第四章 彷徨う心(3)
緊迫するサッタールたちの演習を、別室のモニターで見つめている男たちがいた。
ナジェーム大学のゲートで立ち往生していたショーゴを、セントラルからやってきたハヤシが救出したのだ。むろんアレックスも同行している。
「エステルハージ。この演習、一発でクリアできる班はあるのかい?」
同期の気安さからちゃっかり見学を申し込んだアレックスに、航法の教官であるエステルハージは苦笑を返した。
「初めての演習をそつなくこなされたら、教官としては課題を見直さなきゃダメだろうね。もっとも彼らは再チャレンジするようだが……」
視線の先にサッタールたちがいた。緊張で額に汗が浮かんでいるが、突然の機関のダウンにも諦めていないらしい。
「他の班は既にリタイア?」
「ああ。だがそれも一つの選択肢ではある。船体と乗員の安全を秤にかければ理性的な判断だ。トラブルを抱えた結果、亜空間で迷子になったらまず帰ってこられない」
こうした訓練は海軍でもイヤと言うほどした。あらゆる危機をシミュレートしていても、現実は時にそれを凌駕することを、アレックスもエステルハージもよく知っている。想定外というやつだ。
熱心に訓練を見つめる元軍人の二人とはまた別の情熱で、ショーゴはサッタールたちの向かっているシミュレーターを見ていた。
「あれに介入しようと思ってはいないでしょうな?」
ショーゴの熱心さに、ハヤシが疑わしそうな顔で訊いた。
「まさか! 訓練をめちゃくちゃにしたりはしませんよ」
「やればできるってことですかね?」
「やらねえよ」
うんざりしたように返しつつ、ショーゴはゲートで受け取ったIDの指輪を無意識にこすった。組み込まれている情報は、調べればわかるだろう。それを承知している公安が下手なことをするはずがないという身も蓋もない信頼感をお互いに持っていた。
その感慨を察したのかどうか、ハヤシは笑顔を張りつけたままうなずく。
「私はねぇ、ミスター・クドー。あなた方の立ち位置が危うく思えてならないんですよ。あなた方は欲がない。あっても小さな個人的なものばかりだ。そして基本的に他人に甘い。ご自分たちが人の心を読めるから騙されはしないと思っているのでしょうがねえ」
「俺たちには、あんたのそのいかにも他意はありませんって笑顔の方が怪しく見えるんだよ」
「地顔ですので、そう言われましてもねえ」
くたびれたスーツの肩を落として見せるハヤシは胡散臭いの一言に尽きる。
(だけどイルマは条件つきとはいえ、こいつを信用してんだよなあ)
アレックス・イルマは文字通りに脳天気な男だ。元士官とはいえ、突出した戦闘能力があるのでもなければ、官僚たちを煙に巻くほどの優秀な頭脳があるわけでもない。
それでもサッタールをはじめコラム・ソルの人間は、こののほほんとした男を信用し、外の世界への窓口として見ている。
(それはそれで危険なことかもしれねえなあ)
そう思うショーゴ自身も、イルマがハヤシを受け入れる範囲ならば、公安も信用できるだろうと思っているのだから、大した人たらしだった。
「私はねえ。ミスター・ビッラウラにも言いましたが、あなた達と敵対したいんじゃないですよ。潜在的な危険分子だとは思いますがね」
「その疑いを晴らすには、なにが必要なんだ? 公安の手下になればいいのかよ?」
「そんなことは言ってませんよ」
ハヤシは視線を訓練中の学生に戻した。
「結局は個々の人間ですからねえ。私が直接知っている精神感応者はコラム・ソルの方々だけですが、みなさんファルファーレ市民として受け入れられるべきだと思いますよ。しかし枷はどうしても必要ですよ」
反論しようとショーゴが口を開きかけた瞬間、スピーカーから白熊のような大柄の学生の声が響いた。
「f57S4で亜空間に突入。航行は船内時間でおよそ五時間二十分を予定。エネルギー燃焼は六五パーセントを維持。脱出時の燃料残量は……おい、ジゼル?」
「四二パーセント」
「四二パーセント。脱出後、通常航行を経て惑星アルマトの宙間ステーション到着は約十一時間後を予定。以上」
