第六章 星々の狭間で(5)
ロンディネ号はずっと沈黙したままだった。ただ、熱センサーによれば、上昇し続けていた熱量は、逆に急激に落ちていた。
(暴走は止まったのか? 反応制御にも電源がいるだろうが、どうやって?)
船の外殻の一部が吹き飛んだのは知っている。核分裂反応が止まったたのならば、あとはこの絶対零度に近い空間そのものが炉を冷やして、崩壊熱も収まるだろう。
だが、外殻が飛んだということは、空気漏れをおこした可能性も高い。
(ホーガン大尉は生きているのか?)
エステルハージは、妙に冷静に考えた。
彼らは軍人だ。しかも人間が生きるには過酷な宇宙を職場にしている。戦争が起きなくても、死に直面することはいつでもありうる、と考えているだろう。かつての自分もそうだった。
だが同時に、ギリギリまで生き残ろうと行動もするだろう。
(せめて宇宙服だけでも着ていれば……。だがそれでもそろそろボンベの酸素がつきるか)
今、この瞬間にも救助がやってこないだろうかと、何度もセンサーに目を走らせるが、宇宙はしんと静まり返って、何の揺らぎもない。
事故から、そろそろ三五時間が経過していた。
***
ユイを通したアルフォンソの回答は、聞いたことがない、だった。アンダーソンの残した日記調べ、ゴータムじいさんに話も聞いたらしいから、コラム・ソルには何の伝承もないということだろう。
『それからね、アレックスおじさんから伝言。トゥレーディアから救助のお船が二隻出るって』
ユイが得意そうに言った。
波は静かで、見上げればトゥレーディアもロビンも空にぽっかりと浮かんでいる。島にも、海にも生命があふれていた。
宇宙の孤独は、常に他人の思念にさらされているサッタールにとって心地よいものだった。でも太陽の光を受け、生命を育むこの惑星がいかに貴重で懐かしいものかを、改めて思い知らされもした。
『ありがとう、ユイ。姉さんによろしく伝えてくれ。うまく行けば数日内にはファルファーレに戻るからと』
『うん。でも、また時間を渡るの?』
『必要ならな』
ユイの顎をくちばしでつつくと、ユイはポンポンとカモメの頭を撫でた。
『迷子にばっかりなっていたら、早くおじさんになっちゃうよ?』
『気をつけるよ』
そう答えて、サッタールは空に舞い上がった。
次は、肉体の目を持ってこの海と大地を見られるはずだ。ロンディネ号とポッドが回収されれば。
また長い旅が始まるが、トゥレーディアからの救援船よりは時間に着くつもりでいた。
***
ロンディネ号事故の報が、コラム・ソルを経由してトゥレーディア宇宙軍基地にもたらされると、その後の動きは早かった。
ジェイコフ中央府議長から、救援要請があったこともある。
基地司令は、中央府からの通話を切ると、一時間以内の出発を命じた。出るのは、戦闘タイプの巡洋艦とロンディネ号と同じ輸送船だ。ポッドの回収は巡洋艦だけでも充分だったが、破損したと思われるロンディネ号の船体を調査し、現地で解体し、できる限り回収する為に、輸送船も共に出る。
「安心しろ。ポッドはよほどのことがない限り無事だ」
ストウ中尉は、むっつりとした顔の弟に告げた。
「どうやっても僕は潜り込めない?」
ケイは、もう何度目かの希望を伝えたが、姉である宇宙軍中尉はにべもなく首を振る。
「お前が士官学校を出て、宇宙軍の軍人になっていたら同行できたかもしれんな」
「輸送船の方は軍人だけじゃないじゃないか」
「宇宙軍軍属のエンジニアたちだ。お前はどちらでもないだろうが」
姉は我慢強く繰り返す。ケイはあくまでも訓練中の民間人だ。友だちだからなんて、軍には通用するはずもない。
「それに、ロンディネ号はかなり危険な状態ではないかと想定されている。技術も知識もない奴を連れてく余裕なんかあるか」
ケイはむっつりと黙り込んだ。普段、軽薄にしゃべり倒して相手を煙に巻くのを得意にしている弟が、こんな顔を見せるのは、家族の間だけだ。ストウ中尉は、厳しい表情のまま、自分よりも背の高い弟の肩をポンとたたいた。
「学生たちはちゃんと連れ戻してやるさ。エステルハージ元中尉もついているんだ。そう、心配するな」
「心配してるだけじゃないさ。置いて行かれた自分が何もできないから」
「次は、お前が手を貸せる立場に立てるように精進しろ。私はもう行くぞ」
