第七章 暗黒の大地(2)
セントラルのシャトル発着場から二十時間のフライトを経て、トゥレーディア基地に着いた時にはもう、最新鋭のフリゲート艦サンディ号が準備されていた。
「これはどういった種類の船なんだ?」
アルフォンソに尋ねられたアレックスは、まだ宇宙酔いの冷や汗を額に浮かべながら答えた。
「えーと。小型高速で、戦闘能力の高い艦ですね。たしか高密度エネルギー砲を持っているはずです」
「あんたのウェイブレット号みたいなもんか」
「もう私の、じゃないですが。まあ、あれの宇宙版みたいなものですね」
アレックスは青い瞳を一瞬細めて苦く笑った。もう軍に戻ることはないと思っていても懐かしい思いは消えない。
「ふーん。つまりいざという時には攻撃するつもりか」
ショーゴが値踏みする目で、基地から伸びているエレベーターの小さな窓からサンディ号を見上げた。極小重力下にいる為、全員が壁にベルトで体を押さえたままだ。
「中央府も宇宙軍も、ミスター・ビッラウラの保護以上に彗星への復讐を考えてるんでしょうね」
ハヤシがうすら笑いを浮かべた。大損害の記憶が新しい彗星を掃討するということなら、この莫大な経費も市民たちの支持を得られるだろう。
その上、ジェイコフは超常能力者たちの個人的な協力も得たのだ。
(恩を売るならこちらが先に動くべきでしたな……)
臍を噛んでも遅い。せいぜいこの機会に、能力者の徴用をもう少し進められないかと密かに考えるハヤシの頭には、サッタールの安全への憂慮はない。
どこかで、彼はいつでも生還すると信じてしまっていることに、ハヤシ自身が気づいていなかった。
『そんな場合じゃねえんだけどな』
ショーゴがため息混じりにアルフォンソに問いかける。
『こいつらの頭ん中は、権力の配分とかでいっぱいなんだろ。俺たちは俺たちでその権力を利用している。お互い様だ』
『ん。でもなー。サッタールはマジでヤバいんじゃないかって気がすんだよ。サハルも、なんでもねえのに鳥肌たつってたしな』
『だからごり押しして来たんだろ』
アルフォンソには、ショーゴが漠然とした不安を紛らわしきれないでいることが手に取るようにわかった。同様に自分の不安もショーゴに伝わっていることも知っていた。
勘、と言ってしまえばそうなのだ。遠く離れたサッタールに、今この瞬間なにが起きているかなんて知りようがない。論理的な説明などない。
だが、肌がざわつく。脳細胞の、どこか未知の部分が危機を訴えている。
そんなことを考えている間に、エレベーターが上昇を止め、ハッチが開いた。自動でベルトが巻きとられ、ふわりと身体が浮く。
「ミスター・ガナール、ミスター・クドー。それからイルマコラム・ソル事務所長とハヤシ公安警部ですね? IDをこちらに」
出迎えの士官が慇懃に壁の端末を手で示した。
だがアレックスの目は、宇宙軍士官を通り越して、その後ろで手をふる背の高い青年に向けられていた。
「ストウ! 君はトゥレーディアに残ったと聞いていたけど、この艦には乗れたんだね?」
少尉の階級章をつけた士官が、あからさまに顔をしかめたが、ケイは満面の笑みでうなずいた。
「ケイと呼んでください、ミスター・イルマ。この出動が超常能力者に関わりのある事態だと聞いて、サッタールと親交のある人間が多い方がいいのではないかと司令官にお願いしました。その……エスコート役として」
コラム・ソルの二人は、大学で見知ったケイ・ストウが口に出さなかった事情を読んで、そっと唇をゆるめた。軍人一家のコネを総動員した上で、超常能力に対して不信と恐れを拭いきれない宇宙軍に、間に立つ民間人が如何に役立つか口先三寸で丸め込んだのだと。
「まずは乗艦手続きをしてしまいましょう。すぐに出航できるように準備はすんでいると聞いています。ただ慌ただしいのでブリッジにはお招きできないと、艦長のハンゴル大尉からは謝罪の伝言を預かっています」
宇宙軍士官からは、精神感応など持たない者でもはっきりわかるほどに、早くしてくれとじれた気配が漂っていた。
