第二章 能力者調査面談(2)
ヴェルデ大陸の首都ロデェリアは、大河を望む内陸の都市だ。大陸の東側に位置するが、海岸までは七十キロほどある。
人工は十万ほどと、大陸の首都としてはこじんまりとしているのは、元は海岸沿いの商業都市に全ての機能が集中していたのを、政治分野だけ切り離して新しく作られたからだと、タキはみるみる迫る地上を前に説明した。
精一杯もてなそうという意図は見えたが、いやしくも学力適正試験で九六パーセント以上の得点をしているナジェーム大学生としては、基礎的な情報に過ぎた。
(そんなことを思ってしまう私の意地が悪いんだろうな)
ごめんなさいを言わせないように気を使うのも終わりかと、サッタールは自分に辟易としながらタキの話にうなずいた。
渡された紙の内容には、いろいろ思うこともあるが、それはここで待ち合わせをしているアルフォンソたちに会ってから考えるつもりだった。
空港に着くと、タキは最初から別行動だったらしく、すぐに控え目に手を振ってターミナルの人混みの中に紛れていった。
サッタールはヴェルデ政府が差し向けた案内人と共に空港の特別待合室に入ったが、そこにアルフォンソの姿はなかった。
「よう、サッタール、久しぶりだな」
案内されてドアをあけたとたん、声をかけてきたのはショーゴ・クドーだった。
「なんであんたがここにいるんだ? アルフォンソは?」
待合室には予定通りのサハルとミアもいた。三人ともゆったりとした膝丈のシャツとズボンというコラム・ソルの衣装で、こちらの人間からはすぐに超常能力者だとわかるだろう。その他に政府側の人間らしき男女が数人。
サッタールは機敏に立ってきたショーゴに目を丸くして訊いた。
「あーちょっと島に野暮用ができちまってなー。俺が代わりに来た」
ショーゴは再会の挨拶をするようにサッタールの肩を抱きながら耳元で囁いた。
「とりあえずあいつはしばらく島に足止めだ」
「それは残念だが、あんたに会えて嬉しいよ、ショーゴ。姉さん、ミアも久しぶり。元気そうだね」
サッタールは何事もなかった顔で、挨拶を交わしながらショーゴに思念を送る。
『何かもめ事が?』
『ちょっとな。暴行傷害事件』
表情を変えないまま、視線だけ島の女たちに向けると、二人からも思念が送られてきた。
『カタリナが、レイプされそうになって』
『とっさにジャンが念動力で』
『まあぶちのめしちまったってこと。相手は腕の骨を折る重傷だけど、サハルがすぐに骨も神経も繋いだ。ただそれも含めて能力の使い方がどうこうって難癖付けられてな。アルフォンソとイルマが……いや、アルフォンソはまだ激怒していてイルマが板挟みでてんやわいや』
『姉さんは大丈夫なのか?』
『私は大丈夫よ、ありがとう、サッタール』
『後でもっと詳しく聞くよ』
これだけの会話を瞬きの間に終えると、サッタールは、部屋の隅でじっと様子をうかがっている風な政府関係者に顔を向けた。サハルが憔悴しているのと、ミアが困惑と怒りを抱いているのはわかったが、とりあえず挨拶だけは済まさなくては島の者だけにはしてもらえそうになかった。
「はじめまして。サッタール・ビッラウラです」
一歩近づいて声をかけると、その中からグレーのスーツで身を固めた恰幅のいい中年の男が進み出る。
「ようこそ、ロデェリアへ。私は中央府のトモヤ・ハヤシです。セントラルではお目にかかる機会がありませんでしたが、よろしく」
トモヤ・ハヤシは自然な様子で手を出してきた。サッタールはその分厚い手をちらりと見てから、深々と頭を下げる。
「ミズ・ハヤシのお父君ですね? ご令嬢にはこちらに来る間もお世話になりました」
「令嬢などと言われるような娘ではありませんが」
ハヤシは素早く手を引っ込め、大きな口を緩めた。
「かえってご迷惑でなかったのならいいが。どうも引っ込み思案でね」
「いいえ。そんなこともありません。ところでこの調査はやはり内務省の管轄なのですね?」
ハヤシは、微笑みを浮かべるサッタールに柔和な目を向けて簡潔に答えた。
「そうです」
「公安部の?」
「そうです。審議会は専門の事務を持っておりませんのでね」
サッタールはハヤシの思念の表面だけなぞってみたが、言葉と表情に出ている以上の情報は見あたらなかった。感情や思考がだだ漏れの人間が多い中、さすがに機密を扱う役職の男だった。
