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第四章 彷徨う心(4)


「そういえば機密の方はよかったのか? あなたの精神は非常に安定しているし、巧みに知られたくないことを心に浮かべないだけの堅固さも持っている。無理に暴くつもりも操作するつもりもないが、それでもうっかり思い浮かべたことはここにいる全員にそのまま伝わるぞ」


 ハヤシは鼻の頭にしわを寄せた。


「構いませんよ。それを恐れていては超常能力者対策のチーフなんぞ務まりませんからね」


 ハヤシは、サッタールも他の人間も信じている訳ではない。そこがアレックスとは決定的に違う。それでも泰然としていられるのは、ここで何らかの機密が漏れてもそれに対処できるという強烈な自負心があるからだ。

 サッタールはハヤシの返事にうなずくと、机を隅に寄せて、公安警部を部屋の中央に立たせた。

 サッタールの両側にレワショフとアレックス、そしてエステルハージとショーゴも加わって手を繋ぎ輪を作る。

 コラム・ソルではよくある光景だが、傍目からすれば奇妙な儀式に見えるだろう。男ばかりが狭い部屋で手を結んでいるのは。


「私は立っているだけでいいんですか?」


 ハヤシが神妙な表情で尋ねた。


「私の肩に手をおいてくれるとやりやすい」

「こうですかね?」


 両手があがり、サッタールの肩を軽く掴む。中年らしく肉がついたハヤシだが、その手は意外に骨張っていた。


「それでどういうことがおきるんです?」

「私があなたに話しかけるから、あなたはそれを答えるだけでいい。ただし、心に浮かんだことは口に出さなくても私を通してそのまま全員に伝わる」

「なるほど。あなたが中継器ってことですな。しかし、あなたが私になりすましたり、思考を編集したり、できるんじゃありませんか?」

「できるだろうな。だがあなたになりすませるほど私はあなたに馴染んではいないし、精神感応にタイムラグはないから編集すれば不自然な間があく。少なくともショーゴにはわかるし、注意深い者なら気がつくだろう」

「それも訓練次第で不自然にならなくなるのでは?」

「そうかもしれないな。だがやるつもりはない」

「そうでしょうな」


 わかったようにうなずくハヤシに、サッタールはふと不安を感じた。公安に、なにができてなにができないかを披露してよいのだろうか。

 ここまできて腹の据わらない自分に嫌気がさす。


「……始める」


 一言告げて、サッタールは目を瞑り、遮蔽をおろした。右手にレワショフの大きな手を、左手にアレックスの暖かい手を感じる。二人の緊張と励ましが流れ込んでくる。

 次に二人が繋いでいるエステルハージとショーゴの心が繋がる。

 最後に、目の前のハヤシの精神に触れた。

 ハヤシの思念は、好奇心の興奮に彩られている。それが渦を巻いて、やがて一つの問いにまとまった。


『五百年前から我が家に伝えられた陶板の内容を知りたくないですか?』


 同時に、ハヤシの脳に灰色の板が浮かび上がる。陶板のことを知らないエステルハージとレワショフがわずかに身じろぎをした。


『聞かせてもらおう。一体、私たちの先祖がどんな暮らしをしていたのか』


 サッタールが答えた。とたんにハヤシの思念がさあーっと広がり、何十枚も重ねられた陶板の中に立っていた。


『一番古い記録はこれです』


 ハヤシの言葉と同時に、陶板の文言が奔流のように輪の中に流れた。


《我が家に援助を求めてきた三人は、南大陸から来たと言った。今、南ではいくつもの勢力が殺し合いをしている。驚いたことに勢力を誇っているのは、超能力者たちではなく我々と同じ人間たちだ。私は彼らに、何の援助を求めているのか聞いた。南の混乱に巻き込まれたくはなかったからだ。しかし彼らが求めていたのは、衣食住の保証のみで、代わりに彼らの才をこの農場に使ってくれると言う。私は彼らの要求を飲んだ。どのみちこのままでは、農場はルーガオスに荒らされて収穫も望めず、この星の破傷風菌に犯され、我々も生き残れはしないのだから》


『これは災厄の後しばらくしてからの記憶を数十年後に記録したものだと思われます』


 アレックスが思念を割り込ませる。


『ルーガオスというのは?』

『確か五百年ほど前に絶滅したファルファーレ固有の大型肉食獣だ。体長五メートルもある獰猛な奴らしいな。映像は残ってないが、絵なら見たことがある』


 エステルハージが博識なところを披露した。


『そうです。星を渡るほどの高度な科学文明を失った我々は、あらゆる災厄に怯えながら生きのびてきました。有害な動植物、未知のウィルスや菌。そして生存のための人間同士の闘争。全滅してもおかしくはなかった』


 レワショフの脈拍が速い。ハヤシの言葉は重々しく、人が次々と倒れていくイメージを伴っていた。


(これは……天性のアジテーターだな)


