第四章 彷徨う心(10)
通称大陸間戦争と呼ばれる惑星全土を巻き込んだ戦争は、前回の彗星襲来後間もなく勃発し、中央府の設立までだらだらと約百五十年間続いた。
それは単に四つの大陸政府が争っただけではなく、内部に抱える中小の組織もまた、複雑に絡み合った利害関係と集団の誇りという名の肥大した自尊心の下、抗争を繰り返した時代だった。
「今ある治安維持組織のほとんどは、その旧時代の血を引き継いでいます」
アレックスは、元の所属である海軍のことを頭に思い浮かべた。戦争の星紀を戦い抜いてきたという密かな自負心は今も強烈で、それが故に宇宙軍との水面下での軋轢も生んでいた。
「しかし、公安の歴史は、大陸政府を統合した中央府の創立と共に始まりました。他の治安維持機関は、守るべき対象が明確にある。その土地に住む住人から、ファルファーレ憲章に従う惑星全土の民衆まで。しかし公安のターゲットは少し違うんです」
「……中央府か?」
「いいえ。あー、まあ、もちろん中央府を守ることにも繋がるのですが。それは軍でも、警察でもいい訳で……」
アレックスの口調が急に淀んだ。微かに迷うような視線を隣のハヤシに落としたが、ハヤシは笑顔を貼りつけたまま微動だにしない。オウに至っては、何を言い出すつもりかと、ありありとした疑念を顔に浮かべている。
アレックスは視線をさまよわせた末に、またサッタールを見つめた。
「公安の目的は、要するに二度と惑星規模の争乱を起こさないということに尽きるのです。だからセントラルでの銀狐の動向も、警察と海軍に任せていた訳です。あの標的が、仮にジェイコフ中央府議長であったとしても、それだけならば公安は主体になっては動かないでしょう」
「つまり、超常能力者の扱いは、事によっては惑星規模の争乱になる、と判断しているのか?」
「そう……でしょう。サムソンの陰謀はこの星の根底をひっくり返すところでしたからね。万が一未然に防げなかったら、中央の実権をサムソンが握り、それに反する勢力が戦争を起こしたでしょう。海軍に限らず、です。そしてそこに超常能力を持ったあなた方が加われば、大陸間戦争の比ではない争乱になったかも知れない」
「だが、あの時までは、公安は静観していたのだろう?」
アレックスはまたハヤシに視線を移した。
(くっそ。あんた達の弁護をしてやってるんだ。少しは何か言ったらどうだ)
心中の罵倒が三人の精神感応者にダイレクトに伝わる。思わず吹き出しそうになるが、それでも弁護せざるを得ないアレックスの思いを汲んで、真顔のまま聞き入った。
「公安が、超常能力の可能性と危険性に気づいたのは、サムソンの事件を精査してからですからね。第二のサムソンも、第二のイウサールの帝国も出現させてはならない。そのためには超常能力者を孤立させてはならない」
「目的はなかなか崇高だが、やり口はきれいではないな」
ふっとサッタールは頬を緩めた。アレックスが彼らしくもなく弁舌を振るっているのも、その公安の目的に重きを置いているからだ。
サッタールは、腕を組んだまま動かないハヤシの心をもう一度撫でた。この男は、自分の胡散臭さも、信用のなさも自覚している。だからアレックスに言わせるよう仕向けたのだ。
その姑息さが癇に障るが、アレックスはそれをも承知したいた。
「アレックス。公安の目指しているものは理解した。私自身は公安組織に入るのもやぶさかではないと考えている。それで仲間の安全が買え、我々に対する信頼が増すのなら安いものだ。そこで聞きたいのだが、私が公安に取り込まれた場合のデメリットは、あなたから見てどんなものだろうか?」
アレックスは、サッタールの両側を占める二人にも異存はなさそうだと見て取ると、ホッと肩から力を抜いた。
「組織に公的に属するということは、主人と奴隷の関係とは違う。隷属じゃなくて契約だよ。デメリットがあるとしたら、意に添わない命令を受ける可能性、移動や通信の監視を受けるだろうこと。組織を自由意志で抜けることが、恐らくは許されないだろうこと。特に君の場合はそうなるだろう。誰よりも強い精神感応力を持ってるんだから」
