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第四章 彷徨う心(7)

 ピッ、ピッと小さな電子音の鳴る部屋の中央に、サッタールは寝かされていた。そしてその周囲をコラム・ソルからやってきた超常能力者が取り囲む。


「また事故が起こらんといいがねえ」


 その様子をガラス越しに見ながらぼそっと呟くハヤシに、アレックスは苦笑いを返した。


「あなたが手配したんでしょうに」

「そりゃあ、あのままミスター・ビッラウラに寝てられても困るじゃありませんか。理性を保てる状態になければ、たとえ眠っていても危なくて近寄る気がしませんな」


 そう言いつつもハヤシは、アレックスと協力して渋るガナールを説得し、一度に七人もの能力者をここに招いた功労者だった。その間に何度も病室に出入りして、サッタールの様子を確認しているのも、アレックスはよく承知していた。


「ミスター・ガナールは結局出てきませんでしたな」


 ハヤシの残念そうな声に、アレックスはもう一度苦笑を浮かべる。


「彼は島の最終責任者ですからね。ここに力の強い者全員が集まる訳にもいかないでしょう」


 俺をここから出したければピンピンしたサッタールを連れてこいと言い放った男は、どっしりとコラム・ソルに居座って微動だにしそうにない。

 アレックスは縮れた前髪を無意識に撫でつけてから、そっと背後の気配を探った。

 見学という名目で、ハヤシの娘であるタキとその従兄弟のケルナー、それに事故に居合わせたレワショフが控え、エステルハージが保護者然と彼らの横に立っていた。皆、真剣な目でガラスの向こうを凝視している。

 大学側からは、他にも学長やら脳科学者やらが来ていたが、コラム・ソルの者たちはもちろん、アレックスもハヤシも気にしていなかった。


「今回は輪に入りませんから、我々には何が起きているかさっぱりですな」


 ぼそっとハヤシが呟く。その口調に微かな憧憬が込められているのを感じ取って、アレックスは青い目をしばたかせた。


(まさか、羨ましがっている……? いやでも、ミスター・ハヤシのことだからわざとそう聞こえるように言ったのか? 何を考えてんだ?)


 人の心を読みたいと思ったことなどそうはないが、この瞬間は精神感応力が欲しいと思った。

 過失であっても傷害事件ではと懸念した大学側に対し、ハヤシは笑ってその意見を退けた。自分に危害を加えた人物がいるとしたら五百年前の誰かであり、その人物はとっくの昔に死んでいると。

 公安に訴えるつもりがいなことを知って、大学側は急にサッタールの蘇生に協力的になった。訴えられることになったら、意識のないまま引き渡すつもりだったのだろう。

 大学の自治などこんなものさと、エステルハージは皮肉ったが、それだけこの惑星の内部に公安の力が浸透している証左でもあった。


(軍の中にいると全然わからないものだよなあ)


 同じ立場だったエステルハージがそれを予測していたのにも驚いたが、それよりなにより、アレックスは超常能力者対策のチーフがこの胡散臭いハヤシであったことに素直に感謝した。


(案外度量が大きいじゃないか……いや待てよ……もしかしたら告訴しない代わりにとか言い出すつもりなのか……?)


 またわからなくて、横目でハヤシを盗み見して首を捻る。すると当の本人がうっすらと笑顔を浮かべた。


「見るものが違いますよ」

「いや、失敬」


 視線をガラスの向こうに戻すハヤシを確認して、アレックスもまたサッタールを取り囲む超常能力者たちを見つめた。サハルがいる。その隣に立つのは驚いたことに、ショーゴの妹のユイだ。まだ十歳を過ぎたばかりなのに、この場に参加するほどの力なのだろうか? 同様に驚いたのは老ゴータムの姿だった。


(あの爺さんは、もう力は枯渇したとか言ってなかったかな?)