その声は誇らしげで、課題を達成したという充実感にあふれていた。
ショーゴはモニター越しにサッタールのやせた頬を見つめた。若干紅潮しているのは、緊張していたからか。島で、責任を負わされ感情を抑え続けていた頃とは違う姿を見て、切れ長の目を更に細める。
IDの指輪の感触は、もう気にならなくなっていた。
演習の見学を切り上げ、講義棟のミーティングルームでショーゴとアレックス、それにハヤシが珈琲を飲んでいると、ドアが開いてエステルハージに連れられたサッタールが入ってきた。それにもう一人。
「ヴォーグ社のご子息ですな?」
サッタールが紹介する前に、ハヤシが口を挟んだ。
「え? さっき一緒に組んでた熊みたいな奴が?」
思わず声に出してしまったショーゴを、サッタールはじろっと睨んでからうなずく。
「そうだ。ユーリ・レワショフ。私と同じ宙航科の一年で、ヴォーグ社の創業一家の出身だそうだ」
レワショフは集まっているメンバーの顔を一通り見渡してから、小さく会釈し、エステルハージに勧められるままに席につく。
しばらく狭い空間に沈黙が続いた。
「イルマ。僕が同席していてはマズいのか?」
エステルハージの問いに答えたのはハヤシだった。
「構わんでしょう。あなたは確か、トゥレーディア事件にも関わっておいででしたね?」
またそれかと苦笑を漏らしつつ、エステルハージは再度アレックスに話しかけた。
「公安の人間と一緒ということは、コラム・ソルの能力者は我々の社会制度に組み込まれることを承知したってことか? だがレワショフもいるっていうのが解せないな」
「あー、まず、ミスター・ハヤシは確かに公安の警部だけど、話し合いはまだ継続中なんだ。その前に少し事件があってね」
歯切れの悪いアレックスに、エステルハージは眉を上げて答えた。
「事件? ヴォーグが関わってるってことか? だがレワショフはナジェームの学生だ。公安の取り調べを兼ねているならまず大学側に通告してもらわないと」
「あーいやいや。取り調べなんて」
ハヤシが柔和に否定した。
「ご意見を伺うだけですよ。ですからあなたにも同席していただきたいですな。大学関係者として」
「非公式に接触しておいて大学が許可したかのような既成事実を作られても困るのだが?」
エステルハージは厳しい顔で釘を刺してから、やれやれとアレックスに視線を移した。
「相変わらずだな、イルマ。脇が甘い」
「すまん。ミスター・レワショフについては俺が責任を持つから君は退席してもらっても……」
「学生を置いていけるか」
憮然とした表情を作りながらも、エステルハージはレワショフとサッタールの間に入り込むように腰を下ろした。
「で? 公安が大学に、いったい何の用です?」
またハヤシが口を開く前に、サッタールが手を上げて止める。
「ハヤシ警部を呼んだのは私です。軽挙でした。大学の外で会うことを考えるべきでした。すみません」
学生らしい謙虚な口調に、ショーゴがあからさまに驚いた顔をした。
「ふむ。君は講義がきちきちに詰まっているからな。それで?」
「まず用件は二つあります。一つは、一昨日サン・マルコ市での調査面談の際、もめ事が起こりまして。ハヤシ警部はその件についての捜査結果を持ってきてくれたはずです」
「イルマの言った【事件】だな? 内容を、僕やレワショフの前で話しても構わないのか?」
サッタールはちらりとショーゴに目を遣り、友人が頷くのを確認してから話し出した。アダルト映像のことと、その後のアンドロイドの件を。
「アンドロイド? それにヴォーグ社が関わっていると?」
我慢できなかったようにレワショフが呟く。
「私は、アンドロイドの部品がその系列の企業のものだとまでしか聞いていない」
サッタールは冷静に答えてハヤシに顔を向けた。明け方にサン・マルコを発つ時、オウはハヤシに聞けとしか言わなかったのだ。
「まず、映像ですが」ハヤシがそれを受けて話し始める。
「配給元には記録がありませんでした。あれは非常に狭い範囲で、電波ジャックをされて流されたもののようですね。警邏隊の地道な聞き込みで、あの日あなた方が食事を取ったレストランを含む、街路にしてたった三本分の地域で流れたことが確認されました」
