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第四章 彷徨う心(2)

 短い休み時間は、次の講義の用意で終わり、その日レワショフはいつもの三倍は不機嫌なまま巨大な亜空間航行機関を模したモジュールの前にいた。ただでさえも熱気のこもる狭い通路は、汗が滴り落ちるほどの気温を示している。


「あー、いいかね? これらの機関は、今は通常運航の状態に設定してある。これから宙航科の諸君は各班に分かれて、亜空間突入までの模擬運転をしてもらう。作業手順は各々頭にたたき込んであると思うが?」


 学生たちが一斉に是と答え、機関実習を受け持つエステルハージ教官はにやりと笑った。


「ただし物事は常に正常に進むとは限らん。十班それぞれ違うトラブルがおきると、事前に教えておいてやる」


 小さなざわめきはあったが、それは想定内とばかりに胸を張る学生が多い中、レワショフの機嫌は悪化する一方だった。湖水のように静かな顔のサッタールが気に入らないのだ。

 しかも同じ班だ。レワショフとサッタール、それにジゼルの三人、


(くっそ。早いうちに主導権を握らないと)


 そう思ってから、レワショフはぐっと拳を握りしめた。

 もうヴォーグ社のことなど頭から消えていた。




 低いエンジン音が響いていた。宙航科の三人は外宇宙航行船のブリッジを模したコンソールの前に陣取って、訓練開始の合図を待っていた。


「今のうちに三人の役割分担を決める」


 レワショフは先手必勝とばかりに中央のコンソールに向かって宣言した。


「俺が全体を見て指示を出す。ビッラウラはエンジン自体のモニターを、ブラッスールは燃料系を見てくれ」

「ええ? 話し合いもなにもないじゃないのぉ」


 ジゼルは抗議したがサッタールは黙ってうなずき、さっさとパネルの点検を始めた。それがまたレワショフの癇に障る。


「ね、ねえ。教官がどんなトラブルを用意しているかとか、もしかしてわからないのぉ?」


 抗議を黙殺されたジゼルが小さく聞いて、サッタールの表情がようやく動いた。


「教官の思考を盗み見しろということか?」

「本当に宇宙に出たらぁ、使える力を出し惜しみしていられないじゃない?」

「訓練で死人が出るとは思わないが? イレギュラーが全て予想できるなら、事前に対策をたてれば済むことだ。だが実際にはそうじゃないだろう? せっかく想定外の事態の訓練できるのに、今やらないでいつやるんだ」


 凍るような冷たい声に、ジゼルが顔を青くした。


「それにトラブルの内容は訓練施設の制御AIがランダムに選択しているはずだ。教官も知らないだろうな」

「なんで知ってるのよぉ?」

「士官学校の訓練がそうだと聞いた。ここもそう変わらないだろう」


 ジゼルはそれで口をつぐんだが、レワショフは視線をパネルに向けたまま訊いた。


「実際のところ。お前は自分が何ができて、何ができないか、どこまでやれるか、わかっているのか?」

「……いや。ただ宇宙では多分、大したことはできない。特に機器が相手だと。AIがどれほど人間に似せた思考を持っていても読めはしないしな」

「コラム・ソルには電子機器に詳しい超常能力者がいると耳にしたが?」


 サッタールの青灰色の瞳が剣呑に光る。


「スカウトか?」

「いや……」


 口ごもったレワショフを、ジゼルが珍しいものを見たと目を丸くした。


「問題はお前だ。宇宙では何が起きるかわからないと言うならば、お前こそ緊急時に自分が何ができ

るか知っておいた方がいい。あるいは何ができないか」

「……何が言いたいんだ?」


 レワショフの色の薄い瞳がすっと細められて、更に声が低くなった。


「これはシミュレーションで、トラブルが必ず起きるとわかっている状態でも、俺らは緊張している。パニックが緊急事態における一番の敵だ。……俺らをモニターしろ」


 サッタールは驚いてパネルに落としていた視線を上げた。レワショフの向こう側で、ジゼルは手を口に当てていた。


「私自身がパニックを起こすとは思わないのか?」

「そんな玉なら俺はお前を最初から無視している」


 レワショフの白い頬がひきつれたように動いた。


「だが、これは訓練だ。私が力で動揺を収めてたら、訓練にならないんじゃないか?」

「モニターするだけなら問題ない」


 サッタールはまた目をパネルに移した。亜空間航行機関の構造は複雑だ。

 莫大なエネルギーを一瞬にして消費するその間に何か不都合が起きれば、機関自体はもとより船全体を容易に吹き飛ばしてしまう。もちろん幾重にも防護策はとられていて、船全体を統括するANIAとは別に、機関専用のAIが監視しているが、あくまで宙航士がその動作を把握しているのが前提だ。


 AIは膨大な情報を精査できるが、最終的な判断は人間がする。

 サッタールはその機関専用のAIを呼び出して、船を統括するANIAとの連携をチェックし始めた。その横でレワショフもANIAに現在の状況を確認する。


「ブラッスール?」


 横を見ることもなくジゼルに問いかけたレワショフに、紫の髪が揺れた。


「現時点のエネルギー供給は三十六パーセント。通常航行中ってことなんでしょうけど、ずいぶん使うのね。残量は約八十。亜空間への突入は距離にもよるけど二回が限度ね。でぇ、ねえ……サッタール、あたしの心読んでるのぉ? パニックしてなぁい?」


