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第四章 彷徨う心(6)

 サッタールは、再び宇宙空間にいた。前回はサムソンと戦った後だった。


(前も今度も。人の命を奪ってここに逃げてきていたのか……)


 あの時は自分の身体の感覚もあった。だが今回は、ただ精神だけがふわふわと浮いていて、手も足も感じない。


(それとも、私も死にかけているのか……?)


 ショーゴが事故で死にかけた時、確か手足どころか感情が希薄になって思考も散漫になりかけたと言ってなかったか。

 不思議と怖くはなかった。痛みも苦しさもない。島の者たちや大学の同級生の顔を思い浮かべたが、彼らだって自分がいなくても生きていけるだろう。

 前回は確認できたファルファーレも、今度は見えない。ずいぶん離れてしまったのだろう。ただ太陽である恒星フィオーレはさすがにくっきりと輝いていた。


(ここは……もしかしたら星系の黄道面じゃないのか?)


 予感がして、フィオーレから目を背けて虚空を睨む。

 前回も感じた引力が、確かにその先にあった。見えない彼方に。あの彗星の故郷があるはずだった。

 なぜ彗星が超常能力をもたらすのか。人類の遺伝子に潜り込み、変異させ、自分たちを生み出したのか。それを知りたかったのではなかったのか?

 全てを滅ばしてやると叫んだ女の絶望が、感情を枯らしたと思っていたサッタールの胸を焼く。


 ――なぜ私たちはこんな存在なのだ?


 それは、多かれ少なかれ、この数百年の超常能力者たちの心の叫びでもあった。

 あの彗星は、小惑星帯から来ているのではない。フィオーレを取り巻くオールトの雲か、もしかすると更に先からやってくるのだ。

 そこに何があるのか。あの彗星と同じものが他にも散らばっているのか。


(くっそ……私は……まだ死ぬわけにはいかない)


 ようやく星を追っていける場所に立とうとしているのだ。島の者たちの生活は、アルフォンソが守るだろう。アレックスも協力してくれる。だが彗星を追う者は自分しかいない。


(帰るぞ。ファルファーレに)


 もう一度虚空を睨んでから、サッタールは恒星フィオーレを振り返った。精神体には時間も距離も関係ない。ただ帰るという意志があれば、見えなくてもファルファーレに戻れるはずだった。








 そこは鬱蒼とした森だった。サッタールが見慣れたものよりも二周りは大きい木が、枝と根を絡ませていた。

 木の葉の隙間からのぞく空は、青く澄んでいた。潮の匂いはしないから、ここはコラム・ソルではない。


(私は、また間違ったのか?)


 不安を覚えたが、今度はおぼろげながら身体感覚があった。なにしろちゃんと重力を感じるのだ。惑星ファルファーレの。

 過去視なのだとはわかった。以前もアレックスの過去や植民時代を視たことがあった。だがその時よりもずっと現実感がある。

 足を出し、うねうねとした根を踏む度にその感覚が足裏に伝わる。まるで身体ごと飛んだように。それでも自分が実体のない存在なのは、いくら歩いても喉も渇かなければ腹も空かないから間違いない。


 しばらく歩くと、森が途切れて風の吹き抜ける岩場に出る。すぐそこは崖で、眼下に川と平原が見渡せた。


(ここは……?)


 足下の崖は数百メートルはある。右手には茶色っぽい砂埃がたっていてよく見えない。だがその遙か向こう、盛んに噴煙を上げる山はわかった。ブルーノ大陸一の高山、ディアボロ火山だ。

 そしてサッタールの左側には、白い窪地が見えた。いや、窪地などという規模ではない。半径数十キロもある巨大なクレーター。

 かつての植民都市のなれの果てだった。

 もちろんここからでは詳細は見えないが、それでも生命の種が途絶えた場所であることに変わりはないだろう。サッタールの時代になっても、そこは一種の立ち入り禁止区域なのだから。


(視界に入る限りでは、大きな人工物は見あたらないな。ということは、少なくとも私の時代から三百年以上は前か……?)