「公安に所属したら、死ぬまでということですか?」
サッタールはハヤシに向かって冷ややかに笑った。
「そうですな。逆にあなたが気づいてない大きなメリットもありますよ」
ハヤシはゆっくりと背もたれから身を起こす。小さな目には面白がる光が見えた。
「今のまま、ファルファーレの市民というだけでは、超常能力者は誰も宇宙には行けません。少なくともファルファーレの主権の及ばない他星系には。従って今あなたが勉強していることは無駄になる」
「はぁ? なんで?」
ショーゴが素っ頓狂な声を出す。
「超常能力などというものを他星系国家は決して認めません。いわゆる、科学的に検証もできない能力でもって自国の安全を揺るがされては困るからです。しかしファルファーレの公的身分を有していれば、そしてそれが公務であれば、他星系国家といえども口出しできませんからね。外交官特権で武器の携行を認めるのと同じです」
「別に他星系まで出かけたかったんでもないが……」
サッタールの目標は彗星であり、それはこのフィオーレ星系に属しているはずなのだ。だが確かにそれは思ってもみない盲点だった。
「アレックスが挙げたデメリットについては?」
「意に沿わない命令を下された場合、何が起きるか身を持って体験した訳ですが」
ハヤシはにたりと笑った。
「大規模争乱の芽があり、今ここで主要人物十人を排除しないと、後で数万が死ぬかもしれない場合。しかもその十人の排除を法に則ってできない場合。どうしたらいいと思います?」
サッタールは、三百年前に同胞の命を吸い上げて彗星を動かした男のことを思った。とてもそんな重みには耐えられないと悲鳴を上げたことを。
「排除に私の力を使うと?」
「だって、あったら便利じゃないですか」
青年の葛藤を逆撫でしてハヤシは言う。
「毒物も遠距離での狙撃もいらない。ただあなたの力が充分に及ぶ舞台を作って、自殺させればいい。証拠は残らない。まあ、超常能力者が公安にいることを周知すれば、当然疑われるでしょうが。中央で議案に乗っている超常能力犯罪防止法だって、それが行われたと認定するのは我々ですよ。だから罪に問う者もいない」
心の奥底から激しい嫌悪が噴き上がってくるのを感じて、サッタールは深く息を吸ってそれを押し込めた。
ハヤシは、半ば本気で言っていた。サッタール・ビッラウラは、サムソン元大宙将をそうやって無力化した前例を持っている。相手が能力者じゃないだけで、やることは結局変わらないじゃないかと考えているのだ。
(変わらないな、確かに……)
密かにサッタールは自分を笑った。コラム・ソルを救う為とか、ファルファーレに独裁者を許さない為とか、理由はいっぱいあった。だが、サッタールはあの時、最終的には自分自身の好悪でサムソンの心を砕いたのだ。自分とは相入れないものの存在を許せなかった。
膝の上の拳をぐいと握りしめる。
サムソンを追いやったことは、後悔なんてしていない。ただ、サムソンの残した最期の言葉が不意に蘇る。
――この世界に我々を受け入れる余地などない。
――大海に護られた島を出れば、妬みも蔑みも憎悪も一身に浴びる。
それも半分は真実で、半分は嘘だ。今のサッタールには自信を持って言える。
しかし超常能力者が公安の意のままに、社会の不安定要素の排除をし続けていったらどうだろうか? 人は公安に属さない能力者たちも、恐怖の目で見るようになるだろう。
(行き着く先は、分裂だ)
サッタールは、自分の心の底での思考から、ゆっくりと浮上した。両脇の二人から、お前に任せるという思念を受け取る。次にアレックスの心に触れると、この愛すべき男は、ハヤシに対する憤怒に燃えていた。それでも奥歯を噛みしめてサッタールの返事を待っている。
「私自身が……」
自分でもぎょっとするほどの低い声が喉から漏れた。
