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第五章 宇宙空間へ(6)

 ロンディネ号が出現した空間は、何もない虚空に見えた。むろん遠くの恒星も銀河も瞬いている。だがファルファーレはすでに肉眼で確認できず、フィオーレですら少し明るい星の一つにしか見えない。

 第五惑星とフィロメロスが眼前に見えた前回とは全く違う。

 ここはフィオーレの重力から脱する深宇宙への渚なのだ。


「さて諸君」


 通常空間に出たとたん学生たちから湧きあがった拍手と歓声は、エステルハージの冷徹な声で一気に静まり返った。


「救命ポッドについては大学で散々講義もしたし実習もしたな。本来、何も知らぬ一般旅客でも問題なく使えるようになっているが、君たちは遊覧飛行に来たんじゃない。ブラッスール、ポッドが射出されてから極低温睡眠機能が働くまでは何時間だ?」


 質問に紫頭が元気よく立ち上がって答える。


「四十八時間です。でも短過ぎませんか?」

「たった二日と思うか? まあ君たちは訓練だと思っているからな。だが、いつ助けが来るか分からない、そもそも助けなど来ないかもしれない。そのうちに酸素がなくなり窒息するか、水と栄養補給が絶えて餓死するか。そんな恐怖と君は何時間戦えるかな?」


 ジゼルはうーんと首を傾げて座った。学生たちは、その状況にぴんときていない様子に、エステルハージは苦笑をこぼす。

 彼らは軍人ではない。これまで厳しい訓練をしてきたとはいえ、常に生命の危機を想定する士官学校の訓練内容と比べればずいぶんと甘いのだ。

 それに大多数は、裕福な家庭に生まれ、例えば誘拐の恐れを抱いたことがあったにしても、衣食住が欠乏するような経験は恐らく一度もなかったに違いない。

 自らも地方の名門政治家の生まれであるエステルハージには、彼らのその危機に対する現実感のなさが手に取るように分かった。


「まあいい。経験に勝るものはないからな。ポッドは射出と同時にすべてが自動で働くが、万が一の場合は補助系統がやはり自動で起動される。だが補助系統は手動でも動かせる。手順は?」


 幾人かが手を挙げて、淀みなく答えていく。


「シート左下のレバーを引きます」

「そうだ。仕様が違ってもそこは変わらない。だがもし手を負傷していたら?」

「それは……」


 黙ってしまった学生に唇だけで笑いかけ、エステルハージが答えた。


「自動切り替えが再作動するのを祈れ」

「ええっ!」


 システムの不備じゃないかという呟きが起きたが、赤毛の教官はしれっと言葉を継いだ。


「宇宙空間で救命ポッドを使用する事態というのは、真に危機的な状況だ。いいか? ここはファルファーレから約1光年の距離がある。最も近い宇宙軍の中継設備までだって8兆キロは離れている。つまりだ。ここから救難信号を送っても、それが誰かに伝わるまで一年近くかかるんだ。船を捨てるほどの事態が起きて一年漂流して生きながらえられるとしたら奇跡だ」

「で、でも。極低温睡眠状態は三年間維持できると……」


 うろたえたような声に、エステルハージは品の良い顔に人の悪い笑みを浮かべる。


「ああ、そうだな。だが残念ながら出力の関係で救命ポッドの救難信号ビーコンは五千キロメートルしか届かない。この広大な宇宙で五千キロがどれだけわずかな距離か考えてみたまえ。つまりは救難船がビーコンを拾うのもまた奇跡に近い」


