第二章 能力者調査面談(5)
やたらと威圧的な中年の女性を見送って、サッタールは最後の一人のプロフィールを開いた。
女、二十才。学生、未婚。そこまで目を走らせたところでドアが開き、入ってきた人物にサッタールはこみ上げそうになった罵声を飲み込んだ。
何故、彼女が? という疑問を、一昨日のハヤシ警部の置き台詞を思い出して舌打ちをした。
あの男は娘のことを、担保または人質と言ったのだ。
「あの……調査はこちらでいいですか?」
タキはマジックミラーになっている鏡に向かって一礼した。その奥にいるのがサッタールだと知っているのだろうか。
『姉さん、すまない。最後の相手、代わってもらえないか?』
どちらにしても自分が対応しないほうがいいと、瞬時に判断する。思考と記憶の表面を撫でるだけとはいえ、今後も顔を合わせる可能性が高い女性に触れるのは、本意ではなかった。
しかし静かに椅子を立とうとするサッタールに、タキが声をかけてくる。
「サッタール……あのミスター・ビッラウラですか?」
タキの声には不安と共に何かの決意が滲んでいる。
『やっぱり私じゃなくてあなたの方がいいみたいね』
サハルが穏やかな笑いを含めて言ってきた。
『私たちは街で食事をしてくるわね。ロデェリアの担当者が案内してくれるそうだから心配いらないわ。タキの話を聞いてあげなさいな』
ファーストネームでタキを呼ぶ姉に、サッタールは憮然とする。隣室のドアが開き、よく馴染んでいる三人の思考が遠ざかっていくのを黙ったまま聞いてから、サッタールはもう一度椅子に座った。
「この調査もミスター・ハヤシの指示なのか?」
タキに精神感応力などないのは、既にわかっていた。苛立ちが声に出て、サッタールは落ちてきた前髪を手でかきあげた。
「ええ。でも私の意志でもあるの……」
タキは揺れる心のまま、指を前面のマジックミラーに開けられた穴に入れてくる。サッタールはその細い指先を眺めた。薄桃色に染められたタキの指は、微かに震えていた。
自分の意志で精神感応力調査に来たのだというタキは、心でサッタールに訴えかけていた。
機上で渡した紙には書けなかったことがある。それを伝えたいのだと。父親には内緒で。
「……調査を受けようと思ったエピソードがあればお話ください」
サッタールは事務的に言いながら、そっとタキの指先に自分の指を触れさせ念話を送り込む。触れた上での思念のやりとりならば、感応力がないタキの脳にもさほど負荷はかけない。
『内緒話なら大学でもできるだろう? 今、父君の目を盗んででも話したいことがあるのか?』
タキがぶるっと肩を揺らしたのが指に伝わった。不安と緊張でいっぱいの相手を、余計に怖がらせてどうすると思い直し、口調を和らげる。
『口と頭で別々のことを話せるかな? 無理なら、同時じゃなくていいから力を抜いて、話したいことを頭に思い浮かべて』
「ええっと、その……夜に寝ようとすると、ですね……お化けが……天井に浮かんでて、それで……」
もうこの二日で何度も聞かされた「声が聞こえる」「金縛りに会う」系の創作話をタキは口ごもりながら話し出す。一方で、時々口で喋っていることと混乱しながら伝えたい思念を思い浮かべていく。
『お化けが、じゃなくて……えーと、父があなたを捕獲……あ、違う、その……指震えちゃって、あなたを公安組織にいれようとして……怪我したお化けが、じゃなくてその人は公安の……やだ私、落ち着いて、その……鏡が、じゃなくて、部下の人はわざと煽るようなこと考えて……』
思念で話すことに慣れていない人間の思考は、驚くほど取り留めがなく、様々な想念が浮かんでは消える。それにしてもタキの心は乱れていた。
(アレックスの心はずいぶん単純明快だったんだな)
なんとか上手く伝えようとするタキの努力を買いながら、サッタールは自分の思念を割り込ませた。
『整理するとこういうことか? イエス、ノーだけ考えてくれ。ミスター・ハヤシは公安組織に私を引き込もうという意図を持っている。コラム・ソルでおきた傷害事件は彼の部下が仕組んだ。確保した島の人間を盾に私に言うことを聞かせようと画策している。合っている?』
