第五章 宇宙空間へ(4)
ケイが第二ベースにたどり着く数時間前。
サッタールたちは、五時間の休憩の後、再び集められた。だがそこにケイの姿がないことを確認したジゼルは、つかつかとエステルハージに詰め寄った。
「教官。ケイ・ストウの班がいませんが」
堅苦しく尋ねるジゼルに、エステルハージは無表情で答える。
「彼らは規定時間をクリアできなかった。第二ベースから宇宙軍が連れ戻しに行ってるが、到着には後十時間はかかるな」
「それでは宇宙船実習はリタイアですか?」
「そうだ」
ジゼルは内心を表情に出すことなく、一礼して学生たちの中に戻る。
サッタールは、まだ灰色の荒野に立ち往生しているケイの心を探し、落胆しつつも元気であることを確認すると、そっとジゼルの背後からささやいた。
「三人とも身体的には問題ない。チャンスは幾らでもあるんだから……」
「わかってるわよ。デリカシーないわね」
切りつけるように返されて、サッタールは口を閉じた。ジゼルは協力しなかったことを怒っているのではなかった。ただ言わずもがなの発言に対して苛立ったのだ。
それは理解したが、そもそもコラム・ソルにはデリカシーなどというものが希薄だったのだ。ジゼルといい、タキといい、外の女性は難しいというのが正直な感想だった。
こんな時ケイがいれば、サッタールをからかいつつもその場の雰囲気を和らげてくれるのだが、あいにくその当人がこの場にいないことが原因なのだ。仕方ない。
レワショフはと見れば、前方に映し出された三次元映像の輸送船ロンディネ号に熱心な目を向けている。
サッタールはつきそうになった溜め息を飲み込むと、そのレワショフと並んでこれから乗船する船と実習スケジュールに心を切り替えた。
「この船での亜空間突入は、距離も回数も制限があります」
ロンディネの船長、ホーガン大尉は、軍人らしからぬ丁寧な口調で説明していた。学生たちの目の前にはロンディネ号のホログラムがゆっくりと回転している。
輸送船ロンディネ号は、主にフィロメロスの物資補給と士官学校生や大学生の訓練に使われ、フィオーレ星系の外に行くことはない。距離の制限は機関の出力の問題で、回数は船体自体の耐久性から定められているのだ。
「従って、皆さんがこれから飛ぶのもあくまでもフィオーレ星系内です。まずフィロメロス近辺のポイントに飛び、そこから更にフィオーレのオールトの雲の外側に出ます」
「フィロメロスを経由する理由は?」
一人が手を挙げた。
「補給です」
笑いながらホーガンが説明する。
「フィロメロスはこのトゥレーディアより大きい。ま、ファルファーレよりは小さいですがね。当然重力もそれなりにあります。ですから、フィロメロスを巡る軌道上に補給ステーションがあるのですが、そこに注文のあった食料と機材を下ろすのですよ。今、ファルファーレと第五惑星の互いの位置がいい具合なんです。もう一つ理由を挙げれば、フィロメロス近辺は煩雑に船が出入りしますので、デブリとなるものはきれいに取り除かれています。つまり安全、という訳ですね」
学生たちにとって、フィロメロスといえば思い浮かぶのは外部から閉ざされた囚人星のイメージだ。だが当然ながら、物や人の出入りはあるのだ。
「心配しなくても、君たちをそこに置いて行ったりはしません。僕が叱られてしまう」
ホーガンは手元の機器を操作してロンディネ号のホロからフィオーレ星系全体のホロに切り替える。
「ステーションから約五万キロ離れた地点で亜空間に突入し、この辺りに出る予定でいます」
恒星フィオーレから一光年ほどの距離にあるオールトの雲の外側、黄道面から六十度ほど傾いた辺りで赤い光が点滅した。
「ここで君たちには、ロンディネから射出される救命ポッドに乗って宇宙を漂ってもらいます。まあ三時間ほどで回収しますけどね。帰りは直接このトゥレーディア軌道面まで飛んで、訓練は終了ですね」
何か質問はという声に、ぱらぱらと学生たちの手が挙がる。
「救命ポッド訓練はなぜその地点なんですか?」
「ああ、なんだかんだと言って、星系内は様々な物が浮遊してるんですよ。密度の濃いところと薄いところはありますが、数十センチ以下のものは君たちが考えるよりも数多くあります。そして拳大のものでも当たれば小さな救命ポッドにはかなりの衝撃があります。むろん本物の緊急事態ならばそんなことは言ってられませんし、実際には五十センチくらいの岩が当たってもポッドは安全ですがね。そう作られてますから。でも外装が凹むような場所で初級の訓練をすることもないでしょう」
なるほどとうなずく学生たちの間で、なぜかサッタールはひとりうなずけないでいた。視線が吸い寄せられるように赤い光に向く。
(何故……?)