 亜空間航行の興奮に冷や水を浴びせた教官に、ホーガン以下の乗員は気の毒そうな、それでいて面白がっているような顔をしていた。


「それじゃあ救命ポッドなんて何の意味があるんですか?」


 ふてくされた声に、エステルハージは冷たく応じた。


「そう思うならここでリタイアしろ。絶対の安全など誰も保障してはくれん。死ぬ一秒前まで生きる努力を惜しまない奴じゃなきゃ船の運用なんか任せられるか」


 甘えるな、と叱られた学生は、はっと口を閉じて自分たちの教官とロンディネ号の乗員たちを見上げた。

 彼らは確かに、軍人と元軍人だが、宇宙に職場を選んだ時からそこで生き抜く覚悟にはほとんど違いはないと、その目が語っていた。


「さて、補助系統だが」エステルハージは何事もなかったように続けた。

「一次系統とは完全に切り離されているから、自動であれ手動であれ切り替えに十秒ほどのタイムラグがある。今回、それを体験することは想定されていないが、万が一があってもパニックを起こすな。まあパニックを起こした場合は強制的に睡眠状態に移行するようにも設計されているが、私に平手を食らって目を覚ます羽目になりたくなかったらみっともない所は見せるなよ? 殴る方も楽じゃない」


 低温睡眠からの覚醒がそんな乱暴な手段なのかよと、乾いた笑いが巻き起こる。

 今回の実習の意味を徐々に頭に染み渡らせた学生たちは、いったん消沈した意気を早くも取り戻していた。



「若いですね」


 ホーガンがにこやかにエステルハージに言った。


「士官学校生の方が彼らより年少ですが、もう少し落ち着いてますよ」


 苦笑を伴う返事にホーガンは首を振る。


「ああ、彼らは民間人ですからね。それにしても彼は表情一つ変えませんね」


 物言いたげにホーガンはひっそりと座ったままの精神感応者の青年を見遣った。


「彼は、自分で思っているよりはずっとナイーブですよ。表情が固いのは、表情で伝える必要のない環境で育ったからでしょう。それと、自分の振るまいが超常能力者全体に影響すると知っているせいもあるでしょうね」

「私たちが自分のことを話題にしているのも筒抜けなのかな?」


 遮断しているのかいないのかは、外からはうかがえない。だがエステルハージは、ケイの班について挑発した時のサッタールの顔を思い出してにやりと笑った。


「必要があれば誰の脳でも暴くと宣言してますが、今は必要を感じていないんでしょう」

「暴く? サムソン大宙将の時のように?」


 ホーガンは年下の元宇宙軍士官に目を移すことなく低く尋ねる。


「あれは必要なことでした」


 エステルハージはきっぱりと答えた。サッタールの無意識の怒りがハヤシに牙を向いた瞬間は記憶に新しい。だがその前にサムソンの精神操作の洗礼を浴びた身にとっては、生意気でも未熟でも、サッタールの自己抑制の方がましだった。

 ホーガンはしばらく黙ってから、そうかと一言呟いて、救命ポッド射出の準備をするように部下に指示を始めた。





 ロンディネ号は輸送船といえども宇宙軍の所属だ。だから円筒型の船の前方には念のためと言わんばかりにエネルギー砲も装備されてはいるが、機関室を除いたほとんどは貨室に当てられている。

 救命ポッドがブリッジから通路と隔壁を挟んだ近くに積まれているのは、旅客の乗船を考えてないからだろう。


「分かっていると思うが、ポッドには推進機関というほどのものはついていない。ただ、安全なポイントまで母船から離れる程度のものだ。もちろんデブリなどを避ける為の姿勢制御はできるが、無駄に使おうとするなよ? この船から五十キロ以上離れたら、もう拾ってはやらん」


 通路で念を押された学生たちは、首を縦に振りながらそれぞれに割り当てられたポッドに向かった。

 サッタールも指定されたエアロック前に立ち、一つ深呼吸をする。


「なぁに? あんたでも緊張するのねぇ」


 隣に並んだジゼルがくすくす笑った。


「あれだけ脅されたらな」


 正体不明の不安を腹の奥底に抑えつけて、サッタールは肩をすくめてみせる。


「そうねえ。でもワクワクするじゃない?」


 帰ったらケイやロアナに土産話をしようと考えているのが丸出しの顔に、サッタールは思わず唇を緩めた。


「そうだな。まあ数時間の孤独を楽しむことにするか」


 すぐ近くに他人の思念を感じなくても済むというのも、考えてみれば久しぶりのことだ。コラム・ソルにいた頃は、疲れるといつもアマル・フィッダの湖でクラゲたちと遊んでいた。だが島を出てからはずっと誰かの思念にさらされ続けていたのだ。


