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第五章 宇宙空間へ(2)


 トゥレーディアでの訓練は、宙航士に特化したカリキュラムではない。宇宙空間で実際に船を操縦するなど、しょせん一年生のうちにできることでもないのだ。

 主な目的は、地上ではできない過酷な環境での作業体験でしかない。


「ねえねえ、船外服って案外軽いわねぇ」


 ジゼルはトゥレーディアに来てからのこの三日間のハードなトレーニングのことなどすっかり頭にないような浮かれた調子で声をあげた。

 四日目からは、宇宙港基地を出てローバーを使い、千二百キロメートル離れた銀の海クレーターにある第二ベースまでの移動訓練が始まった。

 大気のないトゥレーディアでは、光と陰の境界が揺らぐこともなく、遠くまでくっきりと見える。厚い大気に包まれたファルファーレでは霞んで見える遠くの山も、目の前の小さな丘も、同じように映るのだ。


「ファルファーレに大陸がほとんど見えないから、あれロデェリア海よね? サッタールの島が見えるんじゃない?」


 四人乗りのローバーの後部座席に一人収まったジゼルがまたウキウキと話しかける。


「望遠鏡があれば見えるだろうな」


 サッタールはフロントに映し出されている簡単な地図を睨みながら答えた。本来は詳細な地形図に現在位置をGPSを使ってプロットするシステムもあるのだが、このローバーからは取り外されている。未知の星に不時着したという想定の訓練なのだ。簡単でも地図があるだけましだった。


「ここからコラム・ソルの誰かに話しかけることはできないのぉ?」


 問われて、サッタールは少しだけ顔をあげ、青くみずみずしい惑星をその視界に納めた。


「どうかな。試したことはないから」

「ええ? やってみればいいじゃない。別に禁じられてないんでしょお?」


 操縦竿を握っているレワショフが不機嫌に唸る。


「紫頭。ビッラウラに余計な負荷をかけさせたいなら、お前がナビを代われ。ただし必要最低限以外、いっさい口を開くな。酸素の無駄だ」

「ナビは代わってもいいけどぉ。口を閉じるのはむりぃ」

「俺たちはストウじゃない。お前を甘やかすつもりはさらさらない」

「えー、ケイだって甘やかしてくれないよお。極楽クジャクのくせに、甘いのは口だけだもん」


 ジゼルはヘルメットの内側で口をとがらせたが、それでもハシバミ色の目を輝かせているのがサッタールにはわかった。

 班編成の時、エステルハージが当たり前のようにジゼルとケイを離すのは、この二人の関係を知っているからだろう。公私混同して訓練を乱すようなふるまいをするほど二人とも馬鹿ではなかったが、それでもレワショフのように苦々しく思う者もいるだろう。

 特にここは自分たちのフィールドではないのだ。


 サッタールは意識をナビシステムに戻した。

 トゥレーディアの直径はファルファーレの六分の一しかない。一周約三七〇〇キロメートル。地球の月はもっと大きいらしいが、それでも宇宙港を作るには充分過ぎるほど広い。

 宇宙港から第二ベースまで、およそ千二百キロの距離を最高時速五十キロメートルのローバーで三日以内に到着しなければならない。

 その間には越えなければならないいくつもの山があり、谷がある。気を抜いたら何百メートルもある崖から転落しかねない。

 ローバーのナビシステムに現在位置が示されなくても、トゥレーディア駐在の宇宙軍は学生らのローバーの位置は常に把握していた。いつでも支援が入れる配慮はされている。

 それでも、救助を呼ぶようなはめにはしたくない。


 第二ベースの小さな港から、今度はフィオーレ星系の外縁まで亜空間を飛ぶのだ。救助を呼んで第二ベースへの到着が遅れれば、その時点でこの実習はリタイア扱い。亜空間航行と救命ポッドでの脱出訓練は受けられなくなってしまう。

 もちろん在学中にリベンジする機会は与えられるが、できれば少しでも先に進みたいのが偽らざる学生たちの心情である。


「操縦は三時間ごとに交代しよう。少しでも距離を稼ぎたいが、夜の部分に入ったらたいして進めない」


 サッタールの提案に、レワショフがうなずく。


「できたら今日中に五百キロは進みたいな」


 水、食料、酸素は五日分、ローバーのバッテリーは二千キロ分は走行できるだけ充填されている。

 それでも不測の事態に遭難すれば、訓練どころか命さえ危ない。


「でもぉ、万が一通信が途絶えても、サッタールなら助けが呼べるでしょ?」

「だからお前は、こいつの能力を頼りにするなっ」


 たちまちレワショフの機嫌が低下した。


「そうは言うけどさぁ、究極のバックアップシステムじゃない? サッタールの班でラッキーだったわあ」


 ジゼルはケラケラ笑った。


「だが私と一緒だと宇宙軍の心証はよくないぞ」


 念のために断りを入れると、レワショフは唸ったが、ジゼルはまた笑う。


「平気よぉ。別に宇宙軍に入るんじゃないもの」


 喋りながらもローバーは急峻な山を回り込み、なだらかな丘を登り下りする。

 先ほどまでは見えていたファルファーレは背後の地平線に隠れて、もう見えなかった。





 夜の部分に入ると、三人はローバーを停車させた。ヘッドライトを照らしても、とても先までは見通せず、道のない道に転がる大きな岩も直前になるまで見えない。

 ここまで六時間で二五十キロメートルは進んでいた。


「でもすっごい星空よねえ」


 二回目の休憩だが、ローバーは気密が保てる訳ではないから、宇宙服を脱ぐことはできない。三日間、水分補給も食事も、もちろん排泄も、すべてこの身につけられた服の中でする。