 それこそ心臓発作でも起こしたらどうするんだというアレックスの心配をよそに、コラム・ソルの長老ゴータム・サスティは意気軒高な様子だった。




「サッタールに入り込むのはサハル一人じゃ。後の者はサハルを支えればよい。わしは輪のモニターを務めるからの」

「どこまで追っていけるかわからないけど」


 サハルは生気のない弟をじっと見つめた。


「追う必要なんぞないぞ。お前さんはサッタールの入り口から呼べばよいだけじゃ。あれは時空を越えても聞き取るだけの力を持っているはずじゃ。たとえ迷っていても、お前の声を感じたら、正しい道は自分で見つけるじゃろ」


 しわがれた声には何の憂慮も含まれておらず、輪を作ったメンバーもホッと力を抜いた。


「しょうがないなぁ、サッタールは。心配ばかりかけるよね?」


 幼いユイが生意気な口を叩くと、ショーゴが渋い顔をした。


「なんでお前が来るんだよー。うるせえってサッタールが途中で回れ右しちまうだろ」

「お兄ちゃんがしっかりしてないからじゃない?」


 言い返したユイはもちろん、他の者たちにも事の発端であったショーゴの元恋人の話は知れ渡っている。いろいろ不可抗力で、こっちの世の中は複雑なんだよという言い訳は、少なくとも妹には黙殺されて、ショーゴの立場はないも同然だった。


「サッタールを巻き込んだのはお兄ちゃんで、それとは別に勝手にどっか飛んでっちゃったのはサッタールなんでしょ? それにあたしはワガママでここに来たんじゃないよ? ちゃんと力の性質と大きさを認められたんだからお兄ちゃんは口を出さないで。まあ、あたしたちがついてるんだから、ここは大船に乗ったつもりで……いたっ!」


 黙って妹のおでこの真ん中を指で弾いたショーゴは、それでも殊勝に輪のメンバーに思念を送った。


『世話をかける』


 それぞれから弾ける泡のように『気にするな』と返されて、ショーゴは肩をすくめた。

 島では、誰かが不調ならば、できる者が、あるいは全員がその回復に力を尽くすのが当然だった。繋がることで問題を解決してきたのだ。遙か、昔から。

 サハルがイスに座ってサッタールの手を取る。ベッドを囲む者たちは頭を下げて目を瞑った。サッタールに呼びかけるサハルに向かって、それぞれの力を放出し、それをユイがまとめてサハルに受け渡すのだ。

 外から目に見える変化は何もない。だが、精神エネルギーが川のように流れ出し、サハルはその力に押されるようにサッタールの中の虚空に向かって叫んだ。弟の名を。




 始まったな、とアレックスが呟くと、固唾を飲んで見守っていたナジェーム大学の学長が、アレックスとハヤシの間に首を突っ込んで訊いた。


「ずいぶんリラックスしているように見えましたが、いつもあんなものですか?」

「さあ、私も実際に見るのは初めてですので」


 つい数日前も似たようなことを体験したのだが、その詳細を今ここで語るつもりはない。


「特に前もって準備などもないのですなあ。何か、こう……精神統一の儀式みたいなものでもあるのかと思いましたら、談笑をやめたとたん、なのですな」

「そうですね」


 宗教的な興奮状態の精神エネルギーとは違うのだ。彼らにとっては日常の延長に過ぎない。


「それで、今回は危険はないのですな?」


 学長は興味津々であるのを隠そうともせず、ハヤシの顔をじろじろと見た。


「さて? 危険があるかもしれないとお思いならば、ここを離れられたらいかがです? 私は彼らに全幅の信頼を置いてますがね」


 ハヤシは視線を向けることもなく、だがにこやかに答えた。学長は、ほぅと溜め息で感心を表すと、素直に出ていく。信頼できないというよりも物理的に忙しいのだろう。

 脳科学者は、ガラスの向こうの光景よりもサッタールに取り付けた脳電位の方が気になるらしく、瞬きもせずにモニターを睨んでいる。


「せ、精神が時空を越えるって、ど、ど、どういう現象なんだろうね?」


 アルヴィンが緊張に耐えかねたように、そっとタキに話しかけた。


「あの個室を観測している測定器は特に変化を示していないが」


 タキの代わりに脳医学者が答えた。


「始まった瞬間から、彼の脳は明らかに活動を増している。何らかの要因で共鳴現象を起こすのだと私は考えているがね。その要因が今のところさっぱりだ。しかも彼らは個体によって影響を及ぼせる対象も違うと聞いた。となると、なおさらわからんな」