フィオーレ付近の星図は、講義の中で嫌というほど眺めたはずだった。細かい塵が薄く球殻状に取り巻くオールトの雲の向こうは、恒星フィオーレの重力からほぼ完全に脱した深宇宙になる。
確かにそこまで行けば、ホーガンの言うようにポッドが小天体で傷つく恐れはないだろう。ホーガン大尉は、何度もこうした跳躍を繰り返してきた熟練の宙航士なのだ。安全の確保が重視される大学生の訓練で、間違いがあるとも思えない。
だがサッタールの胸はざわざわと奇妙な不安に満たされている。
(なんだ? 不吉な予知でもあるまいし……)
思いかけて不意に記憶が蘇る。
トゥレーディア事件の直前、サッタールはコラム・ソルが炎上する夢を見たことがあった。
(あれが予知夢だとしても、今、私は夢を見てるんじゃないぞ。しっかりしろ)
背中に冷たい汗をかいていた。意識して深い呼吸を繰り返し、身体の力を抜いていく。
(ただ行って、帰ってくるだけだ)
自分に言い聞かせるように繰り返す。それでも不安は消えはしなかった。
亜空間機関が動き出すと、宇宙船は全体を特殊な磁場でシールドされた。空間の歪みを通り、他次元空間を航行してまた歪みをくぐり抜けるために、このシールドは必要不可欠だ。なければ、船体は中の人間もろともあっと言う間に素粒子にまで還元されてしまうだろう。宇宙の藻屑と化すのだ。
学生たちは、狭いブリッジに取り付けられた臨時のシートに座って、ホーガン以下の乗員たちがきびきびと働くのを見守っていた。
「やっぱ、模擬機関なんかとは違うよなあ」
誰かがささやいた。失敗したら存在ごと消えてしまうと思うと、学生たちの身体は自然に強ばる。だが乗員たちにはそこまで緊張した様子は見られない。
「毎月のようにフィロメロスとトゥレーディアを往復してるんだよな」
若い学生たちの乗員を見る目は、憧れと期待がない交ぜに輝いていた。補給船ロンディネなど、宇宙軍の保有する煌々しい宇宙船の中では地味な存在だし、指揮をする船長たるホーガンも大尉でしかない、などと万が一にも口にする者がいたら、一斉に非難されただろう。
やがてシールドが完全に展開されると、ブリッジの中は緊張と興奮で、室温が数度上がったのかと錯覚するほどの熱気に包まれた。
微かにつんのめるような衝撃が身体に走り、次の〇コンマ数秒間、五感がぐにゃりと歪んだような気がした。
「f21t8で亜空間突入。航行はおよそ十二分」
ホーガンの呼称に、あちこちから了解の声がおこる。
亜空間では可視の景色は全く見えない。窓の外もスクリーンにもただ灰色に塗りつぶされた空間が広がる。
「たった十二分?」
驚きのささやきが学生たちから漏れる。知識では知っていたことだが、トゥレーディアからフィロメロスまで通常航行した場合、ひと月以上はかかるのだ。
サッタールも、静かな興奮の中に身を浸していた。出発前に感じた不安は、今は払拭されている。どれだけ神経がささくれ立っていたのかと自分を笑いたくなる。
亜空間への突入は、模擬機関での訓練とほぼ同じ手順だったが、それでも六億キロメートルの距離を十二分で飛んでしまうとは驚嘆すべきことだった。
(いや、まだキロメートルで計れるほど近いんだ。条件さえよければ亜空間機関は数万光年を一度で飛ぶんだ)
自分の身体を使って歩く速さを思えば、それは目眩がするほどのスピードであり、知恵と技術の集大成で克服した人類の歴史を思えば、興奮で身体が震えてもちっとも不思議ではない。
(植民船の残骸を探査したのだったか……)
ブルーノ大陸に残された六百年前の植民都市の廃墟は、今も高濃度汚染地域として立ち入りが禁止されている。しかし大陸間戦争に明け暮れた当時、ブルーノ大陸政府はどうやってかその残骸の探査を強行し、植民船を広大なキャス砂漠へと移送したのだ。
それでも亜空間を飛ぶ技術を本格的に取り戻したのは、戦争が終わった後。ファルファーレ連合中央府が設立されてからだ。
幾つもの不幸な事故はあった。それでもファルファーレはもう一度宇宙に出て、人類の故郷たる地球へ帰還することを諦めなかった。
約五百年ぶりに現れた惑星ファルファーレの植民団の末裔を、地球は驚きを持って迎えたが、既に銀河のあちらこちらに散らばった人類を統括する力はなく、また興隆を極めている他の惑星国家からもファルファーレは人口も資源も特に注目を集めるような存在ではなく、今は田舎の一惑星国家として細々と交易があるばかりだとは歴史の講義で習った。
そんなことをとりとめもなく考えていたサッタールの脇腹を、ジゼルがつんとつつく。
「ほら、出るわよ」
言われるまでもなく、サッタールの身体は奇妙な浮遊感にとらわれていた。
「うー、気持ち悪い」