 突然口調を変えたジゼルにサッタールは苦笑した。


「まだ始まってもいないんだぞ。レワショフの言い分も理解したが、これだけ側にいたら遮蔽していても大きな動揺はすぐに感じ取れる」

「二人とも、無駄口をきくな」


 レワショフが傲岸にたしなめて、教官から送られてきた指示をモニターに映した。


「ポイントf58Q35で亜空間に突入する」


 モニターが一斉に変わった。と言っても、頼りになるのはスクリーンに映る外の景色ではなく、三次元星図に投影されたポイントだけだ。


「エネルギー燃焼五二パーセント」


 ジゼルが緊張した声で告げる。


「突入ポイントまで、あと五分。亜空間レーダー作動」


 時間と空間からなるこの次元から、別次元を走査するのは絶対に欠かせない。その為のエネルギーを発生させるのに、機関が唸りをあげた。


「突入まで、十秒。…八、七、六…」


 サッタールが亜空間機関をチェックする横で、レワショフがカウントダウンを始める。

 二人とも緊張はしているが、思考は明晰だった。


「四、三…」


 と、突然警報が鳴り響いた。


「亜空間機関、ダウン」

「エネルギー燃焼九六パーセント。ダウンしたままだと加熱が……っ!」


 喘ぐように叫ぶジゼルに、レワショフが怒鳴った。


「弁を開けっ!」

「やってる。でもっ!」


 フルパワーの発電機の熱をどうにかしなければ、機関全体が暴走する。サッタールはダウンの原因をAIが吐き出すデータから読みとろうと必死になったが、すぐにわかるものでもない。


「レワショフ、エネルギーを通常エンジンに回せっ」

「だが……」

「もうとっくにポイントは過ぎてるっ。回頭させろ」

「過重な負荷をかけたら通常エンジンがもたないぞっ、くそっ」


 怒鳴りながらもレワショフは高速を維持したまま進路を変え始めた。サッタールは周辺のデブリを観測しつつ、亜空間機関を待機状態に戻していく。AIの計算が終わらないと、どちらにしても次の段階には進めない。


「エネルギー燃焼率八三パーセント。いくつまで下げればいい?」


 案外落ち着いた声でジゼルが問う。思考もけっしてパニックなど起こしていない。サッタールは密かに息を吐き出した。普段のふざけた態度は、そこには微塵もない。


「七八で維持してくれ。再度チャレンジできればいいんだが。残量は?」


 操船に集中しながらレワショフが答える。


「充分よぉ。この上燃料漏れがなきゃねぇ」


 ひきつったように笑いながらジゼルが言った。緊急時に僅かでも笑えるのは悪いことではない、とサッタールはAIが告げた走査結果を睨みながら思う。


「レワショフ、ジゼル。亜空間機関のダウンは機器の問題じゃないようだ。突入予定だった次元の空間に激しい磁気変動がみられた。別ルートを探すか、時間をおくしかない」

「だから直前に回避したのぉ? ANIAはさっすがねぇ」


 ジゼルはホッとした顔をしたが、レワショフは獰猛に唸った。


「すまん。俺の確認不足だ」


 機関の操作自体は通常機関士に任せる。が、コースの選定や突入先の安全確認は宙航士の仕事だ。初めての演習でやはり浮き足立っていたのかとレワショフは拳を白くなるほど握りしめた。


「チームの失敗だろうな」


 サッタールがいつでも再チャレンジできるように機関の調整をしながら素っ気なく返したが、ジゼルは小さく首を振った。


「役割を決めたのはユーリでしょお? チームの失敗って言うならぁ、そもそもの出だしが間違っていたわよねえ。まあAIが優秀ってわかってよかったんじゃない?」


 事あるごとにレワショフから劣等生の烙印を捺され続けてきたジゼルは、皮肉に目を煌めかせたが、すぐに真顔に戻る。


「燃焼七八パーセントに維持。通常エンジンにはちょっと過負荷じゃない? どのくらいの時間待機するつもりなの?」


 星図の上では、船は再び回頭して元の位置に戻りつつあった。サッタールは通常エンジンの出力を見ながらリタイヤすべきだろうかとレワショフの心を探った。しかし自責にしょげているのかと思いきや、この白熊のような男は、なんとしても制限時間内に課題をクリアする意気に燃えている。


(よくそこまで勝ちにこだわれるものだな)


 様々な能力の違いを島の暮らしそのものに生かして育ってきたサッタールには、こうした競争意識は縁遠い。


「ビッラウラ、ブラッスール。ポイントf57S4で再突入する。目的地の惑星ティアマトへは多少遠回りになるが、当初の電磁嵐の収束を待つよりも確実だ」

「了解。設定を行うので周辺センサーは頼む」


 レワショフの決定に従って操作を開始したサッタールは、これはこれでチームワークとしては悪くないのではないかと考えていた。


お読みくださりありがとうございます。

次回は9月2日の予定です。

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