アレックスは慌てて、まず自分のIDを艦のAIに登録し、残る三人にも促す。
エアロックエリアから狭い通路に一歩入ると、そこではファルファーレの地上ほどではないにしても重力がきいていて、すこしだけ肩から力が抜けた。
フリゲート艦と称されるだけあって、この艦はけっして大きくはない。客を乗せることなど想定していないのは、海を走るウェイブレット号と同じだ。
案内役の士官の説明では、倉庫にしていた一角を一つ開けたのだそうで、梯子状の通路を半ば身体を浮かしながら進んだ先のキャビンは、なるほど殺風景なむき出しの壁にベッド代わりの簡易寝袋が取り付けられただけの代物だった。
「先行艦との合流ポイントまで、およそ三時間です。それまでここから離れないでいただきたい」
慇懃に言われても、アレックスは快活に応じた。自分たちは間違いなくやっかいな荷物なのだ。かつてウェイブレットにドクター・ワイマーを迎えた時のように。
「了解しました。ハンゴル艦長によろしくお伝えください」
士官は、アレックスの目をのぞき込み、間違っても超常能力者に航行の邪魔をさせるなと言わんばかりにうなずいてから、器用に身体をくねらせて去っていった。
とたんに全員の口から小さくため息が漏れる。
「居心地はよくないかもしれませんが、そこは我慢してください」
アレックスの言葉に、ショーゴが笑いを混じえて返した。
「俺みたいなのが一番嫌なんだろ? 心配いらねえよー。見境なく航行中の船に手を出したりはしねえよ。どんな構造かもわかってねえからな」
「ええ、まあ。警戒はされてると思います」
アレックスの代わりにケイが答えた。
「最初は睡眠ガスを入れて皆さんを眠らせようという意見もありましたから」
「へぇ。なんでその案はポシャったんだ?」
「目覚めた後が怖いですよ、と……あ、すみません。えーと、その……礼節をもって遇すれば相手も礼節をもって応えるって意味で……」
アルフォンソの目が冷たく煌めくのを見たケイが、しどろもどろで説明した。アレックスが笑いながら間に入る。
「殺気だった軍に礼節が通じるか、俺もちょっと保証はしかねるけどね。でもおかげで航行中、少しは意見交換もできるよ。助かった、ありがとう」
この人は、超常能力者の視線が怖くないのだろうかと思いながら、ケイも強ばった笑みを返す。
そこで、沈黙を守っていたハヤシが、おもむろに口を開いた。
「もう、そんなに話すこともないとは思いますが、盗聴はされているでしょう。どうしますか? 仲良く手でも繋いで過ごしますか?」
「いや。宇宙軍が疑心暗鬼なのは正直に言って無理ないところだと思います。個人的にはムカつくところですけどね。でも行き先があの彗星の親玉みたいなやつなら、ミスター・ガナールの念動力も、ミスター・クドーの電子を操る力も有用でしょう。軍もそこは骨身に染みているはずですよ。ケイの脅しに屈したってだけじゃない。特に機密にしなきゃいけない話題もありませんし、聞かせてやった方が安心すると思いますよ」
アレックスは、彗星の脅威に全く無力だったかつての自分を思いだして言った。
「サッタールのことは心配ですが、彼を助けるためにもこの艦が無事でいることが前提です。いったん海に――じゃなくて宇宙に出たら、全員が運命共同体です。センチメンタルな感慨なんて吹っ飛ぶくらいに」
再び地上に降りるまでは、諜報合戦も権力闘争も関係ないのだと、アレックスは一同の顔を見渡した。
「だな」
アルフォンソが同意して、おもむろに大きな身体を寝袋に突っ込んだ。ケイも、まだ冷や汗をかいたまま出航に備える。
壁全体が細かく振動して、まもなくサンディ号がトゥレーディア基地から離れるのだと告げていた。
***
彗星によって受けた宇宙軍の痛手は、サムソン事件に匹敵するのだと、ハヤシは冷静になった頭で考えていた。
ぼんくらと見くびっていた元軍人と、仮想敵であるコラム・ソルに出し抜かれたことで頭に昇っていた血も、もうすっかり冷えている。
これを機に、宇宙軍が超常能力者を受け入れる方向へ行くというのならば、またバランス・オブ・パワーの秤が少しばかり傾くかもしれない。
