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私と彼らの7日間。  作者: ありま氷炎
番外編ー伍アキオ「私の歌姫」
36/50

歌姫の真意

 暖かい手が私に触れる。目を覚ますとにっこりと私の歌姫がすぐ側で微笑んでいた。

 その長い髪に触れようと手を伸ばす。しかし、その手は空を切る。


「我不爱你。(私はあなたを愛してない)」


 彼女は笑顔を浮かべたまま、そう言う。


「爱玲!(アイリーン)」


 去りゆくその背中に向かって叫ぶ。

 しかし彼女が振り向くことはなかった。



 ツルルルル……

 

 電話の音がして、私は目が覚めた。

 ベッドの上にいた。

 

 どうやらホテルの部屋にいるようだった。


 どうやって帰ってきたんだっけ?


 覚えがなかった。


 私はとりあえず鳴っている電話を取ろうと体を起こす。

 

「お?」


 鳴っている電話は自分のではなかった。


 しかししつこくなるので迷ったが取った。


「伍先生?!(伍さん?!)」


 相手は彼女だった。ぎょっとしたような声で名を呼んだ後、黙りこくる。

 

「这个手机是你的吗?(この携帯は君のもの?)」


 沈黙を破ったのは私で、耳に当てた携帯から彼女の諦めに思える溜息が聞こえた。


「是。我昨天送你到酒店了。你可以把手机还给我呢?(ええ。昨日あなたをホテルに送ったの。携帯電話返してくれますか?)」


 彼女が私をホテルに……

 あれは夢ではなかったんだ。


 でもまったく覚えてない。

 何かあったのか?

 そんなわけないか。


 何かあれば覚えているはず。

 服も着てたし。


 だいたい彼女が嫌いな私とそういうことをするわけがない。


 でもなぜ送ってくれたんだ?


 私は彼女にあって確かめたかった。

 そしてあることを思いつく。


「我不知道。(知らない)」

「啊!?什么意思?(はあ?!どういう意味?!)」


 私の答えに電話口から彼女の怒声を放たれる。

 キーンと脳の中で声が響き、頭痛がする。私は頭を振ると深呼吸して口を開いた。


「如果你跟我一起吃饭,我还给你。(もし、君が私と一緒に食事をしてくれたら、返すよ)」

「你说什么?!(なんですって?!)」


 彼女の2度目の怒声が私の耳を襲う。

 しかし、その後すこし考える様な間があり、吐息が漏れた。


「好。没有办法。哪里吃饭?(いいわ。他に方法もないし。どこで食事するの?)」


 彼女の答えに私は小躍りしたくなった。単純に彼女と会えるのが嬉しかった。喜びで返事をしない私に彼女の苛立った声が聞こえる。


「那个河边的餐厅。好吗?(あの川沿いのレストランでいい?)」


 そこは最初に二人で話した場所だった。


「好。(いいよ)」


 私は浮かれる気持ちを抑え、短く答える。そして私達は昼食を共にすることになった。



 荷物を持って移動するのは嫌だったので、ホテルのフロントにスーツケースを預け、レストランに向かう。


 時間よりすこし早く着いた私は先に中に入った。

 10分ほどして彼女が姿を見せる。


 彼女は薄化粧に白いシャツ、灰色のスカートを着ていた。髪をゆったり結い上げ、最初にエレベーターで見た時の彼女を思い出す。


「伍先生。拿手机还给我。(伍さん、携帯電話返してください)」


 それが彼女の第一声だった。


「在拿手机还给你前,告诉我。为什么你昨天送我到酒店呢?(返す前に、教えてほしい。どうして昨日ホテルまで送ってくれたの?)」


 私は彼女の冷たい視線を受けながらも、そう口にする。

 その理由がどうしても知りたかった。


「因为你是我同事的朋友, 所以我给老板打电话,然后送你到酒店。没有别的意思。(あなたは私の同僚の友達だから、ボスに電話して、ホテルに送ったの。深い意味なんてないわ)」


