの間どころか四百キロメートル手前で鉄くずになったんだぞ? どこまで近寄るつもりか知らんが、艦長がオーケイなど出せるものか」
「データーもノイズが多くてろくに役立ちませんでしたしね」
プローブから送られてきたデーターは、無意味なノイズが多すぎて、少なくとも既知の科学知識ではすぐに解析ができない。
「しかし下手をすると、艦長が承諾しなくても彼らは勝手に動かしてしまいそうです」
「できるものか、そんなこと」
反射的に答えたが、ストウはすぐに真顔になった。
「もしかして燃料も生命維持の調整いらないのか?」
その答えは、コラム・ソルの長からもたらされる。
「船の外殻が保てばいい。推進は俺がやる」
「馬鹿なことを。貴公らは宇宙の怖さを知らん。ロンディネ号がなぜあんな悲劇的な最後を迎えたと思っているのだ。炉の制御ができず、熱と放射線に晒され、AIが沈黙し、外殻が破断されてもエアロックも降りず、急激な減圧と酸素不足で乗員の多くは窒息したんだぞ」
「それは聞いた。だから外殻が保てばいいと言っている。燃料は万が一にも爆発されては困るから全て抜いてくれ。酸素は行って帰るだけの量があれば、還元装置など壊れてもなんとかなるだろう。ああ、水と食糧は多少はあった方がいいな」
「生命維持は酸素だけじゃない。宇宙空間に出れば外は絶対零度に近い。ここはフィオーレからの光の恩恵もないんだ。焼け死ぬ心配はないが氷漬けになるのがオチだ。宇宙服を着ていても、その機能が働かないのでは体温は保てない。第一、私は許可などしない」
それまで黙って聞いていたハヤシが、二人の間に入る。
「ロイター艦長。ご心配なのはこの二人が帰還できなくなった場合の対処……はっきり言えば責任の問題ですか?」
ロイターは氷のような目で公安の警部を眺めおろした。
「責任問題はある。私はこの宙域における最上位者だからな。失わなくていい人間を、しかも目下中央府が重要視しているコラム・ソルの長を見殺しにしたとなれば、譴責は免れないだろう。だが、それよりも何よりも、我々のフィールドである宇宙で、戦争中でもないのに生きて戻れぬような片道切符を民間人に切ることなどできん」
「はあ。それは崇高な精神ですが。しかしこの二人は生きて戻って来るつもり満々のようですが」
「素人の戯れ言だ」
問題が責任の所在というだけならば話は簡単だったのだがと考えながら、ハヤシは柔和な顔を作った。
「超常能力者対策法では、超常能力者の活動における責任は公安部が負うことになってます。たとえ万が一のことがあっても、あなたにも宇宙軍にもいっさいの責任はありません」
実のところは、公安から依頼のあった活動においてなのだが、ハヤシはそこをわざと省略して語った。
「むしろ協力いただくのであれば、公安部としてもコラム・ソルとしても宇宙軍には感謝申し上げる立場です」
「ふん。小型艇一隻、いくらすると思っているんだ? 自殺願望者に提供するには高くつきすぎる」
「ロンディネ号から一名といえど乗員の命を救い、なおかつ現在安全に作業できているのは誰の功績かお忘れですか? そもそもビッラウラが危機を知らせなければ、貴方はまだトゥレーディア基地でのんびり茶を啜っていたはずでは?」
ハヤシは珍しく高い声を張り上げた。とたんにブリッジの中が凍りついたような沈黙に包まれる。全員の視線がハヤシに集まり、次いで青いジャンプスーツに身を包んだ金髪の長身の男と、細身の東洋系の顔立ちの男に注がれた。
特に、コラム・ソルの長だという男は、体格に恵まれた軍人の中にいても少しもひけを取らない力が漲って見える。
「燃料のない宇宙艇を超常能力で本当に動かせるのか?」
やがて静かにロイターが訊いた。
「雨のように降り注いだ彗星の欠片から島を守ったのは俺だ。三年前、サムソンがあんたがたのミサイルを島に打ち込もうとしたときも待機していたがな」
アルフォンソの答えに低いざわめきが起こる。超常能力者は他人の心を盗み見できることはよく知られていた。だが本当にそんな物理的な力を振るえるのか、といった疑問がブリッジの壁に幾重にも反響して、ショーゴは顔をしかめる。
「今ここで、芸のひとつもやって見せろってことなら……」
挑発的なアルフォンソに、ショーゴがやれやれと首を振って、ハヤシとエステルハージの心をそっと探ったが、たきつけていたハヤシは成り行きを見守る構えだし、エステルハージに至っては二人の不穏な空気に飲まれてなだめるどころではない。
『おいおい、ケンカしに来たんじゃねえだろ? 力の無駄遣いをするんじゃねえよ』
念話でアルフォンソをいさめたが、当の本人はかえって獰猛な笑いを漏らした。
「あんたらが懐疑的なのはわからんでもない。だからやって見せてやろうと言ってるんだ」
ロイターは眉をぐいっと寄せたまま、ストウ中尉を振り向いた。
「ストウ。まだ射出していないプローブがあるだう。それをエンジンに点火なしで慣性だけで外に出せ」
「イエス・サー」
ストウは反射的に答えたが、戸惑った顔で聞き直した。
「慣性のみで? 外に出すだけですか? どこに向かって?」
「どこに向かうも何も、エアロックから手で押し出すだけでいい。すぐにだ」
「アイアイ・サー」
敬礼で答えたストウが、観測員にうなずいてから身を翻してドアに向かった。
「十分以内にやれ」