安定と秩序の上の発展を目指してきたハヤシにとって、この小さくも力のある集団がどう動くのか、興味は尽きない。
「あの……サッタールが対峙しているものが、あの彗星の親玉だとして。最新機器満載の軍艦が近づいてもすぐに無力化されませんかね?」
ケイがおずおずとした口調で隣のショーゴに訊いた。
「されるだろー」
「じゃあ、どうするんです?」
「サッタールの話から察するに、あいつはとっさに障壁を立てただけで、本体そのものに対抗しちゃいねえ。ま、本体ってのがどんなものかわからんけどなー。ミサイル撃ち込めばいいならそうするが、彗星が近づいた時のことを考え合わせりゃあ誘導がきかねえんじゃね? だがアルフォンソなら、正確に撃ち抜けるぜ」
「ミ、ミサイルを撃つんですか?」
ケイが上擦った声をあげた。
「ということもあり得るってことだよ。とにかく何が相手かわかんねえから、今から頭を悩ませてもムダだろ」
素っ気ないショーゴに言い返そうとケイが息を吸い込んだ瞬間、ぐらっと目眩に似た感覚に襲われて変な呻き声に変わる。
「ああ。亜空間航行に入りましたね」
アレックスが気をきかせて説明した。
「しばらく通常航行してからじゃ……?」
「正確には知りませんが、この艦は高速小型艦なので、亜空間に入るのに充分な速度に達するのも早いんでしょう。というか、大学の演習でやらなかったかい?」
「軍の最新鋭艦を想定はしてませんからね」
ケイは負けずに返したが、アレックスの顔色が悪いのに気づいて口を閉じた。実際、吐き気を抑える為に生唾ばかり飲んでいて、それで余計に吐き気を覚えているらしい。
表情に出さないようにするのが精一杯に見えた。
宇宙酔いに弱い元軍人に気を使ってか、それ以上は誰もしゃべらない。ただ全員が、早く現場に着くようにとだけ念じていた。
***
「ビッラウラを輸送艦に移せと? そんなことできる訳ないだろう?」
カラブリア号艦長であるロイターは氷のような表情を崩さずにかつての部下を眺めた。
「この艦は、ロンディネ号の生存者の為にも一刻も早くトゥレーディアに帰還せねばならん。その際に、サッタール・ビッラウラは置いてきたなどと報告できるはずもない」
「ロンディネ号の生存者は助かりそうなんですか?」
エステルハージが驚いてロイターを見上げた。
カラブリア号のブリッジはロンディネより広いが、それでも帰還の為に働く士官と下士官でざわついている。
「若い下士官が一人だけだがな。ホーガンと機関士長は、稼働可能なたった一つのポッドの電源を繋いで、炉の制御を行った。反応が止まれば、崩壊熱は抑えられる。外壁を爆破で剥がして、宇宙空間に晒したおかげで冷えるのも早いしな。だが、宇宙服ボンベの酸素を使い果たし、ポッドの酸素は抜けていた。ホーガン以下死亡者の死因は窒息だ。生存者も低酸素症で、治療しても回復するかは望めんな。おそらく脳がやられただろう」
ホーガンと機関士長はぎりぎりまでできることをやったのだと、エステルハージはサッタールと共に彼らと心で話したことを思い出して目を閉じた。
宇宙での事故は、即、死に繋がる。自身もそこに身を置いていたから、よく知っている。それでも全力を尽くしただろう彼らに、心から敬服して手が自然とあがり、敬礼をとった。
ロイターは、そのエステルハージの様子にわずかに目を細める。
「彼らは、ロンディネが爆発して、学生たちのポッドに悪影響を与えることを懸念してくれておりました」
「保護下の民間人を守るのは、我々の務めだ」
小さくうなずいて、ロイターは続けた。
「彼らの勇気に応える為にも、さっさと戻るぞ」
「……では、私が事故下のホーガン大尉と言葉を交わしたことは認めてくださいますか?」
「なに?」
「サッタール・ビッラウラの精神感応力で、私は生前のホーガン大尉と機関士長のデイモンと話しました。いかなる通信機器も使わずに」
「……それが精神感応だと言うのなら、そうなんだろう」
「では、ビッラウラが、今この瞬間も戦っていることも信じてください。たとえ眠っているように見えても」