「公安に属するのは了解した。だが、自分の意志で公安上部からの命令に服さない自由を条件にする。超常能力は常に安定した力ではない。自身が納得できないことに力は使えない。超常能力は意志の力だ。命令で振るえるものではない。もし意志の方向を誤ったら、それこそサムソンの二の舞だろう。そのときは、必要だと思えば他の超常能力者が私を滅ぼすだろう」
「なるほど。つまり、あなたが自身で必要性を認めた時は、公安の一員として手を汚すという解釈ですか?」
ハヤシは容赦なく確認してくる。
「そうだな、ハヤシ警部。私は既にサムソン大宙将を再起不能にした。それから……」
いったん言葉を切ると、サッタールはイスを後ろに引いて立ち上がり、テーブルの角を曲がった。何をするつもりかとオウが腰を浮かせる中、足を引いて床に膝をつく。
「謝罪が遅れた。私の意志ではなかったと言い訳をするつもりもない。私はあなたを殺すところだった。心から申し訳ないと思う。殺人未遂で拘束し、告訴するならばいっさいの抵抗はしない。あなたにはその権利があるだろう」
背中にショーゴの舌打ちが聞こえた。下げた頭の向こうからはアレックスの深い溜め息も。ハヤシは虚を突かれたように身じろぎ一つしなかった。その心も、驚きと困惑で固まった。
数十秒も経ってから、ハヤシは、やれやれと首を振った。
「告訴はしないと、ミスター・イルマやミスター・クドーから聞きませんでしたか?」
「聞いた」
「それならば何故そんな……?」
「言っただろう。力の源泉は意志だと。私は私のしたことを覚えている。あの女と同化したとはいえ、輪の中の他の誰かではなくあなたに怒りを向けたのは、無自覚の私の意志だ。その上、誰の心も操れるという慢心と油断に気づかなかったのも私のミスだ。あなたが生きているのは、あなたにとっても私にとっても幸運だが、だからといって自分の行為に目を背けていては、次も同じことを繰り返す」
ハヤシは表情を変えずにうなずいた。
「では、その罪償いに誰かを殺せと私が命じたらどうします? 殺すまでいかなくても、誰かを操れでもいい」
「罪を償うのに力を使うというのは承伏できない。もし私がそれをするならば、先も言った通り、私自身が納得しなければ」
「島の安全を盾にとったら?」
「……その場合、排除すべきはあなたと公安だと、私は判断するかもしれないな」
サッタールは唇に不敵な笑みを乗せて顔を上げた。
「怖いですねえ」
ハヤシは笑いをこらえるように呟いて、手で立つように示した。
「実を言うと、倒れた後に娘が病室に来ましてね。十年ぶりに娘が私にとりすがって泣くのを見ましたよ」
タキが聞いたら、とりすがってなどいないと否定するだろうが、ハヤシはにやにやとしながら続けた。
「私はこんな仕事ですし、こんな性格です。娘から避けられることなど当然だと思っていたんですがねえ。いや、やはり悪くはないですな」
「それで?」
「まあ、あなたが取り持ってくれたってことで、あの件は忘れることにしてるんですよ。はい、謝罪は受け付けましたよ。ええ」
ハヤシの本心をアレックスは疑っていたが、サッタールにも他の二人の精神感応者にも、ハヤシがこれ以上あの件を蒸し返すつもりはないことは見て取れる。後は――。
「さて、では具体的な契約の話に移りましょうか? 超常能力が意志の力……私としては感情に動かされているようにも見えますがね……まあ、それはそれとして、そう簡単にこちらの思い通りに使えるとは思ってませんよ。そこを踏まえた公安における超常能力者の扱いを定めましょう」
後日、ファルファーレにおける超常能力者対策としてに以下の提案がなされ、代表会議での承認を得てその扱いが定まることになった。
曰く。
コラム・ソル島はファルファーレ中央府内務省公安部に一名以上の超常能力者を派遣すること。氏名の公表はこれを行わない。
公安部所属の超常能力者は、犯罪(予備も含む)が行われた場合、それに能力が関与したか否かについての調査を行い、公安及び各治安維持部署に対してその判断を通告し、また助言を行う。