 わからないままでいいじゃないと、タキは無言で考えていた。彼らの持つ超常能力を解明してどうしようというのだろう。同じ能力を持つアンドロイドでも作ろうというのだろうか?


(そんなAIはいらないわ)


 古い地球の文明を受け継いだ幾つかの星では、高機能AIの反乱さえ起きたという。そうでなくても、サッタールとショーゴがアンドロイドに襲われそうになったという話は、彼女を震え上がらせた。

 優秀なAIを作りたいというタキの夢は、目標を失いそうになっていた。



***



 子供の側を離れたサッタールは、あてどもなく宙を彷徨っていた。戻らなくてはならないという意識はあった。だが、自分がどこにいるのかわからない。

 ある時は、剣や弓で争う人間たちを見た。

 またある時は、森を焼き払って畑に変え、地面を掘って化石燃料を探す人々を見た。


(違う。これは過去だ。私の生まれたあのファルファーレはどこだ?)


 必ずしもブルーノ大陸にばかりいるわけではないらしい。時には海辺に、または山中に、氷原に、サッタールはいた。それでも見上げるごとに位置を変えるトゥレーディアとロビンの二つの月は、サッタールの心を落ち着かせた。

 ファルファーレから離れてしまった訳じゃないのだ。

 もし間違えて幼い自分と出会ってしまったらという恐怖は考えないことにした。これは夢ではなく、実体はないものの自分自身が迷っていることは理解している。だからたとえ時間がズレていても全く同じ自分と同じ空間に出てしまえば、何が起こるかわからない。

 サッタールは心の目を瞑ってもう一度ジャンプした。




 奇妙な浮遊感に目を開けると、覚えのある引力を感じた。

 空に目を向けて、心が恐怖に凍る。


(彗星……っ!)


 短く尾を引く小天体が夕暮れの空に浮かんでいた。


(これは……私の見た彗星なのか? それとも……)


 あの日。コラム・ソルの海を沸き立たせた彗星なのかと混乱しかけて、サッタールは再び目を剥いた。

 何かの巨大なエネルギーが彗星にぶつかっていた。その力は、爆発するような衝撃ではなく、じりじりと空の小天体を押していた。


(こんなことが――っ! どうやって?)


 彗星は、重さだけでも一兆トンを超えるのだ。その上猛スピードで公転している。それを、見えない力がわずかでも進行方向をずらそうと懸命に押していた。


(そうかっ。これが三百年前の彗星かっ)


 大きな被害を及ぼさなかったせいで、歴史の中に埋もれてしまった彗星。だがそれは幸運によるものではなかった。

 二万人を越える超常能力者たちが、何重にも輪を作って力を集めているのだ。

 じりじりと彗星に力がかかる。軌道をずらすのはほんの少しでいい。だがその僅か数メートルを動かす為に、どれほど巨大なエネルギーがいることか!

 傍観者のサッタールには、そのエネルギーから、ポロポロと力が抜けていくのがわかった。

 普段自分たちは、脳の血管が切れ心臓が止まってしまう前には輪から離脱する。意識を手放せばそれは容易なはずだ。だがこの輪は違った。

 誰か、揺るぎない意志を持った者が、輪からの離脱を許さないのだ。だから、輪に入っている能力者たちは、力の弱い者から次々に死んでいく。


(なんて……ことを……)


 輪の中心にいる者は、その痛みを脳に直接感じているはずだ。

 二万の超常能力者が三分の一になるまで。つまり、一万数千人分の死の恐怖と痛みを背負った者が、力を操り、彗星を動かしている。

 サッタールは悲鳴を上げそうになった。自分には無理だ。嫌だ。そんなに多くの命を背負うことなんて、できない――っ!