公安が仕切るならば、やはり犯罪予備群扱いじゃないかという抗議は胸に納める。
「とりあえずはホテルに参りましょう。皆さん、長旅でお疲れでしょうし、スケジュールは夕食の時にでも係りからお話させます」
「ご配慮いたみいります。皆、こちらの社会に慣れてはおりませんので、いったん休ませていただけると助かります」
「そうでしょうな。特にあなたの姉君は」
どういう意味だと問い返す隙をみせず、ハヤシはにこやかに手を振った。
そこからはヴェルデ政府の役人が先導して、大型のエアカーに詰め込まれ、ホテルまで連れていかれた。
コラム・ソルの二人の女は、外を流れる景色に目も向けず、お喋りをするでもなく、割り当てられたホテルの部屋まで来ると、ほっとしたようにぎこちなく笑った。
「ごめんね、サッタール。ちょっと疲れちゃって。しばらく休んでもいいかしら?」
「もちろん。大丈夫か?」
サハルはうなずいて先に部屋に入ったが、ミアは眉間にくっきりしわを寄せた。
「島からヘリに詰め込まれて、それから飛行機。機械の振動音もすごいし、周りはだだ漏れ人間ばっかりだし。それにサハルは出る前の騒動で力も使っているから疲れるのも無理ないのよ」
「うん、それについてはショーゴから聞くから。とりあえずゆっくり休んで。夕食も食欲なかったら出なくていい。ルームサービスができるはずだ」
ルームサービスはむろん、こちらの機器にもシステムにも慣れていない二人の為に、ホテルの設備の説明だけしようと思った矢先、絨毯の敷かれた廊下を既に馴染みのある気配が近づいてくるのに気づく。
「タキ?」
空港で別れた女子学生は、サッタールを見るとホッとした笑顔を浮かべて、お辞儀をした。
「あの。こちらにコラム・ソルからの女性のお客様がいらしているって言われて。私でなにかお役にたてたらと……」
こんなに緊張した感情を漏れさせる人間は、疲れている二人には余計なお世話だろうと思ったが、ミアが素早く思念で話しかけてくる。
『誰? 知り合いなの?』
『同じ大学の学生で、さっき私が話していた公安の役人の娘』
『へえ、可愛いじゃない』
ミアの思念には好奇心と若干の複雑な感情が混ざっていたが、サッタールが答えるよりも早く、彼女はタキに向き直った。
「はじめまして。ミア・カーターです」
タキはびっくりしたように目を見開いたが、それでももう一度頭を下げて、自己紹介をした。
「ミスター・ビッラウラと同じナジェーム大学で学んでおります、タキ・ハヤシです。何かお困りではありませんか? その……」
バスルームの使い方とか、照明とかと心で続けたのを聞いて、ミアは満面の笑みをおどおどしているタキに向けた。
「ありがとうございます。正直に言うと、なにがわかってないか自分でもわからないのよ。案内してくれるなら助かります」
ついでにサッタールの大学生活も尋ねてしまおうという魂胆が透けて見えたが、ミアは手招きしてさっさとタキを部屋に入れてしまう。
「サハルの世話はちゃんとするから」
ドアから頭だけ出して告げると、ミアはあっさりドアを閉めた。同時にサハルからも思念が届く。
『私たちのことは気にしないでいいわよ。何かあったら呼ぶわね』
女たちに閉め出された格好のサッタールは、なにがしか憮然とした思いで、ショーゴの待つ自分の部屋に戻った。
「あはは。お前が女から相手にされないのって、見てて愉快だねー」
部屋ではショーゴがのんびりとベッドに寝そべっていた。
「別に……」
答えて、サッタールは部屋を見回す。二間続きの部屋は、このホテルでも上のクラスなのだろう。窓からはロデェリアの街が一望できた。
『盗聴器、ついてるぜ』
ショーゴがまだ笑いながら知らせてくる。
『当然だろうな』
『攪乱もできるけど、どーする? ちなみに途中で暗号かけられてるけど、解除して逆に侵入もできなくはないよー』
『いや。余計なことはしなくていい。私たちが何かしでかそうとするかどうかも見たいんだろ』
サッタールはカウンターに備えられたティーポットで湯を沸かし、カップを暖めながら声に出して聞いた。
「で。何であんたがここに来たんだ?」
