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第七章 暗黒の大地(1)


 サッタールの異常に、エステルハージが気づいたのは数分たってからだった。出現した宇宙軍との連絡に気を取られていたのだ。


「大学教官のエステルハージです。救援に感謝します。二十八のポッドはすべて正常に作動しています。うち、二十四は極低温睡眠に入っています」

「了解。こちらはトゥレーディア基地所属巡洋艦カラブリア号。まず目覚めているポッドの回収から行う」

「ロンディネ号の乗員は?」

「そちらは輸送船ペリカーノから小型ボートを出す。事故の詳細については、貴君がこちらに移ってからにしよう」

「私は一番最後に。学生たちを優先でお願いしたい」

「了解」


 とりあえずの通信はそれだけで、カラブリア号は慎重にポッドの群に近づく指針をとった。もう一つのずんぐりとした輸送船も、ゆっくりとロンディネ号に近寄っていくのを見て、エステルハージはホッと肩の力を抜いた。


「覚悟していたのより一年早い救助だ、ビッラウラ。君のおかげだ」


 回線を切り替えて話しかけてから、サッタールのバイタルサインが激しく動いているのにようやく気づく。


「ビッラウラ? どうした。返事をしろ」


 脈拍も呼吸も速い。激しく運動しているか、あるいは動揺してパニックを起こしているのに等しい状態に、エステルハージは青ざめた。


「どうしたんですか?」


 レワショフが聞いてきたが、答えられない。今、この瞬間にパニックをおこす理由はない。長時間の精神感応力の使用でおかしくなったのでなければ、もしかしたら。


「カラブリアっ! 周辺に異常な電磁放射はないか?」


 エステルハージの叫ぶような問いかけに、カラブリア号の通信士が怪訝な声で返してくる。


「電磁放射?」

「バースト現象だ」

「宇宙線ですか? ……ちょっと待って……え? なんだこれは――」


 通信が一瞬とぎれ、すぐに再接続した。


「艦長のロイターだ。電磁波のバーストは観測されていないが、この艦との相対距離でおよそ千キロメートル先に、異常な空間の歪みを発見した。非常に小型のブラックホール? 自然のワームホール? わからん。手前に何か小天体でもあるのか、そこで放射線が遮られている。エステルハージ中尉、何か思い当たることは?」

「今は大学教官です。聞いてませんか? ロンディネ号が機能不全になった理由を」

「何らかの理由で、としか聞いてないな。それも例のコラム・ソルからもたらされた情報だ。検証はこれからだが……」


 エステルハージは唇をかみしめた。確か、ロイター少佐は、サムソン大宙将の信奉者だったはずだ。コラム・ソルに良い感情を持っていない可能性が高い。


「サッタール・ビッラウラは、何らかの強力なエネルギーが襲ったと言っていました。彼にも正体はわからなかった。ただ、とっさに、その……自分の精神エネルギーでもって、このポッド群を防御したと。その直後、ロンディネ号は機能不全に陥りました。船長のホーガン大尉は、全ての電気配線が瞬時に切れたと報告しています。つまり……」

「ちょっと待て。ホーガンと話したのか?」

「ええ。ビッラウラの精神感応で」


 ロイターは、しばらく沈黙した。エステルハージの精神状態を危ぶんでいるのだろう。幻聴、幻覚が出ているのではないかと。

 あれは、体験しないとわからないのだ。他人の精神とつながるというのは。エステルハージは胸の内で皮肉に思った。

 自分があっさりと彼らの超常能力を信じたのは、そもそもサムソンに操られたからだ。操られて、意志をねじ曲げられ、サッタール・ビッラウラに銃を向けた。

 その後も大学で、彼の力を目の当たりにした。

 だが、ロイターは信じていないのだろう。薬をキメて集団幻覚を起こしている孤立した島の住民とでも思っているのかもしれない。

 彼はサムソンに操られた自覚もない。ただ心酔したのだ、としか。


「とにかくポッドの回収をおこなう。未確認のブラックホールがあるのなら急がねばならん。そのビッラウラからだ。中央府議長の要請だからな」


 ロイターは宣言して通信を切った。

 エステルハージは、ポッドのセンサー感度を上げて、周囲の状況を読み取ろうとしたが、戦艦のものと比べようもなく貧弱なポッドのセンサーでは何が起きているのかわからない。


