第六章 星々の狭間で(3)
亜空間航行は、人類が認知できるこの三次元空間とは異なる次元に入り込んで、広大無辺な距離をショートカットする技術だ。
これを可能にする機関が開発されて初めて、人類は本格的に宇宙へと進出を果たしたのだ。地球から、太陽系内の各惑星とその衛星へ。そして、近隣の恒星系へ、さらには地球が所属する天の川銀河すら越えて、他の銀河系へと。それはまさに第二のグレートジャーニーだった。
しかし、たとえ人類が銀河を越えて旅ができるようになったとしても、宇宙には思いがけない危険が常にあり、出ていって帰らぬ人は珍しくはないのだ。
とはいえ。わずか一光年先に演習に出かけた、ファルファーレ宇宙軍の輸送船が帰還予定時刻を数時間過ぎても戻らない、通信すらないというのは、いささか妙ではあった。
「ナージェム大学からは、まだ帰還の知らせはないのかと問い合わせがきてますが」
トゥレーディア基地のナビゲーションルームで、若い通信士が困り切った顔で統括士官の少佐に報告していた。
「たかが三、四時間だろう。焦るなと言っておけ。だいたい毎回スケジュール通りに進むとは限らんと、彼らだってよく知っているはずだぞ。いやしくも宙航大学だろうが。それを何で今回ばかり……」
「あれじゃないですか? 例の、精神感応者の」
統括士官は、むっと口を真一文字に引いた。
「彼は単なる一学生だ。VIPではない」
サムソン大将軍との間に起きたことは、忘れがたい。だが宇宙軍としては、あくまでも普通の大学生となんら変わらずに扱っている。公正明大にだ
「今の、そのまんまで返信していいですか?」
通信士がおそるおそる尋ねると、統括士官は雷を落とした。
「馬鹿者っ!」
サッタール・ビッラウラは確かに公でいうVIPではないが、彼は中央府議長とのパイプも持つ上に、公安の一員でもある。厚遇も差別もしないが、取り扱い注意であることは間違いない。
統括士官はイライラとロンディネ号の航路をホログラムに映し出した。
第五惑星の衛星フィロメロスからは、ロンディネ号から補給品を受け取ったとの連絡がきている。今から十八時間ほど前だ。通信に三十分はかかるから、十八時間半以上前には船を動かして、演習ポイントに向かったのだ。
通常航行と亜空間航行を合わせて、フィロメロスからポイントまで約四時間。訓練に三時間から四時間。さらに帰還に四時間半。
確かにもうトゥレーディア基地に帰還していてもおかしくはない。だが宇宙では些細なトラブルに案外時間を使ってしまうこともよくあるのだ。定時運行など、簡単にできることではない。
大学からの問い合わせは無視して考えこんだ彼に、背後から硬い声がかかった。
「失礼いたします。ロンディネ号の帰還が遅れているようですが、何か情報は入ってますか?」
顔を上げると、若い女性士官が直立不動の姿勢で立っていた。
「ストウ中尉? なぜ君が? あ、いや、そうか。脱落した学生を預かっていたんだったな」
「イエス・サー。しかし彼らには、貴様等の寝坊と宇宙船の航行を同一に考えるなと怒鳴っておきました」
ストウは小さく笑ったが、その目までは笑っていなかった。ナビゲーション室の空気を読んだのだろう。
「予定よりは遅れている。だが、君もわかっているだろう。一光年先でなにが起きようと、我々がそれを知りうるのは一年後、または」
「誰かがそこに行って見てくるか、ですね」
統括士官は渋い顔でうなずいた。
事故が起きたのだとわかっていれば、艦をを出すのもやぶさかではない。即応できなければ、軍とは言えない。
だが、今のところ、何かが起きたのか否かすらわからないのだ。
「やれやれ、物体が亜空間を抜けられるのに通信が送れないのはいかにも不便だな」
「イエス・サー」
星々の間を人と物が往来するようになった今でも、星は宇宙の中で孤立している。船もまた。
統括士官は顔をしかめたまま、目の前のコンソールに手を伸ばした。とりあえずは基地司令に報告はあげておくべきだった。
艦を出すのか、大学、あるいは中央府への連絡をどうするべきか。それは司令の仕事だと思った。
***
迷子になるなよと、レワショフに言われた。一刻を争う時なのもわかっている。だが、どう考えてもサッタールは迷っていた。
(惑星の配置がおかしい)
イメージで作り上げた小型宇宙船の中で、サッタールは途方に暮れていた。
これが本物の宇宙船ならぱ、現在位置も、惑星の位置も、はっきりと示してくれる。距離、方角、所要時間、消費燃料。すべての情報をだ。
しかしこの宇宙船は単に頭の中に作り上げたイメージだ。もちろんいかなるAIも積まれていない。位置も方角も、願望といわれればそれまでで、実際のサッタールの身体はあのフィオーレ星系のはじっこを漂うポッドの中なのだ。
サッタールは、心を落ち着けて、もう一度あるべき惑星の配置と、今、目に見えている惑星の位置を比べてみた。
目の前には巨大な第五惑星が輝いていた。周囲に大きな衛星が五つ。その一つが監獄星フィロメロスだ。
残念ながら第五惑星の衛星の軌道までは頭に入れてない。
サッタールは、恒星フィオーレと第五惑星の位置から、ファルファーレのあるべき空間を眺めたが、どうもファルファーレはそれよりもずっと奥、フィオーレの輝きに隠れそうなところにある、ように見えた。
(角度にすると……二十度くらいはズレている……?)