 繋がった心の裏で、サッタールは密かに思う。

 ハヤシは、無意識に自分の言葉にふさわしいイメージを紡いでいる。それが心を繋いだ者たちにダイレクトに届くのだ。


(精神感応力もない、むろん精神操作ができる訳でもない。それなのにハヤシのビジョンに心を奪われそうになる。サムソンと同じように……)


 サッタールが戦慄を押し隠していると、不意にアレックスがハヤシの思念を難なく遮った。


『超常能力者が支配者にならなかったのはなぜだろうね? 現代のような科学を持たない世界ならば彼らの力は絶大だっただろうに。人口差も今よりも少なかったでしょう?』


 アレックスの疑問も気になるが、このハヤシのイマジネーションにさほど影響を受けていないらしいことにも、サッタールは驚く。囚われそうになっているのは自分だけなのかと。


『それが鍵ですな』


 ハヤシの思念がすぐに答えた。


『記録された陶板は全部で三百六十二枚。星紀二三八年から二年間に記されたものでした』

『百年分の記録ではなかったのか?』

『当時のハヤシの当主が、伝えられた百年間の記録を超常能力者の妻に記録させたものですよ。娘が読んだのはほんの一部なので、そこまでわからなかったのでしょう』

『妻? ハヤシ家の先祖に能力者がいたのか?』

『そうなりますなあ。だから娘を調査面談にやってみたのですが、まあ五百年も経てば血が薄れても不思議じゃない』


 ハヤシは、思念で聴覚を刺激するような笑い声を響かせた。


『それで。超常能力者が支配層にならなかった理由ですがね。私が陶板を読み解いた限りでは、彼らにその気がなかったとしか言えませんな』

『その気がなかった……?』


 レワショフが不信の念をつぶやく。


『段階的なテラフォーミングの最中にあった植民団は、ブルーノ大陸に築いた居住区内でのみ安全な生活を約束されていました。区域内では、土から洗浄され、有害な菌もウィルスもいなかった。地球から持ち込んだ食用の動植物は工業的に育てられ、全てが整然と管理される世界でした……』


 そこに彗星が近づき、強力な電磁波で社会の根幹を破壊した。暴走する原子炉を止める術もなく、避難する為の手段もなく、植民者たちは呆然と空を見上げた。

 全てが灰に帰した後、生き延びた人々は大陸の北を目指した。山脈が汚染された土地の砂と風を少しでも遮ってくれることを祈って。


 そして災厄から十年ほど経った頃。小さな集落をつくって身を寄せ合っていた者たちの間から、不思議な力を持った子供たちが生まれてきたのだ。当初、まだ科学知識を十分に保持していた彼らは、この子供たちは、何らかな理由で遺伝子汚染されたのだと断じた。絶望し、空を呪い、大地の荒廃を嘆いた大人たちは、せっかく生まれた新しい命を摘みとろうとさえした。

 だが一方で、その力を生きる為に使おうとする大人たちもいた。


『彼らは超常能力を持って生まれた子供たちを徹底的に管理しました。親たちから引き離し、孤立させ、罪を背負った存在だと洗脳し……。生きる為と罪悪感から従順になるように』


 ――さびしいよ、くるしいよ。だれかたすけて!


 そう叫んだ一人の子供の声は、似たような境遇におかれた他の子供たちと繋がっていく。


『その当時、ファルファーレにどれくらいの人間が生きのび、どれくらいの超常能力者が生まれたのかはわかりません。割合は今より多かったでしょうが、それでも少数派ではあったでしょう。最初は能力者の子供たちを去勢すらしたようですが、それでもとぎれなく生まれてくる。やがて超常能力者たちは彼らだけのコミュニティを持つようになり、力を持たない者たちと対立し、あるいは協力し、ファルファーレの歴史を作っていきます』

『ハヤシ家から超常能力者たちが一斉に姿を消したというのは?』


 サッタールが訊いた。ハヤシの描くイリュージョンの鮮明さに少し頭の芯が痛むような気がした。それを繋がっている他の者たちに影響を及ぼさないよう注意深く流れを司る。


『ブルーノ大陸に超常能力者の大きな居住区ができ、それに参加するために去ったようですな。そしてハヤシ家には当主の妻と子供たちだけが残ったと。ちなみに、このミセス・ハヤシの力は弱い精神感応と文章をセラミックへ念写することくらいだったようですよ。子供たちも勘がいいという程度で、すでに力は薄れていたんですな』

『ブルーノ大陸の居住区……あれか、手記にあったイウサールのチッタ・リベルテ……?』


 アレックスの思念に、サッタールとショーゴが一瞬目を合わせて、すぐ互いに逸らした。手記のことは伏せていたはずなのだ。が、思念の輪に入っているアレックスに考えることを止めるように要求しても無駄だろう。