 彼女は表情を変えることなくそう答えた。

 館林も知ってるのか……


 なんだ。

 がっかりする私の目の前で彼女は微笑む。


「现在你可以拿手机还给我吧?(携帯電話返してくれる?)」

「可以。(わかった)」


 私はため息をつくと、鞄の中から携帯電話を取り出す。


「谢谢。(ありがとう)」


 彼女は携帯電話を受け取ると、確認をする。


 実は少し期待していた。

 彼女が私のことを好きかもしれないと。

 しかしそんな甘い期待は、やはり期待でしかなかった。


「你失望吗?你想我爱你吗?(がっかりした?私があなたを愛してると思ったの?)」

「?!」


 ふいに言われた言葉に私は動揺する。

 彼女からそんなことを聞かれるなんて予想外だった。


「对不起。我讨厌你。(ごめんなさい。私はあなたが嫌いなの)」


 彼女は小悪魔的な笑みを浮かべて私を見る。


 くそ。

 やっぱり彼女は綺麗だ。

 面と向かって嫌いと言われた癖に私は彼女のその美しい顔に見とれずにはいられなかった。

 彼女は注文したライムジュースを掴むとストローに口づけ、おいしそうに飲む。口づけたストローの先が口紅で赤く染まっていた。

 彼女が動く、その仕草一つ一つが、まるで魔術のように私を捉えて離さなかった。


 嫌われているのに、嫌いになれない。

 私は頭を抱えたくなる。


 目の前においしそうな湯気を立てるパスタが置かれた。


 彼女はフォークを持つと、私に構わず食べ始める。口にフォークが運ばれる動作が私の動悸を苦しくさせる。


 彼女はそれを知っているのか、知らないのか、私に視線を向けることなく食事と続ける。


 沈黙が訪れ、私はコーヒーを飲む。

 苦い味わいが私を悩ましい夢から覚ましてくれることを祈った。


 私は自分を嫌う彼女に完全に囚われていた。

 そんな自分が嫌になり、窓に視線を向けた。空は雨が降りそうな天気で雲が立ち込め、夕方のような暗さが街を覆っていた。


「伍先生」


 ふいに名を呼ばれ、顔を向ける。

 甘酸っぱい味と柔らかな感触がした。


 しかしそれは一瞬で、私は間近に黒い瞳を認めた。きらきらと瞳は輝き、その頬はほんのり赤くなっていた。


「为什么?(なんで?)」


 キスされたことに気づき、私は呆然と彼女を見つめる。


「我也不知道。(私もわからないわ)」


 彼女はそう言って席を立つ。


「爱玲!(アイリーン)」

「伍先生。再见。(伍さん、さようなら)」


 後を追おうとした私を止めるように彼女は鋭い視線を向ける。

 私はその場を動けなくなる。


 キスされた感触はまだ残っていた。

 彼女の食べていたトマトソースパスタの味がする、甘酸っぱいキスだった。


 結局、私は彼女の行動がわからないまま、ホテルに戻った。

 

 キスをされたということは、好きってことだよな。

 そう自分に問いかけるが答えはわからなかった。


 支社の者から見送りを断ったので、私は1人で空港に向かう。タクシーのトランクに荷物の入れ、後部座席に座った。

 車はホテルから離れ、しとしとと雨が降る中、ゆっくりと走る。


 なんだか嫌な天気だな。

 自分の気持ちを反映しているような天気に私は気分が余計悪くなる。


 ジリリーン


 メールの着信音がして、私はポケットから携帯電話を取り出す。送り主は番号だけ。開けて見るとそれは中国語のメッセージだった。


 『伍先生。祝你一路平安。黄爱玲。(伍さん、よい旅を。アイリーン・ホワン)』


 私はそのメッセージを何度も読み返す。社交的なメッセージだった。期待してはいけない。しかし、あのトマトソース味のキスと合わせて私は期待せずにはいられなかった。


 ふと車窓から空を見ると、いつの間にか雨が止んでいた。そして空を覆い隠していた黒い雨雲が少し薄くなり、太陽の光が地面に差し込み始めていた。


 私は高揚する気分で携帯を持ちなおすと、返信をする。ピンインで中国語を打ち慣れていないため、かなり時間がかかった。


 『爱玲。谢谢你的短信。我一定回来找你。伍明雄。(アイリーン。メッセージありがとう。必ず戻ってきて君を探すから。伍アキオ)

 

 そう返信して顔を上げると、車窓から空港が見えていた。

 私はタクシーの運転手に笑顔を振りまき、荷物を下ろすと、意気揚々とチェックインカウンターへ向かう。


 ジリリーン


 着信音がなる。


 『变态。你不需要回来!(変態。帰ってこなくていいから!)』


 私は罵声に似たそのメッセージに自分の顔がにやけるのを止められなかった。周りに人に迷惑がられながらも私はその場に立ちすくみ、返信のメッセージを打ち始める。


 『等我。让你爱上我。(待ってて。私を愛させるから)』

 

 そう返信すると私は荷物を乗せたカートを押し、カウンターで向かう。


 ジリリーン


 荷物を預け、搭乗口に向かう途中、再び携帯が鳴る。


 『你不会。我不可能爱上你。(無理。あなたを好きになるなんてありえない)』


 『你肯定吗?(絶対にそう思う?)』


 『肯定うん


 私とアイリーンはそんなメッセージのやり取りを繰り返す。


 そのうち、私はたまらなくなり、電話をかける。


「喂?(もしもし)」


 冷たい彼女の声が聞こえ、私の胸が高鳴る。


「爱玲。你想我吗?(アイリーン。私が恋しい?)」

「你真是疯了。(あなた、頭おかしいわ)」

「我正在在飞机场。我等一下回去日本。(今空港にいる。少ししたら日本に帰る)」


 そう言って私は何を言っていいかわからず黙る。

 するとアイリーンが電話先で息を吐くのがわかった。


「伍先生。再见。我…。(伍さん、さようなら。私は…)」


 電話はそこで途切れる。

 離陸を告げるアナウンスで私は慌ただしく機内に乗り込む。電話をかけようとするが客船乗務員に止められ、かけれなかった。


 日本に帰り何度かメッセージを送ったり、電話をした。

 しかし返事が返ってくることはなく、電話に出ることもなかった。


 あきらめるべきだった。


 でもあの甘酸っぱいソースの味とやわらかい感触、そしてきらきら輝く黒い瞳を忘れられなかった。


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