第一章 過去の残像(1)
赤道に近いコラム・ソルでは、季節の移り変わりは顕著ではない。それでも年にひと月ほど、雨の多い時期がある。
サッタール・ビッラウラは集会場の窓に打ちつける雨の音を聞きながら、頑固そうな口元を更に固く引き締めていた。
昨年、トゥレーディア基地での事件の為に短く切った真っ直ぐな黒髪は、この一年で伸びて、肩にぱらぱらとつくぐらいになっていた。伸ばすか切るか、はっきりしたらいいのにと姉のサハルはやんわりとたしなめるが、サッタールはそんな小言は笑顔で流していた。
中途半端な髪は、中途半端な気持ちの表れのようであった。
今、サッタールの目の前には長老であるゴータム・サスティと島の長であるアルフォンソ・ガナール、それに中央府コラム・ソル事務所長のアレックス・イルマが並んでいる。
「超常能力者の登録制度を各大陸で実施するには、あなた方の協力が不可欠です。我々はまだ、能力を物理的に測る方法を手に入れていない。その為の研究は途についたばかりです。個々の人間が能力を持っているか否かの調査は、あなた方に頼るほかありません。まずは自己申告を求めた結果、数千人が手を挙げていますが、その全員をここに連れてくるのは非現実的ですし、我々の見るところ、大多数は思いこみだろうと考えていますが。そこで、こちらから四人ずつぐらいのチームで、超常能力検査に各大陸を回っていただけないかとお願いにあがりました」
長々と喋ったアレックスは、ここでハァと息を入れ、テーブルに用意されたシャッサのジュースを一気に呷った。シャッサは島の果物で、柑橘系のさわやかな果汁がたっぷりとれるのだ。
霧のような小雨が丸一日降っていて、誰の肌もしっとりと濡れたようになっていた。風もほとんど吹かない。鬱陶しい天気だった。
「調査? 一度にどのぐらいかかる見積もりなんだ?」
アルフォンソが太い眉をぐいっと上げて訊いた。
「四大陸でそれぞれ三つから五つぐらいの都市を回っていくことになりますが、全てを一度に回ることは考えていません。ところで確認ですが、あなた方は超常能力者を見ればそれと分かると……」
「それは本人が隠していなければじゃよ、イルマ所長」
ゴータム爺さんがしわがれた声で唸るように横槍を入れる。
「まさかお忘れか? ここにいるサッタールは、コラム・ソルの能力者の中で、最も強い精神感応力を持っておるが、それでも宇宙軍の将軍やら海軍兵士やらの能力は見抜けなかったのだ。自己申告なんぞ当てにはならんよ。隠そうと思わない者でも、自覚していなければ申告などせんじゃろ。ましてや幼い子供は親の管理下におるはずじゃ」
「それは仰るとおりですが。とにかく中央府としては人口に占める能力者の割合を出して……」
「ふん。役所仕事だな」
アルフォンソが締めくくって、その場は沈黙に包まれた。
サッタールも、アルフォンソも、ゴータムも、アレックスが内心で盛大に悪態をついているのはわかっていたが、それは聞かなかったふりをしていた。
ファルファール星紀七六七年。三百年ぶりに惑星を襲った彗星の災禍から二年経っていた。(『星の雨が降る海』を参照)
伝説の民と思われていた大海ロジェームに浮かぶ孤島コラム・ソルの能力者たちが中央に姿を現し、それに続く一連の事件で、どうも惑星ファルファーレには超常能力者が少なからずいると判明したことから、中央府はその統制に躍起になっている。
しかし超常能力とはいかなるものかすら判然としない中では全てが手探りの状態だった。
「サッタール、君にとっては苦い思い出だろうけど、君は本当にサムソン大宙将やジャクソン曹長の能力は分からなかったのかい?」
ようやく内心の悪態を納めたアレックスは、気遣わしそうな青い目をサッタールに向けた。
「探れば分かっただろう。だが表面から零れる思念以上のものを探るのは礼儀に反する」
むっとりとサッタールは答えた。早いうちから探ればよかったとは今ならば思うことだ。しかし、もしサッタールが密かに探って彼らのことを密告したとしても、当時の中央府は決して受け入れはしなかっただろう。
「うん。議長を始め、誰も君がしなかったことを責めてはいない。むしろ君の潔癖な態度が中央府の信頼を深めたことは間違いないよ」
少しだけ笑みを浮かべてうなずくアレックスを見返して、サッタールは深いため息をついた。
「それは分かっている。私のことは心配いらない。それよりもアレックス。問題はゴータム爺さんが言った通りなんだ。能力者の大半は、あなた方の社会の中でうまくやっていく為に能力を隠しているだろう。自己申告者の中に彼らはいない。無自覚な者と併せて、彼らの能力を暴く為には、個別に会って確かめるしかないが、こちらから探し出すのは不可能だ。この星にいったい何人の人間が住んでいると思っているんだ?」
惑星ファルファーレの人口は、およそ十億。地球型の惑星としては多くはないが、それでもその一人一人の心を数人で探るなどできるはずがない。
「それから、私は超常能力者対策審議会で散々言ったはずだ。能力者に登録を強制するのは平等と公正を謳うファルファーレ憲章にあからさまに反すると」
これに対してアレックスはまた胸の内で悪態をついた。
中央府が超常能力者に登録を義務づけたいのは、主に治安の為だ。能力を使った犯罪が明らかになった直後ともなれば、そうしたい心情は分からないでもない。しかし超常能力は銃器などの武器とは違い生来のものなのだ。
嫌だと思っても手放すことなどできない。
ファルファーレ中央政府は厳しい管理社会だ。生誕と共に配布された個人IDには、学歴、職業や収入といった基本情報が記録されるだけではない。買い物や移動、医者にかかればその受診経過も記録される。
むろん、開示には様々な規制があり、個人が閲覧できる範囲はごく小さいが、それでもそこに新たに超常能力の有無が加われば、いくら本人が隠したいと思ってもどこかで漏れるだろう。
たとえば職場で。他人の思念が読めると知られれば、よほど寛容な人間でもつきあうのを躊躇する。取引先ならばなおさらだ。
たとえば家庭で。伴侶が自分の秘密の全てをこっそりと探っていると疑いながら、これまで通りに振る舞えるだろうか?