もうエステルハージに送り出されてからどのくらいの時間がたっているのかわからない。もしかしたらほんの一瞬なのかもしれないし、何時間、いや、何日も過ぎてしまったのかもしれない。
ファルファーレの姿は、ここからでは小さな光点でしかない。まさか他の惑星と見間違えているのかと思ったが、その光はサッタールを惹きつけてやまない何かを持っていた。
(そうか。間に合わせる為に、時間をさかのぼらねばと私は考えていた。だからか?)
ファルファーレを出たのは夏の始めだ。そしてファルファーレと第五惑星は、比較的近い位置にあったはず。しかし明らかに、見えている星の位置は数ヶ月は前のものだ。
(まさか、数ヶ月どころか五百年も時間をさかのぼってはいないだろうな)
考えると背筋に汗が伝い落ちる気がした。
だがここでぼんやりと考え込んでいる訳にもいかない。
とにかくファルファーレに向かおうとして、サッタールは二、三度目を瞬かせた。誰かがすぐ側にいたような気がした。だが探ってみてもそこは空虚なばかりで何も感じられない。
サッタールは、首をかしげながら、自分を生み出した懐かしい星に向かって、小さな宇宙船の舳先を向けた。
***
変な夢を見たとユイに言われて、サハルは繕い物の手を止めた。夢は、たいていの場合は単なる夢だ。眠りに落ちている間、脳が勝手に記憶やら願望やらを組み合わせて見せる、ひとときの幻想。
一万の夢のうち、九九九九はそうなのだが、残りの一つは違うかもしれない。特に能力者の夢は。
だからサハルは、縫いかけの産着の針をとめて、聞く体勢に入った。
「まあ、どんな夢? 私に見せられる?」
ユイはこくんとうなずいて、手をサハルのそれに重ねる。とたんにサハルの視界から現実の風景が消えた。暗い、寒い。と思った次の瞬間、そこが宇宙だと気づく。
『サッタールがいたの』
ユイの記憶した夢の宇宙空間を、二人は手をつないだまま泳ぐように漂った。
まず見えたのは青いファルファーレ。豊かな水をたたえた母なる惑星。
しかし、どこか懐かしささえ覚えるその景色は、じっくりと眺める間もなく流れるように遠ざかり、ユイとサハルはどの星からも離れた虚空にいた。
『サッタールはどこに?』
サハルの問いに、ユイは困ったように首を巡らせる。
『おかしいなぁ。夢の記憶なのに、見た時と違う』
ユイの困惑がサハルにもうつった。
ユイは、しばらく島に戻ってこないサッタールを夢で見て、姉のサハルにも見せてあげたいと思ってきたのだ。それなのに、そのサッタールの姿が見えない。
夢の記憶は儚くて、思い出すうちに変わっていくのはよくあることだ。しかし、肝心のサッタールが消えるなんてことは、ユイの願望からしてあり得ない。
『サッタールはこんなところで何をしていたの?』
『何も。でも怖い顔したよ』
『怖い顔?』
『楽しそうじゃなかった。でもサッタールはいつも、こーんな顔だけどねっ』
ユイの眉がぎゅっと寄って、しかめっ面を作る。サハルはくすりと笑いつつ、小さな不安が胸に広がっていくのを感じた。
サッタールは、ナージェム大学の演習でトゥレーディアに行っているはずだ。詳しい訓練内容は聞いてないが、少なくともここは、トゥレーディア基地やその周辺ではない。
『何かしゃべらなかったの?』
ユイは首をふった。
『小さな船に乗っていたから、あたしが見えなかったのかも。どうせ夢なんだからって思って、あたしも乗せてって言ってみたんだけど、ふらふらと行っちゃったのよ。おかしいなぁ。せっかくサハルにも見せてあげようと思ったのに』
腑に落ちない顔で、ユイは頬を膨らませた。
サハルはつないだ手に力をこめた。
『一度、戻ろう。何かあったのかもしれないわ』
『何かって? まさか、また迷子になったの?』
『そうかも』
ええっと声をあげるユイを引っ張るように、サハルは自分の身体にふわりと戻った。目を開けると、現実のユイが心配そうに自分を見つめていた。
「サハル? 大丈夫? 顔色が悪いみたい」
サハルのお腹には新しい命が宿っている。無事に生まれれば、ユイは島で一番小さい子という名を返上して、お姉さんになれるから、とても楽しみにしているのだ。
「あたしの記憶を見るだけのつもりだったのに、ごめんね」
「ううん。身体はなんともないから大丈夫」
サハルはちょんとユイの頬をつついてから、窓の外を見た。お腹の中で赤ん坊がもぞりと動く。大丈夫、元気いっぱいだわと、もう一度言ってから、サハルはアルフォンソとショーゴを呼ぶようにユイに頼んだ。