タキは脈絡のない話を止めて、ぴくっと指先を動かした。
『実は一昨日、ミスター・ハヤシがホテルを訪ねてきて、君が姉の部屋にいる間だ。それで同じことを聞かされたんだ。ただし事件そのものが企んだものだとは言ってなかったが』
『え? 父が……?』
『そう。でも彼は自分の仕組んだことを隠すつもりはないだろう。隠しても少し思念を走査すれば、いずれ私たちには知られてしまうから。だから君がこんな風に父君の目を盗んで首を突っ込む必要はない』
『は……い……。ごめんなさい』
触れたままだった指先から、タキが羞恥と悔悟に萎れているのが伝わる。意気込んで忠告しようとした気持ちがパチンと弾けてしまったのだ。居たたまれない。
『君がそれを知ったのはいつ?』
サッタールは努めて穏やかに聞いた。
『一昨夜。父が部下と通信しているのを聞いたの』
治安維持の為なら、謀略も辞さない警部がそんなうかつなことをするはずがない。ハヤシはわざと娘に聞かせたのだろう。何を狙っているのかわからないが、やり口は不愉快だった。
「お化けが怖いですか?」
口に出して聞くと、タキはぼんやりとさまよわせていた視線を、ガラス越しに真っ直ぐサッタールに向けた。
「怖いです。でも、私こそお化けかもしれないって思って」
「誰の心にも扱いきれないものは潜んでいます。でも正体を見たら、なんでもなかったということの方が多い。あなたのお化けはあなたの心の内にあるもので、誰かの精神に感応したものではありません。面談はこれで終わりです」
サッタールはまだそこにあるタキの指を優しく押し戻した。新しい情報としては、カタリナを誘ってジャンに骨を折られた男が公安関係者だということだけだが、他意のないタキを責める訳にもいかない。
『ありがとう』
最後にそれだけ伝えて、席を立つ。鏡の向こう側には放心したようなタキが、座り込んだままだった。
ショーゴたちは、公安のつけた護衛と一緒にロデェリアの街を散策しているようだった。GPSで所在の確認だけしたサッタールは、ドアの外にいた警護の男に無表情で尋ねた。
「中央府から来ている公安部警部のミスター・ハヤシに連絡を取りたい。彼は今どこにいる?」
男は直立不動の姿勢を崩さず、首を振る。
「この後はミスター・クドーらと合流すると聞いておりましたが? 私は中央の方の連絡先など知りません」
「気が変わったんだ。ではミスター・ハヤシと連絡の取れる人を紹介してもらえないだろうか?」
制帽の下から戸惑った瞳が見えたが、サッタールは辛抱強く待った。ややあってから、男は腰の通信機を取り、上司らしき人間に報告を始める。
タキはもう帰っただろうかと、ふと思った。ハヤシと会いたいのなら彼女を通した方が早いだろうが、それをしたらますますあの臆病な娘を巻き込むことになる。ハヤシはタキがサッタールの知己を得ることで、心理的にプレッシャーをかけようとしているのだろう。
大学に戻っても、なるべく彼女とは距離を置こうと考えていると、連絡を終えた男の声が頭上から降ってきた。
「お待たせいたしました。ハヤシ警部はロデェリア庁舎内で執務中です。お会いになられるならば、待っているとのことですが、いかがしましょうか?」
庁舎は隣の建物だ。サッタールがうなずいて歩き出すと、男は脇をすり抜けて前に立った。
「ご案内いたします」
コツコツと足音を響かせて通路を歩きながら、サッタールはまたタキのことを考えた。
今頃しょんぼりとしているだろうか。遙か昔のことなのに奴隷の言葉に心を痛めていたタキは、父親の行動に義憤にかられたのだろう。健気と言うよりほかない。だが彼女は、アルヴィンと一緒に静かな情熱で勉学に励むのが似合っている。こんな生臭い話に首を突っ込むべきではないと思う。
さらりと肩に流れるストレートの髪が、妙にサッタールの感情をくすぐる。
コラム・ソルは、男女のつきあいに奔放な島だ。そうでもしなければ島の人口は減るばかりだったし、子供は島全体で育てるから、肌を重ねることに大きな躊躇はない。