『イウサールの時代よりは百年ほど前ですがね』


 ハヤシは気づいたのかいないのか、素知らぬ様子で話を進めた。


『私の先祖だから擁護したいって気持ちもありますが、ハヤシの農場で、彼らは土壌と穀物の改良と有害動物の排除、鍛冶仕事から発展した水力発電機の開発と保守をしていたようですね。まあ専門職ですな』

『しかし、いくら幼い頃から洗脳したとしても、彼らのように力を持つ者たちをどうやって支配したんのだ?』


 エステルハージの疑問に、ハヤシがうなずく。


『ええ。陶板には初期の能力者管理についてこんな記述がありましたよ。彼らは家族親族間の繋がりが強いので、強制力を発揮するのは簡単だ。子供たちを集めて人質に取ればいい、とね』


 ハヤシが明確に言葉としなかった陶板の情報が、脳に再生される。

 生まれて数年、親の愛情をたっぷり受けた子を連れ去り隔離する制度が、その頃のファルファーレにはできていた。仲介する業者がいて、雇い主に逆らう超常能力者は、子や親の命を盾に脅して働かせるのだ。時には子の切り離した指が送られたり、親の歯が届けられたりする。そうした脅しは、精神感応力に優れた彼らには、この上もない苦痛だった。

 複数の業者が間に入ることで、いくら雇い主の心を読んでも、雇い主自身は家族の行方は知らない。たどることはできるだろうが、それを知られたとたんに愛する相手に危害が加えられる。

 これがファルファーレ暗黒時代の奴隷労働の実態だった。


 ――これは、あの子の指……?

 ――なぜ、こんな酷いことをっ!

 ――命令に背いたから? でも力であの山を切り崩したら麓の村は……。


 不意に、サッタールの視界が切り替わった。同時に慟哭と憤怒が心を激しくかき乱す。


「ふん。お前の息子は念動力者だ。小指の一本くらいなくてもたいして不自由はせんだろ」


 頭の上から憎々しい声が落ちてくる。見上げれば背の高い痩身の男が薄ら笑いを浮かべていた。


「よくも……まだ幼い子供にこんな……っ!」


 怒りで舌がうまく回らない。許さない、許せない。その思いが激流となって理性を押し流そうとする。


「俺に復讐してみるか? だがその瞬間、お前の息子は、小指だけじゃなくもっと鋭い痛みを味わうだろう。やってみるがいい」


 【私】は手のひらの中の小さな指を握りしめた。乾いた血が皮膚を通して悲鳴を伝える。許さない……。

 顔を上げて主人の目を見つめる。この男に復讐してもあの子は救えない。怒りは自分と我が子をこんな境遇に落とした全てへと向かう。超常能力を生み出したものへ。超常能力がなければ生存さえ厳しいこの星へ。ファルファーレへと。


「……壊してやる」

「何だと?」


 男が怪訝そうに眉を寄せた。


「壊してやる。あんたも。私も。あの子も、この星も。全て――っ!」


 【私】の中に力が漲った。思考がバラバラになり、憎しみの感情だけが【私】の脳を支配する。


 ――壊してやるっ!


 その瞬間、誰かに横っ面を殴られるような衝撃が襲う。痛みに瞬く。


「サッタールっ! しっかりしろっ!」


 誰かが自分を羽交い締めにしている。


 ――誰だ?


 怒りのままにその誰かを力で弾き飛ばした。反動で自分も床に叩きつけられる。ガタガタと物の倒れる音がした。


「ミスター・ハヤシっ? しっかりしてくださいっ。おい、レワショフ。救急に連絡しろ。早くっ!」


 ハヤシとは誰だ? とサッタールはぼんやり考えた。


『サッタール? 戻れ。戻ってこい。心を飛ばすなっ』


 親しみのある気配がサッタールの心を揺さぶる。


「サッタールっ! サッタール! 俺だ、アレックスだ。君はここにいるんだっ! ここにっ! 五百年前じゃない。君はコラム・ソルのサッタール・ビッラウラだろう――っ!」


 何を当たり前のことを叫んでいるのか、と思ったとたん、自分を抱きしめている体温を感じた。霧が引くように急速に意識が明瞭になる。同時に酷く頭が痛んだ。


「私は……何を……?」


 手を額に当てようとしたが、アレックスが腕ごと抱き込んでいてかなわない。


「気づいたか。頭、痛むだろ?」


 ショーゴの声がして、のろのろと首を回すと、同じように床に倒れているハヤシの姿が目に入った。エステルハージが小太りのハヤシの横に膝立ちになって、胸を勢いよく押している。


「ハヤシは……ハヤシを殺したのか、私は……?」

「馬鹿者っ! 彼はまだ死んでいない」


 息を弾ませてエステルハージが怒鳴った。

 言い返そうとする前にドアが開き、レワショフと緑の制服に身を包んだ救急隊がなだれ込む。


「心肺停止。心臓マッサージを行いつつ搬送する」


 救急隊員の冷静な声が小さな会議室に響いた。


次回は9月9日になりそうです。よろしくお願いします。

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