「正気か? お前は理性的な男だと思っていたのだがな」
「むろん正気ですよ」
「何者かに……いや、ビッラウラに操られている可能性は?」
ロイターが探るような視線をエステルハージに向けた。
かつてサムソンに操られた前科があるのだ。今度もそうではないとは言い切れまいと。
「サッタール・ビッラウラは他人を操れると聞いた」
「今、ここで私を操ることになんの利益があるとお考えですか?」
サッタールはそんな人間じゃないなどと言っても、信用はされないと、エステルハージは努めて冷静に返す。だがナージェム大学の紋章の入ったジャンプスーツの下には冷たい汗が流れ落ちた。
「壊れた船と一緒に、作業用の輸送船に残されたからといって、ビッラウラ自身にもコラム・ソルにも、何らの利益もないでしょう。私にもです。大学教官として、学生を保護する立場からは、おっしゃるとおり一刻も早く彼らを地上に戻すべきです。それでも今は、彼をこの宙域にとどめるべきだと進言します。ビッラウラの意識が戻るまでは」
「ポッドから出しても眠ったままだそうだな」
エステルハージはうなずいた。
側につけているレワショフとブラッスールの話では、ビッラウラの脳波は数時間もの間激しく変動し、それに伴って筋肉も動いた――というより暴れたらしい。
それがピタッと収まったのは、外的な要因ではない。二人は身を挺して麻酔薬を投与しようとする軍医に逆らってくれたのだ。
ロイターは考え込むようにコツコツとブリッジの中をゆっくりと歩いていた。乗員は、帰還するのか待機なのかと、無表情の下で命令が出るのを待っている。
中央府が迅速に動いたのは、未来ある学生たちを救うという以上に、ビッラウラがここにいたからだ。そのビッラウラを連れ帰らずに帰還した場合、ロイターが釈明に追われることは間違いなかった。
(だが、この状態で連れ帰ったら、それこそコラム・ソルの怒りを買いかねないぞ)
エステルハージも表情を崩さずに、カラブリアの艦長を見つめる。
「……観測した空間異常の状況は?」
ロイターの歩みが止まり、顔が観測を続けている乗員に向けられる。
「ワームホールというよりもホワイトホール現象じゃないかと思われます。非常に微細ですが、大量のエネルギーを放出している、のですが……我々との間に別の何か……やはり微細なブラックホールかなにかが存在して、そのエネルギーを吸収している……ように見えます」
「見える?」
「あ、いやAIの計算結果が……」
未知の現象なのだろう。観測員は首をひねりながらモニターにAIの計算結果を表示させた。
エステルハージもロイターと一緒にモニターをのぞきこんだ。結果はかろうじて理解できるが、それが何を示しているのかまではすぐに把握できない。
「観測用プローブをいくつか射出したらどうでしょう。帰還するのなら、観測結果はペリカーノ号に送らせて」
「プローブが使い物になるか? すぐに機能停止するだろう?」
「それまでのコンマ0秒であっても、後の研究には有用です」
「プローブの準備にどれくらいかかる?」
「測定器を調整して……数時間……複数いるでしょうから……」
ロイターの眉がぐいっと寄った。
「どちらにしても、あの異常空間とカラブリア、ペリカーノ、ロンディネの位置はズラさねばならんな。今の配置では、再度バースト現象が起きた場合、全滅だ」
エステルハージは、気づかれぬように細く息を吐き出した。艦の位置変更とプローブの準備で、少なくとも数時間以上は稼げる。
しかし、と胸の内で考える。
もし、光速を遙かに越える通信が可能であれば、コラム・ソルの能力者たちにビッラウラの状況も伝えられるし、意見も聞ける。空間異常に関しても、早急に本格的な観測隊を用意するように提案もできる。
だが今のところ、既に手にした技術のみで戦わなくてはならない。
「極低温睡眠状態の学生たちは、帰還までこのままでお願いします。私はビッラウラの様子をみてきます」
エステルハージは、ロイターに敬礼を取って背を向けた。その動作が軍人のものであるとは意識していなかった。