どうせコラム・ソルで何があったかなんて既に公安は掴んでいるはずだし、それを自分が聞かないのも不自然だ。ショーゴはむくりと起きあがると、ベッドルームから出てきて窓際のソファーに座った。
「昨夜、カタリナがプラント工事の男に襲われた。っつっても、本人は単に口説くつもりだったって言ってるらしいけど。外の人間に対しては極力遮蔽を立てるってこっちの配慮が仇になっちまったんだな。事に及ぼうって時になって初めて気づいたカタリナが、きっぱりと拒否したら、思わせぶりについてきた癖にって腕を掴まれて、悲鳴をあげた。声と、思念の両方で」
ショーゴは常になく苦々しい口調で視線を外に投げる。
「で、聞きつけたジャンが――あいつは海底鉱山で採取した金属を取り引きすることになった企業体の人間と会合中だったんだが、その場から力を使って男の骨をへし折ったんだよ」
ジャン・ポワイエは確かに喧嘩っ早い男だ。しょっちゅうアルフォンソと言い争いをしている。
それにしてもいきなり相手の骨を折る真似をしたとは意外な気がした。
「酒、飲んでたんだよ。外から持ち込まれたやつ。で、加減が利かずにボキッと」
コラム・ソルの住人は、滅多に犯罪など犯さない。やっても犯人など筒抜けな上。他人の痛みや恐怖に敏感なのだ。瞬時に心が繋がってしまうから。だが酔っていて自制がきかなかったのか。
「アルフォンソとイルマが現場に着いた時はのたうち回る男を、カタリナが真っ青になって介抱してたみたいだな。すぐにサハルを呼んで、その場で応急処置をして、今はあっちの病院船に移されてる。俺が聞いた限りじゃ、死ぬことはねえってよ」
「それでアルフォンソは島に残ったんだな? だがなんで昨夜の内に知らせてくれなかったんだ」
「ああ。最初、男の骨を折ったのはカタリナかってあっち側に思われてな。すぐにジャンが名乗り出たけど、あいつは駐留してる海軍の艇に拘留されちまって。アルフォンソは後始末に大わらわ。で、お前に知らせなかったのは……アレだ……親心?」
「誰の親だ?」
心外だと顔に出してから、サッタールは黙り込んだ。
いつかこういう事故が起きるのではないかとは考えていた。島の人間は外の人間の常識を知らないし、そもそも島の女たちは性に奔放だ。そうでもしないと子供が産まれないからだ。
しかし、相手の考えなど簡単に読めると思っていたのが油断だった。思えばこの二年間、大きなトラブルがなかった方が不思議だ。外の人間との付き合いには用心していたはずなのに……。
「カタリナはその気はなかったんだな?」
確認の為に聞くと、ショーゴが珍しく陰惨な目で睨んだ。
「しょーがねえ。俺たちの間ならその気があるかないかなんて、口にしなくても伝わる。カタリナはただいろいろ尋ねてくる男に親切に答えてやってただけだ。押し倒されるとわかっていたらついてなんていかねえよ。ただ……迂闊だったな、みんな」
サッタールは嘆息して、手を額に当てた。ポットの中の水は既に沸騰していたが、茶を淹れる気にもならない。
「まあ男女間のいざこざなんて、島でもこっちでもあるだろうけどな。問題はジャンなんだよなー。問答無用で骨を折っちまったからな」
セントラル滞在中、可愛い看護師とつきあっていたショーゴは、ほろ苦く言って口を閉じた。サッタールは、そういえば彼女は一時のつきあいと割り切っていたのだろうかとぼんやり考えながら、ようやくポットに茶葉を入れる。香りが部屋に広がって、沈黙の間を埋めた。
「アルフォンソはジャンを中央に引き渡すつもりはないだろうな」
「ないな。それをしたら治外法権を認めたことになっちまう」
「ただ島には成文法がない。警察機構も裁判制度もない」
今ごろアルフォンソは頭から湯気を出して怒っているだろう。ジャンの身柄を取り戻さなくてはならない。そんな先例は作れないからだ。
もしこの傷害事件が島の者たちの間で起きたなら、ジャンはアルフォンソにボカスカに殴られた上、ほとぼりがさめるまで島中の者に監視されるだけで済んだかもしれない。感情をコントロールできるまで、誰かが、多分サッタールが常に付き添うことで終わる。
しかしそんな処分は、中央府は了承しないだろう。超常能力者は危険だと、レッテルを貼りたがるに違いない。
カップに注いだ茶は、濃くなりすぎていて苦かった。
次回は28日に投稿予定です。よろしくお願いします。




