第二章 島の事情(4)
「えーと、ハヤシ警部。そもそものところから問題を整理したいんですが」
「そもそものところ?」
「はい。私が思うに、ですね。そもそも傷害事件なんてなかったんですよ」
思ってもみなかった台詞に、ハヤシはまじまじとアレックスを見つめた。
「だって、そうでしょう? ミスター・ガルボは何の怪我も負っていません。骨折どころか、筋ひとつ違えていませんしね。これが病院船の整形外科医の診察結果のコピーです」
アレックスはポケットから折り畳んだ数枚の紙を出してテーブルに置いた。事件のあった日から昨日までの診察経過に、レントゲン写真まである。
しかしハヤシはその書類には手を触れず、険しい目をアレックスに向けた。
「バカな。証言があるだろう」
「ああ、ミスター・ガルボのですね。でも裏はとれませんよ」
やられた、という思いが最初にくる。ガナールやイルマからガルボの素性についての苦情がくるものだとばかり思っていたのに、何とも間抜けな話だ。
「客観的に検証できる事実はこうです。ミスター・ガルボはコラム・ソル在住の若い女性と二人でいた。彼が女性を……まあ口説こうとでもしたんでしょうか……腕を掴んで、女性が悲鳴をあげた。そうしたら突然ミスター・ガルボが苦しみだし、ミスター・ガナールと私が現場に駆けつけ、その後病院船に搬送した」
「待ちたまえ」
ハヤシは唸るように遮った。
「あなた達はミズ・ビッラウラをその場に呼んだはずだ。彼女が……」
「ああ! そうでしたね。病人の介抱は慣れている人の方がいいですからねっ! それが何か?」
「何かじゃないだろう。彼女は島の医療従事者だ。それも超常能力を使う。以前、ミスター・クドーが大怪我をしたとき、足を切断し、機能しなくなった脳の働きをある程度まで回復させたのは彼女だ。セントラルの海軍病院の記録では、ミスター・クドーの足の切断面は非常に滑らかで、骨や筋肉、神経に至るまで健全に保全されていたからこそ、早い内に義足を使えるようになったと……」
「ほう。医師というのは患者に関する守秘義務を負っているのだと聞いていたが、それは海軍病院の医師から聞いたのか? それともあんた達のお家芸で記録を盗んだのか?」
アルフォンソが嘲笑を含んだ声で詰問する。
「何が起きたかわからなかったから、俺はサハルを呼んだ。サハルは痛がっているあの男の腕をとりあえず固定しただけだぞ」
「……なるほど。全てなかったことにしようと?」
「あの男の素性を洗い上げられたいのか? 客観的な証拠が必要というなら、徹底的に暴くのもやぶさかではないぞ。それが検証に耐えない、裁判で負けるものだとしても、公安のしていることを惑星全土に放送でもしようか。できないと思うか、ハヤシ警部?」
脅しに来たつもりでいて自分が脅されているのだと、ハヤシが充分に認識するまで待って、アルフォンソは今まで背もたれにつけていた上体を起こして、身を乗り出した。
「と、こちらが拗ねて言ったらどうするつもりだったのか、聞きたいもんだな」
ハヤシはガナールの言葉通りになった場合を自分が無意識に想像していたことに気づいて、咳払いをした。
「実力行使には、同様に実力で排除することになります」
冷静に返すと、ガナールはくっと笑った。
「だろうな。だからやりたくはない。それをあんたにも理解してもらいたい」
「やらないという保証は?」
「保証か……。それであんたはビッラウラが欲しいのか? あいつにとってはこの島が。俺たちにとってはあいつが人質になる」
「そうですね。少なくとも一人は公安に欲しいですよ」
「だが外の能力者については何の抑止にもならんぞ?」
「それでも一人いれば、心を読んで社会を乱す前に対処できますよ。あなた方の仲間が公安にいると公表すること自体が抑止にも繋がります」
「それならば、そうだと、何故最初から話さないんだっ!」
不意にアルフォンソが声を荒げて立ち上がった。アレックスがとっさに尻を浮かせて、その太い腕に手をかける。
思念など読めないハヤシもアレックスも、その怒りの放射で肌が粟立った。
「イルマが俺たちに信用されているのは、確かにこいつの思考がだだ漏れで騙されようもないことも理由の一つだが、そもそも騙そうって意志がないのが一番の理由だ。だから俺もこいつは騙さない。だがあんたは最初から騙すつもりだったな」
「何の根拠もなく力のある集団を信じられるほど、甘ったるい仕事じゃありませんからねえ」