「聞き込み?」
「ええ。その……そういうものを好みそうな対象者に画像を見せたところ、確かに見たと。従って配給会社は関係ありません。中継器に細工の後が発見されましたし」
ショーゴはギリっと奥歯を噛んだが、何も言わなかった。
「それからアンドロイドの件ですが。壊れていない方のメモリーを精査しているのですがね。そこからは何とも。サン・マルコのAI鑑識班は、むしろプログラミングの癖のようなものから特徴を掴めるのではないかと言ってますが。時間がかかるでしょう」
「結局目に見える進展はなしか……」
呟いたショーゴに、ハヤシはにんまりと笑顔でうなずいた。
「あなたならもっと早く調査できますかね?」
「いや……」
ショーゴは反射的にハヤシの真意を知ろうと思念を伸ばしかけ、首を振った。
「俺が、電子の流れを読めることは否定しないけど、そんなふうにプログラムの癖がわかるほど知識もねえし」
「しかしあのアンドロイドを強制停止させたのはあなたでしょう、ミスター・ショーゴ?」
「……現場保存に協力?」
「あっはっは。確かに他の一体は基幹部分を自己破壊するように仕組まれてましたからねえ。助かりましたよ。しかし公務執行妨害と取られかねない行為です。あなたが一般人であるかぎり。だって私たちにはあなたのしたことを検証もできませんし。どんな意図があるかわかりませんよ?」
「へー、それで?」
ショーゴが目を細めて薄ら笑いを浮かべた。本来人の良い男がこうした顔をするのは珍しいと、サッタールはため息混じりに間に入る。
「私は、犯人を突き止めるのと同時に、再発を防止したい。そしてあなたは、私が公安組織に入ることで、こういうリスクをかなり低減できると考えているんだな?」
「そうですねえ。超常能力者を欲しい者たちも、何かしでかす前に手を止めて考えるでしょう。公安が全面的に出てきたら面倒だとね。その上で、あなた方で窓口を作って、超常能力の利用について一本化できれば、なおいいですなあ」
「公安とはそんなに怖い組織なのか?」
サッタールの疑問に、アレックスとエステルハージは思わず顔を見合わせた。
「うん……まあ……そうだね。ある意味軍よりも怖い、かな?」
アレックスが前髪を引っ張りながら答えた。
「何故? ファルファーレの最高権力者は議長なんじゃないのか? 三軍の統括権も持っていて……」
トゥレーディア事件を思い出しながら反論すると、エステルハージは薄い唇の端を上げた。
「大陸間戦争終結以来、軍の力は低下する一方だ。それはまあ戦争がないという点ではいいことなんだろうが、逆に安定した社会を維持することへの要求は高まる一方だ。比例して公安の権限も水面下で非常に強くなっている」
「ははは。まるで我々が何か秘密組織みたいですなあ。ですが予算も人員も公表されておりますよ? 軍と変わりゃしません」
ハヤシが笑い声をたてた。
「公の予算以外に、様々な特別費が出てますね、軍と違って。しかも膨大な額で」
エステルハージはにこりともしないで反論した。
「その上、三軍の大将軍は議長の指名だが、公安トップの公安部長は内部で決まる官僚だ。その決定は内務大臣も異を唱えないことになっている。議長も大臣も選挙で地位を失う可能性はあるが、公安はいかなる政権の元でも変わらない。ブラックボックスだと、まあ軍から見ればそういう認識だな。その上、トゥレーディア事件以来自信をなくした宇宙軍は公安に近づいているとも聞いている」
居並ぶ面々の視線を一斉に浴びても、ハヤシの笑顔は崩れない。
「まあそういう認識をされるよう努力はしてますよ? 恐れられることで騒乱が防げるのならば、効率的ですからねえ」
ハヤシは、鷹揚に珈琲の紙コップを持ち上げて口にあて、おやという顔でまたテーブルに戻した。
「空でしたな、ははは」
サッタールはそっとハヤシの思念を撫でて、いささかの動揺もないことを認めると、口を引き結んだまま腕を組む。
二年前には、サッタールの周囲はもっと単純だった。何がコラム・ソルの利益か、もっと簡単に考えられた気がした。