念話で呼べば一瞬ですむことだけど、二人がやってくるまでに今の夢について少し考えたかった。
***
有意義なのか、無駄な時間だったのかわからないようなハヤシとの話し合いを終えて、アレックスは公安の入っているビルを出た。
振り返っても、なんの変哲もない、役所の一つにしか見えないその建物は、一歩入るとセキュリティシステムの塊なのだが、往来に出ればセントラルは相変わらずの人混みで、そこが泣く子も黙る公安組織の中枢だとは誰も思わないらしい。
湿り気のあるよどんだ空気を胸に吸い込んでから、アレックスは腕の時計に目を走らせた。
セントラルに来たら夕食を一緒にと、ミュラー元元帥から誘われている。孫娘のイレーネも、今は東大陸の名門女子大に入学して、寮生活を満喫していると聞いた。それもあって暇なのだ。
(となると、一晩中、元帥のポエム朗読会か)
苦笑いを浮かべて、公共バスの乗り場に足を向けようとして、アレックスはぴたっと足を止めた。
背後から急いで近づいてくる足音がした。
「ミスター・イルマ」
つい、いましがた別れたばかりの小太りな中年の男が、愛想笑いとともに手を振っていた。
「何か、忘れ物でもしましたか?」
ハヤシは急いで来たくせに、息も切らさないでうなずいた。
「ああ、すみません。もう一度戻ってください」
「なんでしょう? 私はこれから会食の予定があるのですが」
言いかけたアレックスは、ハヤシの目の中にかすかな緊張を見て取って口を閉じた。
単なる忘れ物なら、普通に連絡してくれば事足りる。わざわざハヤシ自身が出てきて声をかけたということは、絶対に盗聴などされてはならないような、何かが起きたのか。
「ミュラー元元帥ですね? いいですなー。あのお邸のシェフはなかなかの腕だと聞いておりますよ」
ハヤシは声にうらやましさをにじませながらも、アレックスの腕に手をかけて、自然な足取りで公安部へと引き返す。
何かあったんですか? と聞きたいのを我慢して、大人しく歩調を合わせると、ハヤシは、よくできましたと言わんばかりの笑みを唇に乗せた。
ほめられて嬉しいとは欠片ほども思えないが、不機嫌になるのもバカバカしくて、アレックスはそのままハヤシの部屋まで引き返す。
「もういいでしょう? 何があったんです?」
ドアを閉めるのも待ちかねて尋ねると、ハヤシは柔和な笑みを顔から消した。
「トゥレーディアにいる協力員から連絡が入りました。学生たちを乗せた船が、予定時間を大幅に過ぎても帰還しないようですな」
「え?」
一瞬、何のことかと思いかけて、すぐに頭から血が引いた。
「事故ですか?」
「わかりませんよ、そんなこと。何しろ船は、亜空間を通って一光年は先にいるんですから」
噛んで含めるようなハヤシの言葉に、アレックスは頭をかきむしってからうなずいた。
そうだ、宇宙は何が起きてもおかしくないフロンティアで、その上何かが起きてもそれを知るのすら容易ではない。
「宇宙軍は捜索を開始したんですか?」
「いいえ。まだ内部で検討中のようですよ。これはあくまでもオフレコの情報です」
協力員というのは要するにスパイかと、アレックスは顔をしかめてイスに座った。
宇宙軍は、サムソンを失って以来、何かと慎重に、悪く言えば管理主義に陥っているとエステルハージがぼやいていた。探索の為に艦を出すべきか否か、話し合いでもしているのだろう。
司令の一言でウェイブレット号を気軽に駆っていたかつての自分と同じに考えてはならない。
「宇宙軍に圧力はかけられませんか?」
「スパイから聞いた話によるとと言うんですか?」
ハヤシは温く笑って首をふる。
「とんでもない越権行為ですよ。それは我々のやり方じゃありません。ですが、あなたなら手があるでしょう?」
「なんのことです?」
また頭をかいて、アレックスはふと顔を上げた。
「コラム・ソルですか?」
「問題の船にはミスター・ビッラウラが乗っています。彼なら緊急事態を同胞に告げられると思いませんか?」
「一光年先から?」
「事実なんてどうでもいいんですよ。介入する口実です」
アレックスは、涼しい顔の公安警部をにらんだが、確かにその通りだと、小さな嫌悪感は飲み込んでうなずいた。
「ガナールには話を通しておきましょう」
ポケットから通信機を取り出すのと同時に、受信を知らせるランプが点る。それがコラム・ソルからであるのを確認して、アレックスは眉をひそめる。まさか、今の会話を盗み聞きしていたのか?