ハヤシがアルフォンソの怒りに気を殺がれたのは一瞬だった。もう自分を取り戻して薄ら笑いを浮かべながら反論する。
「信頼などというものは、利害が一致する相手との間でだけ成立するものです。血の繋がった親ですら、頭から信頼するのは幼児までですよ」
「それがあんたらのやり方か?」
話しながらアルフォンソはずっとハヤシの思念を追っていた。ロデェリアで接触したサッタールから、トモヤ・ハヤシは自分自身にすら嘘をつける人間だろうと聞いていた。幾つもの仮面を、自然に取り換えられる。だから表面を撫でるように読んでも、それがハヤシの真実かはわからない、と。
(なるほど。サッタールが言っていたのはこれか……)
状況に応じてくるくると考えを変えるのではない。態度を変えているだけだ。揺れる水面の底には確固たる信念がある。
――治安を乱す要素があれば、事前に芽を摘む。
語る言葉に嘘はない。だが状況が変われば容易に考えは変わるのだ。
(信を置くのは、裏切れないような利害関係か……)
ハヤシのような人間は島を出ればいくらでもいるに違いない。ジャンを取り返して、ハヤシを追い出しても、次はもっと厄介な人間がやってくるかもしれない。
「あの、ハヤシ警部?」
自分の考えに沈んだ二人の間で、アレックスが空気を読まないのんびりした声で呼びかけた。
「今後の話は、もっと煮詰めなければならないとして。とりあえずミスター・ポワイエの拘禁を解くということでシムケット准尉には連絡します」
「……仕方ないでしょう」
ハヤシは溜め息で答えた。
「確かに起訴すら怪しいですからね。しかし、これで問題がはっきりしたじゃありませんか? コラム・ソルは早急に法を整備すべきです。中央の進捗を待っていては、次にあなた方に絡んでくるのが私のような善良な役人とは限りませんよ。だいたいそれを支援するのが中央府の駐在事務所の役目でしょう?」
それまでの韜晦とは違う真っ当な非難に、アレックスは首を縮めた。
「……善良な役人……?」
「少なくとも私は職務に忠実ですよ」
「鋭意努力します」
ハヤシは、眉をあげて、頭を下げた若い所長を見上げると、すぐにアルフォンソに視線を移す。
「彼は元軍人ですが、コラム・ソルは行政官を中央に要請すべきではありませんか?」
「あんたが来てくれても構わないぞ」
「信頼関係はなくてもいいのですか?」
「その点に関してはイルマが変わり種だということは承知している」
褒めてませんよね、とアレックスは呟いて頭をかいた。
「まあ、私に不足があるのは間違いありませんが。で、公安の今後の方針はどうなるんでしょう? まさかこれで引き抜きは諦めるとは仰いませんよね?」
どこまでも緊迫感に欠ける様子で、無邪気に聞いてくるのに、ハヤシは呆れた。ビッラウラやガナールのように必死で探りを入れてくる方がよほど扱いやすいのだ。
「手を引くと言ってもねえ。信じてはもらえないでしょうし、実際に引くつもりはありませんよ」
「そうですか。じゃあ、ここは一つ腹を割って実務的にいきませんか? その方が疲れませんし」
「……あなたは、海賊を相手にしていた時もそんな調子だったんですか?」
「はぁ……どうでしょう? 任務であれば戦うことも厭いませんが、これは戦争じゃありませんし」
アルフォンソがくっくっと低く笑い声をたてる。
「貴重な人材だろう? 公安には向かないだろうがな」
まったくだと同意して、ハヤシはもう一度コラム・ソルの代表者に向き合った。
「では忌憚なく申し上げる。コラム・ソルの超常能力者を我々に預けて欲しい。欲を言えば全員の能力をリストアップして、必要な時に協力し合える体制を作りたい。つまり能力者を公安の一部として組織化したいのです。これにより能力を使った犯罪が今後起きた場合、組織の調査と判定があれば物理的に検証できなくても犯罪が行われたと裁判で証拠として扱われるように、法も整備できます」
「全員は無理だな」
アルフォンソはにべもなく答え、そのままカウンターの前に立つと用意したまま手つかずに置かれていたピッチャーからシャッサのジュースをグラスに注いだ。じっとりと空気も動かなかった室内に爽やかな香りが広がる。
「無理なのは承知です。ですがそういった枠を作らねば、あなた方に対する不信感を払拭はできませんよ」
「そうやって俺たちを奴隷のようにこき使うつもりか?」
アルフォンソが静かに訊いた。