口を閉じて手を振る弟に、ストウ中尉は背を向けた。
トゥレーディアを出発したら、二時間ほど通常空間を行ってから亜空間に突入。救援ポイントまでは、全部で三時間少しで到着できるはずだった。
ポッドの回収を担う巡洋艦の基地帰着は、作業が早ければ十時間後程度だろう。
「ロンディネ号の状態によっては、輸送船への応援がさらに必要になるかもしれんな」
若い宇宙軍士官の頭はもう、弟のことから目の前の任務に切り替わっていた。
***
サッタールは、ファルファーレに向かう時ほどの回り道をするつもりはなかった。理由は二つある。
行きは、恒星フィオーレと惑星の位置を確認できたが、オーラトの雲を越えた先にいるロンディネ号の場所を、きっちりと特定できるようなAIもいない以上、回り道など無駄だということ。
そして、戻る先にあるのは、自分自身の身体だ。精神と身体を結ぶ、見えない糸をたどるしかないというのが、二つ目。
一光年の旅をするのに、来るときは時を遡行してから戻るという手間が必要だったが。
(帰りは、必要ない)
不思議と確信を持てた。ただ、自分の身体に戻ればいいはずだ。
サッタールは成層圏を越えたところで、カモメから生身の自分自身の姿に戻った。もう宇宙船のイメージすらいらない。
心を落ち着かせ、彼方のポッドを思い浮かべる。無圧シートに深く身を沈めた自分。
左手は、補助系統に切り替えるレバーを握っている。右手は簡易操縦竿だ。
頭はヘルメットで覆われ、視線で操れる三次元スクリーンが出たままのはずだった。
ゆっくりと呼吸を繰り返す自分をイメージする。一つ、二つ、三つ……。肺が膨らみ、またしぼむ。十、十一、十二……。
不意に、どこかに吸い込まれていくような感覚がした。百二十、百二十一、百二十二……いや、吹い寄せられているのだ。
――どこに?
答えは決まっている。自分自身だ。……三百六十八、三百六十九、三百七十……。
まぶたを押しあげると、ぼんやりとスクリーンが見えた。
まずポッドの無事を確認してから、ロンディネ号と連絡をと、もぞりと尻を動かした瞬間、いきなりスピーカーががなりたてた。
「ビッラウラ? 戻ったのか?」
エステルハージだった。その声に続いて、ジゼルとレワショフからも通信が入る。
「イャッホー! お帰りぃ、サッタール!」
「遅い。やはり迷子にでもなったのか」
たちまち眉を寄せたサッタールが答えた。
「監視してたんですか、エステルハージ教官」
「ああ。バイタルサインをな。それで宇宙軍とは?」
エステルハージの心が、深い憂慮を持って押し寄せてくる。サッタールはファルファーレ標準時間を示す数字を確認した。
ポッドが射出されてから四十時間。事故から三十五時間。ファルファーレでユイと話してから……
「間もなく、救援の船が来るはずです。巡洋艦と輸送船が」
「いつだ?」
「標準時間で三時間前、トゥレーディア基地から出発すると聞きました」
「三時間なら、確かに間もなくか……」
「それでロンディネ号に変化は?」
サッタールはようやく聞きたいことを口にした。
「一度、小規模な爆発を起こした。原因はここからではわからん。乗員の安否は不明だ」
エステルハージは口調に期待をにじませていた。
「彼らを探せるか? あ……いや。少し休め。戻ったばかりだったな。それに知ったとしても、ここからではどのみち何もできない」
「意識があれば、宇宙軍の救援を伝えましょう」
サッタールは数回深呼吸を繰り返した。
一光年の距離を、ほんのひと呼吸の間に帰ってこられたのは、思いがけない幸運だった。戻れる、とは思ったが、これほどすんなりと行くとまでは考えていなかった。
疲れているかとか聞かれれば、疲れている。全く使っていなかったはずの腕や脚、腹の筋肉がひきつれたようにじんわりと痛んだ。
だが意識は清澄で、精神感応力を使うのになんの問題もない。探るのは、たった十キロメートル先なのだ。
意識を身体に残したまま、思念の糸を伸ばしていく。
サッタールが感知できるのは、あくまでも人間の意識。あるいは精神感応を生み出すエネルギーだ。視える訳でも、船自体がどうなっているのか感知できる訳でもない。
そして――ロンディネ号に向けた思念の糸は、最初、なんの意識も感知できなかった。
(全員死亡したのか?)