唾を飲み込んだのだろう。ジゼルの喉がひくりと動く。出発前に噛みついてきたにもかかわらず、彼女はすぐに平常心を取り戻した。ケイの次のチャンスをのんびりと待つのだと鼻にしわを寄せて笑うその柔軟性にはほっとする。比べてこの実習が始まって以来、自分はどことなく浮ついているとサッタールは眉を寄せる。それがファルファーレの大地を離れたからなのか、宇宙空間にいるという興奮のせいなのか、よくわからない。
それに航行前に感じたいわれのない不安は何によるものだろうか。
だがサッタールは内心に蠢くものを抑えつけるように、努めて頬をゆるめた。
「突入より元の空間に戻る方が難しいからな、あと一分もかからない」
言わずもがなの慰めだったが、ジゼルはにぃと唇を引いて笑って見せた。次の瞬間、サッタールもジゼルも当たり前の身体感覚を取り戻し、短く息を吐いた。
ロンディネ号が通常空間に戻ったとたん、学生たちの目はスクリーンに釘付けになった。
第五惑星はフィオーレ星系最大のガス惑星で、スクリーンの半分近くを占める圧倒的な存在感で学生たちに迫ってくる。表面を彩る濃淡のある褐色の渦は、見ているだけで引き込まれていきそうな錯覚をもたらした。
対して衛星フィロメロスは、一見したところ白銀の星の美しい星だった。それは大気が薄く、大地が凍りついているからだが、外からではその過酷さは窺いしれない。
この衛星が重罪人の流刑地になっているのは、豊富な金属プルトニウムの採掘の為の人員確保の為と、簡単には脱出できない無慈悲な環境の為だった。
「でも綺麗よねえ」
ジゼルが溜め息と共に呟く。
「降りてみたいか?」
レワショフが皮肉混じりに聞くと、ジゼルは細い眉を片方だけ上げてみせた。
「好きな時に降りて、好きな時に戻れるならねぇ。だってあたし、トゥレーディア以外に他の星なんて行ったことないもの」
それは学生たちの大半がそうだった。いくらホログラムで見ていても、実際にその地に降り立つのとでは全然違う。トゥレーディアも、宇宙港しか知らず、あの厳しさと静寂の大地をローバーで走破しなかったら、その魅力の半分も知らないままだっただろう。
サッタールはジゼルの言葉にうなずいて、ロンディネ号から射出されたコンテナがステーションのアームに捕らえられ、エアロックエリアに次々に吸い込まれていく様子を見守った。
たとえばここにアルフォンソのような強大な念動力者がいたら、今行われている作業は彼一人で十分にできるだろうと思った。
(そういえばトゥレーディアでだって精神感応力が使えたんだから、私たちの力は少なくとも大気や重力とは関係ないんだな)
現代では、超常能力者の使う力のほとんどは科学技術に置き換えられる。人類は、そんなものがなくても銀河を渡ることさえできるのだ。
(それなら私たちが生まれてきた理由はなんだろう……?)
ファルファーレの文明が崩壊し絶滅の危機に晒されたから、それを補う為に超常能力が発現したのではない。
それならば、地球上で充分な科学が発達するずっと以前に、人類の何パーセントかは超常能力を獲得していたはずだ。
(ファルファーレだけの特異な条件があるはずなんだ)
目は熱心に荷役作業を見つめながら、サッタールはまた、不安に胸をざわつかせた。
地球や他の惑星にはない特殊な条件ならば一つある。あの彗星だ。超常能力をもたらしたのがあの彗星ならば、その本質に迫れるのも超常能力者だけかもしれない。そもそも宇宙に出ようと思ったのは、彗星の謎を明かし、超常能力との関連を見つけたかったからだ。超常能力は、それを持つ者にとって常に、恩恵でもあり枷でもあった。
なぜ自分たちはこのような存在なのか、サッタールは、ただそれを納得したかった。
謎を解いたからといって、地上での自分の役割は変わりはしない。超常能力者たちは緩やかにファルファーレの社会に飲み込まれていく。
彗星を追うのはエゴに過ぎないと自覚しているし、それを許してくれているコラム・ソルには後ろめたい気持ちもあった。
だが彗星を追っていった宇宙軍と天文協会の探査機は、いずれも途中で故障をおこし、あるいは行方不明となったと、これはトゥレーディア出発前にアレックスから聞かされた。
それならば自分が見つけてやると、サッタールは不安を飲み込んで考えていた。
まだそこに至る道の端に立ったばかりだ。今は単なる学生の一人に過ぎないし、宇宙という本来人間を寄せつけない空間では、人類の誇る科学技術に守られなければ、いくら能力があっても生存すらできはしない。
(いつか必ずこの目で、間近で、見てやる)
静かに拳を握る姿を、レワショフとジゼルが距離を置いた場所から見ていたことに、サッタールは気づいていなかった。
不定期更新になってしまい、申し訳ありません。リアル事情がいろいろあって、なかなか時間が取れないのと、どうしてもそちらに気持ちが行ってしまい…。
来週も一回か二回、更新できるようにがんばります。
よろしくお願いします。