「ああ、やはり娘はあの陶板を読んでいたのですな。ミスター・ビッラウラの反応からしてそうかもしれないとは考えていましたが」
「詳しくは知らん。斜め読みの又聞きだからな。それはあんたの方が詳しいのだろう?」
コトンとハヤシの前にグラスを置くと、アルフォンソは壁に寄りかかって窓の外を見た。アレックスはハヤシが手を付けようとしないのを見て取って、自分のグラスを取り上げ、一口飲んで見せる。
「出された飲食を進んでするのも友好関係を作るのにはいいですよ?」
「ええ、知ってます」
苦笑いと共に、出されたジュースに口をつける。甘味よりも酸味の勝った果汁を味わいながら、横目でガナールの様子をうかがった。ビッラウラやクドーとは違って、この男の表情を読むのはいささか難しいと考えていると、その男がくるりと首を回して唇の端をあげた。
「我々の力を他に利用されたくないというのは、理解できる。しかし公安専用とされるのは同意できない。超常能力者は奴隷ではないのだからな。それにあんた達のしていること自体にも不信がぬぐえない。だが、あんた達に協力したいという者がこの島にいた場合、それを邪魔するつもりもない」
アルフォンソは口元は緩ませたまま、射抜くような厳しい視線をハヤシに向ける。
「サッタールでも、ジャンでも、個別にスカウトするんだな。ただしそちらに協力するという奴が、あんた達の思うがままに動かせるとは考えない方がいいぞ。我々の腕は長い」
「はは、怖いことを。では交渉の為にリストアップされた資料をいただくというのは?」
コラム・ソルはいまだに個別IDを受け入れてない。持っているのは大学に入ったサッタール・ビッラウラだけだ。そもそも中央は正確な人口すら把握していないのだ。それはひとえに現地事務所の怠慢だとハヤシは思っているのだが。単に友好を唱える段階はとうに過ぎている。
「せめてID管理は受け入れてもらわないと」
「いいだろう、作らせてやる。だがそのデータに能力の項目はいらんな」
「それでは……」
「まあ、待て」
反論しかけたハヤシを制して、アルフォンソは手の平を向けた。
「能力というのは、そう簡単に定義できるものでもないんだ。例えば俺は精神感応力を持った上、念動力も使える。だがその大きさの限界を測ることはできん。細かな作業にも向いてはいないが、やってみなければわからん。個別の仕事を前に、それが自分にできるかできないか、その都度判断するしかないんだよ。サッタールだってそうだ。あいつの精神操作の力は、その相手との関係や自分自身の感情、動機にも左右される」
「サムソン元大宙将の時は……」
「俺はその場にいたんじゃねえからわからんよ。気になるなら自分で聞けよ」
面倒くさそうに答えて、アルフォンソは肩をすくめた。動作がいちいち大きくて、ハヤシはそっと苦笑する。
「私としては、もう少し収穫が欲しいところですが」
「つまらねえ小細工をしたのを悔やむんだな」
ハヤシは曖昧な笑顔を貼りつけたまま、あごの下をかいた。信頼を築くのは友好よりも利害の一致だという信念は変わらない。だが、現状ではコラム・ソルを納得させるのは難しい。
(事が起きてからでは遅いんだがねえ)
はっきりとその言葉を心に浮かべてみたが、島の長の表情は変わらなかった。
「では、私の方で必要と思われる施策に関しては、イルマ所長に助言させてもらいましょう。法とIDに関してですがね。今後付け込まれないためにも。これは私からのサービスだと思ってください」
「謝罪の間違いだろ」
「いいえ。ミスター・ポワイエの行動は、たとえ傷害として立証できないとしても起こったことは事実です。謝ることなどありませんね」
あくまでも言い切るハヤシは、生温い目でアレックスに笑いかけて、イスから立ち上がった。一瞬、飲み残したシャッサとかいうジュースが惜しいような気がしたが、そのまま扉に向かう。
「イルマ所長。ミスター・ポワイエの釈放がてら、私と一緒に輸送艦までいらっしゃいませんか? 明日の夕方には積み荷を降ろして艦はペレスに戻りますので、私もガルボを連れて帰ります。それまでの一日半、行政指導させてもらいます。友人としてね」
「はあ、それはまた……」
アレックスはテーブルに置きっぱなしの通信携帯を手に、慌てて後を追った。
一人になったアルフォンソは、深く息を吐き出すと外へ通じるドアではなく、目立たないキッチンの奥にあるドアを開けた。すぐに暗い階段が続いていて、しばらく目を慣らそうと瞼を下ろしてから足を踏み出す。