たとえ眠っていても、何らかの脳の活動があれば見つけられるのではないか。そう思って、さらに虚空に隔てられた先を探った。
(……いたっ!)
サッタールは微かな意識の残滓とも言うべきものを見つけた。気を失っているのだろう。その状態では、見つけたそれが誰の意識なのかもわからない。
エステルハージに報告を、と思ったところで、その本人の声が、耳に響いた。
「来たぞ。宇宙軍だ」
サッタールは急いで自分の意識をスクリーンに振り向けた。確かに、ファルファーレ宇宙軍のものと思われる光点が出現していた。まず、一つ。それから数キロメートル離れてもう一つ。
これで助けられる。間に合ったかもしれない。
安堵のあまり、身体の力が抜けた。
「教官。ロンディネ号には、まだ誰かが生きて……」
はやる心のまま報告しようと口を開いた。
次の半瞬後。サッタールは頭からザザッと血が下がったような気がした。
何か――強大なエネルギーを、再び感じた。
(ダメだっ!)
三十数時間前。全く同じような感覚を察知した。あのときはとっさに自分の精神感応エネルギーを放出した。だが。
(させるかっ!)
救援にきた船もやられてしまえば、今は微かに生きていると思われるロンディネ号の乗員は、まず助からない。その上、さらに遭難者を出してしまう。
サッタールは、迫りくる謎のエネルギーに自ら向かっていった。
何が起きているか、説明している暇は、さすがに持てなかった。
***
セントラルの公安本部にやってきた招かざる客に、ハヤシはすっかり地顔になっている笑顔を凍らせたまま、イスもすすめずに立ち尽くしていた。
「事前に連絡くらいできなかったんです? いったいどうやってコラム・ソルからここまで?」
「別に密航したんじゃねえよ。ちゃんと海軍の高速ヘリとジェット機で運んでもらったぜ? それより、まるで、島の出入りの管理も公安の管轄みたいに言われちゃ困るな」
ショーゴは飄々とうそぶいた。
「海軍? ってことはミスター・イルマが? 聞いてませんが」
「公安の凄腕警部かもしれんが、イルマを見くびっていたんだろ」
ショーゴの隣で、威圧するように笑うのはアルフォンソだ。
「とにかく、今のあいつのセントラルでの拠点はここなんだろ? 構わなくていいから、待たせてもらうぞ」
「構わないではいられませんよ。私も今ちょっと忙しいんですがね。だいたい招かれてもいっこうにあの島から出てこなかったあなたが、いったい何の用ですか、ミスター・ガナール?」
ハヤシは、珍しく険のある目で、コラム・ソルの二人を眺め上げた。
二人は、島では誰もが来ているあのズルズルした衣装を脱いで、作業服のようなつなぎに身を包んでいる。そこからして、公式の訪問ではないと思われた。
「忙しいというのはアレ? 例のサムソンが収容されている病院が襲われたっていう?」
「何で知ってるんですかっ?」
極秘事項をあっさりとしゃべられて、さすがのハヤシも語気を荒げた。
サムソンは、二年前に政府転覆をもくろんだ元宇宙軍大将軍だ。コラム・ソル攻撃命令を下そうとした彼を、サッタールが阻止した際、サムソンもまた精神感応者であったことが知られた。
サッタールとの戦いに敗れて、大脳の機能を止めたサムソンは、今は生命維持装置をつけられて、中央府の監視の元に隔離されていたはずだ。
「なんでって言われてもなー。少なくとも海軍さんのせいじゃねえよ」
ショーゴが肩をすくめて、ハヤシはますます渋い顔を作った。どこから漏れたかなんて自明だ。この男にかかっては、通信の秘密など、どれほど鉄壁のセキュリティーシステムを組んでもムダなのに違いない。いまいましさと、公安に迎えたい欲に挟まれながら、ハヤシはぶっきらぼうに言った。
「あー、とにかく。私はそちらで忙しいんですよ。用があるならとっとと喋ってください」
「あんたに用はない。ここに来たのは、単に待ち合わせだ」
ショーゴに代わってアルフォンソが答えたが、それもハヤシには気に入らなかった。公安本部を待ち合わせ場所に指定するなんて、正気の沙汰ではない。
かといって、重要人物であることに間違いのないコラム・ソルの長を野放しにすることもできない。
ハヤシは懐に手をやって、通信機を取り出した。