しかし通話口から流れてきたのは、まだ幼く、少しだけ生意気な少女の声だった。
「アレックスおじさん? あのね、サッタールが迷子なの」
こんな場合でなけれは笑ってしまうような第一声に、アレックスは真剣に耳を傾けた。
***
エステルハージは、一つ、また一つとポッドの乗員が睡眠状態に移行するのを確認して、小さく息を吐き出した。
ロンディネ号が異常事態に陥ってから、もう二十時間以上過ぎている。
「はっ、これでもう、たった四八時間なんて言う奴はいないだろうな」
不安の中で無為に過ぎる時間を数えるには、四八時間はあまりに長い。ロンディネ号には変化は見られない。それが良いことなのか、悪いことなのかも、ここからでは判断なんてできない。
「それって、あたしに対する当てつけですかぁ、教官?」
独り言のつもりが返事があって、エステルハージはぎょっとした。通信がオープンのままだったのだ。
「君は元気そうだな、ブラッスール」
紫頭のくせにと大人げないことを考えながら、エステルハージは即座に返した。
「元気ですよぉ。暇なんで、いままでウトウトしてましたけどぉ」
「この状況で昼寝ができる君は、なかなか大物だよ」
実際、ジゼルのバイタルサインは落ち着いている。学生たちの中には、自分がパニックを起こすこと自体を恐れて、自ら睡眠機構を動かした者も多いのに。
「大物なんかじゃなくて、鈍感なんでしょう」
スピーカーからレワショフの声もして、エステルハージは苦笑した。
「なによぉ、ユーリ。自分がビビってるからってあたしに当たらないでよね」
「俺が? ストウならそうかもしれんが、俺はビビったりはしないぞ」
「あらぁ、ケイはああ見えて打たれ強いのよ?」
「今ごろトゥレーディア基地で膝を抱えてるだろうがな」
「そりゃあ、あたしがいないんですもの、がっかりしてるに違いないわ」
「いや、もしかしたら基地の美人の後ろをついて歩いているかもな。奴は気の多いクジャクだ」
「そうだったら、後でギタギタにとっちめてやるわよぉ」
レワショフらしくない軽口に、ジゼルは笑って返した。
二人とも不安なのだと、エステルハージは黙って思った。それならばさっさと眠ってしまえばよいのにと。
「僕は責任上、君たちの様子を見ているが、君たちは寝てもいいんだぞ」
エスカレートしそうな会話に口を挟むと、二人は共に少しだけ黙ってから、ほぼ同時に言った。
「サッタールが帰ってくるからもう少し待ちます」
「ビッラウラがここを目指して戻るのに、起きている者が多い方がいいでしょう?」
エステルハージは口の中だけで笑った。
彼らは不安のあまり眠れないのではなかった。ただ遠くへ出かけたはずの友人のために、灯台の篝火をたいているつもりでいたのだ。
サッタール・ビッラウラは、ファルファーレまで飛んで、ここへ帰ってくると信じて。
それならば自分も、教え子たちに負ける訳にはいかない。せいぜい精神の炎を燃やしておこうとエステルハージはそっと深呼吸を繰り返した。
展開が遅くてすみません。
次回からは一気に動く…かなと思うのですが、来週も更新できますように