(いや。そんなこともないか。その前に何年も悩んで考え抜いていたじゃないか)
減っていく島人と痩せていくインフラを恐怖を持って見ていた。そして島を開放すれば、それをくい止められると信じた。
だが、その結果は想像していたよりずっと複雑だった。以前はコラム・ソルと中央世界の二つしかなかったものが、今は入り組んだ利害関係の波に揉まれて、何が大切だったのかわからなくなる。
第一島を出た自分の立場は、すでに島に生きる者たちとも微妙に違ってしまっている。
思いあぐねているサッタールは、トントンと軽い思念のノックに顔をあげた。ショーゴだった。
『閉じこもって考えてねえで、ハヤシに直接ぶつかってみろよ、サッタール』
『今、ここで?』
『他にいつするんだ? 一人で考えて一人で何かしようとするのは、お前の悪い癖だぞ』
サッタールはショーゴから順々に視線を移した。アレックスの心配そうな青い目、エステルハージの厳しい表情、そしてレワショフの怒りを抑えたように引き結ばれた唇。みんながサッタールの反応を待っていた。
最後にハヤシを見ると、公安の警部は、ショーゴの言葉が聴こえたはずもないのに笑顔を張りつけたままうなずいた。
「一昨日も私はあなたに、信用できないのなら心を読めばいいと言いましたよ? やってみますか」
「常々検証できない状態での行動は危険だとも言ってなかったか?」
「ええ。ですから、あなたが読んだ私の思念をここにいる方々にも共有してもらえばいいではありませんか?」
驚きに息を飲む音がした。
「問題は二つある。一つは、あなたの思念に機密が含まれていてもいいのかということ。本当に繋がれば心が丸裸になる。二つ目は、精神感応力を持たない者にとって一方的に他人の思念を送り込まれるのは危険を伴う可能性があるということだ」
「危険? しかしあなたは私とも、それからミスター・イルマや元ミュラー元帥とも念話をしたことがあるはずですよ。皆、精神感応者ではないでしょう?」
「一対一ならば、相手が少しでも苦痛を感じたら速やかに止められる。島では、多人数をつなげ合うこともよくあったが、各々が自分の限界だと思えば自ら離脱する。しかし……」
「苦痛があるんです?」
「いわゆる五感への刺激がないのに脳が外部から活性化されるんぞ。混乱するのが当たり前だ」
サッタールの言葉にエステルハージが手を上げた。
「僕は……知っての通りサムソンから精神操作を受けていた。だが特に後遺症のようなものはなかったよ。まあ、そのせいで軍から出ることになったんだが……」
「ええ。しかしその間。あなたの自我は悲鳴をあげていたはずです」
トゥレーディア事件以来、エステルハージがサッタールに対してそのことに触れたのは初めてだった。苦い思い出を淡々と語る教官を、サッタールは眉をひそめて見つめた。
「そりゃ、抵抗していたからじゃないかな? 僕は丸腰の君に銃を向けたんだからね」
するとアレックスも手を上げた。
「あー、そうだね。俺も酷い頭痛になったりしたのは、予期しなかった最初の接触と、ほら、あの病院でした実験の時だけだったよ。あれも自分の意志をねじ曲げられたからだよね?」
考えてみれば、コラム・ソルに精神感応力を持たない者はいなかった。だから実際にはどんな影響があるのか、自分たちもよくわかっていないことに気がつく。
ハヤシの提案に、その場の非精神感応者が乗り気であるのに戸惑いながら、サッタールは傍らのレワショフを見上げた。
しかし、超常能力に不信を抱いている彼は反対するだろうという予想はあっさり裏切られる。
「ここまで内々の話を聞かされて俺がこの場を出ていくと思うなよ、ビッラウラ」
二人の元軍人と比べるとレワショフは明らかに緊張していたし、その中には怯えも混じっていた。だが説得するのは難しそうだった。
「あんたの中に少しでも痛みを感じたら、すぐに切り離す。そうしたら休んで水を飲んでおけ。いいな」
サッタールは諦めたように告げると、身振りで全員に立つように促した。
次回は9月4日の予定です。