「エステルハージ教官。何があったんですか?」


 レワショフが再び聞いてきた。


「僕にわかるわけないだろうっ!」


 苛立ち紛れに叫び返して、エステルハージはシートに身を埋めて考えた。

 サッタール・ビッラウラのバイタルサインは、激しく変動を繰り返して、このままなら一時間もたたないうちにポッドが危険状態と判断して睡眠ガスを注入し始めることだけは間違いない。脳が活動を停止したらどうなるのか、考えたくもなかった。

 すぐにでもポッドから解放して巡洋艦に移さねばならない。

 確信はもてないが、ビッラウラは、今、何らかの力を使っている最中なのだ。ロイター少佐の言をそのまま解釈するならば、ブラックホールだかワームホールだかから発せられている放射線バーストを、彼が遮って我々全員を守っているということになる。

 そうだとしたら、ビッラウラの身体だけファルファーレに持ち帰る訳にはいかない。ロンディネ号とペリカーノ号の二つの輸送船は、この危険宙域からまだしばらくは動けのだ。

 ビッラウラのしていることを邪魔すれば、後ろの二つの船はまたやられてしまう可能性が高い。


「くっそ!」


 悪態をついて、エステルハージはもう一度カラブリアを呼び出した。


「カラブリア。ポッドの回収順はこちらが決めるので、指示通りにお願いしたい。私はナージェム大学の教官だ。学生たちの安全についての責任は全て私が負う」

「しかし」


 通信士が反論する前に、さらに言い募る。


「これは、コラム・ソルとビッラウラが所属する中央府公安部の意向でもある。議長も追認されるだろう」


 まずはビッラウラを回収してもらい、医務室に送り込む。そしてポッドの回収はビッラウラから何らかの反応があるまで、できるだけ遅らせる。


「レワショフ、ブラッスール。聞いてくれ。君たちにビッラウラの身体の安全を頼みたい」


 エステルハージは、通信をポッドだけに絞って説明を始めた。



***


 遮る。跳ね返す。

 そんなつもりでいたのは間違いだった。

 先にはそうしてポッドを守ったのだ。エネルギーの放射は一瞬で、それさえしのげばよいと考えていた。

 しかし、それは間違いだった。

 サッタールの精神は、膨大なエネルギー放射の真っ正面にあった。いかなる物理的なエネルギーでもない。電子でも陽子でも中性子でもない、質量を持たないくせに膨大なエネルギーを持ったものが、サッタールの精神にぶつかり、そして浸食していく。

 もとより。サッタールの操る超常能力、または精神感応力もまた、この三次元空間における物理的なエネルギーではない。

 同種。同根のエネルギーは、サッタールの個の意識を持った精神を揺らし、震わせ、同化して取り込もうとしていた。精神が動揺すれば、それはサッタールの肉体も揺らす。とりわけ脳を。

 ニューロンがめちゃくちゃに電気信号を伝え、何の脈絡もなく神経伝達物質が放出され、手足の筋肉が勝手に動き出そうとする。

 三年前と、八年前と、十五年前の記憶が同時に想起され、コラム・ソルの風を肌が感じたような気がし、アマル・フィッダのクラゲたちが頬をかすめた。

 セントラルの喧噪の中に立ちながら、静まりかえったナージェム大学の講義室に腰をおろしていた。

 姉に抱きしめられ、アレックスに手を握られ、アルフォンソに肩を押され、レワショフに腹を殴られる。


(こんな……ことが……)


 五感が――視覚も聴覚も触覚も臭覚も味覚も――一斉に刺激をうけて、サッタールは悲鳴をあげた。


(壊れる……ダメだ……身体が……)

 サッタールの脳は、激痛と同時に快楽をとらえ、ニューロンが死滅し、また生成された。

 時間と空間の秩序が、波にさらわれた砂の像のように崩れ、砕かれたはめ絵のように散らばり、それぞれのピースが関係性を無視してくっつこうとする。

 サッタールは、正気の最後の欠片でもって、自分の身体と精神を繋ぐ細い糸を断ち切った。完全に。

 これまで、異なる時の中を旅していても、光の早さで計るような距離を移動しても、自分が自分であることのその根本を支える身体と、どこかで繋がりを保っていた。だからこそ、いつでも帰ってこられたのだ。