 不意に、空に向かっていた巨大なエネルギーの束が消えた。彗星はまだ浮かんでいる。だがサッタールは知っている。あの彗星は、植民時代はもちろん、自分たちの時代と比べてすら軽微な被害しかもたらさないのだ。

 一万五千人の命を代償にして。


『君は、誰だ?』


 呆然と立ち尽くしたサッタールに、一人の声が話しかけた。


『君は、我々の仲間ではないな。輪から外れた者でもない。君は誰だ? なぜ身体を持っていない?』


 その声は疲れきっていて、今にも倒れそうだった。


『あなたは……あの輪を操っていた人なのか?』

『違う』


 疲れきった声が答える。


『サスティは死んだ。もう誰も輪を維持できる者はいない。我々は失敗したのだろうか?』


 サスティというよく知る名に、サッタールは小さく首を振る。このサスティは、あのゴータム爺さんじゃない。


『私は、未来から心を飛ばして……今は迷子なんだ』

『迷子?』


 声はクスッと笑った。


『心が迷子か。予知夢を視る者も、過去視をする者もいたが、心全体を飛ばすようなうかつ者は知らないな――いや、待て。未来から来たと言ったのか? それなら君は結果を知っているのか? あの彗星は――?』

『彗星は、あなた達の時代に惨禍をもたらさない。少なくとも人類が滅びるような大災厄は』


 サッタールはまた、自分の時代を思い浮かべる。あの絶望の中にいた子供に見せたのと同じものを。


『驚いたな。だが、そうか。ファルファーレはずっと繁栄していくのか』


 心から安堵しているその声に、サッタールは迷いながら告げた。


『だけど、これから大陸間の抗争は激しくなって……』

『ああ、なるほど。そうだろうな……我々のこの大虐殺も意味はあったかもしれんが……無駄とも言えるな……』

『大虐殺?』

『他に言い様はないだろう。サスティは二万の心を縛ってアレに立ち向かわせて、そして死んだんだ。彼自身もね』


 声はまた疲れきった様子で、吐き捨てた。

 そこに、サッタールたちに伝えられてきたような英雄的な興奮は微塵もなかった。


『ありがとう。だがこれ上は聞くまい。この先を決めるのは僕たちだからね』

『あなたは?』

『僕は、輪に入らなかった唯一の能力者だ。サスティの野郎が、後を頼むと弾きやがった。しかし我々の大半が力を失ったと知られたら、ここを攻め込まれる。その前に脱出しないとな』


 もちろんサッタールは、その行き先を知っている。コラム・ソルだ。生き残った彼らが自分達の直接の先祖になるのだ。


『さて、迷子の君をどうにかしてやれる余力はないよ。無事に帰るんだよ。君自身の世界へ、サッタール・ビッラウラ』


 なぜ自分の名をと思うと、声はふっと笑った。


『聴こえないかい? 誰かが君の名を呼んでいる』


 サッタールは意識を研ぎ澄ませた。


 ――サッタール! どこにいるの?

 ――サッタール・ビッラウラ。私よ。サハルよっ!


 姉の声が微かに聴こえた。


『女性を泣かせてはいけないよ。一人前の男なら』


 声がすっと遠くなる。


『ありがとう、サッタール。君のおかげで我々は全滅しないと確信できた。君は希望をくれたよ。それじゃあ……』


 礼を言われるようなことはしていないと思った時にはもう、サッタールの心は舞い上がっていた。

 サハルの――姉の呼ぶ声を頼りに。


次回は9月18日を予定しています。

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