 三百年前には既に、空には人工物が飛び、各地に工場が建っていたはずだ。大陸間で戦争が起こるほどに。

 風が吹き抜けて、サッタールの実体のないはずの髪をもてあそんだ。なぜ、この時代に飛んだのだろう。それも人間の気配もない土地に。


 サッタールは一つ深呼吸をすると、思い切って崖から空に向かって飛んでみた。ふわりと身体が浮いた。と思った次の瞬間、ものすごい勢いで下へと引っ張られる。


 景色が絵の具を流したように霞んで、気がつくと一面の野原に立っていた。サッタールの腰ほどまで伸びた草は、下手に触れると指を切る。

 今度は夜だった。小さな昆虫たちが草むらの根元で鳴いていた。

 見回してもあの崖は見あたらないから、ずいぶん離れた場所なのだろう。

 重力の小さな星の上を歩くように、一歩ごとにふわりと飛びながら移動すると、周囲を高い壁に囲まれた町の灯りが見えてきた。


(町を壁で囲ってるってことは、地上の敵がいるってことか……?)


 敵とはなんだろうか? この時代にはまだ大型肉食獣が森を闊歩していたからか、それとも――?

 サッタールがぼんやりと考えた刹那、人の気配がすぐ近くにした。痛みと恐怖に塗りつぶされた心。


『誰だ?』


 念話で小さく呼びかけると、怯えた気配がいっそう縮こまる。実在のない視覚に小さく光る精神の輝きが映った。それは二十歩先の草の間にしゃがんでいる子供の光だった。

 子供は泣いていた。声を殺しているのは、自分を襲うものたちから隠れる為だ。だから、唇が切れるほど強く噛みしめて、声もなく泣いていた。


『私の声が聞こえるか?』


 なるべくそっと問いかける。これまでの過去視で、その時代の人間と接触を持ったことはなかった。だが、この子供の胸を抉るような悲嘆を、とても見過ごすことはできなかった。


『……どこから話しかけてるの? 僕を連れ戻しにきたの?』


 間をおいて答えた子供の心には、誰かに見つかってしまった恐怖と諦め、それと僅かな安堵が見える。


『私は通りがかっただけだ。お前を害することもないが、助けてやることもできない』

『通りがかり? こ、こんなところに? じゃあ、あんたは奴隷じゃないの? 能力者なのに……? でもこんなところにいたらルーガオスに食べられちゃうよ。それともあんたはルーガオスを恐れないだけの力を持っているの?』


 子供の心から疑問が次々に湧いて出る。サッタールはふわりと宙を飛んで、子供のすぐ目の前に降り立った。

 夜目にも鮮やかな金髪の子供は、びっくりしたように顔を上げた。が、すぐにその水色の瞳が不安げに彷徨う。


『あんた……心だけ飛ばしてるの? そんなことができるの? 僕の前にいるって感じるのに、見えないよ……』

『そうだ。私の身体は別の場所にある。それよりお前はどうしてこんなところに一人でいるんだ? 逃げてきたのか?』


 子供が短く息を飲んだ。心に様々な想念が浮かぶ。


『逃げられやしないよ……。でも母さんは死んだ。だから僕はもう生きてなくてもいいんだ』


 母さんという言葉と共に、サッタールの左手の小指が激しく痛んだ。見れば子供は右手で左手をしっかりと握っていた。


『そうか……お前はあの女の子か……』

『母さんを知ってるの? 母さんは……主人に逆らって、主人を殺して、それで……殺されたって。僕も反抗するんじゃないかって、だから町から出されて……』


 子供の声が喉に張りついたように掠れ、唸るような嗚咽がしばらく草の間に響いた。


『僕……もう生きていなくても……』

『そんなことあるかっ!』


 サッタールの憤る思念に子供の身体がびくっと震えた。何歳くらいだろうか? ショーゴの妹のユイは十歳だが、それより小さく見える。指の他に傷はないようだったが、心が萎縮して、なにより腹を空かせていた。

 実体があるならば、できることもあっただろう。が、ポケットを探って飴の一つも取り出すことはできない。抱きしめてやることも。涙を拭いてやることも。

 サッタールは、自分の心を子供に添わせ、くるみこんだ。


『いいか。お前の生きている時代は、超常能力者にとっても、その他の人間にとっても生きるに厳しい。だが、いつかは……力のあるなしに依らず、人はもっと安全に、自由に生きられるようになる』