 それを完全に切るということは、何を意味するか。


 ――戻れなくなるかもしれない。


 戻れなければ、人工的に生かされ続けているサムソンの身体のように、空っぽの器が残るだけだ。

 しかしたとえそうであっても、この状況では反対に身体の反応に精神が引きずられてしまう。脳を勝手にかき回され、それに身体が引きずられる恐怖を、サッタールは本能的に覚えた。

 乗っ取られ、操られる前になんとかしなくては。とっさに下した結論が、身体との繋がりを絶つことだった。

 身体との繋がりを絶って、なお、自分が自分でいられるか、自我を保ち続けられる自信はなかった。

 それでも、それが唯一の解だと、どこかで知っているような気がした。

 不意に、痛みも快感もなく、虚空にただ浮かんでいた。上も下もない。それは無重力の宇宙だからではない。自分の中から上下の概念が消えた。もちろん左右も。

 空間はただ無限に広がっている。ただ近くに、強烈なエネルギーを放射する穴は知覚できた。

 サッタールから、サッタール・ビッラウラという個を表す名前が消え、人類という種も消え、それどころか酸素呼吸によって体内に取り込んだ栄養素を代謝し、エネルギーを生み出す生物だという意識すら消えた。

 記憶もすでに曖昧にしか再現できない。

 ただ、そこに在るというだけの存在。

 それでも一つの目的意識が、駆り立てる。


 ――アレを、カレラに、フレサセテはナラナイ。


 アレが何であるかはもちろん、彼らが誰であるかも、もうわからない。それでも強く念じた。


 ――アレコソが、ワタシタチを、ウンダモノだ。だが、コレイジョウ、チカヅケテはナラナイ。


 身体を捨てて初めて、理解できたものがあった。あれらは単なるエネルギーを放出する自然現象などではない。

 意志を持ち、目的を持った、この世界への侵食者だった。



***


 エステルハージは、まだ一人、ポッドに居残っていた。

 まずビッラウラ、それから覚醒していた二人の学生を引き上げさせた。彼らにはビッラウラの身体の変化をみるように頼んである。

 それから二十四のポッドを、一つ一つ拾わせて、残ったのは自分一人だ。

 ビッラウラが何をしているのか、さっぱりわからないが、身体をこの宙域から持ち去ってしまってもいいのかどうか、判断が付かない。


(くっそ。コラム・ソルの誰かか、せめてイルマでもいればいいんだが)


 このまま自分が回収されれば、巡洋艦カラブリア号はさっさとトゥレーディア基地へ帰還してしまう。サッタール・ビッラウラが超常能力でなにかやってるから待ってくれなどという要請は、気にも留めてもらえないに違いない。

 一方で、ロンディネ号の方へは、輸送船から幾つものボートが向かっていて――遺体の回収が進んでいると聞いた。とはいえロンディネ号そのものを解体して、使いものにならなくなった炉はともかく、亜空間航行機関とAIは回収するだろうから、まだ数日以上の時間がかかるはずだ。


(ビッラウラと僕だけあちらに移してもらうか……)


 その上で、レワショフかブラッスールに、コラム・ソルと連絡を取ってもらって、イルマが宇宙軍とかけあってもう一隻出させて……と考えて、エステルハージは額を押えた。

 あののんびり屋に、それだけの交渉力があるだろうか。何しろ亜空間を行く宇宙船を飛ばすのは莫大な経費がかかるのだ。


(いや、ビッラウラが残っていれば、出さざるを得なくなるか……?)