中央府は、公安部所属の超常能力者が、その活動において能力の発揮を求められる場合でも、完全なる自由意志を尊重し、これを拒否する権利を常に保有することを無条件で認める。
公安部所属の超常能力者自ら犯罪行為を為した場合、コラム・ソルはその当該人の拘束、取り調べに全面的に協力する義務を負う。
ファルファーレ市民は、いかなる地域の出生、生育であろうと、超常能力の発現が認められた時は、その籍をコラム・ソルに移し、社会生活をつつがなく行えるように一定期間の訓練を受けなければならない。またコラム・ソルは、各人の能力の把握に務める義務を負う。
超常能力の発現を認められた者は全て、公安部及びコラム・ソルに通告され、個人認識データーベースに記録されるが、これを参照できる者は、公安部長及び超常能力者対策課課長、公安部所属の超常能力者及びコラム・ソル代表者に限る。
コラム・ソルは、公安部及び公安部所属の超常能力者から活動への協力が求められた場合でも、長老会議または代表者の意志により拒否する権利を有する。また協力して活動を行う場合には、その責任はコラム・ソルではなく公安部が負う。
公安部における超常能力者の活動に対する予算は、内務省で計上する。
そして、サッタール・ビッラウラが公安部に所属したことは、公に発表されることがなかったにもかかわらず、関心を寄せる全ての組織に対して水面下で知らされることになった。
「ずいぶんとこっちにも義務を押しつけやがったな」
サッタールのPPCにアルフォンソの苦々しい顔が映っていた。
「実際には、島生まれ以外に能力者が発見されたら、そっちで訓練してくれって以外、やることないだろう?」
生真面目にサッタールが答えると、アルフォンソはますます渋い顔をする。
「調印とやらに俺がセントラルまで出向かねばならんじゃないか。お前一人でなんとかしろよ」
「私は公安所属で、コラム・ソルの代表者足り得ないんだからしょうがない。なんならショーゴでもゴータム爺さんでも行かせろよ」
「爺さんは足腰が痛いと寝込んでるぞ。それにショーゴはまだセントラルには行きたくないんだとよ。昔の恋人に会わせる顔がないとかで。ユイはそんな兄貴を軽蔑しきってるがな」
低く笑ったアルフォンソは、それから何気ない風を装って付け加えた。
「それとサハルが妊娠した」
「……父親は誰だよ」
「俺だ」
サッタールはしばらく画面を見つめてから、吹き出す。何があっても動じない男の顔が、微かに紅潮していた。目の前にいたら遠慮なく感情を暴いてやるところだが、今は言葉にして伝える。
「おめでとう。誕生を楽しみにしている」
姉は一度子を失っている。コラム・ソルは男女のつきあいが緩い島だが、子を失う経験をした者はみな一様に臆病になることは、サッタールもよく知っていた。
「姉さんに代わってくれ」
だがアルフォンソは、苦虫を噛みつぶした顔で首を振った。
「女たちと浜に出て、今ここにゃいねえよ。くっそ。やっぱり長をショーゴに移して、あいつをセントラルに遣るか。一度ふられたくらいで尻尾を巻くようじゃ、この先だってやってられんだろ」
「本人に言えよ」
サッタールは、画面に向かって微笑んでみせる。島を出ても変わりなく毒づく人間が、そこにいることが素直に嬉しかった。
「外の人間からすれば、ここはまだ伝説の島だろうしな。ショーゴの甲斐性のせいじゃないだろ」
「ふん。サハルが子を産むなら、島にも癒しの手を持つ人間がもう一人欲しいんだよ。発電所が完成したら、船の医者もいなくなるしな。ショーゴをふった女は看護師だと聞いたぞ」
勝手な言いぐさだが、アルフォンソの本心でもあるのだろう。ショーゴは、しばらくはアルフォンソに尻をつつかれて過ごすことになるに違いない。
サッタールはもう一度笑ってから、通信を切った。
来月からいよいよ宇宙に出ての訓練が始まる。すぐには追っていけないだろうが、あの彗星に少しでも近づけるのだ、静かな興奮がその胸を満たしていた。
次回は10月7日を予定しています