簡単に互いの感情を暴露されてしまう島の娘が今のサッタールを見たら、一夜の相手にやんわりと誘うか、手回しよく断ってくるかするだろう。それぐらいあっけらかんとしているのだ。
しかしタキは外の娘だ。自分の一瞬抱いた感情を悟られることもなければ、己の曖昧な感情をサッタールに捉えられているとも知らない。
知らないままでいい、とサッタールは夜の道に出て空を見上げた。小さな月のロビンが、さえずるような光をロデェリアの街に投げおろしていた。
警護の男に案内されたのは、応接セットが置かれているだけの殺風景な部屋だった。壁に窓もない。
「すぐにミスター・ハヤシがくるはずです」
慇懃に言って、男がサッタールを促す。一瞬、セントラルで誘拐された時のことを思い出し、サッタールは眉を寄せた。このまま自分を連れ去るのは簡単だ。ハヤシは武装組織などではなく、国家権力の中心に近いところにいるのたから。
「ドアは開けておいても?」
サッタールは冷ややかに男の腕を掴む。驚いたような気配がして、男は丁寧に頭をさげた。
「あなたの安全については最大限配慮するように命じられています。その……何も問題ないと思いますが、ご心配ならばドアは開けたまま、私は廊下に控えております」
サッタールは男のダークブラウンの目を見据えてから、手を放し、苛立ちが抑えられなかった自分に肩をすくめた。
「すまなかった。だがそうしてもらえるとありがたい」
「いいえ。あなたは一度誘拐されたことがあると聞いております。警戒されるのは当然です」
男は小さく笑ってから、携帯しているPPCを取り出した。
「他の三人の方々はまだ食事を楽しんでおられるようですが、連絡されますか?」
「いや、直接伝えるからかまわない。心遣いに感謝する」
初めてセントラルに行った頃は、見知らぬ街で特定の人物を探すのは少々骨が折れたが、今は地図上でGPSの示す地点を探ることを覚えたから容易だ。
食事に行かないことを伝えると、ショーゴが呆れたような思念をぶつけてきた。
『お前……まさかあのお嬢さんとデートかよ』
『相手は確かにハヤシだが、彼女の父親だ』
『はあ? また一人で何かしでかそうってんじゃねえだろうな』
『そうなったらそうなったで、後のことは頼む』
『バーカ。アルフォンソをこれ以上怒らせんなよ?』
『心しておく』
サハルとミアの心配そうな思念も伝わったが、サッタールはさっさと連絡を打ち切った。コラム・ソルやタキに対する仕打ちに腹を立てたからといって無謀だったかなと思った時にはもう、ハヤシが廊下からのぞき込んでいた。
警護の男は、ハヤシを通すとドアを閉めた。そのまま廊下で警備につくのを気配で確認して、サッタールは改めてハヤシに向き合う。
「仕事中にお呼びたてして申し訳ありません」
ハヤシは細い目を更に細めて笑った。
「いやいや。今日で調査は終わりでしたなあ。一次報告では該当者なしとのことでしたが」
手でソファーに座るように示したハヤシは、ふぅーと大きく息をついた。
「まあ最初の都市ですぐに超常能力者が見つかるとは、私たちも思ってはおりませんでしたがねえ。とにかくあなた方に頼るしか、今は方法がないので」
サッタールは座らずに、殺風景な部屋を見回してから、笑い声にも似た息を吐き出す。相変わらずハヤシの思考は読みにくい。
「ミスター・ハヤシ。単刀直入にうかがいますが、お嬢さんをあなたの仕事に巻き込むのはやめてもらえませんか? それからジャンの事件ですが、負傷した男があなたの部下だというのは本当ですか?」
「娘は常に自分の意志で動いていると申し上げましたが? 今日の調査面談も、事前申告してなかったのに急に割り込んできたのですよ?」
「ええ。そうするようにし向けたのはあなたでしょう。彼女は気づいてないようでしたが」
「娘の心を読んだんですかな?」
面白そうにハヤシの唇が歪んだ。
「父親のこと、何か言っておりましたか? いやぁ、あの年頃の娘はどうも父親とは疎遠でしてねぇ。こちらも何を話せばいいかわからんものですから。特に大学で家を出てますし」
そんな個人的なことは何も見てはいない、とサッタールが口を挟んでも、ハヤシはそんなものですか? と疑わしい顔で笑う。