 女性には厳しい訓練だろうと勝手に思っていたサッタールは、ジゼルのタフさに意外の念に打たれた。

 そのジゼルは、トゥレーディアの砂の上に、両手両足を広げて寝転がっている。


「こんなにきれいなのに、メット越しじゃないと見られないのよねえ」


 厚いグローブをはめた手を空にかざしているのを見て、ローバーの機器類を点検していたレワショフがちっと舌打ちした。


「遊ぶな」

「休憩だって必要よぉ。それにバッテリーはもう確認したしぃ。あと通信機も、ちゃんとビーコン出してるしぃ」


 ジゼルはやるべきことはちゃんとやっているらしいと認めて、レワショフが口から太い息を吐き出した。


「休憩はあと十五分だ」

「りょーかいっ!」


 答えて、ジゼルはむくりと身を起こし、レワショフにつき合ってローバーのキャタピラを点検していたサッタールの方に、ふわっと向きを変えた。


「ねえ、ここから宇宙港の人の意識は読めるの?」

「多分」

「じゃあ、ケイの居場所はわかる?」


 サッタールは口を緩めて微笑んだ。


「探して欲しいのか?」

「ううん。でも早く一緒に宇宙を飛びたいなぁ」


 今いる場所からはファルファーレは見えない。だが、それでもコラム・ソルに自分の念話を送ることができるかどうか、ふと試したい気がした。


 吸い込まれるような星空を見つめながら、意識を拡散させる。すぐ側にいるジゼルとレワショフの心をそっと撫で、生物の息吹のない荒野を駆ける。時々、他の班の学生たちを感じたが、そこで止まらず、昼の部分に出ると、心の眼に青い惑星が映った。

 青い海。白い雲。赤道の少し南に大きな台風が渦を巻いている。緑に覆われた大陸はヴェルデだろうか? 背中がぞわりと震えた。断崖絶壁から逆巻く海を見下ろしたような畏れが湧きおこる。

 それでもトゥレーディアとファルファーレは、深遠な闇に隔たれている。この間を自分は飛び越えることができるだろうか。


 意識をロジェーム海の真ん中に飛ばそうとしたサッタールは、そこで突然我に返った。


「おい。聞こえてないのか?」


 視界が切り替わり、ヘッドランプをつけたレワショフの顔が目の前にあった。


「バイタルに異常はないわねえ」


 自分の胸の下からジゼルの声もして、彼女が左腕につけられた生命維持装置のサインを見ていたことを察する。


「サッタール・ビッラウラ。何があった……いや、何をしていた?」


 通信機を通さなくてもレワショフの怒りが直に伝わった。


「すまない。少し、ぼうっとしていただけだ」


 視線を動かしてヘルメットに映し出した自分のバイタルを確認し、そっとレワショフの厚い胸を押しやった。その拍子に一緒に押されたジゼルが二、三歩後ろによろけて尻餅をつく。


「……っ、ごめん」


 慌てて伸ばした手は、レワショフに取られた。


「第二ベースに着くまでは、不本意だが俺たちはチームだ。答えろ。何をしていた? ぼうっとしていたなんて誤魔化すな」


 レワショフの怒りが、空気も漏らさない気密服を通り抜けてサッタールの頬を打った。思わずたじろいで、メットの奥のその目をのぞき込む。


『ふざけるなっ。一人のミスが全員の命を道連れにするような場所でボォーッとしてただと?』


 口に出されなかった思いを読みとって、サッタールは奥歯を噛みしめ、もう一度頭を垂れた。


「すまない。何をしていたかと正直に言えば、ここからファルファーレまで思念を届かせようとしていた。だが訓練の真っ最中に試すことではなかった。私が浅はかだった」

「ファルファーレに?」


 レワショフとジゼルの声が重なる。


「……で、届いたのか?」


 サッタールは首を振った。


「闇を飛ぶ前に、あんたに現実に戻された」


 レワショフは眉を寄せたまま、しばらくサッタールを睨みつけてから、くるっと背を向けた。


「試すなら、せめて俺らに言ってからにしろ。無責任に現実から逃げるな」

「いや、もうやらない。少なくとも集中できる環境に戻るまでは。戻れなくなっても困る」

「戻れないなんてことあるの?」


 砂を払って立ち上がったジゼルの、怯えたような問いに、サッタールは苦笑を浮かべた。


「あるさ。ついこの前も迷子になったばかりだ」


 ジゼルはローバーに乗り込むレワショフを目で追いながら、肩をすくめた。


「迷子になりがちならさぁ、何か目印? 引き綱みたいなの持ってないとだめよお。あんた、あっさり諦めそうだけど?」


 レワショフとジゼルの言うとおりだとサッタールもローバーに乗り込みながら考えた。

 自分は常に、肩の荷を降ろして、ここではないどこかに行きたがっている。

 以前は衰退しつつあったコラム・ソルがサッタールの重石だった。


(今は何が私を引き留めるんだろう……)