ドアが閉まる前にロイターが更に命ずる。ストウの答えは聞こえなかったが、彼女は時間を無駄にはしないだろう。その隙にと、エステルハージは唾を飲み込んでから、傲然と立つアルフォンソに近寄った。
「大学教官のエステルハージです。ミスター・ショーゴとは一度会っているが、あなたとは初めましてだな、ミスター・ガナール」
エメラルド色の瞳がゆっくりと動いて、アルフォンソは口の端を少しあげた。
「イルマの同期で宇宙軍をクビになった男か。サッタールが世話になったようだな」
「特別に世話を焼いた覚えはないが、教官だからな」
エステルハージはわずかばかりムッとした顔をしながらうなずく。
「言葉を最後に交わしたのはあんただと聞いた。あいつは何と言ったんだ?」
「……私には精神感応力などないが、それでも彼は私とロンディネ号の船長らとを結びつけてくれた。最後は……そのロンディネ号に生存者がいると伝えて。彼が無茶をしたというのなら、あの力に頼った私にも責任がある」
「別にあんたに頼まれたから動いた訳でもないさ。あいつはそういう奴だからな。俺が出張ってきたのも、これは俺たちの仕事で、多分どれほど科学技術に優れていてもあんたたちには解決できないことだからだ。観測できないエネルギーは俺たちの力と同種のものだ。俺たちを生み出したものがアレなら、俺たちが始末をつける。それだけだ」
アルフォンソが口調を和らげて語ったのと同時に、プローブを納めた船腹からストウの通信が入る。
「艦長。プローブを今、押し出します」
すぐに正面のモニターが切り替わり、宇宙服を着たストウが、エアロックからプローブを押し出している姿が映った。プローブと言っても、長さが二メートルはある直方体だ。重さも百キログラムを優に超えるのだが、ストウはそれを軽々と放り出した。
ゆっくりと回転しながら漂い始めたプローブを、今度は外殻に取り付けたカメラが追う。
すると突然回転が止まり、それは糸で引っ張られるようにカラブリア号の前方、すなわちブリッジのある方向へと向きを変え、数十秒後には窓から肉眼で見えるところまで来て動きを止めた。
ロイターはプローブよりも、操っているのだと豪語する男の顔を注視した。だがアルフォンソは表情を変えることなく、視線は宙をにらんだままだ。
「あれを貴公が?」
ロイターの声に微かに畏怖が混ざっているのを、近くにいたエステルハージとハヤシだけが聞き取った。
「そうだ。あれをどこに向けたいんだ? 何ならワームホールとやらの中まで突っ込ませるか?」
「いや。余計なことはしなくていい。そうだな。ではもう一度元のエアロックまで持ってこられるか?」
「わかった」
プローブは、また向きを変え、今度はカラブリア号を一周してから開けたままのエアロックに戻っていく。待機していたストウの姿が小さく映った。ヘルメットで隠されているが、さぞ肝をつぶしているだろうとロイターは密かに考え、笑った。
確かに驚いた。ああも易々と、まるで机の上のペンを取り上げるほどの気楽さでプローブを操るとは、この目で見なくては納得できなかっただろう。
やれると言うのならやれるのかもしれんな、と思ったロイターの手を、それまで黙って見ていたショーゴが掴む。そして振り払う間もなく、その思考が頭に流れ込んできた。
『わかったらさっさと小型艇の用意をしてもらえませんかね? サッタールの身体が保っている間に』
あまり注意を払っていなかったもう一人の超常能力者に、驚きの目を向けると、クドーは人の悪そうな笑顔を浮かべた。
『俺たちはケンカをしに来たんじゃない。俺らもあんたたちを必要としているし、俺らが失敗したら多分あんたたちも困った羽目になる。ファルファーレは俺たちにとっても唯一無二の故郷だ。そしてサッタールは弟みたいなもんなんだよ。宇宙の危険を心配してくれんのはありがたいが、もう時間がないんだ』
『あのワームホールが発生している強力なエネルギーが貴公らの身体自体に影響を及ぼす可能性は?』
『だから先行したプローブが破壊された四百キロ手前までしか行かねえよ。サッタールだってその危険を考えて身体と心を切り離したんだろうし』
『ここから呼びかける訳にはいかんのか?』
『生憎だが、そんなことができるのはサッタールだけなんだなー。だから小型艇を貸して欲しいんだよ』
「わかった。早速用意させよう」
声に出して答えてから改めて、ロイターは自分が心で会話をしたのだと悟り、顔をしかめた。あまりにも自然で何の圧力も感じなかったことが、かえって恐ろしい。しかしそんな感情も見通されてしまうのだろうと考えると、逆に肩の力が抜けた。
「通信機器もいらねえ。メンテに手間をとられたくねえから、連絡はイルマにする。あいつの心が一番馴染みがあるんでね。あとは保温その他の生命維持か。艇のシステムを理解するのにちょいと時間をとるだろうけど、まあなんとかするさ」
ショーゴが大雑把にまとめて、傍らのアルフォンソを見上げた。
「ところで、こいつが入るくらいデカい宇宙服の余りってあるかな? 死にに行くんじゃねえから保険は何重にもかけておきたいし」
「予備の宇宙服を出してやれ。他に必要なものは?」
副官に命じて、ロイターはコラム・ソルの二人を厳しい顔を作った。
「幸運、かな?」
ショーゴの答えに、その場の全員がうなずいた。
2/17 文章を少し直しましたが、内容は変わっていません