 ここはなんとかカラブリア号のロイター少佐を説得しようと息を吸い込んだタイミングで通信が入る。


「エステルハージ中尉。何をぐずくずしたいのか知らんが、貴君で最後だぞ。アームがつかむまで動くなよ」


 ロイターの冷たい声が命じた。


「わざわざ回収しにくい順番を指定してきたことについては、トゥレーディア基地に戻ってからとっくり聞かせてもらう」

「基地に戻る前に、カラブリアでご説明しますよ、ロイター少佐。それに何度も言いますが、私はもう、宇宙軍所属ではありません」

「危機的状況にある宇宙空間では、軍の意志が優先だ。貴君をこの場で徴用することもできる」


 それはできるだろうと、エステルハージは苦々しく考えた。二年前だったら、喜んで軍の指示に従ったかもしれない。だが今は違う。


「とにかくそちらに移ります。よろしくお願いします」


 目の前にカラブリア号の大きなエアロックエリアがある。すこしだけポッドの推進をきかせると、余計なことをと言わんばかりにアームが出てきて掴まれた。

 かすかな衝撃しか伝わらない。軍の訓練の賜だ。

 エステルハージは、不器用な学生たちの実技を思い起こした。まだ教官として彼らを鍛えなくてはならない。その前に、全員を無事に連れて帰るのだと、黙って誓った。



***


 シャトルに揺られるのは、いつまでたっても苦手だとうめくアレックスに、いっさい斟酌もなく、ハヤシは次々と質問を浴びせかけていた。


「あなた、まだあのマッドな天文学者とつきあいがあったんですか?」


 ハヤシが呆れたように言った。


「マッドって……。ドクター・ワイマーは小天体のエキスパートですよ。あれからずっと彗星の研究をしているんですから」

「で、今回の事故と彗星に関連があると?」

「サッタールも、宇宙船を襲った放射線はあの彗星に感じたものとよく似ていたと言ってましたから。もしそれが当たりなら、今救援に行っている艦船も危ないですよ?」

「で、コラム・ソルの長がわざわざお出ましになったと……。ふむ。あなた方ならなんとかできる自信がおありですか?」


 ハヤシの目が疑わしそうに向いて、アルフォンソは大きな肩を揺らした。


「サッタールの持っているエネルギーはデカいが、あいつはそれを物理的には使えん。俺たちは、その場その場で、最もふさわしい力を持つ者に、自分のエネルギーを協調させてやってきた。何が必要なのかわからんなら、異なった力の持ち主が複数いた方がいい。それだけのことだ」

「よく、そんなあやふやな話で議長と宇宙軍を動かせましたね」


 部下と連絡が取れれば、どんな手を使ったのか探るのも難しくないのだがと、青い顔で生唾を飲んでいるアレックスを横目でにらむと、アルフォンソがあっさりとぶちまけた。


「俺とショーゴが、個人的にジェイコフ議長に力を貸すと誓約したからな」


 ハヤシは、ぽかんと口を開いから、深々と息を吐き出した。周囲に人目がなければ、今頃罵詈雑言のオンパレードだっただろう。


「……それがどんな政治的な意味を持つか、考えたんですか、あなたは?」


 怒りはアレックスに向けられていた。


「ええ。でもサッタールを無事に帰して、その彗星に匹敵するか凌駕するような危険を取り除く方が大事じゃないですか」


 コラム・ソルの能力者は、公安に正式に所属したサッタール・ビッラウラをのぞけば、完全に独立した存在になったはずだった。どこにも依らず。

 セントラル生まれの中央府議長ジェイコフは、四大陸政府との距離には気を使ってきた。どの政府とも一定の距離を置き、ただ憲章にのみ忠節を捧げると。それがジェイコフの政治基盤であり、惑星中の支持を集めた素因だった。

 代わりに彼は、手足となる組織を持たないのが弱点でもあったはずだ。


(超常能力者が議長の側に完全についたら、警戒する組織がごまんとあるんですが……)


 ハヤシは、彗星のもたらした禍には通り一遍の関心しか持たない。あれはあくまでも自然災害だ。しかし、権力地図が書き変わるなら、それは自分の専門分野だ。


「すみません、ハヤシ警部。俺、ちょっと休みます。到着は二十時間後ですから。あと、もしトゥレーディア基地の宇宙軍から連絡が入ったらよろしくお願いします。シャトル到着後、一時間以内に艦を出すと約束はしていますが、まだ詳細を受けてなくて」


 考え込むハヤシに、のんきな依頼をして、アレックスは目を閉じた。額に光る汗すらうとましいと、ハヤシは内心で舌打ちしたが、もう表情には出さない。


(ま、コラム・ソルの人間がいちゃあ、私の笑顔も役に立ちませんがねえ)


 すべて知られていると承知の上で、ハヤシは胸の内で悪態をついていた。



あけましておめでとうございます。

物語はクライマックスというか、書くのも難しいところに入ってきました(汗)

せめて週一回は更新できるようにがんばります。

本年もよろしくお願いします。

2/17 少しだけ文章を直しましたが内容は変わりません

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