 心にコラム・ソルの美しい海を浮かべる。そしてセントラルの賑わいを。宇宙に向かって飛び立つシャトルを。惑星中から学生が集まる大学を。

 子供の心が僅かに緩むのが伝わる。

 この子供が誰かの先祖なのかどうか、知らない。だがこの時代の人間が生き延びたからこそ、サッタールたちが生まれ、生きているからこその葛藤に悩んでいるのだ。


『私はお前を助けてはやれない。実体がないからだ。それでも言う。生き延びろ。生き抜いて、まず仲間をつくれ。世界はこのままじゃない』

『でも、母さんは……』

『お前の母親は、お前を死なせたくて反抗したんじゃない。だから生きるんだ』


 自分の言葉のなんと薄っぺらいことかと、自嘲しそうになるのを、あわてて押しとどめる。今、この子供に必要なのは、そんな自虐ではない。希望だ。

 希望を持たなければ、過酷な道を歩いてはいけない。


『奴隷とされた超常能力者たちも、集まれば恐れることはなにもない』

『でも、どうやって……?』

『呼びかけるんだ。心で。お前にはその力があるだろう?』


 目を瞠った子供が、ゆっくりと立ち上がった。


『あの町に味方がいないのなら、もっと遠くへ呼びかけるんだ』

『届かないよ……』

『届く。それならば私にも手助けできる』


 サッタールは子供に添わせた心に、自分の力をつぎ込んだ。宇宙空間にいたときは、全てが希薄になっていくような気がしていたものが、今は充実している。

 膨大なエネルギーが子供の中に流れ込み、子供の自我を押し上げる。


『さあ、呼べ。救いを求めるんじゃない。仲間を呼ぶんだ』


 子供が深く息を吸い込む。

 絶望の先を照らす光を求めて、子供は呼んだ。自分の仲間を。くびきから自らを解き放つ狼煙を上げた。


『声が――僕の声が聞こえたら応えて!』


 子供は言葉を探すようにいったん思念を納め、再度、最初よりも強く呼びかけた。


『僕に応えて! 僕たちはもう家族が死んじゃうのを隠れて見てるんじゃなくて。僕たちは、みんなで仲間になるんだ。みんなで集まって、みんなで暮らそうよ! もう奴隷なんて嫌だっ!』


 言葉は幼く、拙く。単なる子供の悲鳴にも聞こえる。だがサッタールの力に支えられてその声は大陸中に聞こえただろう。

 そして精神感応は、子供の言葉の裏に込められた悲嘆と共に、言葉にならない欲求と意志も伝えるのだ。


 ――もう他人から搾取されるのは嫌だ。

 ――もう愛する人のくびきになるのも嫌だ。

 ――集まろう。いろんな力を集めて、この世界を変えよう!


 幾ばくもたたないうちに、さざ波のように返事が返ってくる。子供はその圧力に頭を抱えたが、それでもしっかりと立っていた。


『君は誰だ? 今どこにいる?』


 そのうちの一つが、子供に力強い思念を送ってきた。


『僕は……ナジェームの町の外に……』

『わかった。そこを動くな。迎えに行く』


 子供と繋がったままのサッタールには、思念の持ち主が非常に力の強い精神感応者だとわかった。そして、奴隷状態にない仲間を見つけた喜びに満ちていた。


『仲間は見つかっただろう?』


 ショックにならないように少しずつ子供から心を話しながら言うと、子供はまた座り込んで空を見上げた。星が満天に輝いていた。まるでコラム・ソルの浜辺で見たように、人工の灯りに邪魔されることのない荒々しい空だった。


『うん……。でも母さんはもういない。もっと早くあんたに会って、母さんに呼びかけたかったよ……』


 ぐずと鼻をすすり上げた子供は、やはり幼い子供でしかない。


『そうだな。だが私をここに呼んだのは、おそらくお前の母親だ』

『母さんがっ? でも母さんはもう……』

『ああ、その瞬間は私も知らない。ただ……』


 サッタールは言い淀んだ。記憶にしっかりと障壁をたて、子供の母親が抱いた憎悪と絶望に染まった心を封じ込める。

 こんな時、精神感応は不便だ。うかつに触れれば嘘はつけない。だからサッタールは母親の記憶ではなく、自分の言葉に換えて伝える。


『お前の母親は、お前のことを案じていた。それを負担に思う必要はないが、お前が生きていることを知ったら喜ぶだろう』

『ねえ、教えて。母さんは……僕のために殺されたの?』

『違う。詳しくは知らないが、やりたくない、やってはならないことを命じられたんだ。それを拒否した代償がお前の指だ。だがそれでも彼女は折れなかった。優しい、誇り高い人なんだろう』

『そ……か……。母さん……』


 また子供がうずくまって泣いた。

 空が白みはじめて、この世界の超常能力者の気配が近づいてくるまで、サッタールはそのまま子供の側にいた。


次回は来週、9月16日になります。ゆっくり更新で申し訳ありません。

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