柔らかい革のサンダルが軽い音を立てた。
「よお、終わった? ジャンは?」
元は食糧貯蔵庫だった地下室は、この二年間、ショーゴが占有していた。作業場だった自宅の地下室は、足を失う事故以来放置している。
「聞いていたんじゃないのか?」
「んや? どうせ終わったらあんたから聞くしなー。今、サッタールに通信繋ぐとこだけど出るか?」
セントラルから戻る時に持ち込んだ最新式の通信機器と何台かのコンピュータの真ん中に座り込んだショーゴは、アルフォンソの返事も聞かずにカメラとマイクのスイッチを押した。
呼び出し音がきっちり三回鳴って、サッタールの声がスピーカーから流れる。
「ショーゴ? ハヤシとの会談は終わったのか?」
残念ながら映像は出ないようだった。アルフォンソはちっと舌打ちして、ショーゴを押し退けてカメラの前に座る。
「終わったぞ。ジャンは解放させた。それからまたハヤシのおっさんがそっちに行くかもしれんぞ。スカウトに」
サッタールはしばらく黙ってから溜め息を吐いた。
「そこは諦めてないのか。迷惑だな」
「どうするかはお前の自由だ」
「……アルフォンソ、どういうことだ?」
普段と変わりなく聞こえる硬質な声が僅かに揺れたのを、アルフォンソもショーゴも感じ取った。
「コラム・ソルは避難所だ。外からの干渉を受けたくなければここにいればいい。俺が守る。だが外に行くならば外の世界の影響は排除できんだろう。そして今知られている限り、外にいるのはお前だけだ」
切り離す訳ではない。見捨てる訳でもない。だが、ハヤシに向かって切った啖呵ははったりで、実際にはアルフォンソの腕が届くのは島の中だけだ。
「帰った方がいいのか?」
「んなこと一言も言ってねえよ。できることには限界があるってことだ。俺らはお前が公安に入ろうが、宇宙の彼方に行っちまおうが、変わらん。選ぶのはお前だよ、サッタール」
素っ気なく喋るアルフォンソの隣で、ショーゴはそっと指先をキーボードに滑らせた。目を瞑って集中すると、目の前のコンピュータから流れる電子の流れに自分を滑り込ませる。
デジタル化された信号と一緒に、瞬時に島の中継器から空に、衛星からまた地上に向かい、ナジェーム大学の寮でサッタールが呆然と向かっているPPCに飛び込んだ。
〈いつでも帰ってこいよ、サッタール。でもそこでやりたいことがあんなら、俺も協力してやるぜ。そこに行ってやってもいいぞー〉
サッタールの抱えるPPCの画面に文字が浮かぶ。
〈アルフォンソは島から出られない。いくら本心で望んでもな。お前から長を譲られた時には、その覚悟を決めているんだよ。だから拗ねるなよ?〉
サッタールは画面に映るアルフォンソの厳つい顔と、間延びした文章の両方に反応しそうになって、数回瞬きをした。
「わかったよ、アルフォンソ」
文章ががショーゴのものだとはすぐにわかった。なにもこんな回りくどい方法を取らなくても、いつでも個別に連絡できるのだし、アルフォンソに知られたくなければいない時に話せばいいのに、と考えて、すぐに内心で首を振った。
「もし外に出たい者がいるなら、あるいは今外に能力者がいるなら、それは私ができるだけのことをする。公安と協力することになっても。だから……島はあんたに任せるよ」
アルフォンソに答えながら、サッタールはショーゴに届きはしない感謝の念を送った。ショーゴは、今、この瞬間に伝えたかったのだろう。
その思いに応えたかったら、自分はここでやれることをやるべきだと、思った。
通信を切ったアルフォンソは、立ち上がると太い眉をぐいっと上げてショーゴを見下ろした。
「こそこそフォローすんなよ。俺一人が悪者みてえじゃねえか」
「あはは。バレてたか。違うよー、お前のこともフォローしなくちゃと思っただけだ」
「お前……」
アルフォンソの拳が軽くショーゴの頭に落ちる。
「って!」
「そんなあちこち心配してると、また脳が切れるか、禿げるぞ」
「はあっ! まだ薄くなってねえよっ!」
叫び返したショーゴを笑いながら、アルフォンソは大股に地下室を出た。
コラム・ソルは変わらないし変えるつもりはない。
社会を、世界を変えるのは、外にいる者に任せるのだと、考えながら。
第二章はここまでです。最近推敲が甘くて、申し訳ないです。
次回の予定は、少々書き溜めてからの更新にさせてください。多分来週末には再開できると思います。
よろしくお願いします。




