おせっかいな男
「伍さん、おまたせしました」
パトリックの元上司でアイリーンのボスである館林は私の姿を見ると、にこっと笑った。
朝、ホテルで身支度を整えていると館林から電話があった。パトリックとミヒロちゃんに渡して欲しいものがあるから、夕食も兼ねて会って欲しいということだった。
単なる夕食の誘いであれば断るつもりだった。しかし、ミヒロちゃんの笑顔を浮かべるとしょうがないと誘いに乗ることにした。
夕方ホテルに迎えに来るということで、ロビーで待ってると館林は来た。相変わらず隙のない出で立ちで、嫌な奴だった。
「どこにいくんですか?」
「いいところですよ」
私の問いに館林は意味深な笑みを浮かべる。
館林が車を走らせ着いたところは見覚えのある場所だった。
私は車から降りるとその店を見つめる。
「ここは黒ビールがうまいんですよ。ウィンナーも有名で……。アイリーンが今夜多分歌うはずです」
「………」
この男……
私は館林の誘いを断って、帰ろうかと一瞬考えた。
しかし明日の朝、日本に帰ることを考え、彼女の姿をみる最後のチャンスとだと踏みとどまった。
「本当、あなたは……」
「なんですか?さ、行きましょう。もう歌が始めるころです」
館林はにやっと笑うと店の中に入っていく。
私はため息をついたが、大人しく彼の後に着いて行った。
「Two glasses of Schwarzbier, please (シュヴァルツビア(ドイツの黒ビール)を2杯お願いします)」
椅子に座るとやってきた店員に館林がそう注文する。
「ここのビールはコクがあってうまいですよ」
「……」
ビールは苦手だったが、そうも言ってられない。この男に苦手なものを知られるのも嫌だった。私はステージに目を向け、アイリーンが出て来るのを待つ。
これが最後かと思うと、胸が痛くなる。
「伍さん、その傷どうしたんですか?」
ふいに館林がそう質問をした。暗がりで見えないはずなのだが、館林は私の頬のひっかき傷を目ざとく見つけようだった。それは昨日、彼女ははたかれた時に、その爪でやられた傷だった。
「……ちょっと猫に引っかかれて」
「ふーん、猫ですか?」
館林はにやにや笑いながらそう聞く。
まったく嫌な奴だな。
「そうです。気の強い、美しい猫ですよ。館林さんもこんなところにいていいんですか?恋人があなたの帰りをまっているんじゃないですか?」
「ああ。待ってますよ。でも今日は特別です」
館林がそう答えると同時に生バンド演奏が始まった。
「Ladies and Gentlemen 」
アイリーンの声が店内に響き、私はステージに釘づけになる。
ステージ上の彼女は真っ赤なチャイナドレスを身につけ、スリットからそのすらりと伸びた足が見えていた。
いい女だ。
まったく。
暗がりにいる私達にアイリーンは気が付いていないようだった。彼女はお客のリクエストに答えると、バンドのメンバーに合図をする。
聞いたことのある洋楽の伴奏が始まり、アイリーンがマイクを持つ。
彼女の歌が始まった。
それは失恋の歌のようだった。
まさに私にぴったりの歌だな。
私は自嘲しながら歌を聞いた。館林の手前、あまり感傷的にならないように心がける。
「伍さん、乾杯と行きましょう」
運ばれてきた黒ビールを私に勧め、館林は笑う。
何に乾杯だ。
毒づきながらも私は同じように笑うとグラスを持つ。
「我々の未来に乾杯」
男がそう言い、私も乾杯と言い、カチンとグラスを合わせる。
口に含んだビールはほろ苦く、私の心情にぴったりな味だった。
なんだか全てが当たりすぎて笑いたくなる。
「伍さん?」
「なんでもないです。館林さん、ミヒロちゃんに渡したいものはなんでしょうか?」
「ミヒロちゃん?伍さんはそう呼んでいるんですね。パトリックが怒りませんか?」
「ああ、まあ。でも慣れたみたいですけど」
酔ってるはずはないのだが、思わず漏らした言葉に館林が眉を潜める。
「伍さん、パトリックをからかうのはほどほどにして置いたほうがいいですよ」
「わかってますよ。そんなこと」
痛い目にあったことがある。
言われなくてもわかっていた。
館林に渡されたのはまた紙袋だった。
中身は知りたくないな。
私はそう思いながら、紙袋を受け取る。
「伍さん、すみません。ちょっとトイレ行ってきます」
アイリーンが数曲歌い、ステージの奥に消えた後、館林がそう言って席を立つ。
私は苦いビールを片手に、ぼんやりとステージを見つめる。
最後か……
彼女と会ったのはたった4回。そして知り合ったのは3日前だ。
それだけなのに、私の中で彼女の存在は消せないものになっていた。
多くの女に関わって、交わってきた。
プラトニックに人を想うことなど今までなかった。
気になればすぐに抱いた。
だから、余計気になるのか。
抱けないから。
「伍先生?!(伍さん?!)」
そう声が聞こえ、私は顔を上げた。
逃げようとする彼女の腕を掴む。
「我求求你。我明天回去日本。我想和你讲话。可以吗?(お願いだ。明日私は日本に帰る。話がしたいんだ。いいだろう?)」
「可以。但是我们在外面谈一下吧。(わかったわ。でも外で話をしましょ)」
彼女に言われ、私達は店の外のテーブルに座る。外は平日のためか人がそんなに多くはなかった。テーブルに置かれた蝋燭が彼女の顔を照らし、その美しさを際立たせる。
「 爱玲。我爱上你。(アイリーン。私は君を好きになってしまった)」
私がそう口に出すと彼女は驚いた顔をした後、笑う。
「你骗我。你只是要做爱的,不是真的爱我。(嘘つき。あなたはきっと私を抱きたいだけ、それは愛ではないわ)」
「不是。我真的爱你。(違う。私は本当に君のことが好きなんだ)」
「我不相信你。(信じない)」
「为什么?(どうして?)」
「你先骗我了。怎么能相信你呢?(あなたは先に嘘をついた。どうやったらあなたを信じられるの?)」
「对不起。可是我真的爱你。(すまない。でも本当に私は君が好きなんだ)」
「不要说。我不想听你的话。(何も言わないで。あなたの話は聞きたくない)」
彼女ははっきりそう言うと席を立つ。
話しても無駄だった。
嘘をついて彼女を傷つけた事実は消せない。
私は店に戻っていく彼女をただ見つめることしかできなかった。
「伍さん、ここにいたのか」
「ああ、館林さん」
明らかにタイミングを見計ったような現れ方で、私は彼女を私のところによこしたのが彼のもくろみであることがわかる。
変な気を回しやがって。
頭にきたが、この男なりに気を聞かせたつもりだと思って、にこやかに笑う。
まったくおせっかいな男だ。
だが、おかげですっかりした。
完全に振られた。
自業自得だな。
「館林さん、悪いけど。先に帰ってくれませんか。1人でアイリーンの歌を聴きたい」
我ながら失礼な物言いだと思ったが、館林は気を悪くした様子はなかった。むしろ気を使っている感じで逆に癇に障る。
「楽しんでください。パトリックとミヒロによろしく」
館林は私の気に障ったことを感じてか、手を振るとそそくさと店を後にした。私は苦い黒ビールを注文し、店の中に入る。今日が最後だ。私はそう思い、彼女の歌を最後まで聴いて帰ることに決めた。