「私だ。ミスター・イルマの居所は? ……こっちに向かっている? そうか、ありがとう。で、あちらは……逮捕者も自殺したか」
通信を切ったハヤシは、一つ息を吐いて二人の客人をにらんだ。
「聞いていたんでしょうな?」
「さあ?」
「とぼけなくても。ミスター・イルマは間もなくこちらに来るそうです。あなた方の方が口が堅いようなので、訪問の理由は彼に聞きましょう」
「別に問いたださなくても、あっちから言うと思うがな」
ハヤシは、言い返そうとしてやめた。走ってくる足音が廊下に響いている。ノックもなくドアを開いたのは、想像通りアレックスで、全力疾走でもしたのか額に汗が浮かんでいた。
「ああ。すみません、ハヤシ警部。お二人をもてなしていただいちゃって」
「もてなしたつもりはありませんよ」
「もてなされたつもりもない」
ハヤシとアルフォンソがほとんど同時に答え、アレックスは目を丸くしながら、前置きもなく言った。
「病院の事件の方は、俺は関係ないですから、しばらく留守にしますが、いいですよね?」
ハヤシはうすら笑いのまま、アレックスに一歩近づいた。
「いいもなにも。何を企んでるんです?」
「企むっていうほどのことは。ちょっとトゥレーディアに行ってきます。もしかしたらもうちょっと遠くまで」
「あなた一人でなら、いっこうに構わないんですがね。このお二人も連れてですか? しかし宇宙軍はすでに救援を出してますし、ミスター・ビッラウラの方は彼らにまかせればいい。そもそも今からシャトルに乗っても着くのに二日かかるんですよ?」
「あー、四十五分後に出るシャトル便はもう少し早いんです。トゥレーディアが、ドンぴしゃな軌道にいるらしくて。無理言ってシートを四つ確保したんですが、心配なら一緒に来ますか? あと、宇宙軍にもう一隻出すように要請してありますから」
ハヤシは額を押さえた。イルマは、いつものほほんとのんびりしていて、どこか間が抜けていた。他人をだまそうなど露ほども考えず、だまされても仕方ないよねと進んで相手の事情を斟酌してしまうお人好し。
それが、たった数時間の間に、何をやらかしてくれたのか。
「じゃあ、急ぎますので」
内心の煩悶に頓着なく、コラム・ソルの二人を促して出ていこうとするアレックスの腕を、ハヤシはかろうじて掴んだ。
「もう一隻とは?」
「議長に直談判しました」
「……何の為に?」
アレックスは、ちらりと腕の時計を確認して、真顔で返した。
「説明してるとシャトルに遅刻しちゃうので。聞きたいなら同行してください、ハヤシ警部」
ハヤシはこれ見よがしに大きく息を吐いて、うなずいた。
「いいでしょう。確か、あなたは宇宙酔いが激しいせいでエリートコースから転落して海軍に入ったと聞きましたが。シャトルの中でぐったりと惰眠をむさぼるなんて許しませんよ?」
なんであんたに許すとか許さないとか言われなきゃならないんだよと、盛大にぼやくアレックスの内心の声を、コラム・ソルから来た二人は聞いて、そっと視線を伏せた。
ハヤシが見くびっているこの元海軍士官は、行動が必要となればとことん速いのだ。あらゆるつてを、恥も外聞もなく躊躇なく使うのは、公安も同様かもしれないが、アレックスには隠そうという気持ちがない分、さらに速い。
『説明と言っても、とても理路整然とした理由なんかないんだから、納得はしないだろうがな』
シャトルに繋がる通路を歩きながら、アルフォンソは皮肉っぽく笑った。
『精神感応者のカンっつってもなあ。サッタールは、船を壊したエネルギーに何か不穏なものを感じた。それを聞いた俺たちは、何かあったらサッタール一人じゃ手に余ると感じた。そんなん、よく中央府議長まで通ったもんだぜ』
『イルマが無条件に信じたのは、身びいきかもしれんが』
違いないと、ショーゴも笑う。
『そんでも、事故のポイントが、あの彗星の遠心点にほど近いって突き止めてきたのはお手柄だろ? じゃなきゃ、俺たちだって動く気にならねえよ』
何事もなければ、追加の船はサッタールを乗せた船と行き違ってしまう可能性の方が高い。それならそれでも構わないと、二人は空を見上げた。
本年の更新はこれで終わりです。なんだかわからないところなのに、申し訳ありません。
また来年。よろしくお付き合い願えたらうれしいです。
皆様、よいお年をお迎えください。