「各人、用意はいいな?」


 不意に壁のスピーカーからエステルハージの声が聞こえた。同時に目の前の隔壁が割れるように開いて、ポッドの乗り口が現れる。


「じゃあ、またねぇ」


 ジゼルが手を振って、身体を滑り込ませた。

 サッタールも、教えられた通りに頭から這うようにポッドに入る。半ば寝そべるような形に身体を落ち着かせると、シートが勝手に変形して全身が柔らかく押し包まれた。

 シュッと小さな音と共に入り口が閉じられ、同時に頭の上に降りてきた半透明のスクリーンに《緊急》《脱出まで後一分》の文字が浮かび上がる。

 試しに腕を動かし、エステルハージの言っていた補助系統のレバーを確認した。


 救命ポッドは、知識のない一般旅客でも困らないように作られている。操作は特に必要ないのだが、スクリーンの隅に位置確認の文字を見つけて視点を合わせた。するとスクリーンが三次元ホログラムに変化し、フィオーレ星系にギリギリ引っかかるような地点で赤い光が点滅する。重なるように点灯しているのがロンディネ号だろう。ポッドはまだ輸送船の中にあるのだ。

 そう思った瞬間、スクリーンに《脱出》の文字が大きく踊り、がくんという振動と共にポッドは宇宙空間へと放り出された。



(思っていたよりも速度があるんだな)


 脱出の瞬間、左右に小さくとられた窓に遠ざかるロンディネ号がちらりと映ったが、あとはひたすら真っ暗な宇宙空間の中を漂っていた。


《ロンディネ号より10キロメートルのロケーションで推進は切れます。現在、周囲半径500メートル内にファルファーレ宇宙軍のポッドが27個浮かんでいます。自動で衝突回避しますか? YES NO》


 スクリーンに浮かんだ文字に、サッタールは苦笑した。この何もない空間からすれば、それはずいぶんな過密状態だろう。

 視線でNOを選択し、周辺空間のナビゲーションレーダーに切り替えると、サッタールは右手に握りこんだボール状の操縦球を操った。

 恐らくどの学生も自動制御は選択してないだろう。


 切り替わったスクリーンには、ポッドを示す27の光点と自分の位置を示す赤い点滅が現れる。

 大学で、複座の小型飛行機を使った飛行訓練をした時は、目視できる風景があった。だがここにはスクリーンで示される障害物――つまりは他のポッドだが――との相対距離しかわからない。


(代わりに風も重力もないけどな)


 しかしエステルハージが言っていたように、燃料は僅かしかないし、下手にぶつかったら玉突きのように弾かれて、慣性のまま遙か彼方まで漂いかねない。

 サッタールはスクリーンを見ながら慎重に向きを変えた。窓を見ると、遠くにロンディネ号の姿が確認できてほっとする。

 フィオーレの光も届かないここでは、ロンディネ号のブリッジや船腹に灯る小さな瞬きが頼もしく思えた。

 同時に仲間のポッドもちらちらと目に映るが、こちらは何の灯りもないのでよほど近づかないとわからない。相手からもサッタールのポッドは同じように見えないだろう。頼りはセンサーだけなのだ。


(本当に宇宙にいるんだな)


 不思議な気がした。ここは絶対零度で、大気もなく、生物には有害な宇宙線が飛び交うだけの何もない空間だ。

 何度か、自分が宇宙にいる夢を見た。その時は身一つだったが、これほどの孤独は感じなかった。


(太陽――フィオーレがもっと側にあったし、ファルファーレも見えたからな)