ましてや遺伝の要素が強いとなれば、それは容易に偏見に繋がる。
アレックス自身は、何度も強制登録制度は困難だと訴えたのだ。理念の上でも実際上でも。
それでも、特に治安当局は頑として譲らない。データは部外秘なのだからと。
当局の代表者としてここにいるアレックスにとっては頭の痛い問題だった。
「俺たちが譲れる線は、自己申告者を検査することと、彼らの中で生活に支障が出るなど困難を抱えている者への支援。それに……犯罪者を選別するところまでだな」
アルフォンソが、これ以上の議論は無駄と言わんばかりにアレックスを睨みつけた。
「加えて、自己申告者のみというのは、コラム・ソルの住人にも適用して欲しい。私たちも憲章の理念に基づく社会を構成する市民だから」
サッタールも素っ気なく言って、それからふっと笑った。
「もっとも私自身は登録せざるを得ないだろうけどな」
「あはは、そうだね」
アレックスは乾いた笑いを返して、はぁと溜め息を吐いた。公安部は簡単にはうんと言わないだろうが、この件に関してはコラム・ソルの協力は絶対不可欠なのだ、いずれは飲むだろうと期待するしかない。
そこまでで、アレックスは携帯していた通信機のスイッチを切った。ここまでは中央に伝えても構わない内容だった。だが、今日、ここで会議を持ったのは、非公式に伝えておきたいことがあると事前にサッタールに告げられたからだった。
「さて。この先は私の胸の内だけに納めておくべき話をうかがいたいのですが」
アレックスは飲み干してしまったシャッサのジュースのカップを名残惜しそうに見つめてから、両手をテーブルに載せてサッタールの仏頂面に目をやった。
しかしサッタールも何の話か知らないらしく視線をゴータムに向ける。
コラム・ソルの最年長で先々代の長であるゴータム・サスティは、皺の深いチョコレート色の顔を盛大にしかめてみせた。
「これは、ビッラウラにもガナールにも伝えてないことじゃ。それをあんたにも話すのは、どう扱えばいいか個人的な助言を得たい為。重ねて言うが、独断で中央に伝えないと誓って欲しい」
ゴータムは血管が浮いてでこぼこになった腕を伸ばし、アレックスの腕を掴んだ。心を読む精神感応は肌を触れ合わせるほど伝わりやすい。アレックスは嘘は苦手だが、これでより一層言葉に嘘がないと信じてもらえるだろうかと、真剣な光を青い目に込めた。
「誓います。私は特定の神も持ちませんし、大切なものと言えば家族と友人達だけですが。その大切なものにかけて、あなた方の了解がない限り口外はしません」
ゴータムは充血した目でじっと見つめてから手を放した。サッタールとアルフォンソは口をつぐんだままゴータムの話を聞く態勢に入っている。
「ふむ、まず。我らには力の強い家が元は五つあってな。ビッラウラ、ガナール、クドー、それに我がサスティ。この四つは今も直系が残っておる。もっともわしは血筋を残せなんだから、サスティはまもなく消えるが」
「もう一つ、家があったんですね?」
「そうじゃ。アンダーソンの家があったが、二十年ほど前に最後の当主が死んで終わった」
ゴータムの話は長くなりそうだと察して、サッタールは茶を淹れに立った。雨はますます激しく、集会場を他と切り離している。
アレックスには察知しようもないことだが、恐らくはサッタールがここでの会話が他に漏れないよう手段を講じているのだろう。外から来たプラントで働く者も、島人も、誰もここには近寄らない。ゴータムはしわがれた声でゆっくりと話し始めた。