「それにタキは、何を考えてるかわからん子でしてね。昔からあれは口数の少ない、表情の乏しい子でしたよ。親に心を明かさない。ここはせっかくですから、ぜひ君に娘のことを教えてもらいたいものですなあ」
ふざけるな、という言葉は飲み込んで、サッタールは表情を変えないままハヤシの前に座った。タキのことはもういい。大学に戻っても接触を避ければ済むことだ。それよりも他に確かめなければならないことがあった。
「コラム・ソルで監禁されているポワイエのことですが」
「監禁とは? 我々はあくまでも法の定めるところに従っているだけですよ」
「コラム・ソルではいつから領事裁判権が認められるようになったのか、ご教示いただきたい。ジャンの傷害事件はコラム・ソルの法で裁かれるべきですし、身柄も引き渡してもらいたい」
「ほう。君はそれを言う権利を持っている、ということですか?」
ハヤシは笑顔のまま、親指で顎の下を掻いた。コラム・ソルに成文法がないことも、今のサッタールが島でのいかなる地位にないことも承知しているのだろう。元々確たる行政機構などないに等しいのだが。
「述べるのにはなんの条件もいらないでしょう。私はコラム・ソルの一員ですし、少なくとも中央府の超常能力者審議会のメンバーです」
「そうですなあ。インフラ整備にかかる費用を、君が口先三寸で官僚から引き出した手腕には、当時驚いたものですよ。若いのになかなかやる、とねえ。それならいっそのこと、中央に勤めてはいかがです? 席ならいくらでも用意できますがね。公安に」
「私の身の振り方よりも、コラム・ソルでの司法のあり方を解決する方が先です」
「いや。君の問題の方が先だ」
その為に準備された事件なんだからとハヤシが胸の内で続けた。もちろんサッタールに聞かれることを計算の上だろう。しかしジャンの行動が公安によって引き起こされたのだと申し立てても、ハヤシは絶対に認めないし、間違いなく証拠も出せはしない。
そしてコラム・ソル側が、怪我をさせられた男の思考を精神感応力で読んだのだと主張しても、それは公的な証言にはならないのだ。
(この、クソ狸め)
どうせハヤシには読めないのだからと、サッタールは心で罵倒しつくした。
「では話を戻しますが、何故公安は私を欲しがるんですか? 私は使い勝手は悪いだろうと思いますが? 疑り深く、従順でもありませんし」
「うん、そうだね」
ハヤシは砕けた口調で明るく応じる。
「君を見たらたいていの人間は警戒するしねえ。変に態度も大きいから、隠密行動なんてできそうもないし。まあ、今わかっている超常能力者で君ほど有名人もいないしね。顔を知られてないって点では、ジャン・ポワイエを取り込む方が簡単だよ。あ、大学でも大変だろう? 取り入ろうとする者もいれば敵意を持つのもいるだろうしね。それに少し事情通なら公安とコラム・ソルは敵対とまでは言わないけど、友好関係にあるとは誰も思わない」
「それなら何故?」
「君がこちら側につけば、世間ではコラム・ソル全体を取り込んだと思われるだろう。超常能力者争奪戦において他の勢力を牽制できるじゃないか」
あまりにあけすけな理由で、サッタールは絶句する。
「……そんな手の内を喋っていいんですか?」
「だって、君。探ろうと思えば僕の胸の内なんていくらでも探れるだろう? 今は紳士的に振る舞ってるようだけど」
「否定はしません」
「だから隠しても無駄を前提にしているんだがねえ。誠実って言ってもいいよ。娘のこともね」
サッタールは膝の上の拳を握ってから、冷ややかな目を向けた。
「そんな理由でジャンを陥れたのなら、すぐにでも返してください」
「それを交渉するのはミスター・ガナールで君じゃないよ。それに法律的問題が解決していない」
のらりくらりと言を翻すハヤシは、刺すような視線に動じる気配もない。
「何であなたのような親からミズ・ハヤシのようなお嬢さんが生まれたのか不思議です」
「あっはっは、それはね、僕も不思議だよ」
ひとしきり笑ってから、ハヤシは不意に手を伸ばしてサッタールの拳を掴んだ。少々たるんだ腹の中年男にしては驚くほ