 厳密には近くに仲間の学生たちがいる。エステルハージもどれかのポッドに乗っているはずだ。ロンディネ号だって肉眼で確認できる。

 それなのにサッタールは全く一人だと感じた。

 その気になれば二七のポッドの乗員の心をのぞくこともできるだろうし、ホーガン船長に話しかけることもできるだろう。

 ファルファーレでは惑星の裏側だって心を飛ばせられたのだから、十キロ先なんてすぐ近所に等しい。

 それでも、サッタールは一人だった。

 そしてその孤独が心地よかった。


(私は……本当に勝手だな……)


 寂れていく島を何とかしたくて、コラム・ソルの窓を開いたのは自分だ。彗星を追いたいという、およそ個人的な願望で大学へ入ったのも自分だった。

 セントラルで、ナジェームで、訪れた都市で、他人の思念の海の中で生きることを選択したことを後悔はしていない。

 だが、この孤独が心地よいと感じてしまうのもまた真実だった。

 ぼんやりとそんなことを考えていると、いきなりスクリーンに《通信あり》の文字が浮かび、耳元のスピーカーからエステルハージの声が響いた。


「全員、それ以上余計な操作はいらんぞ。そのままの状態で待機しろ。誰か、心身に変調、あるいはポッドに不調のある者はいるか?」


 落ち着き払ったその声に、いきなり現実感を取り戻して、サッタールは小さく息を吐いた。

 スクリーンに青の光が点滅していた。それがエステルハージのポッドなのだろう。


(ほんの一五メートル先じゃないか)


 ジゼルやレワショフがどこにいるのかわからないが、遠くはないだろう。


(孤独に浸ってるつもりでいたなんて……)


 我ながらおかしかった。


「あー、特に不調がないなら無駄な通信はするな」


 またエステルハージの声がした。多分何人かの学生が今しなくてもいい質問をしたりしたのだろう。辟易しているのが伝わる口調だった。


「まだ一時間も経ってないんだぞ。ブラッスールはたった二日で極低温睡眠に移るのは早いと思っていたようだがな。それに君たちは母船から命からがら脱出したんじゃないだろう。今しか味わえない孤独を楽しめ。私への苦情は通信を切ってから思う存分言うんだな。誰にも聞かれない」


 ふつっとまた静寂が戻る。だがもう先ほどのような孤独は感じなかった。





 デジタルの数字が音もなく変わった。ロンディネ号が静かに向きを変え始めていた。

 この、なにもない、なにもしない時間もそろそろ終わろうとしていた。

 スクリーンをぼんやり眺めていたサッタールは、その瞬間、胸を氷のキリで刺されたような衝撃と痛みを感じた。


「な……んだ……?」


 思わず声を絞り出した刹那。何かがこちらに向かってくるのを全身で捉える。

 強いエネルギー。

 強く、そして目には見えない。いや、ポッドはむろん、ロンディネ号のどんなセンサーにも触れないにもかかわらず確かにある強大な力。


(誰だっ! いや、何が?)


 サッタールの中にある精神感応力が、細胞の一つ一つが、火を噴く勢いで警報を鳴らす。

 考えた訳ではなかった。

 サッタールは、反射的に自分の力を、すべての力を振り絞って障壁をたてた。

 サッタールのポッドを中心に、やはり目に見えない力が広がり、向かってくるソレをかすめた。


「ぐっ、はああっ!」


 物理的には何事も起こらなかったはずの身体が、シートの中で跳ね、衝撃と痛みに目の前が真っ赤に染まる。

 

 そしてソレは、真っ直ぐにロンディネ号に向かっていった。


ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

第五章はこの話で終わり、次章からは山場になる…のですが。

なろう外の公募にチャレンジしたく、同時進行で書くほど器用でもなく、締切もありますので少しだけ更新はお休みさせていただきたいと思います。11月中に目途をつけて、また戻ってまいりますので、このお話がお心にかないましたら少しだけお待ちいただければと思っております。

計画性がなく、大変申し訳ありません。

サッタールが無事生還できますように!

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