 今まで感じたこともなかった不安が胸に寄せてくるのを感じながら、サッタールは目の前の灰色の世界を睨んだ。




 一日目は、多少のハプニングがありながらも十五時間かけて約五四〇キロ進んだ。だが今日はなだらかな道は選べない。出発前に地図を前にルートを検討したが、どうしても標高二八〇〇メートルはあるタラス山を抜けなければならない。

 行程を倍以上取れれば、迂回もできるが、それでは間に合わないのだ。


「今日は二時間で交代しよう。最初はビッラウラ、お前だ。次がブラッスール。それから俺」


 昨日のことがあっても二人の態度は変わらない。そのことに感謝しながら、サッタールは操縦竿を握った。

 道と言っても、もちろん舗装されている訳ではない。いずれ民間の手でトゥレーディアが更に開発されれば、舗装道路も、チューブでの公共交通機関もできるかもしれない。だがこれまで宇宙開発を軍が独占してきたファルファーレでは、トゥレーディアにおける快適な居住空間や移動は重視されてこなかったのだ。

 当然、軍所有のローバーの乗り心地は最悪だ。砂地は、低重力のせいもあってキャタピラといえども空回りしやすいし、今日は大小の岩が転がる狭く急な尾根を登らねばならない。

 くよくよと考えに沈んでいる余裕なんてなかった。


「いやーっ、なにこのガタガタ道はーっ!」


 出発して三十分もするとジゼルが甲高い声で叫んだが、じきにおとなしくなった。舌を噛んだのだ。

 レワショフはむっつりと黙ったまま、半分目を閉じていて、体力を温存するつもりらしい。


(困ったな。昨日から遮蔽がうまく働かない)


 サッタールは注意深く前方に集中しながら首を傾げた。

 コラム・ソルを出て以来、他人の思考を不用意に読まないように努めて、それに慣れていたはずなのに。


(昨日、意識を拡散させたからか?)


 似たようなことはこれまでもしてきたのに何故と思うと、また不安が忍び寄る。何を神経質になっているのだと笑いたくなるが、同時に二人の心がすぐ身近にあることにホッともしていた。

 運転に意識の八割を割きながら、サッタールはそんな自分の心の有様を考えていた。

 コラム・ソルでは、それほど自分の思考を隠そうとも、また読むまいともしていなかった。互いにそれが自然だったからだ。

 セントラルに行った時は、読むのは相手の思考の表面に留めるようにしていた。


(と言っても、アレックスはだだ漏れだったし、元帥やマクガレイ少将は探らなければ読ませないほど強固な精神の持ち主だったけどな)


 その頃を懐かしく思いながら、しかしあれはたった二年半ほど前でしかないことに驚く。


「おい、ビッラウラ。お前、大丈夫か?」


 思いに耽っていると、不意に後ろからレワショフが声をかけた。


「何かおかしかったか?」


 聞き返すと、レワショフはちっと舌を打った。


「いや。何でもない」


 忌々しそうなレワショフをジゼルが笑った。


「うん。でもわかるわぁ。あたしもサッタールは今なにか考え事してると思ってたもん」

「ならお前が注意しろ」

「えー、でもぉ、別に運転は問題ないしぃ? あたしだってナビしてるんだしぃ。あんまり喋るとユーリってば怒るしねー」


(なぜ……? 精神感応力などないはずなのに)


 サッタールは驚いて、目だけは慎重に前方を睨みつつ二人の心を探った。

 彼らは表情や身振りでサッタールの状態を見抜いた訳ではない。宇宙服を着てヘルメットをかぶっているのだ。運転にも支障はなかったと、ジゼルも認めている。


『また考え込んでやがる』


 レワショフが心の中で毒づいていた。


『こいつは馬鹿だ。心が読めるからと他人を観察することをさぼってきたツケだろう』


 サッタールはむっとしながら器用に岩を避けていく。隣でジゼルがレワショフと似たような感想を抱いているのも見えたが、それを表情に出すこともできない。

 遮蔽しているはずなのに流れ込んでくる二人のサッタール評はしかし、それほど不快でもないのが不思議だった。


「前方八十メートル先、右側に見える岩はどう迂回するんだ?」


 何もなかったように聞くと、ジゼルは地図を参照しながら首を傾げる。


「この地図だと、細かい地形がわからないけどぉ、この辺りはクレバスが多いからゆっくり行って」

「了解」


 ここはスピードよりも安全を取るべきだった。ローバーは夜と昼の境を行ったり来たりするように、ゆっくりと稜線を這い登っていった。


すみません。家の中がごたごたして、更新が遅れがちです。

不定期になりますが、よろしくお願いします

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