どの早業に、サッタールは目を見開く。
『ここでもどこでも盗聴器がついている。我々は常に相互監視をしているからね』
タキとは違う明晰なハヤシの思念が流れ込んでくる。
『能力者を使いたいのは公安、軍、反政府組織、幾つかの巨大複合企業体、ああ議長もだな。だが今のところコラム・ソルの住人は島に閉じこもっているし、今回のように出てきても厳重に警備されていて接触は難しい。最初にポワイエを欲しがっていたのは、ある企業体だよ。彼の金属精錬能力に魅力を感じたんだな。しかし我々としては看過できなかったんだ。取り込まれる前に身柄を確保したかった』
サッタールは自分の鼓動が速まったのを自覚した。念話では嘘はつけない。ハヤシは接触して伝える方法も、嘘がつけないことも十分に承知していた。
『それならばそうと交渉すればよかっただろう』
『そういえば応じてくれたかな?』
『だからジャンに罪を被せたのか?』
『まず初めに。君が欲しいと思っているのは、他の組織に対する大きな牽制になるからだよ。もちろん、もし一般人の中に能力者が見つかったら、彼らもすぐに確保したいがね。能力を使った戦争も、君たちが他の組織に奴隷として使役されるのもごめんだからね。両方を回避したければ、能力者は我々の権力の下に保護するしかないんだよ。政権が交代しても影響のない国家組織にね。それは公安か軍だ』
「……ジャンの身柄は一時預けますが、ガナールは領事裁判権を認めはしないでしょう。コラム・ソルの法体系については早急に整えます。しかし私は大学に戻ります。私に取り入るつもりならば、次は私自身をターゲットにしてください」
堅い声で話しながら、サッタールは同時にハヤシに念話を送る。
『全く承服しがたいが、そちらの思惑はわかりました。どうすればいいか、少し時間をいただきたい。保護は同時に束縛も生むでしょう』
「君をターゲットにするのは怖いなあ。ナジェーム大学は厳しい自治を敷いているから学生に手を出すのは政治的にも難しいんだよ。まあ君の心一つでポワイエの処遇が決まると思って欲しいところだけどねえ」
『自由には責任だけじゃなくて危険も伴うものだよ。それはどんな立場の人間でもそうは変わらない。君たちだけが束縛を逃れることは無理だ』
ハヤシも口に出す言葉と思考の両方を同時に操る。器用な人間だと思いつつ、サッタールは彼が超常能力の専任に選ばれた理由の一端がわかった気がした。
「法とはそんな恣意的なものじゃないでしょう」
「はは。表向きはね」
ハヤシはどこまでも飄々と悪辣なことを口にして立ち上がった。
「ところで夕食は食べ損ねたんじゃないかい? よければ僕はこれから娘とデートだけど。一緒に来てくれても」
「お断りします」
サッタールも立ち上がって、ハヤシの細い目を睨みつけた。
「大学に戻ってもお嬢さんと接触する気はありません」
「娘はさぞがっかりするだろうねえ。君に惚れてるのに」
「いい加減なことを言ってお嬢さんを翻弄するのも……」
「さて。僕は娘の行動を縛りはしないからね。ばっさりふるならそうしてくれて構わないよ? 父親としてはまだ当分娘の花嫁姿なんて見たくないしなあ」
ふざけたことを嘯きながら、ハヤシがドアを開ける。あの警護の男は、まだ廊下に待機していた。
「ミスター・ビッラウラをホテルまで送ってくれ」
ぞんざいな命令に男は敬礼で応えた。
「それでは失礼するよ。また会えると思うがね」
ハヤシが廊下の角を曲がり消えてから、サッタールは肩から力を抜いた。思うよりも緊張していたらしい。
「すまないが、送ってもらえるかな?」
男は黙ってうなずき返すと、先に立って歩きだした。その刹那、男の思考が漏れ出てくる。
『この若者もかどわかしハヤシに籠絡されるのは時間の問題か』
かどわかしとはまた何とも似合った評だなと思いながら、ハヤシについての情報をアルフォンソに伝えなければと、サッタールは足を速めた。
次はしばらくコラム・ソルに話が移ります。
次回更新は間に合えば7月5日、もし推敲が終わらなければ7月8日になります。
よろしくお願いします。




